10  11  12 



                                      ちあきゆーか


  コンコン。
  誰かがドアを叩く。
  それに気付いた助手が、窓から顔を出す。

  「こんにちは、エスカータさん」
  「こんにちは、またお願いしてもいいかしら?」
  「はい、中へどうぞ」

  “私設S・リカード魔法研究所”のプレートが架かったドアが開かれる。
  中から白衣を羽織った十歳くらいの子供が現れ、エスカータ夫人に恭しく頭を下げた。
  子供の名はリィ。
  つい最近まで冒険者をしていたが、今はソフィニアでスミス・リカード博士の助手をして
  いる。
  外見こそ子供だが、師であるリカード博士でさえも舌を巻くほどの博識であり、それに加
  えて強大な魔力をも持ち合わせていた。
  そんなリィの働く私設S・リカード魔法研究所は、その名の通り日夜魔法を研究している
  ……はずなのだが。

  「先生は今日も二日酔い?」
  「そうなんですよ」
  「リィちゃんも大変ねぇ」

  質素な応接間で薬草茶をすすりながら、一通り世間話をするふたり。

  「…で、悪いんだけど、お庭の草むしり頼めるかしら」
  「はい。今からですか?」
  「いつも悪いわね。お礼ははずむから、よろしくね」
  「承りました、エスカータさん」

  私設の魔法研究所の多くは、個人や団体からの依頼を請け負い、報酬を得ることで運営さ
  れている。
  S・リカード研究所には草むしり以外にも掃除、子守りなどの依頼が多く、リカード博士
  は老齢のうえ飲んだくれているだけで使いものにならないため、依頼の殆どはリィの手で
  こなされていた。
  つまりは、魔法研究所というよりなんでも屋に近い状態なのである。
  生粋の研究者としての生活を望んでいたリィとしては不本意な状態ではあったが、学歴が
  ものをいうこの街で、学歴がなく身元もはっきりしないリィを雇ってくれたのは、リカー
  ド博士だけだったのだ。
  初めの頃は愚痴の多かったリィも、今ではすっかりご近所の人気者になった。
  ただ、実力が認められたというのとはちょっと違うようだが。

  「終わりました、エスカータさん」
  「あら、ありがとうね。リィちゃんは若くていいわねぇ、わたしはもう六十のおばあちゃん
  だから腰が痛くて…」
  「まだまだこれからですよ」

  むしった草を片付けながら、リィは笑った。
  内心では、嗤っていた。
  リィは既に数百年の歳月を生きてきた。
  他人はどんどん老いて死んでゆくのに、リィはずっとこの姿のままで生きながらえている。
  まだまだこれから、まだまだこれからも自分は生きながらえてゆくのだ。

  「これがお礼ね、リィちゃん」
  「いつもありがとうございます」

  手渡された報酬が約束の金額より多いことに気付いたリィがエスカータ夫人を見遣る。
  夫人は慈しむような眼差しで「頑張ってね」と微笑んだ。
  何と言えばいいのかわからず、リィは彼女に深く頭を下げた。
  その帰り道、有為と無為の境界について考えを巡らせていた、そのとき。

  「ねぇ、リィ」

  何者かが、かぼそい声と共にリィの袖を引いた。
  声のほうを見ると、年端もゆかぬ女の子が泣き腫らした目をして立っている。
  見たことがあるようなないような顔だったが、相手はどうやらリィを知っているらしい。

  「どうしたの?」
  「おにんぎょう…!」

  女の子の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
  往来の真ん中で泣き出した彼女の扱いに困ったリィは、とりあえず彼女を研究所に連れて
  行って話を聞くことにした。

  「おにんぎょうがね、なくなっちゃったの。おねがい、おにんぎょうをさがして!」
  応接室に連れてこられるなり、女の子はそう訴えた。
  その右手には「のどがかわいた」と言ってせしめたリィ特製ジュースのカップを握りなが
  ら。

  「どんな人形?」
  「えーとね、おんなのこ!かみのけがくろくてながくて、ふしぎなふくをきてるの」
  「不思議な服?」

  女の子は頷くと、拙い手つきで人形の似顔絵を描きはじめた。
  まっすぐに切り揃えられた黒髪、何重にも重ね着した裾の長い服……絵から見て取れたの
  はそんなところだった。

  「いつなくしたかわかる?」
  「うーん…きのうかなぁ」
  「どうして?」
  「えーっとね、みんなでレストランにおしょくじにいったの。そのあとからなくなっちゃっ
  たみたいなの」
  「どこのレストラン?」
  「わかんない」

  ソフィニアには星の数ほどレストランがあるのだ。
  そのひとつひとつをあたってゆくとなると、相当の時間と手間が必要なことは目に見えて
  いた。
  どうしたものかとリィが考え込んでいると、女の子は数枚の硬貨を机に並べだす。

  「これは?」
  「リィにたのむにはおかねがいるっておばあちゃんがいってたもん」
  「まぁ、そうだけど…」

  銀貨が一枚に銅貨が四枚。
  どうやら代金のつもりらしい。
  それでもなお渋い顔を続けるリィに、女の子は再び目を潤ませる。

  「たりなかったら、これからのわたしのおこづかいもあげる。ねぇ、だから、リィ、うんっ
  てゆってよぅ…」

  彼女の顔はもう涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
  なおも激しくしゃくりあげて、苦しげに咳き込む。
  リィは胸の奥が痛むのを感じた。

  「わかった、引き受けるよ――だから泣かないで」

  女の子はこくりと頷いて、袖で涙を拭いた。
  いつから自分はこんなお人好しになったのだろうか。
  ソフィニアでの生活に慣れた証か、と内心でリィは苦笑した。


  彼女の話によると、レストランではきのこグラタンを食べたという。
  そのメニューを扱っている店を調べてゆけばある程度絞り込めるはずだ。
  研究所の扉に“休憩中”の札をかけ、リィは街へ繰り出した。 





                                  夏琉


  浮世離れした性質であまり一般的なやり方で人と親交を深めることが難しいエルガ・ロッ
  トにだって、人生の半分以上籍を置いていた学校には一人か二人くらいの知り合いはいる。

  「ほら、ロットさん。これは魔女の呪いがかかってるという指輪よ」

  エルガの向かいに座った、まじりっけない白髪の女性もその一人だ。

  口調はおっとりと優しい。
  だが椅子に腰掛けていてもぴんと伸びた背筋や、少なくなってきた頭髪を一筋の乱れなく
  丁寧に梳いてうなじのところで引き詰めている様子などが、彼女がただ上品なだけの人物
  でないことを物語っている。

  「魔女グレンガリェンの伝説は有名ですけど、物となると話は別ですからね。
   これは20年も前から求めていたのですけど、やっと最近になって手に入れられたのよ」

  「それは素晴らしいことですね」

  分厚いぽってりとしたカップに入ったホットミルクを両手で包むように持って、エルガは
  にこにこと言った。

  彼女はエルガが15年ほど前に受けた授業の、担当教官だ。
  決して授業中に声を荒げないし、理不尽なことを口走ったり子どもたちにやつあたりをし
  たりもしない、言ってみれば「理想の教師」にかなり近い人間なのだが、子どもたちに一
  定距離以上立ち入らせないところがあって、彼女になついている子どもはあまりいなかっ
  た。

  しかし、彼女は数年前からエルガを見かけるとは、自分の教官室に招いて彼女の”コレク
  ション”をこっそりと数点ずつ披露するようになったのだ。

  今、テーブルの上には白い絹のクッションの敷き詰められた小さな藍色の箱の中に、指輪
  がひとつ差し込まれている。
  なんの装飾もない銀の指輪だ。細かい傷がいくつもついているせいで、光に当たっても輝
  きを持たない。

  彼女は台から指輪を抜き出すと、無言でエルガに差し出した。

  エルガはそれを受け取ると左の中指にはめてみる。
  手を翳して目を細めて観察した後、指輪を抜いて彼女に返却した。

  「間違いなく…間違いなく偽物ですね」

  「ええ、10年まえにうっかり本物を手に入れてしまったこともあるけれど、今度はちゃん
  と偽物なの。
   本物を見た後だからなおさら魅力がよくわかるわ」

  老教官は、ふふっと笑って言った。

  そう、彼女の”コレクション”は、すべて力ある宝物のレプリカなのだ。現存するレプリ
  カを手に入れるだけでなく、実物に忠実に職人に作らせることもある。

  例えば、壁に水平に飾られているまったく同じ形状の3本の杖は、ソフィニアで魔法使い
  の名家であるエインズ家の家宝である聖杖ルーグスを模したものだ。

  曰く「お家に招かれたときに鑑賞させていただいたから、こっそり3本ほど作らせてみた
  の」ということらしい。
  それに加えて、「あそこの家の人々はなんだかみんな陰気で気難しいから、ばれたら何を
  されるかわからないわねぇ」ところころと笑っていた。

  また、彼女の”コレクション”には、非常に厳しい条件がある。
  彼女は、外見的に相似であると同時に、全く魔力を有しない品物しか”レプリカ”と認め
  ないのだ。

  たとえ偽物であっても、力ある宝物を模した品物は自然となんらかの魔力を帯びてくるこ
  とが多くある。
  しかし、そのような品は彼女の趣味ではないのだ。むしろ外見的な相似より、後者の条件
  を彼女は重んじている。

  「そうそう」

  いくつかの品を紹介したあとに、彼女は思いついたように言った。

  「昨日”銀の椅子”で食事をしたのだけれど、ちょっとそこで面白いものをみつけたの」

  そして彼女は立ち上がると窓際の棚に据えていたそれを取ると、テーブルの上に置いた
  ----否、座らせた。

  「かわいらしいでしょう? 
   私はあの店では、いつも大通りがみえる窓際の席と決めているのだけど、この子が先に
  居たのでつい攫ってきてしまったのよ」

  「それじゃあ、先生は誘拐犯ですね」

  「そうよ。どきどきして素敵でしょう?」

  興味を引かれて、エルガはその人形を手に取った。その大きさゆえに片手で抱きかかえる
  ような格好になる。

  東の風貌を大いにもつ人形だ。
  真っ直ぐな髪はくるぶしに届くほど長く、前髪はまっすぐ切りそろえられている。
  少しずつ色合いの違う布を重ねて纏う衣装は、この人形が作られた地方のものなのだろう
  か。
  頭部が大きく頭身の低い作りや、幼い少女の姿を模しているところから察して、小さい子
  どもが遊びに使うために作られたものだろう。
  びっしりと丁寧に植えられたまつげの置くから覗く瞳は、ぴかぴかと輝く漆黒だ。

  「この子を、あなたにあげます」

  「え?」

  エルガが視線を上げると、ゆったりとした、教室では絶対にみせない類の、老教官の笑み
  にぶつかった。

  「人形はなにかと中に凝りやすいから、私の好みではないの。
   それに、あなたその子を素敵だと思ったのでしょう?」

  「………」

  エルガは答えを思いつかず、人形に目を落とした。

  うすく薔薇色に染まったふっくらとした頬や、柔らかそうな輪郭のわずかに端が上向いた
  唇。
  虹彩まで精緻に作られた眼球は、今はエルガの顔を映している。

  そうだ、確かに自分はこの人形になんらかの吸引力を感じているのだ。

  「誘拐犯のおてづだいも、なかなか愉快なものだと思わない?」

  彼女はそう言うと、また一人ころころと笑った。 





                             ちあきゆーか


  「…弱ったな」
  誰にともなく、リィは呟く。
  人形を探して、レストランと、念のために古道具屋もあたってみたが、誰もが首を横に振
  るばかり。
  いったい何処へ消えてしまったのだろうか。時間は既に夕方、通りには家路を辿る人々
  の波が生まれはじめている。
  研究所に戻って、夕飯の支度をしなければならない時間だ。
  何の手がかりも得られないまま引き返さなければならないのは口惜しかったが、雇われの
  身である以上、仕方のないことだった。
  リィの姿が人波に融けてゆく。


  「遅かったのう、リィ?」
  リィに視線を向けながら、揚げ物をつまみ食いするリカード博士。また自室に閉じこもっ
  て飲んだくれていたのだろう、彼が口を開く度に酒の臭いがあたりにたちこめる。
  「すみません、依頼に時間がかかったものですから。それより、つまみ食いしないでくだ
  さいよ」
  スープをかき混ぜながら、リィは答える。

  わかっている。
  何度注意しても、彼は自らを改めようとはしない。
  つまみ食いも、酒に溺れることも。
  若くして天才と呼ばれ、その数年後には狂気と呼ばれた男、L・リカード。
  彼にとっては、彼自身のみが正義なのだ。

  「…リィよ」
  「はい?」
  「おまえ、何をしてきたのじゃ?」
  さっきまで緩んでいた博士の表情が、急に引き締まる。
  その変化によからぬ予感を感じたリィは、控えめに答える。
  「依頼で探し物をしてきましたけど…」
  「それだけか?」
  博士の口調は厳しい。
  その迫力に圧され、無言で頷かざるをえなかった。
  「ふむ…誰の依頼じゃ?」
  「エスカータ夫人のお孫さんです」
  「誰じゃと?もう一度言ってくれぬか」
  「エスカータ夫人のお孫さんです」
  博士は首をかしげ、いぶかしむような目つきでリィを見た。
  「エスカータ夫人に孫はおらんはずじゃがな…」
  「どういう――」
  「どうもこうもない、子供がおらんのだから、孫がおるわけなかろう。養子をとったとい
  う話も聞かぬしな」
  「それじゃ、あの子は一体……」
  驚きでリィの目が見開かれる。
  「驚きついでにもうひとつ言うが、おまえ、呪われておるぞ」
  「え?」
  呪われた?
  リィは耳を疑った。
  少しは腕に覚えのあるこの自分が、全く気付かないうちに呪われていたなんて。
  空いた口がふさがらなかった。
  「…嘘でしょう?」
  「わしが今まで嘘を吐いたことがあったか?」
  「沢山ありますよ」
  「だが、わしの眼までは疑わぬじゃろう?」
  そう言って、博士は左の眼窩に指を突っ込んだ。
  ころりと小ぶりの球体が転がり落ちる。
  石のような肉のような質感のそれは、左眼を失った彼の義眼であり、最高の研究成果のひ
  とつ。
  博士はそれを手にとると、掌で弄んだ。
  「そのくらいの呪いならわしが解いてやるが、その代わりこの依頼のことは記憶の闇に葬
  るがよい。さて、どうするかね?」
  博士は、酔っ払いの顔で意地悪く笑った。
  「愚問ですよ」
  ドレッシングを振り混ぜながら、リィも微笑した。





                                 夏琉


  必要な報告と作業を終え学校を後にしようとする頃には、空は茜の光を帯びていた。
  学校の裏には学生を対象とした食堂が多くあり、煮炊きする匂いが裏通りに面した門をく
  ぐる前から漂ってくる。

  「える」

  短く名を呼ばれ、エルガは立ち止まった。
  足を止めたのは、台座に載せられた石像の前だ。

  裏門のところにあるためか、気にかけるものもいないらしく、台座の下だけでなく像の鈎
  爪のもとにつもった土からも草が伸びている。嘴の先や腕の先端の爪もどことなく丸みを
  帯びているし、元々は彫りこんであっただろう胸のあたりの獅子のふっくらとした毛の部
  分は、ただゆるやかなふくらみがあるだけだ。

  「ずるい」

  エルガを呼び止めた堂々たる体躯のグリフィン像は、すねた様に言う。

  「ずるい…?」

  「うん」

  グリフィン像が首を動かして同意すると、石が削れたのかそれとも土が乗っていたのか、
  粉がぱらりと落ちた。そのまま言葉は続けず、エルガを丸い石の目でじっと台座の上から
  見つめる。

  エルガがこの像に初めて話しかけられたのは、この学校に通って数年経ってからだった。
  ここの裏門はよく利用するのだが、頻繁に呼び止められることもあれば半年も動きのない
  こともあり、条件はよくわからない。ただ、エルガの他に近くに人がいないということは
  肝心なようだ。

  この学校にも怪談はいくつかあるが、「裏門の喋るグリフィン像」というのは聞いたこと
  がないので、グリフィン像と意思を通わすことができる者はあまりいないようだ。
  それとも噂はあっても、エルガが知らないだけなのかもしれない。

  グリフィン像の視線をたどって、腕の中に抱かれた人形に注がれていることにエルガは気
  づいた。

  「ずるいって、これのこと?」

  「うん」

  石でできた嘴を器用に動かして、石像は二度[にたび]同意する。

  「欲しいなら、あげようか?」

  腕の中の人形をゆすって、エルガは提案した。
  人形は気に入っていたが、もともと老教官に押し付けられたものだ。このまま流転する運
  命を辿ってもおもしろいと思った。見栄えのする人形だから、ここに置いておけば誰かが
  また持っていくかもしれない。

  しかし、グリフィンはそれを否定するようにカチカチと嘴を鳴らした。

  「ばるも、えるといっしょにいきたい」

  「え?」

  「ずるい」

  カチンと嘴と閉じる。それきり、グリフィンはまたただの石像に戻ったようだった。
  エルガは少し待ってみたが、言葉を紡ぐことも身動きもしない。

  「ずるいって言われてもなぁ…」

  "人形はなにかと中に凝りやすいから"、そうあの教官は言っていた。
  これもグリフィン像の同類なのか。それともただ単にグリフィンは羨ましく思ったのか。

  その場で立ったまま、すこし感覚を傾けて感知してみるが、人形は人形だとしか思えなかっ
  た。
  もともとエルガは鈍いほうなのだ。グリフィン像ですら、動いているときとそうでないと
  きと、とくに違ったふうには感じられないほどだ。

  「あなたもそのうち喋ったりするのかな?」

  人差し指で人形の柔らかそうな白い頬をなぞってみても、すべらかな布地の心地よい感触
  が伝わるだけだった。