ちあきゆーか
コンコン。
誰かがドアを叩く。
それに気付いた助手が、窓から顔を出す。
「こんにちは、エスカータさん」
「こんにちは、またお願いしてもいいかしら?」
「はい、中へどうぞ」
“私設S・リカード魔法研究所”のプレートが架かったドアが開かれる。
中から白衣を羽織った十歳くらいの子供が現れ、エスカータ夫人に恭しく頭を下げた。
子供の名はリィ。
つい最近まで冒険者をしていたが、今はソフィニアでスミス・リカード博士の助手をして
いる。
外見こそ子供だが、師であるリカード博士でさえも舌を巻くほどの博識であり、それに加
えて強大な魔力をも持ち合わせていた。
そんなリィの働く私設S・リカード魔法研究所は、その名の通り日夜魔法を研究している
……はずなのだが。
「先生は今日も二日酔い?」
「そうなんですよ」
「リィちゃんも大変ねぇ」
質素な応接間で薬草茶をすすりながら、一通り世間話をするふたり。
「…で、悪いんだけど、お庭の草むしり頼めるかしら」
「はい。今からですか?」
「いつも悪いわね。お礼ははずむから、よろしくね」
「承りました、エスカータさん」
私設の魔法研究所の多くは、個人や団体からの依頼を請け負い、報酬を得ることで運営さ
れている。
S・リカード研究所には草むしり以外にも掃除、子守りなどの依頼が多く、リカード博士
は老齢のうえ飲んだくれているだけで使いものにならないため、依頼の殆どはリィの手で
こなされていた。
つまりは、魔法研究所というよりなんでも屋に近い状態なのである。
生粋の研究者としての生活を望んでいたリィとしては不本意な状態ではあったが、学歴が
ものをいうこの街で、学歴がなく身元もはっきりしないリィを雇ってくれたのは、リカー
ド博士だけだったのだ。
初めの頃は愚痴の多かったリィも、今ではすっかりご近所の人気者になった。
ただ、実力が認められたというのとはちょっと違うようだが。
「終わりました、エスカータさん」
「あら、ありがとうね。リィちゃんは若くていいわねぇ、わたしはもう六十のおばあちゃん
だから腰が痛くて…」
「まだまだこれからですよ」
むしった草を片付けながら、リィは笑った。
内心では、嗤っていた。
リィは既に数百年の歳月を生きてきた。
他人はどんどん老いて死んでゆくのに、リィはずっとこの姿のままで生きながらえている。
まだまだこれから、まだまだこれからも自分は生きながらえてゆくのだ。
「これがお礼ね、リィちゃん」
「いつもありがとうございます」
手渡された報酬が約束の金額より多いことに気付いたリィがエスカータ夫人を見遣る。
夫人は慈しむような眼差しで「頑張ってね」と微笑んだ。
何と言えばいいのかわからず、リィは彼女に深く頭を下げた。
その帰り道、有為と無為の境界について考えを巡らせていた、そのとき。
「ねぇ、リィ」
何者かが、かぼそい声と共にリィの袖を引いた。
声のほうを見ると、年端もゆかぬ女の子が泣き腫らした目をして立っている。
見たことがあるようなないような顔だったが、相手はどうやらリィを知っているらしい。
「どうしたの?」
「おにんぎょう…!」
女の子の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
往来の真ん中で泣き出した彼女の扱いに困ったリィは、とりあえず彼女を研究所に連れて
行って話を聞くことにした。
「おにんぎょうがね、なくなっちゃったの。おねがい、おにんぎょうをさがして!」
応接室に連れてこられるなり、女の子はそう訴えた。
その右手には「のどがかわいた」と言ってせしめたリィ特製ジュースのカップを握りなが
ら。
「どんな人形?」
「えーとね、おんなのこ!かみのけがくろくてながくて、ふしぎなふくをきてるの」
「不思議な服?」
女の子は頷くと、拙い手つきで人形の似顔絵を描きはじめた。
まっすぐに切り揃えられた黒髪、何重にも重ね着した裾の長い服……絵から見て取れたの
はそんなところだった。
「いつなくしたかわかる?」
「うーん…きのうかなぁ」
「どうして?」
「えーっとね、みんなでレストランにおしょくじにいったの。そのあとからなくなっちゃっ
たみたいなの」
「どこのレストラン?」
「わかんない」
ソフィニアには星の数ほどレストランがあるのだ。
そのひとつひとつをあたってゆくとなると、相当の時間と手間が必要なことは目に見えて
いた。
どうしたものかとリィが考え込んでいると、女の子は数枚の硬貨を机に並べだす。
「これは?」
「リィにたのむにはおかねがいるっておばあちゃんがいってたもん」
「まぁ、そうだけど…」
銀貨が一枚に銅貨が四枚。
どうやら代金のつもりらしい。
それでもなお渋い顔を続けるリィに、女の子は再び目を潤ませる。
「たりなかったら、これからのわたしのおこづかいもあげる。ねぇ、だから、リィ、うんっ
てゆってよぅ…」
彼女の顔はもう涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
なおも激しくしゃくりあげて、苦しげに咳き込む。
リィは胸の奥が痛むのを感じた。
「わかった、引き受けるよ――だから泣かないで」
女の子はこくりと頷いて、袖で涙を拭いた。
いつから自分はこんなお人好しになったのだろうか。
ソフィニアでの生活に慣れた証か、と内心でリィは苦笑した。
彼女の話によると、レストランではきのこグラタンを食べたという。
そのメニューを扱っている店を調べてゆけばある程度絞り込めるはずだ。
研究所の扉に“休憩中”の札をかけ、リィは街へ繰り出した。