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                                        ノーマン


  ◆――――――――――――――――――――――――――――――――――
    <偽りの花嫁・第一話  場所 ゴンザレス邸>
  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

  深い森の中。輝く月の下。彼と彼女は愛を語らう。それは優雅に。そして耽美に。時に妖
  艶に…。

  こんな僕でも彼女は必要としてくれる。生まれて初めて人に認められた気がする。両親に
  だって見捨てられた僕だけど、彼女は僕を必要としてくれる。

  「愛してる。」

  彼女の細い首筋に、僕の異形の指が触れる。陶器のように透き通った肌は、神聖で侵しが
  たいものがある。だからこそこのまま、過去と未来のようにずっと…ずっと…繋がってい
  られるなら、僕にこれ以上の幸せは無いだろう。

  「いやがったなぁ!この、ドチクショウがぁ!!」

  怒声。突然の。えらく野太い声がした。ロマン漂うこの空間とはおよそ縁の無いような、
  汚い声である。そして、それは一つではなかった。

  「ふぅう。見つけたぜえ…。この化け物野郎が!!」

  がさがさと、森の木々を掻き分けながらヒゲ面のごつい男達があらわれた。その手には、
  斧や桑、剣などの武器があった。

  「…なんなんだ?あなた達は?」

  僕は震える声を懸命に押し殺しながら、彼らに問いかける。…彼女だけは守らなきゃいけ
  ない。

  「わからねぇか?化け物ォォ…!!くたばれえええ!!!」

  ぶんぶん風を切りながら、凶器が彼に迫る。

  「うわああああああああ!!!!」

  ドシュッ!!

  わけもわからないまま、深くめり込んだ凶器が僕を引き裂く。

  静かな月の下、真っ赤な花が咲いた。

  流れるスローモーションの世界、そして、か細い彼女に声を聞いた…気がする。



  ―――三ヵ月後

  豪奢なシャンデリアと、荘厳なドレス。栄えたタキシードに身を包んだボーイは、広い会
  場を所狭しと走り回っている。

  「ぃようこそ!諸君!今日は、我がゴンザレス家のパーティに出席してもらい、まことに
  有難うございます。」

  大きな腹と、大きな顔。立派なひげを蓄えた巨漢、イデッカ・ゴンザレスが大声を張り上
  げる。大きな体に見合っただけの大きな声を張り上げる。そして、ながながと今日までの
  いきさつや、つまらないジョークを交え、スピーチを続ける。

  「最後に……今日は、存分にお楽しみください!!」

  言い終わって数秒後、歓声が上がった。それが、彼のスピーチに対しての賞賛でもなけれ
  ば、パーティへの歓迎でもない。『つまらないスピーチを有難う』という、皮肉が込めれ
  らたモノだということを彼は知らないのであろうから、おめでたいものだ。

  今日は貴族ゴンザレス家の道楽、立食パーティである。ウェイスターは、このパーティに
  身分を偽って潜入し、ある人物を探していた。
  その人物とは大物議員キンギン・ワイロゥ。ゴンザレス家に係わらず多くの貴族と関係を
  持ち、自分の利権だけを確保する議員あるまじき悪党である。ワイロゥを始末するのが、
  今回のテロ組織「カミカゼ機動隊」から下ったウェイスターの任務だった。

  周りとあまりうかないように気をつけながら、ウェイスターは辺りを見回していた。…し
  かし、見回す限りの人ひとヒト…。特定の人物を探し出すのは困難だった。ましてや、ワイ
  ロゥにはいつも身辺警護の人間が幾人もついている。発見しても手を出せない。考えあぐ
  ねいていると、一人の女性が目に留まった。

  スパンコールをちりばめた立派なドレスにもかかわらず、浮かない顔をした女性だった。
  周囲の人間は、わけも無く楽しそうに飲んで食べて語らっているのに、その女性だけ明ら
  かにういていた。背中を壁に預け、物憂げな面持ちでグラスに注がれたワインをくるくる
  回している。時々グラスに口をつけるものの、ワインを飲む振りをしているだけのように、
  ほとんど減ることは無かった。周りの人間が、彼女に声をかけても適当にあしらうだけ。
  まるでパーティを楽しんでいる様子は無かった。

  そんな彼女に、一人の中年が歩み寄る。顎鬚とオールバックの黒髪が渋い男だった。

  「マリー。あんな男のことは忘れて、別の男性を探しなさい。ここは貴族の社交場。お前
  にふさわしい男性もいるはずだ。」

  「…そうですね。お父様が望むような男性はいらっしゃるかもしれませんね。」

  「マリー!」

  「お父様がアタシのことを、どう思っているかは存じませんが、アタシはアタシです。お父
  様の所有物ではありません!!」

  二、三言葉を交わしたかと思えば、彼女は美しいブロンドを翻し、スタスタとどこかへ去っ
  てしまった。その中年とは顔も見たくないといった具合だろうか。

  「あの男…どこかで?」

  ウェイスターは、その中年に心当たりがあった。ワイロゥと友好関係にある貴族だった気
  がする。参考資料にあんな感じの人物が写っていたことは確かだ。

  「…ドライヴ伯爵殿?」

  半ば、博打の要素を含んで、ウェイスターは中年をそう呼んでみた。当たっていればしめ
  たもの。外れていてもこの人ごみだ。不思議には思うまい。

  「?」

  すると、ふと、中年はウェイスターの方を向いたではないか。

  「私に何かようかね?」

  そして、歩み寄ってくる。パーティの席なので、特に用心した様子も無い。

  「これは、これは。ドライブ伯爵殿。ご機嫌麗しゅうございます。」

  ウェイスターは予想外の成功に若干狼狽したものの、貴族風の挨拶を交わし、ごまかす。

  「ぁあ。…失礼ですが、どちらさまでしたかな?年の所為か、最近記憶力が怪しくなって
  きたもので。」

  「これは失敬。私はウェイスター・ロビン。お初にお目にかかります。」

  すこし、目を細めて中年はウェイスターを眺める。…品定め…と言った方が正しいかもし
  れない。

  「ロビン…。ロビン…。はて、どちらの家柄かね?」

  「ロビン家は、ゴンザレス家に仕える小さいながらも騎士の家柄でして…いやはや、お恥
  ずかしい。ドライヴ伯爵に会えただけで、つい声をおかけしてしまいました。」

  適当な仕草と嘘の身分。ロビン家などとうの昔に潰えたのだが、どうせ元から下流貴族だ。
  ドライブ伯爵が知るよしも無いだろう。あとは、うまくこの男に取り入るだけだ。そうす
  れば、ワイロゥとの距離も縮まる。

  「ほぅ。ゴンザレス家の騎士であったか。失礼した。私はライト・ドライヴ。ご存知のよ
  うにしがない伯爵風情だよ。」

  謙遜したように自分の自己紹介をする彼は、わずかばかり哀愁を漂わせていた。先ほどの
  女性と何かあるのかもしれない。

  「しがないなどとご謙遜を。ドライヴ家といえば、いまやゴンザレス家に迫る勢いではご
  ざいませんか。昨年は国王陛下との謁見も果たし、飛ぶ鳥を落とす勢いと世間ではうわさ
  されております。」

  我ながらよくもまぁ嘘が出るものだ。そんなことは一つとて思ってはいない。ただ、ドラ
  イヴ家が、急成長であることはデータが裏付けていた事実である。

  「ところで、伯爵。先ほどの女性は?」

  「あぁ。あれは、私の娘だよ。」

  「なるほど。道理でお美しい。」

  「美しい?とんでもない。じゃじゃ馬だよ。アレは。」

  「…と、申されますと?」

  「ふむ。娘も年頃なのか色気づいてしまってね。悪いムシと関係を持つようになってしまっ
  た。」

  深々とため息を漏らしている。どうやら、本当のことらしい。『頭がいたい』とはよく言っ
  たもので、ドライヴ伯爵の表情はまさにそれであった。

  「私としては、どこか身分のある男性と付き合ってもらいたいのだがね。…例えば、君の
  ような。」

  最後だけは冗談めかしく誤魔化したが、あながち嘘でもないようだ。でなければ、年頃の
  娘をこのようなパーティの場には連れてこないはずだ。先ほどの表情は、そんな父親の苦
  悩を描いたものらしい。

  それからしばらくドライヴ伯爵と話し、それとなくワイロゥの事なども聞いてみた。だが、
  これといった収穫は無く、終始娘の愚痴に終わってしまった。

  「…では、ロビン君。機会があればまたお会いしよう。失礼する。」

  ドライヴ伯爵は、軽く会釈をしてパーティ会場の人だかりに消えていった。

  「ごきげんよう。伯爵。」

  私もまた、軽く会釈をして背中を見送る。そして、ドライヴ伯爵の進行方向にワイロゥが
  いるのを確認した。

  「…無駄な時間でもなかったな。」

  思わずほくそえんでしまう。千里の道も一歩から…。まずはドライヴ伯爵に取り入って、
  ワイロゥと接近するのが無難だろう。私は、そう感じ取った。そして、視線を一人の女性
  に向けた。先ほどまでここにいたドライヴ伯爵の愛娘、マリーツィア・ドライヴに。

  宴もたけなわ。アルコールが回ったのか、彼女は顔を赤くして、一人たたずんでいた。

  テロリストの目は鋭く光る…。





                                  千鳥


   今宵、軽やかな円舞曲が流れるゴンザレス邸に二人の道化が混ざっていた。貴族たちが
  集い語らう夜会の中に、一人は同化し、一人は異彩を放ちながら、本来の姿と胸に秘めた
  思惑を隠していた。
   この二人の道化師たちが出会い、お互いの真の目的を知ることになるのはもう少し先の
  話である。


   白いバルコニーに立ち、下弦の月の光に照らされたドライヴ伯爵令嬢に、一人のテロリ
  ストが忍び寄るちょうどその頃、アーサーは美しい上流階級の貴婦人たちに囲まれ、まん
  ざらでもない微笑を浮かべていた。

  「ドライヴ伯爵が冒険者のご友人をお連れだと聞いて、どんな方かと思いましたのよ、テイ
  ラックさん」

   『冒険者』と言われた30代前半の男――アーサー=テイラックは、カフスとシャツの
  ボタンを白蝶貝で統一し、今年流行のデザイナー、アルバ=シルヴィデザインしたテー
  ル・コートを身に纏っていた。毎回の夜会の衣装代を捻出するのに頭を痛める下級貴族に
  はけして手の出せない代物である。最初は下級市民が、借り物で外見だけを飾った所で…
  と、冷やかし半分に話しかけてきた彼女たちだったが、10分もしないうちにその視線に
  熱がこもって来た事にアーサー自身も気がついていた。

  「想像通りの下賎な男だと、さぞがっかりされたことでしょう」
  「まさか、想像以上ですわ」
  「伯爵が貴方をマリーツィア嬢の婚約者にするために呼んだという噂もあながち嘘ではな
  いのでなくて?」
  「ご冗談を。私のような地位も財産もない流れ者に、伯爵が大事なご息女をお渡しになる
  はずはありませんよ」
  「あら、でもマリーツィア嬢と言えば、最近・・・・」
  「ねぇ?」

   そういって、少し意味ありげに視線を合わせた彼女たちに、アーサーは何気ない口ぶり
  で会話を続ける。

  「私は一昨日から伯爵の屋敷に滞在しているのですが、彼女はまったく元気がありません
  ね。何かご存知ですか?」
  「本当に何も聞いていらっしゃらないの?テイラックさん」
  「マリーツィア嬢には身分違いの恋人がいらしたのよ。それだけでも大変なことですのに、
  よりにもよってお相手は魔物!」
  「激怒した伯爵が強引に別れさせたらしいのですけど…ドライヴ伯爵家もとんだスキャン
  ダルですわね」

  (魔物・・・ねぇ)

   アーサーは辺りを見回し、噂の主、マリーツィアの姿を探したが、彼女は見つからなかっ
  た。先ほど伯爵と言い争う姿が見えたので、もう屋敷に戻ってしまったかもしれない。
   ドライブ伯爵は宮廷でもそこそこの影響力を持つ貴族である。一人娘であるマリーツィ
  アと結婚すれば伯爵の娘婿という立場だけでなく、伯爵の称号まで手に入るのだ。社交界
  でも注目の的であるはずの彼女が、今夜壁の花であったのはそんな事情もあったのかもし
  れない。

   群衆の中から、アーサーを見つけた壮年の紳士が近づいてきて声をかけてきた。   

  「パーティを楽しんでいるかね。アーサー?」
  「ドライヴ伯爵」

   貴婦人たちに手短な別れの挨拶を告げた後、二人は共に歩き出した。

   アーサーと伯爵が出会ったのは、ちょうど10年前のことである。当時、故郷を飛び出
  し冒険者として各地を渡り歩いていたアーサーは、伯爵からある『依頼』を請け負ってい
  た。アーサーが実家の家業を継いでからもその交流は続いている。

  「今晩は、私の我侭を聞き入れてくださって、感謝していますよ。伯爵。しかし……社交
  界というのは、私には場違いな場所だと実感していたところです」
  「その口がよく言ったものだな。モルフでは随分と手広くやっているそうじゃないか」
  「お蔭様で。しかし、私はモルフだけで満足するつもりはありませんよ」

   不敵な台詞は、冒険者のときと全く変わりはなかったが、アーサーの顔は、既にモルフ
  の銅山と繊維工場を所有する経営者のものだった。貴族というのは、爵位を持たないアー
  サーのような成金の資本家を嫌うものである。伯爵がわざわざアーサーを冒険者として人
  々に紹介したのはそんな理由もあったのかもしれない。
   アーサー自身は、目的さえ達成できれば構わなかった。

   目的の人物は、今も大勢の護衛を伴いながら、パーティーの主賓として楽しげに談笑し
  ている。ドライヴ伯爵という仲介者がいなければアーサーなど近づいて言葉を交わすこと
  さえできない大人物であった。
   ドライブ伯爵が声をかけた人物は、灰色の豊かな眉に、疑い深そうな眼差しを浮かべアー
  サーの方に顔を向ける。

  「お初にお目にかかります、ワイロゥ議員。アーサー=テイラックと申します」
  「すでにドライヴ伯爵から話は聞いているよ。私もモルフ前市長とは知り合いでね、モル
  フは惜しい人を無くしたな」
  「彼の事は私も心酔しておりました」

   アーサーの手は無意識に胸元に伸び、彼の形見である銃に触れようとしていた。もち
  ろん、そんな危険なものを夜会に携帯できるはずもなく、代わりに懐中時計の鎖がチャラ
  リと音を奏でた。その様子に、ワイロゥは薄く笑う。

  「やはり君も『時は金なり』といったところか?」
  「もちろんです。ワイロゥ殿」

   普段、デスクで居眠りしているアーサーをみている秘書が聞いたら呆れ返る言葉だろう。
  しかし、ワィロゥの反応は思ったより悪くなかった。噂どおり、彼も金には目のない性質
  なのだろう。
 
  「貴方の貴重なお時間を割いてしまったお詫びはさせて頂くつもりですよ」
  「その話については、別の場所で…」

   ワイロゥが配下の者を伴って、背を向けようとした時、会場の一角で小さな歓声が上がっ
  た。アーサーも何事かと、その中心に目を向ける。

   一組の男女が、ダンスの輪の中に加わろうとしていた。シャンデリアに照らされて、女性
  の美しいブロンドとほんのり色づいたドレスが反射してきらめいた。
 
   それは、見知らぬ青年にエスコートされた、マリーツィア伯爵令嬢であった。 





                               ノーマン


  ゴンザレス邸自慢の広いホールの中央に、ブロンドの女性をエスコートするのは、一見す
  るにしがない貴族の男だった。ブロンドの女性が目もくらむ豪華なドレスと華奢な体躯で
  いかにもな格好なわりに、相手の男はこれといって特徴の無い無愛想で陰気な男だった。
  だが、流れる曲にあわせて踏むステップは見事としか例えようの無いものだった。パー
  トナーに合わせてローとハイを使い分けつつ、常にリードを保つ。そして、見せ場はきっ
  ちりと決めてみせる。嫌味なほどそれは無駄の無い動きだった。

  「ダンス、お上手なんですね。」

  踊りながら、ブロンドの女性は声をかける。

  「…昔取った杵柄です。…伯爵令嬢こそ、お上手ではありませんか。」

  相手の男は口元すら笑わない素っ気無い返事。

  「あら。嫌味かしら?」

  だが、彼女に含んだ表情は無かった。素っ気な返事さえ許容できる完璧なダンス。まして
  や今夜はアルコールが入っている。知らず知らずのうちに上機嫌になっていたのかもしれ
  ない。つい先ほどまでは、『彼』を想って楽しむ暇も無かったというに。

  いつの間にか、二人はホールの中央を独占して、ダンスを披露していた。周りで踊ってい
  た人々もいつしか足を止め、二人を取り囲む人垣となっていた。羨望、嫉妬、脚光を浴び
  二人は踊る。…そして、ダンスが終わるなり喝采の拍手。

  「…伯爵令嬢、お相手していただき有難うございました。急にお誘いして、迷惑でしたで
  しょう?」

  「いえ、こちらこそ光栄です。久々に楽しく踊れました。」

  「…とんでもない。楽しんでいただけたなら幸いです。」

  人と人の間を縫うように二人はホールから抜け出る。そして、二人きりでテラスへでる。
  グラスを片手に月を浴びる二人の姿は、見ようによっては仲むつまじい若夫婦に見えたか
  もしれない。

  しかし、その二人がであったのは、本当に『ついさきほど』であった。


  ブロンドの女性=マリーツィア・ドライヴは、少々ワインに酔っていた。貴族のお偉方の
  集まるこんなところで、酔っての醜態は避けたい。そう思い、彼女は中庭で涼んでいた。
  そして、心地よい夜風を感じていた。しばらく後、そこへこの無愛想な男=ウェイスター・
  ロビンはやってきたのだ。

  「む…。これは。お邪魔でしたかな?」

  男は、喧噪を避けてここに来た様子だ。身なりはあまりよくない。まぁ普通の貴族なんだ
  ろう。可もなく不可もなく。無難な印象をマリーは受けた。

  「いえ。別に構いませんわよ?」

  特に断る理由が無かったので、マリーは男を特に追い返すわけでなく放っておいた。
  それ以上の会話は無い。二人とも黙ったままだった。

  「失礼ですが、ドライヴ伯爵令嬢では?」

  不意に男がマリーの身分を言い当てる。

  「?そうですが?どちら様?」

  「私は、ウェイスター・ロビン…といっても、ご存じないかと。」

  「やはり、初対面ですよね?」

  「えぇ。もっとも私は伯爵も伯爵令嬢も人づてではありますが存、じております。」

  「なるほど。そうですか。」

  「…先ほど、ドライブ伯爵とお話しましたよ。」

  「父と?」

  「えぇ。…令嬢のことをひどく心配されていましたよ?」

  「…父が。そう。」

  ため息一つ。マリーはうんざりした様子だった。

  「なにか御ありで?」

  沈黙。風の音だけがした。

  「失敬。無理に聞くつもりはありません。」

  男は目をそらした。マリーの沈んだ様子を見ていられなくなったのだ。

  「…。ダンスはお好きですか?」

  「え?ダンスですか?」

  「えぇ。」

  マリーは、頭上を眺めた。頭上の星たちは勝手気ままに輝くけれど、大空は色を濃くして
  いく。このまま夜は更けるだけだろう。折角の申し出だ。気まぐれてみよう。マリーはそ
  う思った。

  「…そうですね。一曲お願いします。」

  男は手を差し出す。

  「お手を。」

  マリーは手を添える。

  そして、静かにホールへと行ったわけである。


  しばしの回想を終え、今。マリーとウェイスターはテラスで言葉を交わしていた。

  「…伯爵令嬢。」

  「マリーで良いわ。」

  「…では、マリー嬢。マリー嬢はなぜ、一人でおられたのです?やはり、ドライヴ伯爵と
  何か御ありで?」

  「ん…。そうね…。ロビンさんは…」

  「…ウェイスターで構いません。」

  「ウェイスターさんは、失恋したことある?」

  「…失恋ですか?ま、それなりに生きてますから。ありますよ。上手くいくばかりが恋で
  はないので。」

  「そっか。…じゃあ、わかるでしょう?それよ。」

  沈黙。こんなときに気のきいたことのいえる器用な男はあまりいないものである。気まず
  い空気が流れる。やがて、マリーが口を開く。

  「身分違いの恋だって…。人を好きになるのに、肩書きなんて関係ないのにね。」

  ワインの入ったグラスを、かざし、月を見上げる彼女。月明かりとほろ酔い加減で、今夜
  は馬鹿に色っぽい。アルコールの混じったため息に乗せて彼女の本音は吐露される。

  「私は、本当に好きだったの。彼さえよければ、身分だって捨てて彼の下へ走ったわ。…若
  いって思うでしょうけどね。」

  自嘲気味に笑みを投げかける。

  「…いいえ。」

  受け止める表情はいたって真面目なままだった。

  「いいのよ。こんな時まで気を使ってくれなくったって。」

  「私にだって、そんな経験はありますから。」

  それまで月を仰いでいたマリーの視線がウェイスターに移る。瞬間、ウェイスターと目が
  合ってしまう。するとマリーはばつが悪そうに視線をそらす。

  「そう。そうなんだ。」

  「…昔の話ですが。」

  「じゃあ、参考までに聞かせて。それってどんなだったの?」

  すこし、間をおいてウェイスターの口が滑り出す。視線は遥か彼方、故郷でも思っている
  のか。どこかへ飛んでしまっていた。

  「…もう、随分前ですがね。仮にも貴族の私と街角のパン屋の娘。ひょんなことで出会っ
  て、いつの間にか恋に落ちて、知らないうちに別れさせられていました。」

  マリーはきょとんとしていた。まるで言葉が通じていないかのように。それを見て、ウェ
  イスターは言葉を足した。

  「貴族の体裁のためでしょう。父が向こうの両親に金銭を渡したことを後日知りました。」

  ため息をつき、ウェイスターの視線はマリーに戻った。

  「そのときウェイスターさんはどうしたの?」

  「…さぁ、どうするべきだったのでしょうか。その時の私は、何もできなかった。」

  「どうして?どうして、何もしなかったの?」

  「…私とその彼女が結婚したとなれば、彼女は知りもしない貴族のしきたりを強要される。
  あるいは私も彼女も身分を捨てて独力で生きていくには若く、非力すぎたことが要因でしょ
  う。」

  「だからって…別れさせられて平気なの?」

  「…平気ではありませんが、貫くばかりが愛情の形ではない…と言っておきましょう。」

  「変なの。」

  マリーは口を尖らせて、また月を仰いだ。思い出すに、彼は月を眺めるのが好きだった。
  だから、月のいい晩は決まって近くの森に出かけた。父や従者の目を盗んで彼に会いに行
  くのはたまらく楽しかった。いつの間にかマリーの口元が緩んでいた。

  「…後悔はしています。」

  不意にウェイスターの声がした。咄嗟に視線を戻す。

  「…マリー嬢なら、どうします?」

  「え?」

  突然の問いかけ。目が泳ぐ。

  「私は…私なら…。」

  口ごもる。考えがまとまらない。どんなに考えをめぐらせても、うまい答えが見当たらな
  い。

  「…愛する彼と別れるか、否か。簡単な質問です。」

  「私は…。」

  さっきのウェイスターの例のように、無相応の恋には多くの、そして高いハードルが待っ
  ている。

  「私は…。」

  「…問題があるならば、排除するまでです。本当に恋を貫くのであれば。」

  「でも…。」

  ましてや、マリーの愛する恋人は実は魔物。ウェイスターの例とは比べ物にならない障害
  の多さだろう。

  「…私でよければ力をお貸ししましょう。」

  それでも彼のことは忘れられない。そう、貫けるなら貫くまで。

  「はは…。でも駄目。」

  「なぜ?」

  「実を言うとね、私の彼は…その魔物なの。いっておくけど、そんな街を荒らしたりする
  そんな魔物じゃないわよ?ただ、すこしだけ人間じゃない生き物の血が混じっているだけ
  のいい人なの!すごく…。すごく。」

  笑みが崩れて、次第に泣き顔に近くなる。思いつめた表情のまま。口を一文字に結んだ。

  「…なるほど。それはドライヴ伯爵もご懸念されるはずだ。」

  「でも、駄目。別れるべきなのよ。」

  ため息一つ。気持ちに整理をつける。

  「…後悔はなさいませんか?」

  「するかもしれないけど、仕方ないでしょう?ドライブ伯爵令嬢に魔物なんかがつりあう
  わけ無いんだし。」

  笑おう。そうすれば笑い話にだってなる。こんな笑えない話だって。

  「…そうですね。ならば、なぜさっきまで落ち込んでいられました?」

  「仕方ないでしょ?…好きだったんだから。」

  瞬間、作り笑顔は崩れる。そしてうつむき、涙する。

  「だって!どうしようもなく好きだったんだから!!」

  ウェイスターの胸を借りて、マリーは泣いた。恋が切ないなんて、知らなかったわけじゃ
  ない。けれど、理解しようにもしきれない感情というものをどうしたらいいかわからなかっ
  た。父親の手で無理やり引き裂かれた恋。今ならまだ間に合うかもしれない。彼がどこで
  何をしているかはわからないけれど、それでもまだ間に合う気がする。

  「…マリー嬢。私が力になりましょう。」

  腕の中のか弱き女性に、花の香りのごとく甘い言葉をかける。泣き崩れた彼女にまともな
  判断力があるかどうかはわからなかったが、それでも彼女は答えた。

  「…よろしくお願いします。」

  月のいい晩、小さな声に大きな願いを乗せて、マリーツィア・ドライヴは願いを託した。
  それは、月でもなければ、流星でもない。名前すら良く知らないテロリストに。





                                 千鳥


   人々の思惑が孕んだ夜が明け、高級住宅が並ぶコンフォード通りにも遅い朝がやってき
  た。
   夜会の疲れを残したアーサーが、いつもより遅く朝食のテーブルに着くと、規則正しい
  ドライヴ家の人々は既に食後のお茶を楽しんでいる所だった。 

  「お父様、明日お茶会にお招きしたい方がいるの。招待状を出してもいいかしら」

   マリーツィアは朝摘みのレモングラスのハーブティーを入れながら久しぶりに華やかな
  笑顔で伯爵に話しかけた。その笑顔は、アーサーが一週間この屋敷にいて初めて見たもの
  だった。10年前はよく笑う少女だったが、恋人と引き裂かれた後のマリーツィアは、家の
  ものと一切口を利かず部屋に閉じこもっていたのだ。

  「いったい何処のどなただい?マリー」

   娘の変化に驚きながらも、伯爵は穏やかな口調で尋ねる。

  「昨日のパーティで知り合ったウェイスター・ロビンという方よ」
  「あぁ、彼には私も会ったよ。確か・・・ゴンザレス家の騎士だと言っていたね」

   本来なら、伯爵家が招待する客人としては釣り合わない家柄であった。しかし、娘があ
  の魔物のことを忘れられるのならば、ドライヴ伯爵も厳しいことは言わない。

  「明日は私は家には居ないが、失礼のないようにおもてなししなさい。彼の屋敷はどこなん
  だ?」
  「ロビンさんは、長い間任務で外国に住んでいらしたそうで、メイルズ街にコテージを借
  りてらっしゃるの」

   もちろん、ウェイスターの住まいは組織が用意した仮の拠点である。多くの仲介者を通
  して貴族から買い取ったものだったが、もちろんこの父娘が知るはずも無い。
   楽しそうに談笑する親子に混じるように、アーサーが朗らかに提案する。

  「しかし、若い男女を二人にするのは感心しませんね。伯爵。ロビンという騎士殿がどう
  いった人間か私が見ておきましょう」
  「そうだな。アーサー、君が保証してくれれば安心だ」

   マリーツィアは、一瞬アーサーを睨むが。アーサーは素知らぬ顔で、卵の殻をむいた。

   ****
 
  「アーサー!どういうつもりなの」 

   伯爵が席を立つと、マリーツィアは今まで浮かべていた微笑を豹変させて、アーサー
  にくってかかる。

  「私がいると不都合なことでもあるのですか?マリー。私の知る茶会とは男女が二人きり
  で行うものではなかったはずだけれども」
  「・・・・会った時から思ってたんだけど、そのもったいぶった口調は変だわ。貴方には似合
  わないわ」

   アーサーはニヤリと口の端を上げて笑う。

  「マリーの想い人の顔を拝んでやろうと思ってな」
  「ロビンさんは良い人よ」
  「女が男のことを『良い人』なんて評価するときはたいていソイツを惚れちゃいない」
  「そんな事ないわ」

   実際、マリーツィアの『計画』を手助けしてくれるウェイスターは、彼女にとって良い
  人以外の何者でもなかったが、それでは困るのだ。これから、彼はマリーツィアの恋人と
  してこの屋敷を何度も訪れ、恋人の行方を捜してもらわなければならないのだから。

  「協力してあげようか?マリー」
  「結構よ。貴方はお父様の側なんですもの」
 
   マリーツィアはアーサーの誘惑から逃げるように部屋を出て行った。

 
    ****  ****   ****

   そして翌日。
   マリーツィアの招待客である、ウェイスター・ロビンは幌(ほろ)のついた四輪馬車に
  のってやって来た。馬車は真新しく品のよいものだったが紋章は見当たらない。
   馬車から降りるウェイスター・ロビンの姿を二階の窓から眺めながら、アーサーは呟い
  た。

  「これは、また毛色の違った男が来たな・・・」

   アーサーが懸念したのは、マリーツィアの家柄と金に目がくらんで、下らぬ男が彼女に
  言い寄っているのではないかということだった。世間の噂から良縁の見合いを望めない娘
  を思えば、父親も多少の身分差には目をつぶるだろう。ドライヴ伯爵家のことを思えば、
  アーサーとしてもそんな男を彼女に近づけたくはない。
   しかし、若い女性を訪ねる男のその表情といったら、なんと冷静なことか。これが色男
  を気取っているのならばまだ良い。気を引くプレゼントひとつ持たず、隙の無い動作で屋
  敷へと足を運ぶ姿はまるで戦場に向かう兵士のようだ。騎士とはいえ無骨すぎるのではな
  いか。
   一瞬、男の目がアーサーの姿を捕らえた。しかし、お互いの感情が伝わる間もなく、男の
  視線は外れた。玄関からマリーツィアが出迎えに出てきたのだ。

  「お招き有難うございます。マリーツィア伯爵令嬢」
  「ようこそ、我が屋敷へ。ロビンさん。テラスに案内しますわ」

   薔薇色のドレスを身に纏ったマリーツィアは、月灯りとは違った美しさ放つブロンドを
  同じ色のリボンで結い上げていた。ウェイスターは伯爵令嬢の手をとり、白い手袋の上に
  口づけをしたが、その口づけは全く温度を感じないものだった。

  「・・・先ほど二階にいらしら方は、ご親族ですか?」
  「あぁ、彼はアーサー・テイラックさんというのよ。父の知り合いで、しばらくの間うち
  に滞在しているの。勘の良い人だから気をつけて」
  「アーサー・テイラック・・・」

   ウェイスターはアーサーの名を口に出しながら、考えるような仕草を見せたが、思い当
  たる節は無いのか、すぐに気を取り直して尋ねた。

  「伯爵は私のことを怪しんでいましたか?」
  「いいえ、まったく。きっと結婚するといったって反対しないわ」

   笑おうとしたのだろうか、マリーツィアは声のトーンだけ高くして悲しげに答えた。魔物
  というだけで拒絶され、傷つけられた恋人との大きな差。魔物と、伯爵家に釣り合わぬこ
  の騎士と、何がそれほどまでに異なるというのだろうか。

  「あなたがここで諦めたら全ては終わりです」

   励ましの言葉。優しいセリフの裏側にあるものにマリーツィアは気がつかない。

  「随分と仲が良いようだね。マリー」

   テラスにやってきたアーサーに、二人ははっとして離れた。好きあうもの同士なら、気に
  する事などないのだが、何故か後ろめたい気分がしたのだ。

  「はじめまして、テイラックさん。私はウェイスター・ロビンと申します」
  「はじめまして、ロビン君。アーサー・テイラックだ。マリーから話は聞いているよ。私は
  ただの冒険者、屋敷の居候だから、そんなふうに気を使わなくても結構」

   気さくな態度で話しながらも、アーサーはしっかりとウェイスターを威圧していた。もち
  ろんウェイスターもそれに気が付いて真っ向から視線を受け止める。

  「わ、私、お茶の用意をしてくるわね」

   二人の険悪な様子に、マリーツィアはどうしていいか分からなくなって、使用人の名を
  呼びながら席を外した。

  「君がどういうつもりでマリーに近づいたか知らないが、私は騙されないよ」
  「貴方が心配するような事は何一つありません、テイラックさん」

   実際に間近で会ってみて、確信は強くなる。冒険者の勘などとうの昔に捨てたけれど
  ―――この男は、危険だ。





                               ノーマン


  ◆――――――――――――――――――――――――――――――――――
    <偽りの花嫁・第五話  場所 ドライヴ邸>
  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――
  視線を感じる。敵意を含んだ視線だ。アーサー・テイラックとかいったか?彼が私をずっ
  と気にかけている。

  「何か?」

  好奇心で話しかけてみる。マリーがお茶を汲みに行ってしまっている以上、この部屋には
  私と彼しかいないのだ。話しかけることになんら不思議は有るまい。ましてや、彼は私を
  気にかけている。

  「いや、別に。ちょっとした好奇心だ。」

  彼は、少し笑みを浮かべて私に返してきた。少なくても、今すぐ斬りかかって来るという
  わけではなさそうだ。

  「好奇心?それはどういった?」

  私もまた、笑みを浮かべて返す。自嘲の笑みを。

  「君のような人間にマリーが惹かれるなんて以外だなと思ってね。彼女はれっきとした伯
  爵令嬢だ。…こういったら、君に悪いかもしれないが、一般人には高嶺の花だ。君のよう
  な騎士…一般人にはね。」

  私は可笑しかった。一般人には高嶺の花の伯爵令嬢が、よもや魔物風情と色恋沙汰とは。
  きっと彼女は周囲の期待と裏腹に貴族よりも、それとは真逆の人間性に惹かれるようになっ
  てしまったのだろう。魔物や私といった、品のない者に。

  「高嶺の花…、ですか。そうかもしれませんね。高い山の頂上に登るより、彼女の家にく
  る方が困難だった。」

  彼の表情が変わる。私の返答が気に入らなかったらしい。

  「…似つかわしくないといっているんだ。ロビン君、君は彼女を本当に好いているのか?」

  「ええ。」

  嘘を平気で突き通すこと。嘘つきの条件だ。

  「そうは見えないが?」

  そりゃそうだ。私は別にマリー嬢のことなど好いてはいない。向こうだってそうだ。私と
  彼女はあくまで利用し、利用される関係だ。もっとも、彼女は自分が利用されているとは
  知らないのだが。と、すれば、彼女は私のことを随分な物好きと思っているに違いない。
  あるいはドライブ家の財産を狙う不徳の輩か。なんにせよ、色恋の感情を含んだ好き嫌い
  とは縁遠いものだ。

  カチャリ。ドアノブがまわる。カップを三つばかり載せた盆を持ったマリーが現れる。

  「随分会話が弾んでいたわね。」

  きっと、お茶を運んでくるまでにとびきりの笑顔を作ってきたんだろう。やけに明るい顔
  だった。
  マリーは、湯気の立つカップを私と彼、そして自分の席の前に置いた。

  「有難う、マリー。」

  傍目からでも親しく見えるようにわざと名前を呼んでみた。
  彼女にもそれが伝わったらしく、笑みをこしらえて「どういたしまして、ウェイスター。」
  と親しげに応えてくれた。
  お茶を口に含む。口の中で甘い香りが広がる。

  「マリー、これは?市販のものとは違うようだが。」

  アーサーをよそに二人の世界に入ってやろう。下手な疑心ならば拭い去ってしまうのがベ
  ストだ。
  障害は少ないほうがいい。キンギン・ワイロゥを私刑に処するまではこの女を利用しなけ
  ればならないのだから。

  「あ、わかる?おばあさまからの直伝のレシピなの。庭で摘んだ特製ハーブティに蜂蜜を
  一さじ加えて有るの。精神を安定させる効果が有るらしいわ。」

  「リラックス、かい?」

  会話にアーサーが割って入ってきた。相変わらずの視線を私に、それとは対照的な視線を
  彼女に向けていた。

  「ええ。」

  ならば、私も割って入ろう。このまま、この男をここにおいておいては手間だ。

  「時に…テイラックさん。テイラックさんはマリーとはどういったご関係で。先ほどの説
  明だけではどうも腑に落ちないところが…。」

  私は「マリーは俺の女だぜ」的な縄張りを主張する。あわよくば、この男を退室させてし
  まおう。私はマリー嬢に目配せした。
  察しの良い彼女はそれを理解した様子だった。軽くうなずく。

  「私は、先ほど述べたとおり、私はただの冒険者。屋敷の居候だ。」

  「でしたら、なぜここ?」

  「私がいては都合が悪いか?」

  「…少々無粋とは思いませんか。」

  「無粋?どうしてかな。」

  「私とマリーの関係を探っておられるおつもりですか?」

  「いやいや、とんでもない。」

  「でしたら、気を使っていただきたい。…私から言う筋合いではないのかもしれませんが。」

  「つまり、二人きりにしてくれと?」

  「……。」

  「駄目だ。私は一応、ドライブ伯爵から、マリーのことを頼まれている。付き合いの浅い
  男女を二人きりにしてどんな問題が起こるかわからない。少なくても、私は君を信用して
  いるわけではないんだからね。」

  「…失礼な方だ。初めから私を疑ってかかっていたというわけですか。」

  「悪く思わないでくれ。伯爵との約束でね。」

  二人は鋭い言葉の応酬。マリーもどこかで、何か言葉を挟もうとしたのだが、その隙は無
  かった。またしても訪れた険悪な雰囲気に、マリーは文字通りお茶を濁し、誤魔化そうと
  した。

  「ふ、二人とも、お茶はいかがかしら?ほ、ほら、精神を…。」

  「マリー。」

  マリーの提案はアーサーによって鋭く遮られた。

  「マリーから聞かせてもらえないかな。ロビン君が信用できるかどうか。」

  マリーはこの険悪な雰囲気に飲み込まれ、泣き出したい気持ちでいっぱいになった。神が
  いるならあんまりだ。今ココの雰囲気は明日にも戦場になる村のようにぴりぴりとしてい
  た。そんな中、か弱い女性が何をできるというのだろう。おもわず目が泳いでしまう。

  「し、信用できる方よ。人柄も家柄も。」

  「家柄も?あの、家紋も無いような家柄が?」

  ウェイスターは眉をぴくりを動かした。組織が調達できなかった一点をこの男はついてき
  た。冒険者だったというのは伊達ではないらしい。たいした洞察力だ。

  「かもん?」

  マリーはすっかり萎縮してしまって、事情が飲み込めていないらしい。

  「我がロビン家は長く外国に行くことが多く、あの馬車も借り物です。今も仮の住まいで
  あるし。」

  ウェイスターが必死に取り繕う。…が。

  「その服も?装飾品全てに家紋が無い。つまり君は君の身分を証明するものを一つとして
  持ち合わせていないんじゃないか。突き詰めて言うのならば『ロビン家』そのものを疑う
  ことになるのだが。」

  「…それは。」

  小癪ッ!ウェイスターは小さく歯噛みした。





                                  千鳥


   アーサーはゆっくりと指を組んでテーブルにのせると、相手の言葉を待った。いくら伯
  爵家の食客とはいえ、一介の冒険者風情にここまで高慢な態度を取られれば、名誉を重ん
  じる騎士が腹を立てぬはずはない。

  「…それは。」

   ウェイスターは鋭い視線をこちらに向けた。もし彼が剣を帯びていたら間違いなく、その
  一閃が自分に向けられていただろう。もちろん、彼が暗器を隠し持っている可能性を除外
  してはいなかった。しかし、それだけ鋭い表情を向けながらも、彼の言葉は続かなかった。

  (やはりただの詐欺師か・・・?)

   アーサーの余裕の表情に、ウェイスターは沈痛な表情で溜め息を返した。

  「冒険者というのはそう言ったしがらみから解放された者だと思っていまし
  た・・・・・・。」
  「俗世に住む限りは、中々そうはいきませんね。」
  「大事な事は、私が私であり、私たちが愛し合っていること。それ以上の問題は無いはず
  ですが?」
  「あなたがもし魔物ならば、伯はあなたの心臓を剣で貫いていたでしょう。」

  ウェイスターはまじまじとアーサーを見つめた。マリーのかつての恋人が魔物である事は
  彼も知っているようだ。

  「テイラックさん、貴方は彼の行方を知っているのですか?」
  「いいや。居場所どころか、生死すら知りません。私はマリーツィアの幸せを願っていま
  すからね。無事だと良いのだが。」

   アーサーはわざとらしく心配してみせたが、彼はまったく別の事に頭が言っているよう
  だった。

  「この屋敷にはいないのか・・・」
  「何か?」
  「いえ、お気になさらず」

   問い返したアーサーに片手を挙げて答えると、

  「マリー、君にこれを」
 
   ウェイスターはマリーの指に小さな宝石のついた指輪をはめた。

  「君の持っているどの宝石よりも劣って居るだろうが、これは祖父から受け継いだものだ。
  ロビン家の紋章は鎖を咥えた青い鷲で、気高い精神の象徴なんだ」

  マリーの指におさまった指輪には鎖の代わりにサファイヤが埋められていた。マリーはそ
  れをマジマジと見つめると、

  「ありがとう。大事にするわ」

   嬉しそうに微笑んだ。そんな若い恋人たちの様子をアーサーは黙って見つめる。マリー
  の肩に手を置いたウェイスターがどうだとばかりにアーサーを見た。

  「羨ましい事だ。年寄りはそろそろ退散するとしようか。失礼をいって申し訳なかったね。
  ウェイスター君。」
  「いいえ。」

   アーサーがその指輪の偽造を疑うとでも思っていたのだろうか、ウェイスターは少々
  肩透かしを食らった様子でテラスから去っていく男の背中を見ていた。

   *****

   アーサーが立ち去ると、親しげだった恋人たちは素早くその距離をとる。マリーツィア
  は指にはまった指輪に心配そうに触れる。

  「こんな大事なものを私が預かってよいの?」
  「これぐらいしないと彼は信じてはくれなかっただろう。・・・それにしても、君のお父上
  に会うよりも緊張したよ」

   椅子に座りなおしたウェイスターに、マリーはお茶を注ぎなおした。心を落ち着かせる
  というハーブティの香りが二人の緊張をやわらげていく。

  「それにしても、アーサーったら!失礼なことばかり言ってごめんなさいね。」
  「いや、きっと伯爵に頼まれたんだろう。」
  「見かけだけ良くなったって、冒険者の頃とちっとも変わらないんだから。」

   ウェイスターは憤慨するマリーの言葉に違和感を感じた。

  「彼は、冒険者ではなかったのか?」

   この屋敷への訪問の下準備としてここに一人の冒険者が囲われている事はウェイスター
  も調べていた。そして本人もそう述べていたはずだ。しかし、マリーはクスクスと笑うと、
  今日身に纏っている薔薇色のドレスを軽くつまんだ。

  「このドレスはアーサーからプレゼントされたのよ。彼の工場で新しく始めた染色法で染
  めてあるそうよ」

   同色のレースも、ドレスに縫い付けられた装飾品も一目でわかる高級品である。

  「彼はモルフに工場をもっているの。今回も本当はお父様に商売の方で相談に来たのだそ
  うだけれど、どうして冒険者なんて名乗っているのかしらね?」

   ドレスが気に入っているのか、無邪気に微笑むマリーにウェイスターは背を向けた。もし、
  彼女がその表情を見ていたら、決して今までのような信頼を彼に向ける事はできなかった
  だろう。


  「一体、あの男は何者なんだ・・・?」
 
   それはテロリスト、ウェイスター・ロビンの独白だった。





                                ノーマン


  ウェイスターがドライヴ邸を訪れてからすでに三日がたっていた。
  マリーツィアにこびを売るためには、例の魔物を探さねばならないのだが、いかんせん情
  報が無かった。無いものは無い。どんなに根掘り葉掘り探そうが、無いものは見つけよう
  が無いのだ。

  「ふむ…。やはり…。」

  あの、アーサーとかいう男に頼るしかないだろうか。あの男なら大なり小なりの情報を持っ
  ていいそうだ。しかし…それでは計画の全てが水の泡となる。あの男に、私がマリーと一
  緒になる気が無いのを知られれば、ドライヴ伯爵とは遠くなる。すなわちそれは、ワイロゥ
  から遠くなることで、任務が達成が困難になるということだ。今回の任務に限らず、伯爵
  と関係を持っておくのは悪くない。身分など高いほど無条件に信用されるのだから。

  「ふむ…。」

  様々なケースを考えてみた。
  1 マリーの思い人というなら探してみたい。…不自然だ。なんで、彼女の元カレを探さ
  ねばならんのだ。
  2 生きてるなら、探してでも殺したい。…現在行方不明なのに、わざわざ探す必要があ
  るか?
  3 マリーに頼まれた。…直だな。アーサーもなにやら意味深な言葉を吐いていたから、
  案外これがいいかも知れん。
  4 実は伯爵に頼まれた。…伯爵に問われたら終わりだ。
  5 なんとなく。…なんだそりゃ。

  とりあえず、考えても答えは出ない。ドライヴ邸に行くしかないだろう。しかし、三日前
  に行ったばかりだ。どうだろうか。流石に頻繁すぎるだろうか。あるいは、それだけ熱を
  上げていると思われるだろうか。ならば、そのような振る舞いで行くしかないだろう。


   *****


  「おや、君は確か…。」
  「ウェイスター・ロビンです。」

  ドライヴ邸のドアをノックすると、現れたのはあのアーサーだった。

  「そう、ロビンくん。…マリーにようかい?」

  一体この男はなにが言いたいのだろうか。

  「えぇ。ついでに伯爵にもお会いできればと思っておりますが。」

  間。彼は、いいだけ間を取り、頭を振る。

  「残念なことにマリーは伯爵とお出かけ中だ。」
  「出かけているのですか?」
  「あぁ。ゴンザレス邸に…。と?おかしいな。貴方は、ゴンザレス家の騎士でしょう。ご存
  じなかったのですか。」

  誤算。なんでこんな時に…。

  「今日は非番だったもので。…来客の方全員を把握しているわけでもありませんし。」

  我ながら情けないいいわけだ。適当を取り繕った報いか。
  そんなウェイスターを見るアーサーの表情はといえば、してやったりの笑顔だ。
  もともと、ウェイスターを信用していないアーサーは、ここぞとばかりに核心に迫る。

  「…いいさ。もう、芝居は結構だ。」
  急に言葉を変えてウェイスターに迫る。

  「芝居?はて、なんのことやら…。」
  「しらばっくれなくてもいい。って、ことだ。こそドロ君。」
  「…こそドロとは…少々無礼が過ぎるのでは?」

  ひゅっ
  ウェイスターの眼前に拳銃が突きつけられた。
  (速い…。)
  きっと、早撃ちには自信が有るだろう。ウェイスターは、目で追いきれなかったことを正
  直に認めた。つまり、それは、今、下手な嘘をつけば自分の頭が吹き飛ぶことを認めたこ
  とだった。
  両手をあげ、抵抗の意思が無いことを示す。癪ではあるが致し方ない。
  アーサーは何も言わずあごをしゃくる。中に入れということか。確かに伯爵邸の前で拳銃
  をかざしているのはイメージが悪い。撃つにしても、人目がある。
  ウェイスターは手を上げたまま、ドライヴ邸に入る。その後ろにアーサーがつき、拳銃は
  後頭部の真後ろだ。
  ウェイスターは、少しだけ目を左右に泳がせ、何か無いかと探る。

  「二度目なんだ。珍しくも無いだろう?」
  「えぇ。」

  アーサーに隙はない。下手な動きは命取りだろう。となれば…。

  「マリーの男だったという、魔物を知りませんか。」

  揺さぶりをかけるしかないだろう。真実のような嘘で。

  「…まだマリーの名を口にするか。」
  「知っているか、いないか。ですよ。」
  「存在は知っている。だが、所在は知らない。」

  ごり
  銃口を後頭部に押し付けられた。流石に冷や汗も流れる。

  「今更ですが、実はマリーに頼まれましてね。その…魔物の所在を探してくれと。」
  「…あの娘の傷心に漬け込んだわけか!くそったれめ。」

  アーサーの言葉に明らかな怒りが含まれた。がちゃり、と、撃鉄が上がった。

  「私を殺すおつもりで?」
  「害虫は駆除する。」

  怒りや悲しみ。往々にして感情は冷静さを欠き、正確さから遠のいていく。
  ゼロ距離射撃が外れるわけがない。だがだ、屋敷を賊の血で汚したとなればことだ。
  ましてや、ウェイスターはマリーと多少は親密だ。もしかしたら、この男の話は本当かも
  しれない。
  そうだ。
  だから、アーサーは引き金を引かず、銃のグリップのところでウェイスターの後頭部を殴
  るにとどめた。

  がつん……どさ

  殺す必要はない。最低のクズだが、殺しはしない。
  アーサーは、倒れたウェイスターを見下ろしながら、そんなことを考えていた。 





                               千鳥


  その場所は、都の高級住宅街に美しい薔薇庭園を持つ伯爵の屋敷には到底似つかわしくな
  い部屋だった。
  しかし、使われていないわけでも無い。
  その冷たい石畳の部屋には使われた跡が残っている。
  そして、今日も―――

  「ここは・・・?」
  「お目覚めかな?ウェイスタ−君」

   ウェイスタ−・ロビンは意識を取り戻すと、無意識のうちに頭を押さえた。
   殴られた所が痛むのかもしれない。
   しばやくぼんやりとした目で辺りを見回した彼は、自分が普段通される応接間の快適な
  ソファに座っているわけではない事に気がつき、さっと表情を変えた。
   そんなウェイスターの様子をア−サ−は鉄格子の外から眺めていた。

  「安心するがいい。ここはまだ伯爵家の敷地の中だ。マリ−と随分屋敷中を歩き回ってい
  たようだが、彼女が知る所など屋敷のほんの一握りの生活空間だけ」
  「その・・・ようだな」

  ウェイスタ−はあっさりと肯定した。
   湿った土の臭いに、剥がれた壁から土が覗いていた。
   どうやら地下牢のようだったが、先日行ったマリーとの探索ではこの部屋を見つけるこ
  とはできなかった。
   あの伯爵がこんな所を使う所など想像できなかったが、そこには最近使用されていた痕
  跡がしっかり残っている――汚いなりに埃はなく掃除され、ウェイスターの手元にはまだ
  きれいな毛布が捨ててあった。
 
  「何か、気づくことはないか?」

   アーサーにそういわれ、ウェイスターは闇に慣れてきた目で辺りを見回した。
   まず、壁に走る幾つもの傷が爪痕であると気が付くのにそう時間はかからないだろう。
   普通の人間が付けたにしては大き過ぎる傷だ。
   まるで狂った獣でも閉じ込めたような―――
  ア−サ−はウェイスターの視線の行き着く先をただ黙って傍観する。

   "愛してる"

   床には文字が刻まれていた。
   いびつな筆跡で、肝心の相手の名前の綴りすら間違っている。
   しかし、その想いまで見逃すことはなかった。

   "愛してる マリ−ツィア"

  「ここに彼が・・・?」

   魔物との混血である彼の境遇では、満足な教育すら、受けられなかったであろう。
   それでも、男は恋人の父親に傷を受け、閉じ込められたこの場所でこの言葉を残した。

  「マリ−の恋人は確かにこの牢に四日間は捕らえられていたらしい。下働きの娘がその間、
  彼に食事を与えていたと教えてくれた。俺が今知るのはここまでだ」

   ア−サ−がそう言うと、ウェイスタ−は不思議そうな顔をした。

  「何故それを俺に話す?」
  「お前はいけ好かん。殺そうかとも思ったが、考え直した」

   殺意を抱いた相手に、その心中をあっさりと喋るアーサーに、ウェイスターは皮肉な笑
  いを浮かべた。

  「流石モロクの豪商だな。使えるものなら敵ですら利用する」
  「何のことだ?俺は単に伯爵の友人の・・・」
  「アーサー・テイラック。モルフの染色工場と銅山の所有者で、モルフ市長の娘と婚約中。
  次期市長に最も近い男だと言われている様だが。これをそっちでは冒険者というのか?」

   流石のアーサーも、舌を巻いた。
   3日前、初めて顔をあわせるまでウェイスターは自分の本名すら知らなかったはずだ。
   伯爵家に滞在する変わった冒険者、としか。
   たった3日でここから往復5日はかかるモルフに住む自分の情報をよく手に入れたもの
  だ。

  「流石冒険者ギルドのBランクということはあるな。しかし、市長の娘と婚約中という所
  だけはデマだ」

   恐ろしい噂をしっかり訂正しつつ、ア−サ−は先程ウェイスターの荷物から抜き取った
  ギルドカードを見た。

  「お前がどんな依頼を受けてここに居るのかは知らん。詳しく聞く気はない。だが、正直
  に答えろ」

   拳銃をちらつかせたりはしない。
   しかし、嘘を見逃すつもりは無い。
   真剣な表情で男を見下ろしアーサーは尋ねた。

  「お前の標的は、ドライヴ伯爵か?」
  「違う」
  「お前が依頼を遂行することで、伯爵家に不利益が被る事は?」
  「それは無いだろう。俺は悪を正すだけだ」

   ウェイスターは迷う事無く無く答えた。

  「ならば、俺がマリーの恋人を探し出すまで彼女を守れ」
  「何故、あんたはそこまでマリーの肩をもつんだ?」
  「マリーは俺にとって妹のようなものだ。その少女が悲観にくれている姿が見たくないだ
  けさ」

   ウェイスターはその答えに納得していないようだった。

  「なら・・・俺からも一つ情報を。マリ−たちの密会場所は西の森の湖だったらしい。そこ
  で伯爵と村人に捕らえられた。使用人が知らぬならその辺りの村人をあたるといい」
  「なるほど。そうしてみよう」
 
   顎に手をあて思案した後、あとは自分で勝手に脱出してくれ。とア−サ−は背を向けた。



   質問にたいしてウェイスターは確かに嘘はついていなかった。
   しかし、その標的がア−サ−の上客である事をアーサーが知るのは全てが終わった後だっ
  た。