とばり
朝を告げる鳥の声よりも早く、扉を叩く激しい音が響いていた。
頭からすっぽり毛布を被って、一見イモムシなのか何なのかわからない姿でベッドに転
がっていたタスナは、ぴくりと柳眉を逆立てた。
音から察するに、下の階の出入り口だろうか?
無視を決め込もうと丸まる彼の意思をまったく無視しながら、騒音はその鼓膜に襲いか
かっている。むしろ脳髄に叩き込まれるようなそれに、呻き声が漏れた。
しばらく無言の――とはいえ止まない音は存在したが――攻防は続き、先に脱落したの
はタスナだった。
もがく多足類を彷彿とさせる動きで、ずるずると毛布から這い出る。
「……くそ、誰だよこんな時間に……!」
短く切った銀髪をぐしゃぐしゃと掻き回しながら、耳障りな音できしむ狭い階段を降り
ていく。
客だとは思いたくないな、とタスナはうつろな頭で考えた。こんな、パン屋ですら働き
始めていない時間に訪ねてくるような非常識な知り合いはいない。ましてや、借金取りと
も縁はない……おそらく。
思考を連ねるその合間にも、ご近所迷惑な主張が途絶えることはなかった。いくらポポ
ルの住民が穏やかな性質であっても、これでは青筋を免れないのではないだろうか。
階段を降りきると、鼻に慣れたほこりと紙の匂いが立ち込めた。
2階は休むための自室と物置くらいしかないが、ここは一応、それなりに質のそろった
書店である。広さこそないものの、そう悪くはないと家主兼店長のタスナは思っている。
しかし、いくら何でも開店時間にはほど遠い。ずらりと並んだ本棚の中を突き抜けて、
安眠妨害の原因である扉の前まで来ると、乱暴に両手をかけた。
まったく何の自慢にもならないが、寝起きの悪さには定評がある。きっと今、自分はこ
の上なく凶悪な顔つきになっているに違いない。
そんなどうでもいい確信を込めつつ、苛立ちを込めて勢いよく扉を開け放した。
「うちはまだ準備中だよ! 用があるなら朝飯食ってから――――――うわ」
絶句する。
目の前に、見知らぬ少女が茫然と立っていた。
二十歳には届かないだろう――タスナと同年代くらいか。長い髪を包み隠すように、ベー
ルをかぶっている。灰色の簡素な衣服は、この辺りではあまり見かけない形だが、おそら
く神殿などに務める巫女の纏うそれではないだろうか。
しかし問題なのは、彼女の両の目が焦点を結んでいないということだった。目が見えな
いわけではないと思う。何故なら、表情全体がおぼついていなかったからだ。
どう贔屓目に見ても、夢遊病者だった。
「……もしもし、お嬢さん。大丈夫?」
正直怯えながら、ひらひらと手を振ってみる。この少女が扉をぶっ叩いていたのは間違
いなさそうだった。証拠に握りしめられた右の拳が赤くなっている。
しばらく無反応だった少女の顔が、ふいにぴくりと動いた。
うつろだった瞳が急速に光を帯び、真っ直ぐにタスナを捉える。何故か、捕まった、と思っ
た。胸のトキメキだとかそんな楽しいことではなく、もっと本能的な、首根っこを掴まれ
た猫の気分だった。
「見ましたね」
小さな唇が、呪いをかける女よろしく暗然と呟く。何が、と問う暇もなく、いきなり胸
倉を捻り上げられた。
「ちょ、ちょっと!?」
「わたくしの目を、見ましたね。よろしい。これでひとつ、巫女としての力が移されまし
た。あと2人……それが揃えば、失われた灯火(ともしび)も蘇るでしょう」
「いや、あの、意味がわからな……」
「恨むならわたくしをお恨みになられればいい」
き、と睨みつけられる。その細腕のどこからそんな力が? と疑いたくなる臂力で締め
上げられ、軽く窒息死しそうだった。痛めないように加減をしながら、その手を外そうと
力を込める。
「恨む恨まない以前に、ちょっと、事情が聞きたいんだって―――いて、いてててて」
引っかかれた。押さえ込むように一気に引きはがしてしまおうとしたところで、急に相
手の身体から力が抜ける。ぎょっとして受け止めると、反動で扉に頭をぶつけた。
しばらく、声にならない痛みに耐える。どうしてこんな時間から、こんな目に遭わなけ
ればいけないのだろう?
抱えた少女を見下ろすと、力なく目を閉じてぐったりとしていた。完全に意識がない。
「……………………」
今日は厄日だろうか、と力ない思考が頭をかすめ、去っていった。