Caku


  大きな体のピエロが歌う。ここは星の都だと。
  「さあさあ、一年三百六十五日でたった一回の天空のどんちゃn騒ぎだ!」
  小さなネズミの集団が叫ぶ。ここは空が認める世界一の都だよと。
  「それそれ、食事に宴に歌や踊り。今日だけはここの都は世界一!!」
  笑顔のピエロが微笑む。両手に抱えきれないほどの風船を持って。
  「はらはら、今日はドラマチックにロマンチックに何でも起こる!」
  輝く街頭が魔法をかけられてお辞儀する、世界一の祭りにやってきた観客に。
  「どきどき、だけど涙に気をつけて!悪魔が悲しい涙を狙ってる!!」

  全ての笑顔が語ってる。今日は喧嘩も涙もご法度だと。
  「星空の宮殿(みや)も天空の神の娘達も全部全部差し上げましょう!!」


  街全体が紅、翡翠、蒼、帝王紫、鶯、菊朽葉、榛摺、銀鼠、白金、黒檀の光に満たされて。
  灯火の魔法が町中飛び交い、水晶蜻蛉が透明な身体をくねらせて舞い、真っ赤な珊瑚兎の
  群れが道路を横切る。
  七色の風船が夜空にばら撒かれて、金の小人がその薄い両羽根を広げる。
  魔物も人も、全て飲み込む星祭り。いつもの隔たりも、いさかいも何もかも無くなるただ
  一日なのに。

  …ひそひそ、見つけちゃいけない。
  …こそこそ、見ちゃういけない。
  …そやそや、無視するんだよ。
  …すそすそ、黙って通り過ぎるんだ。

  こんな暗黙の了解がある。人も魔物も、どうしてか絶対にその掟は守る。
  なぜなのか、どうしてなのか。誰も問わないし、問おうともしない。
  例えば、北に枕をむけちゃいけないとか、お箸をご飯に立てちゃいけない、とかそういう
  ものだ。
  なんとなく、ただ気分的に胸が重くなる。だから、守る。




  街に入るときに、こういわれた。
  「一つ、絶対喧嘩はしちゃいけない、相手が涙を流してしまうから。
   二つ、絶対涙をながしちゃいけない、悪魔が涙を見つけて喜ぶのだから。
   三つ、絶対泣いてる子供に気がついちゃいけない、一緒に夜空も泣いてしまうから」


  ピエロは、赤い笑顔と蒼い泣き顔の仮面で微笑み、風船を手渡した。
  星型の瞳と、月型の口は決して変わらないので、仮面に塗られた装飾だとわかる。
  「あ、ありがとう!」
  思わず上ずった声に、僕自身がびっくりした。
  ピエロが気障ったらしく、アディオス(サヨナラ)の仕草を返して消える。
  人込みでその後姿はすぐに消えてしまったけど、なんだかその方向にまだ彼がこちらを見
  てるような気がして。
  しばらくは高潮した頬のままにじっと見えない背中を見続けた。
  ふと、その中に泣いた子供が見えたような気がした。しかし、やはり目の錯乱であったか、
  すぐに消えて見えなくなった。
  僕は、気を取り直して風船を持ち直した。




  スピカ。星と宴の都、誰がつけたか知らないが、何かしらにつけてお祭り騒ぎの都市だと
  人は言う。
  今日は街の一番の年寄りのエルダ婆さんの誕生日。
  なら祝おうじゃないか。次の日は二次会だ。あらその次の日は薬草売りの坊主の一人立ち
  の記念日じゃないか。その次の日はー……。
  まったく、年がら年中お祭りばかり。
  でも、そんな浮かれ騒ぎの都でも、年に一度。この日だけは街全体がしっかり計画を立て
  て祭りに取り臨む。

  この日はスピカの夏祭り。旧暦の夏の終わり、今の秋の中旬に行われる宴。
  いつでも満開の摩天楼である夜空も、この日は日頃より最も輝く、まるで何かを祭りに期
  待しているように。
  そう、この日だけは夕闇の影に潜む魔物にも暗闇を怯える人間もお構いなし。
  陽光すらこの街の味方なのか、薄ぼんやりとした昼間の灯りで魔物を傷つけない。
  祭りの準備をする人間たちの間に、黒い影や妖精がひょこひょこ見受けられるのも、この
  日だけの特徴だろう。




  ピエロがくれた風船は、硝子みたいに良く光る。
  透き通った皮膜に、幼いも異形な顔が映りこむ。よく見ると小さく笑っている。
  僕の名前は上弦。そう、月の半分の名前と同じ、あの上弦。
  由来は簡単。僕がまだ人間の小さな赤子のコロに、僕の魂を両断した「里親」の死神が斬
  られた僕の魂をみて、そう名付けたんだ。
  そうして半分の僕は、海原の奥深くの、大地の血筋を司る黒龍の養子になった。
  今日はね、そう、もう一人の『僕』に会いに行くところ。
  なんか変な言い方だけど、なんか別の言い方が見つからないんだ。
  もう半分の『僕』、ぼくは姉さんと呼ぶけど…あ、そうそう。性別も違うんだよ。
  彼女は七つの海と十四の海流を支配する女帝…人魚の女王に引き取られた。
  同じ海に住んでるけど、海は広く、深く、そして果てしない。
  だから、滅多に会わない。寂しい、とは思うけど、悲しいとは思わない。
  どうしてかな?半分だけの僕達なのに、一人でいてもそんなに辛くない。それほど、僕達
  は優遇されてるのかもしれないけど。

  ポケットには、それなりの金貨が数枚ある。父様がくれたお小遣いだ。
  父様は無口で無愛想で物欲ゼロ。あんまり笑わないのでコワイ。
  みんなそういうけど…実は僕も同じで。でも噂話より意外と優しい。
  今日だって小姑みたいな執事兼養育係のデイティルトですら「地上の騒ぎ事など……っ!」
  と言ってたのにあの人といえば「行きたいなら行かせてみればいい」のたった一言。
  愛してる、とも頭をなでてくれたりもしない。でも、あの人は僕をかならず「息子」と呼
  んでくれる。
  それだけでも、僕は多分幸運で愛されてる。


  話が長くなってごめんね。
  とりあえず、ぶっちゃけ久しぶりに会うなら、楽しい場所がいい。
  そういう理由で僕は今、スピカにいる。こんなに肌寒いのに、夏祭りだって。変なの。
  姉さんは上手く養母様…女帝ことだけど、に話して来れたのかな?
  こんな世界中の人をこの町に詰め込んだような人だかりでも、姉さんを見つける自信はか
  なりあるんだ。だって姉さんの尾ひれはとてもとても綺麗だから。
  七色に輝くパステルレインボー。珊瑚礁が人魚になったような姉さんは遠目でもすぐわか
  る。でも姉さんは見当たらない。
  どうしよう?迷ってるのかな?
  なにせこんな人だかりだ。迷うのも…僕はそうやってあんまりうわついて歩いていたから
  誰かとぶつかってしまった。

  「うわっ」

  慌てて体勢を整えようとすると、跳ね上がった龍の尾が後ろの人に思いっきり当たった。
  ぶつかった人は、文句を言おうとしてすぐに苦虫を噛み潰した顔になる。今日は喧嘩や
  文句はご法度なのだ。僕を見てすぐに人込みに溶けていった。
  せめて後ろの顔面ヒットさせてしまった人には謝らなくちゃ!
  なんか決意じみた信念で振り返ると、顔面を押さえている子供が目に入った。
  痛そうに、涙を滲ませて、指の間からこっちを見ている。
  檸檬色のような、若葉色のような明るい瞳で、少しだけ上目遣いに見上げてくる。
  慌てて僕は、人込みを避けるように、その子の手をとりながら謝った。

  「ごめんね、痛くなかった?」
  痛いはずである。何せ僕の尻尾は龍の中でも硬質重量で知られる鋼龍黒龍のものだ。
  膝をついて目線を合わせると、子供の色素の薄い顔と髪がはっきり見えた。
  白い肌、白い髪。まるで色素が時に流されて、残った流木のような白さだ。
  尖った容貌に、意志を主張する檸檬のような若葉のような冴えた黄緑の瞳。白髪白磁の子
  供の中で、それだけがやけに目だった。

  「…痛い、すごく痛い」

  やっと喋ってくれた。安堵したのだが、内容がけっこう辛辣。当たり前なんだけどね。

  「ご、ごめんね。お詫びしたいんだけど…あ!お金ならここに…」

  慌ててポケットをまさぐっていたら、意外と強い力で腕を掴まれた。
  僕は驚いて、むしろ疑惑の表情だったろう。僕は父様の影響だろう、単純な力比べなら誰
  よりも自信がある。
  こう見えても数トーンぐらい簡単に出せるんだ。
  その僕が、彼の手一つで動けなくなった。

  「お金じゃないんだ、どうしても取り戻さなきゃいけないものがあるんだ」

  子供は、お祈りのような仕草で両手を合わせて目線に運んだ。

  「どうしても、どうしても大切なもの。どうしても、どうしても取り戻さなきゃいけない
  もの。どうしても、どうしても」

  上目遣いに見上げてくる子供の瞳の内に、懇願と瞋恚が宿る。
  まるで異国の剣士のような、鋭く孤高な言葉と気配が、僕を圧倒して怯えさせる。

  「とてもとても大切なもの。とてもとても大事なもの。
  ……一緒に、きて。千の夏祭りを過ごしてきて、やっと見つけたんだから」









  聳え立つ時計塔は、なんだか祭りの狂乱とは無関係なまでに、静かで不気味だった。

  「……ここ?」

  僕は言葉に最大の不安を混入して聞いてみた。でも無意味っぽい。
  少年はこくりと頷いたまま、例の祈りの仕草で目を閉じてしまった。

  「本当?君の大切なものがここにあるって?しかも、夏祭りにしか取り戻せないって?」

  街角寂れた、スピカの北の果て。
  魔法の祭りの灯りですら、なんだか薄ぼんやりしていて、黒という漆黒に負けて地上をの
  ろのろと鈍行列車のように這いずり回っている。
  秋風が、つめたく吹き付けてきて思わず身震いした。おなじ街中でも、こんなに気温と景
  観が違うのだろうかと思うぐらい、寒くて冷たい風と、寂しい周囲。

  こくり

  少年が頷いて、目を閉じる。

  「……嘘でしょ…」

  半分ため息、半分落胆で僕はうな垂れた。
  少年がお詫びなら身体で支払えと脅してきて、連れてこられたのは寂れて怪しい時計塔。
  姉さんにも会えてないのに、さらに林檎飴や綿菓子といった食べたこともないお菓子もま
  だ口にしていないのに、身から出た錆であるのは自覚しているが、なんだか悲しい。
  そうして、子供のほうといえば言葉数も少ないし、言ってることがちょっと理解不能。
  僕は、またもう一回ため息をついた。


  「…で?大事なものなんでしょ?
  早く取り戻しちゃおう、この時計塔の中だね……よっと!!」

  バキン!

  割とあっさり、鉄格子の扉の鍵がハジケとんだ。
  ひしゃげた格子を思いっきり捻じ曲げてやると、耐え切れなくなった扉が小さな断末魔を
  あげて開いていく。開く音が思いっきりホラー調、なんだかすごく気味悪い。

  「…うわ、寂れてる…」

  いかにもって感じ。祭りの音すら遠く遠くで、ここは異世界みたいで。
  凍える風が僕と少年の頬を打ち据える、その風はさらに時計塔に体当たりして、塔全体か
  ら小さな小さな叫びを生み出している。
  ようはかなり恐そうな場所。はやく戻りたい。姉さん、ゴメンナサイ。
  そんな僕の心の声にまったく反応しない少年が歩き出す。

  「待ってよ…ああ、もう!」

  半分やけで、子供の後をついていく。
  と、その時だった。子供の真剣で、悲壮な眼差しに疑問を持ったのと、辺りの闇がなんだ
  かきゅうに騒がしくなったのは。


  ………
  Ruuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu
  Eeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee
  Saaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa…
  ………

  …Yaaaaa…aaaaa……


  「危ないっ!!」

  とっさに子供に体当たりでうつぶせに組み倒れる。
  その上をいらくさのような、棘の生えた手、いや手の生えた棘か?どちらにしろ不気味な
  『手』が5本ほど交差しあい、刺さりあってさらに悲鳴を上げた。

  Hiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii…!!

  そして『手』からまるで雨のように棘が落ちて、いや槍のように降ってくる!
  とっさの判断で尾で全部横なぎにはらって、一挙動で前に転がって逃げる。
  諦めの悪い『手』は地面に刺さってなおも跳ね上がり、狙うのは二人の三百六十度全方向
  から。

  逃げられない。
  そう判断した僕は、どうしてか腕の中の子供を抱え込んで目を閉じた。
  子供の潰れた悲鳴と、僕に突き刺さる黒い闇の『手』が同時に………………


  「え?」



  死も、痛みもない時が流れて、ようやく僕は顔をあげた。
  今までぼんやりとした暗闇しか、影と宵闇の色しか見てなかった僕の視界には、その色違
  いの瞳を持ったその人は、ひどく鮮やかに存在していた。



  あれは……左右違いだ。
  あれは、左右違いのオッド・アイだ。





                                 聖十夜


  今宵は聖マルタンの祭典日。
  さあ謳いましょう、星と共に。
  紅・蒼・橙の灯りに乗せて、想いを星に還しましょう。
  星が泣き出すその前に…

      ※    ※    ※

  所狭しと並ぶ、色とりどりのお菓子。
  クッキーにキャンディ。紅茶にケーキ。
  灯りに照らされ、輝くそれらのものは、見る者を誘惑し、その味は幸福を与える。
  …筈なのだが。
  「ニーツちゃん、さ、あ―んして」
  後ろにハートマークをつける勢いで迫ってくるのは、御年1000歳を軽く超えているだろう
  と思われるご老人。
  そんな御方から恋人のように振舞われても、嬉しくも何ともなく、自然、ニーツは不機嫌
  な顔をする。
  「…ポポル、自分で食べれる」
  「ホホホ、そんな無理しては駄目じゃぞ。ニーツちゃんはまだ子供なんじゃから」
  恋人ではなく、赤ん坊扱いだったか。
  ポポルと同じ、魔界図書館司書のクーロンには、いつもジジババ扱いされているのだが、
  と心の中でこっそりと付け加える。
  魔界司書には、ろくな人材が居ない、と言うのがニーツの持論である。
  何故、本を借りに来ただけで、司書とお茶をしなければならないのか、理解に苦しむ。
  「それで、今度はどこかに行くのかい?」
  ニーツに自らの手でお菓子を食べさせる事を諦めたポポルは、せっせと紅茶を入れながら、
  いきなり尋ねた。
  「別に決めてはいないが…」
  「なら、スピカなんてどうじゃろう?もうすぐ夏祭りじゃし」
  「夏祭り?」
  「そう、夏祭り。聖マルタンの夏祭りには、ある伝承があるんじゃよ」
  「伝承?」
  コロコロと、口の中で飴を転がしながらニーツはポポルに目を向けた。
  ポポルは、孫を見るような顔でニーツを見、ゆっくりと目を閉じ、その知識を詩に乗せる。
  聖マルタンと神の子の悲恋。
  悲しき涙の物語。
  「聖マルタンの夏祭り、ねえ」
  聞き終えたニーツは、心の底に、小さな好奇心を見つけた。勿論、その話に感動したわけ
  ではないのだが、伝承の類に触れることは好きなのだ。
  「行っておいで、ニーツ。ここを動けない我等の変わりに、見て来ておくれ」
  不意に、ポポルが声色を変えて呟く。
  一瞬、ニーツとポポルの視線が絡まり…
  「何て言ってみたりのう。土産、期待して待っているぞえ」
  すぐにいつものポポルに戻り、ニッコリと笑う。
  全く、喰えない老人だと苦笑しかけたが…
  「迷子になったら駄目じゃよ?」
  「…誰がなるか」
  からかいを含んだ声に、ニーツは憮然と答えた。

      ※    ※    ※

  金に銀に蒼に紅。
  人間には持ち得ない、多くの色彩を持つ影の中でも、ニーツの纏う色彩は、思わず目を引
  くものだった。
  中には、ニーツのことを知っている者もいるらしく、何事か囁きあっている者もいる。
  だが、そんな視線を気にもせず、ニーツは人込みを軽やかにすり抜けていった。
  街は浮かれた空気に包まれており、仮装した道化師達が、風船を配ったり、ご自慢の芸を
  披露している。
  浮かぶ灯りは、スピカの街を幻想的に飾り立て、この瞬間が夢だと錯覚させるのに充分だっ
  た。
  だが、口にしたお菓子の甘さは本物だし、人々の楽しそうな笑い声は現実だ。
  「成る程、確かに一度来てみるだけの価値はあるな」
  露店に並んでいる商品を物色しながら、ニーツは進む。途中、『可愛いお嬢さん、風船如
  何?』と言いながら風船を差し出してきてたピエロは軽く無視した。
  ポポルへの土産に置物でも買おうかと思い、店に足を向けかけ…
  ふと、ニーツは目の端に気になるものを捉えた。
  見た感じは、普通の少年と、子ども。
  もちろん、その少年は、龍の尻尾を持つ、半龍半人の異形の姿だったが、そんな外見上の
  特異さは今日のこの街では珍しくなく、問題はない。
  問題は、後をついている子どもだ。
  夢のような現実にまぎれた、本物の夢。
  それが、その子どもについてニーツが感じた事だった。
  半龍半人の少年は、何も気がついていないのだろう。
  「ふうん…」
  放っておいても問題はない。だが、暇を持て余したニーツの好奇心を、彼らはほんの少し、
  刺激した。
  「ポポルの言う通り、たまには祭りに出てみるのも良いな」
  小さく笑みを浮かべ、ニーツは彼らを追うために、人込みに紛れた。

      ※    ※    ※

  黒く、暗く、闇が停滞する場所。
  彼らが入っていったのは、朽ち果てた時計塔の中。
  塔全体から不思議な魔力を感じるその場所に、少年は何の疑いもなく入っていく。
  ニーツも後を追って足を踏み入れると、ザワリと闇の気配が蠢いた。
  光の眷属には不安を植付け、闇の眷属には力を与える、そんな空間。
  強い魔力を感じ、視線を常人では認識できない闇へ転じると、例の少年達が、不気味な触
  手に襲われているのが目に入った。360度から襲ってくる触手に、彼らはどうしようも
  出来ず、抱え合う。
  「…これだから、子どもの夜遊びは危険だと言うんだ」
  小さな呟きを残し、ニーツは右手を振り払った。それによって発生した圧倒的な魔力が、
  触手を一つ残らず焼き払う。
  「え?」
  半龍半人の少年の、呆けたような呟き。
  突然脅威が失せた事に、驚いた少年が顔を上げ、ニーツと目を合わす。
  「あ―…えっと、ありがとうございます」
  ようやく自失から立ち直った少年が、子どもを支えながら立ち上がった。
  落ち着いたところでニーツを改めて眺め回し、首をかしげる。
  「君も迷子?」
  「……」
  いきなり命の恩人に向かって子ども扱い。
  なかなかこの少年もいい性格をしていると、ニーツは思わず憮然とする。
  「お前達は、何でこんな所に来た?」
  反対に問い掛けると、少年は困ったように子どもに目を遣った。つられて、ニーツも子ど
  もへと視線を移す。
  子どもは、少年の後ろから真っ直ぐに、ニーツを見つめていた。自然と、二人の目があう。

  …タイ…カエリタイ…

  その時、ニーツははっきりとその言葉を聞いた。
  小さな子どもの声。
  切望と、懇願が入り混じった声。
  「…まあ、いい。お前達、この塔の上に行きたいんだろう?」
  しばしの沈黙の後、振り切るように少年に視線を戻すと、少年は躊躇いながらも頷いた。
  そんな彼の様子に、ニーツは先程とはうって変わってニッコリと笑い、腕を組む。
  「そうか、じゃあ、俺も付いて行って良いか?」
  「えええ!?」
  少年の狼狽した声を聞きながら、ニーツは少年の先に立った。
  事態を把握しきれず、なかなか動けない少年の腕を取って、歩き出す。少年は狼狽したま
  ま、ニーツに問い掛けた。
  「え、あの、その…何で?」
  「単なる暇つぶしだ。気にするな」
  素っ気無く言って、ニーツは紅い左眼を少年に向け…

  ―…ドオン…―

  前方から突然響いて来た、爆発音。
  それに反応して、視線をすぐに戻す。
  「な、何…?」
  「…どうやら、侵入者が他にもいるようだな」
  冷たく言い放ったニーツは、同族の気配を感じていた。 





                                 魅流


   きっかけは、オヤジの「いっぺん世界を見てこい」っていうセリフだった。
   酒に酔った上での言葉だけど、私自身そうしたかったから二、三日後には最低限身の回
  りの物を持って家を出ていた気がする。

   自分で見て回る"世界"は家に居てはけして体験できないような事も多くあって本当に楽
  しかった。都会で宿に泊まったり盛り場に遊びに行ったりもしたし、のどかな村でちょっ
  とした仕事を手伝う代わりに一晩泊めてもらった事もあった。
  "世界"というモノは、自分を中心とした価値観だと聞いたことがあるけど、こういうまさ
  に自分の"世界"が広がるような体験をすると、それももっともだなぁと思ったりもしたり。


   そんな感じに、人間の世界をうろうろする事にどっぷり浸かっていたら、時間の流れる
  のが早い事早い事。この間昔泊まった宿に行ってみたら私をもてなしてくれた人は隠居し
  てその子供や孫に仕事を任せていたり、そもそも店そのものがなくなっていたりしてたり
  して、種族の差を実感するなんて微笑ましい一幕もあったりね。


   そんなこんなを経て、私はスピカの喧騒の中にいる。
   もともとこの街は一年中お祭りをやっている街という事で興味はあったのだけど、今度
  年に一回の夏祭りをやる話を小耳に挟んで、その思いが一気に爆発したのだ。どっかーん。

   私は、祭りというものがけっこう好きな方だと思う。例えソレが神に豊穣を願うモノだっ
  たとしても、あの浮ついた独特の空気は好きだと言い切れる。だから、ここの祭りの空気
  にもすぐに馴染む事ができた。人の流れに逆らわないように、いろいろなモノを並べてい
  る露店を冷やかしたりちょっと何か買って食べてみたり。

   そんな風にふらふらしてると、今日最初の不覚が私を待っていた。
   そう、目が合ってしまったのだ……露店のひよこと。


   少し人ごみに疲れたので人気の少ない街の北の方をふらふらと散歩する事にした。
   お祭りの空気は好きだけど、ここまで大規模なのは流石に初めて。大分閑散としてきた
  ところでん〜〜〜っと伸びをする。右肩でピンク色の鳥類が上手くバランスを取って落ち
  ないようにしている。あまりに鳥らしからぬ挙措にちょっと感動してみたり。
   そのままもう少し歩くと、聳え立つ塔が視界に入ってきた。

  「時計塔……?」

   遭えて言うならクロックタワー。幽霊だとか化け物とか、そういった類のモノが棲んで
  てもおかしくないような、適度に寂れた雰囲気を持つ建物。入り口は錆び付いた格子戸に
  よって括られていて、中には入れそうにない。まぁ、その気になれば話は別なんだけど。

   格子戸の脇の石壁に背中を預けると、中からガシャコンガシャコンと機械的な振動が伝
  わってくる。その安定したリズムに身を委ね、なんとなく空を仰いだ。
   明りが煌き、人々が笑いながら行き交う中から見上げるのとはまた違う、遭えて例える
  なら暗闇の中それぞれ孤立して泣いているような星や月。この祭りに入る時に言われた三
  つの約束事にはこういう意味もあったのかなー、となんとなく思った。

   ――こんな寂しいところで一人空を見てないで、皆で楽しく騒ごうよ――

   そんな囁き声が右の方から聞こえてきた気がして、私は思わず首を振った。人ごみに疲
  れたからといって、今度は人気のないところに来すぎたみたい。きっとさっきとのギャッ
  プが激しすぎて、そんな幻聴が聞こえたんだろうな。

  「どれ、またいろいろ回ってみようかな」

   そう思って身を起こした時に、ふと何かが足りないコトに気が付いた。
   祭りの半ば、ちょっとした不覚によって私の右肩に住み着いた生き物がいない。

  「ぴよ」

   右斜め後ろからの小さな自己主張。格子戸越しに再び私を見つめる黒い瞳。なんでこの
  子とはこう目が合うんだろう。まるで、こちらの目をあの子が狙って見ているみたい。
   そんなこちらの思いも知ったことではないというようにもう一声だけ「ぴよ」と鳴くと、
  桃色のひよこはそのまま奥に向かってチョコチョコと歩き始めてしまった。

   ――あまりのコトに、思わず思考が停止すること数十秒。

  「連れ戻さなきゃ……!!」

   自分の魔力を練り上げて、扉の内側に私と同じくらいの大きさの魔力の塊を生み出した。
  目を閉じて、意識を集中する。

   3 2 1 ハイっ!

   目を開ければ、私の体は扉の内側に入り込んでしまっている。さぁ、誰かに見つかる前
  に捕まえてここから出ないと……!!薄暗い時計塔の中を、できるだけ足音を立てないよう
  に気を付けながらピンク色を探して奥へと進む。


   外周に沿って半周くらいした所で、後ろの方からバキン、と何かが爆ぜるような音がし
  た後でキィィィと何かが軋むような音が響いてきた。そう、ちょうどさっきの錆び付いた
  扉を開けたらするだろうな、と言うような。そして、なんとも形容しがたい怨念の呻き声
  のようなものまで。

  「ちょっと、ホンキでお化け屋敷とか言うんじゃないでしょうね……?」

   後ろからの呻き声がピタリとやんで、今度は話し声のようなモノが聞こえてきたと思っ
  たら、奥の方から何かが爆発したような、何かを爆破したような、そんな下っ腹に響く音
  が響いてきた。

  「あぁ、もう。なるようになれ、だ……」

   自分を叱咤するように呟いて、私はさらに奥へと足を踏み出した。





                                Caku


こんな子供に構わなきゃよかった、と一人が言えば、
この子を守らなきゃいけない、ともう一人の自分が言う。


ごんっ


「〜……馬鹿かお前っ!」

思わず柱に角をぶつけた。痛い、というかじんじんする。
考え事をして歩いていたので、今の一撃は不意打ちだった。
もちろん、手を繋いでいた男の子も僕の尻尾にぶつかって二人して顔を抑えてる。
この子にぶつかるのは、今日で2回目だな となんとなく凹んだ。

「考えなしに歩くなって言えば考えてもぶつかるんだな、お前ら」

さっきから喋ってるのは、目の前の彼。
青と赤の片違いの瞳の子、迷子じゃないって言ってたけど、多分迷子だ。うん。
理由?うーん、理由。理由。だってここ町のはずれだし。言い出せなくて照れてるん
だろう。うん、決定。

「それよか、ほら。まだまだ先は長いぜ」

視線の先をたどると、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐるの螺旋階段。ぐるぐる、ぐるぐる、どこまでも。
見てるだけで、なんだか船酔いしそう。船酔いしたことないけど。

黙々と三人で上ってく。
何だか塔の中は薄暗くって、しかも冷たい。寒い、ではない。
この空気が、この階段が、通り過ぎた窓が、揺れる松明でさえも、冷たいと感じる。
喉元を通って肺に滑り落ちる空気はまるで氷だ。深海よりなお暗く冷えた世界。
靴裏から冷えた針を突き刺されるような感覚が、錯覚なのに感じる。これぞ第六感かなぁ?

と、下で爆発みたいな、ハンマーで殴ったみたいな音が伝わってきた。
思わず足を止めるが、前の彼は

「ほっとこう、今は先に進んだほうがいい。なんか前のほうがやばい雰囲気だ」

頼もしいなぁ、と素直に思う。
だから、つい気が緩んで次に思ったことをすっぽーんと言ってしまった。


「綺麗だね」

「あ?」

「瞳、片目違いのオッド・アイって綺麗なんだなって」

あ、やばい。
ご法度に触れたのか、目の前の彼は沈黙した。気になることだったのだろうか。

「だって、初めて見たよ。オッド・アイ(片目違い)なんて早々ないし。綺麗だし」

「…あのなぁ、俺はなんかやばい雰囲気だって前に発言してるんだぞ?」

「うん」

それがどうしたのだろうか?思わず首をひねると、さらに目の前の彼は重い溜息をついた。
あ、絶対馬鹿だって思ってる。ひどい。

「その分じゃあ、そいつの本当の姿なんて見えてないのか」

「そいつって……」

第三者の言い方は、つまりこの手を引いている男の子のこと。
……僕にだってわかるよ。
この子、さっきから光ってるし。なんかものすごい魔力っぽい雰囲気出てるし。おまけに
歩いた足跡の軌跡が光の波紋を生み出している。
この子の光のおかげで、僕達は影みたいな変な奴らから幾度も守られてる。
闇が濃くなればなるほどに、彼の光は自分を取り戻すように。

「君はわかってるっていうの?」

やや拗ねて答えた。
するとあいつはしれっとしてすらりと答えた。

「さあ」




彼の2つの色はとても強いので、暗闇でもよく目立った。


「何だよ、そんなに片目違いが珍しいか?」

「うん」

「…………」


よくよく考えてみれば、彼は嫌味で言ったのかもしれなかったが。
僕はその時、あまり深く考えずに頷いたので、彼は微妙な表情になった。陸の公共用語に
直すと「歯痒い」とかかな?とりあえず、かなり微妙な顔。

「だって、すごいいいなと思う」

「不揃いな物好きもいるんだな」

「だって、2つも眼があるのにどっちも同じ色よりも、2つあって2つも色があるほうが、
なんとなくだけど、すごくお得な気がしない?」

「…お前、変わってるな」

「君もそう思うよねぇ?」

さっきから沈黙一点張りの子供に視線を移す。
だが、子供はきょとんとしたままで、どうやら話を聞いていなかったのか。かなりぼうっと
こちらを見上げている。

「あー……」

なんか、噛みあってなくて寂しい。
ワザとらしく咳き込んで、仕切り直しを計ろうとした。




かつん、かつん、かつん、かつん。

歩く音が跳ね上がって高い天上に反響した。
静まり返る時計塔の内部は、物凄く冷たくて、そして寒い。
もう、建築されて何百を数えた塔は、その腹に時間を飲み込んで腐らせてしまったのか。いやに
空間に満たされる空気がよどみ、吸い込むと苦い味がしそうなほどの気配がある。


かつん、かつん、かつん、かつん。


「ねえ、本当に大切なものがあるの?大切なものって、何?」

「…目的も知らないで、ついてきてたのかよ」

「う、それじゃあ君だってそうじゃないか」


かつん、かつん、かつん、かつん、かつん。


「……子が、母の元に、戻れない。私の、せいで」

「戻れない?お母さんのところに?」

「…もう、幾つの夜と祭りが繰り返されても、戻れなかった」

「……待て、そいつは自分の事を言ってるんじゃない。そいつの」


かつん、かつん、かつん、かつん、ぴよ?


「「ぴよ?」」


暗い、暗い通路の端。
よくよく見ると、場違いな桃色のひよこ(謎)がいる。

「…?」

「なんだアレ?……」

それは、ひょこひょこと歩きながら、すっと消えてしまった。
慌てて、その場所まで行ってみると。
そこは行き止まり、タダの壁でひよこらしき生き物はどこにもいない。

「どこに行っちゃったのかなぁ、さっきの」

壁とか、装飾やら触ってみるが、特に仕掛けらしきものもない。
片目違いの彼も、眉根を寄せて壁をにらんでいる。

「…待て、なんか来るぞ」


と、下方から急激に高い魔力を感じた。
片目違いの彼はすぐに戦闘態勢に入り、僕は慌てて子供を抱き抱えて。



「って待ちなさぁぁぁぁいっ!!」

螺旋階段通路の窓ガラスをぶち破って出てきたのは。
とっても元気いっぱいっぽい、女の人だった。


「……ってあれ?」

「……えーと…」

「……何なんだ…」

身軽な服装だけど、女性特有の手入れの綺麗さが見える。
旅人か、あるいは傭兵か。
少なくとも、下の階で襲ってきた影みたいなくろくろいな奴らとは違うみたいだ。

「…君達、ここらへんで鳥をみかけなかった。ぴよって鳴く奴」

一瞬硬直したも、さばさばした性格なのか。
瞬時に回復して、あっさりした口調で話しかけてくる。

「さあ、さっき此処で見たけど、すぐいなくなった」

「そう、ありがと。でも君達、子供が遊び歩いていい場所じゃないわよココ」

片目違いの彼の戦闘態勢も、さっぱり無視している。
肝が据わってるなあ、と感心感心。

「…困ったなぁ、どこいったんだろ…」

「お姉さんも、探し物?」

「ええ、まあ一応ね。あれ、君達もなんか落としたの?」

「達、じゃねーよ。ないないって言ってるのはそこの子供だけだ」

一同の目が、光の子供に向けられる。







『影』が侵入者の様子を伝えてきた。
この何百という時を封印し摩滅してきた砦に、とうとう古の魔道師が攻め込んできたようだ。
だが、すでに力も声も掠れてただの子供の姿に成り下がっている。
好都合だ。

『影』はゆらゆらとその姿を震わせた。
魔法が効かない、というのは正しいが適切ではない。『影』は魔法だからこそ、魔法を喰う。
捕食の魔法だ。正確に言えば『魔法に食欲を与えた擬似召還獣』というところだ。
同じ媒体を取り込まなければ、生きていけない。だから、彼らは魔力を、魔法を喰う。

『影』にさざなみのような波紋が浮かぶ。
魔法、であるが故に、世界の原則なる法律には逆らえない。『影』という領域で構成される
以上、『火』という光を生み出す法則には敵わない。だから、彼らは火を厭う。


『影』の中に、ひときわ大きな影が浮かぶ。

侵入者は2組。
一つは宿敵。決してあの子供を空へ還すわけにはいかない。
一つは怨敵。彼が秒針を明け渡してはいけない相手。
宿敵は機関部の部屋についたが、あの部屋はここには繋がっていない。
あの部屋は摩天楼、楼閣へ続く部屋だ。……そろそろ。怨敵のほうが機関部につく。
彼は怨敵のほうを優先した。




かつて、空の娘を愛した魔術師。
空の神の悪意は影となって、時計塔を封鎖した。

神は廃れ、いずこかへ消え去っても。
悪意はなおも、時計塔にまとわり着いた。

そのために、『影』はなおもある。地上に、時計塔に。
目的が、存在理由はただ一つ。

星を還すな。娘の下に。
子供を剥せ。母の胸から。
妨害せよ。阻止せよ。祭りに紛れた、父親の心。体は姿をなくして、求める子供の形に。
封鎖せよ。障壁せよ。祭りに彷徨う、子供の孤独。母を求めて、なきじゃくる。

星を還すな、母の元に。
人を空へ向かわせるな。愛しい者のもとに。

それは、古い神々の嫉妬の残り香。





「ここ?ココに、大切なものがあるの?」

僕は聞き返した。子供は、祈りの姿のままに、頷いた。

「…秒針、時を動かせば、空が見える。空が映れば、星は還れる」

「…ここ、時計塔の機関部ね。ああもう、あの子ったらどこ行っちゃったのかしら!」

女の人が、むすーと腰に手を当てて、ここにはいない鳥へ文句を垂らす。

「アンタ、ついてこなくたっていーんだぜ?」

「こら、子供はそういう口きかない。もののついでよ、君達みたいなちっちゃい子ばっかり
こんな場所に置いて行けないわ」

子供扱いに不満なのか、片目違いの彼はさっきから反発している。
だが、女の人のほうが一枚上手で言い含められてしまう。女の人は口が上手い。
僕の姉さんもそうだ。ただ、姉さんは無表情でからかうので、ちょっと恐い。

「さあ、さっさと開けて、見つけましょう?」



重く、さびた扉が開かれる。
そこは広く、闇があり澱む歯車の群れ。




全身が、総毛だった時は遅かった。





                                聖十夜


  それに対応できたのは、生まれ持った魔力の所為か、それとも長年の経験のお陰か。
  −バチィッ−
  耳を塞ぎたくなるような音と共に、黒い゛悪意゛が砕け散る。
  「な、何…!?」
  子供の手を握ったままの少年が、上擦った声をあげる。女性の方を見ると、ほぁーとか言
  うよくわからない声をあげながら周りを見回して感心している。
  ニーツが咄嗟に張った障壁は、扉を開けるなり飛び込んで来た黒い影の群を薙ぎ倒した。
  だが、それがどうした、と言わんばかりに、床から同じ量、否、それ以上の数の影達が生
  えてくる。歪な人間の形。大人の大きさのモノ、子供くらいのモノ、二足歩行、四足歩行…
  ありとあらゆる形を持った影達は、唯一つの共通点である光る瞳を爛と輝かせ、こちらを
  見ていた。
  「どうやらこの先が終点らしいな」
  「ど、どうするの?こんなに沢山・・・」
  「ちょっと厄介な状況よねぇ」
  「ちょっとどころじゃありませんよ」
  話している間にも、影は増え続け、視界を埋めていく。
  「落ち着け。これくらいで・・・」
  「あ〜〜!!びよ!!!」
  諭すように言ったニーツの言葉を遮るように、びよの女性が声を上げた。ぴよ?っと問い
  返す間もなく、女性は影の大群に突っ込んでいく。
  「お、おい…」
  静止の言葉も間に合わない。あの中にぴよがいたとでもいうのだろうか。
  だが、その疑問はすぐに氷解した。
  「お姉ちゃん・・・!」
  間髪入れず、側にいた少年が呟き、思わず、といった状態で一歩踏み出した。
  その途端。
  −ぐぁ−
  漆黒の風が吹き、視界が闇に染まった。

    *  *  *

  「…ちぃっ」
  影が一斉に動き、三人はたちまち分断された。子供は半龍半人の少年にくっついたままで
  ある。
  「分断されたな。これが狙いか・・・」
  一瞬の焦りも過ぎ、ニーツは冷静に周りを分析する。
  影の向こうに一人、そして二人。同行者の位置はわかる。だが
  「放っておいても死なないだろう」
  無造作に振るった腕で影を払いながら、ニーツは独りごちた。
  仮にも魔族と半龍半人の少年だ。自分達で何とかするだろう。決して子供扱いされた腹い
  せとかそんなものではない。…多分。
  それよりも、ニーツには気になることがあった。
  (やはりこの奥か)
  先程からひしひしと感じる気配。この影達の゛元締゛。魔力により影を生みだし、操って
  いるモノ。塔全体に根付いた歪んだ意思そのもの、またはその化身がそこにいる。
  「一足先に拝んでおくか」
  呟いて、ニーツははじめて目の前の影達と向き合った。
  どうやら魔力を喰う"影"のようだが、ニーツの圧倒的な魔力は喰いきれないようで、魔力
  をぶつけると次々に霧散していく。
  これまでは無造作に向かってくるものを払っていただけだが、少々気合いを入れなければ
  ならないだろう。もっとも、本気を出してしまえば、この塔、いや、この街全てが吹き飛
  ぶことになるが。
  本気になった事など、人生の中で片手の指で足りる程しかない。
  「さて、少しどいてもらうぞ」
  すっ…っとニーツが手をあげる。
  空気が、変わった。
  ニーツを中心として、風が渦巻く。紅い瞳が爛と輝く。
  色違い。
  忌ま忌ましい響きで何度も囁かれた言葉。
  これを綺麗だと言う者は珍しい。
  その珍しい人種からついさっき、その懐かしい言葉を聞いた。
  知らず、口元に笑みが浮かんだ。
  (ここまで関わる気はなかったけどな…)
  腕を振るう。影が弾け飛び、道が出来る。そこをニーツは、悠々と歩いていった。

    * * *

  闇が、呻く。
  「子供を…」  
  「子供は、殺せない」
  闇が、蠢く。
  「魔族如きが…」
  「甘く見られたものだ」
  闇が、立ち上がる。
  「子供を殺せ!!」
  −殺せ!殺せ!−
  部屋を揺るがす大合唱。
  ニーツは一瞬で一歩前に出る。
  「…さあ、遊んでやるよ。何が良い?」