ガーネット  ダークブルー  エメラルド  ペッパーレッド  カオティックブルー  ディープグリーン  インパチェンス  オーシャンブルー 
クロスオーバー  ファイアレッド  ダークパープル  ライトグリーン  ダフニ  ブラッディレッド  フェードダークネス  バーガンディ 
カーマイン  アオミドロ色  ディープレッド  ウルトラマリン    イノセンス  ロイヤルブルー  ペパーミント  ファインコッパー  ダークマター 



              ガーネット              熊猫


  目的があったわけではない――

  フレア・フィフスは、灯りの点いていない部屋の中で、そう思った。
  灯りなど点けなくても、この街は十分明るい――むしろ夜のほうが。

  外に背を向けながら窓枠に浅く腰掛けて、顔だけで外を見やる。
  さっき風呂に入ったせいで、髪は少し湿っている。夜風になびく事はなかったが、
  かわりに絹擦れに似た音をたてた。

  艶のある黒髪を、腰まで伸ばした少女である。
  黒いタンクトップ。男物の焦げ茶の乗馬ズボン。
  華奢な体つきでありながら、なよなよした感は感じられない。

  歳は16歳。抜けるような白い肌が、仄暗い部屋にその姿を溶け込ませまいとしていた。
  部屋に灯りがないせいで、まだ幼さの残る顔の半分を濃い影が覆っている。
  ぴんと張った、澄んだ瞳の色は鮮やかな赤。
  彼女が見下ろしているこの街の、どの灯よりも赤い、赤。

  この街――クーロン郊外に位置する、カジノの街ズィーノ。
  フレア自身、ギャンブルには全く興味がないのだが、ソフィニアの魔術列車を
  少しでも長く満喫していたいと思ってできるだけ遠方へ、と切符を買ったら
  ここまで来てしまったのだ。
  到着したのは昨日。駅で買ったガイドブックを見なくても、クーロンの治安は
  最悪だという事は知っていたから、観光をする気にもならず、今日は宿から一歩も出てい  
  ない。

  切符代のせいで、財布の中身はほとんどない。かといってギルドに登録すらしていない
  自分がまっとうな依頼を受けれるとは思えないし、またこんな街では受けたくない。
  宿代が安いのは助かったが、窓、ドア共に鍵がかからないので
  いつ泥棒が入ってくるかも知れなかった。

  (明日、出よう…)

  窓枠にまたがるようにして、体勢を変える。片膝は立てて、もう片方を
  ぶらぶら(床に足が届かないのだ)揺らしながら、今度は部屋の中を見渡す。

  あるのはベッドと、水差しとコップの乗った小さな丸テーブル、そして椅子が一脚。
  奥のほうに洗面台があるが、錆びて使えない。
  ベッドの中身はさすがに藁という事はなかったが、スプリングがいかれていて、
  床に寝たほうがよほど寝心地がいいのではないかと思える。
  今は、脱いだクリーム色の上着が折りたたまれて置いてある。
  その上に、そっと影を落としている、細身の剣。
  白い陶磁器の鞘にきっちりと納まったその姿は、少女そのものを連想させた。

  スペースを確保するためだろう。クロゼットなどなく、かわりにフックが五つほどあるだ
  けである。
  そのうちひとつに、太いバンドのザックがぶらさがっている。
  旅費が稼げないなら、あの中身のどれかを売らなければならないだろう――
  もっとも、この街の相場は知らないから、どれだけの足しになるかわかったものではない
  が。

  「よっ」

  とん、と身軽に窓枠から降りて、窓の下にきちんとそろえられたブーツを履く。
  紐は緩めたままでベッドに近寄ると、そのままぼすんと座る。
  瞬間――

  突如響いた轟音が、騒がしいズィーノの街をさらに音で満たした。





              ダークブルー             魅流


  「ここが噂のギャンブルと色事の街か…」

   ディーノの入り口で感慨深げに呟く男が一人。
  けして大柄とはいえないその体は人の流れをさえぎるという程の物でもなかったが、
  それでも通りのど真ん中で立ち止まられていると邪魔である。
  通りすがりの誰もから睨まれながら、しかしそれを気に留める風もなく男はただごった返  
  した町並みを眺めていた。

                ★☆◆◇†☆★◇◆

   時は変わって夕方の酒場。
  こういう街の本領は夜にこそ発揮される。
  だからこそ太陽から月へ時間が移り変わるこの時間帯は、
  その準備期間として昼とはまた別の活気を持つのだ。
  そんな時刻の場末の酒場に男はいた。
  よくある一階は酒場二階は宿屋というタイプの場所で、男はここにチェックインしている。
  名前はジグムンド・ウピエル・ギターマンとまるでミミズがのたくった様な字で書いてあ
  った。

   日に焼けた金の髪と昏い蒼色の瞳を持つ彼は、
  カウンターの隅に陣取り、今はゆったりと酒を嗜んでいる。
  徐々に増えていく客やトランプをシャッフルするディーラーをぼーとながめていた。

   やがて太陽が完全に沈むと、活気はいよいよ喧騒へと姿を変える。
  身内で集まって酒を会話を楽しむ者、ギャンブルにはしる者。

  「ほらほら、どーしたにーちゃん後がないぞ?」

   もちろん、このギャンブルとは当然イカサマの技術を競うものだ。
  入念に準備と修行を重ねたディーラーからすれば、旅行者などはカモに過ぎない。
  ましてや、初めてこの街を訪れたような余所者はたっぷり太ったダチョウが調理場に来る
  様なものである。

  「ちっ…俺様を本気にさせるたぁ、やるじゃねーか」

   机の上のチップはそのほとんどがディーラーの方で山となっている。
  金髪のいかにも軽薄そうな男――ウピエルの容姿は彼をカモと判断させるには十分だった
  らしい。
  事実、これまでのニ三回はウピエルのぼろ負けに終わっている。
  『うっしゃカモげっとおおおおおおお』
  ディーラーをこなすギブソン君は心の中で叫んだという。
  だがしかし、彼にとってカモのはずの金髪のチャラ男は全く余裕を失ってなかった。
  それどころかこれまでのぼろ負けにも関わらず、
  はっきりと勝利を確信したような笑みを浮かべていたりする

   そしてさらにその数分後、
  ギブソン君は真っ白に燃え尽きていた。
  テーブルの上のコインは全てウピエルの側に積まれている。

  「まいどありぃ」

   手に入れた金貨を袋にしまって二階へと向かう階段を上りかけ。
  唐突に振り返り、何かを言おうとしたその瞬間。
  激しい振動が辺りを揺らした。
  あるものは音又あるものは直接的な揺れとなり、酒場の中を席巻する。

  「なんだぁ…?」

   激しく揺れる酒場の階段で奇跡的にバランスを失くさずに直立していた男は、
  その場の雰囲気に合わないしぐさでゆっくりと首をかしげた。





              エメラルド              ケン


  「ここ…どこだろ〜?」

  闇に包まれたクーロン郊外、ズィーノ街。その犯罪都市を無防備にうろうろする少女がい
  た。
  年のころは15歳程度、言葉とは裏腹に小さ目の顔をニコニコさせている。

  「う〜ん、まあいっか〜♪」

  何がいいのか知らないがそのまま少女はズィーノの宿屋の方角へテテテと歩いて行った。
  少女の名はストゥリ・ジュノン、小柄な体つきに色白の肌、袖なしの青いシャツに紺色の  
  半ズボン、紫紺色の長髪と言う『青』と言う印象が強いのに対して深い森の輝きが宿って
  いる様な深緑の瞳が印象的だった。

  もう少しで宿と言うところで不意に後ろから近づいてきた影がストゥリの両肩を掴む

  「ふぇ?」

  少しびくりと身体をこわばらせたストゥリが振り向いた先には、まるで人間の形をしてい
  ない、かといって今までにもこんな形状をした魔物など発見されていないのでは、と思え
  るくらいの異形の怪物だった。

  「いっや〜あぁ!チッカ〜ン!!」

  そう叫んで何所からともなく取り出したいかにも怪しげな仮面を被った。途端、ストゥリ
  の背景に一瞬だけ『Σ』と言う金色の文字が現れ、後ろ向きのまま右手で強引に「異形」
  の頭らしき部分を鷲掴むとそのまま勢いをつけて宿屋の一階、酒場の方にブン投げた。

  ストゥリは仮面を被る事によりそれぞれ異なった力を得る事が出きる。今のはその仮面の
  一つで『破壊の仮面』といい、ストゥリが被ると岩をも破壊できるほどの力を得る事がで
  る。

  響き渡る轟音、夜の遊びで賑っていた酒場は別の意味で大騒ぎになっていた。

  「あぁ〜、やっちゃった〜…ごめんなさ〜い、大丈夫ですか〜?」

  どうやら暗かったせいか、自分がふっ飛ばした物が異形だった事に気付いていないらしい
  く、ストゥリは仮面を外しながら心配そうな顔で半壊していく酒場に向って走って行った。





             ペッパーレッド             熊猫


  「な…?」

  突然のことで何がなんだかわからずに、とりあえず窓にとって返して、下へと身を乗り出  
  す。

  今の状況を一言で表すとしたら、滅茶苦茶だ。

  真鍮の看板は外れかかっているし、砕けたドアからは喧騒と光が漏れていた。
  しかもかなりの騒ぎだ。向かいの小さな賭博場からも、数人が頭だけを出して
  この宿屋の様子を伺っている。

  と、向こうの通りからばたばたと小柄な影が走ってきて――なにやら口走りながら
  この宿屋の酒場へと入っていった。
  とりあえずそれを見届けてから、フレアは慌てて身支度を整えた。
  黒髪をまとめて縛り、上着を着て、ブーツの紐をしっかり縛ってから、
  ようやくドアを開ける。

  と同時、階下からすさまじい絶叫がほとばしった。その声に逡巡して、また部屋に戻ると
  剣をバックルごと引っ掴んでようやく走り出す。
  部屋を出てすぐの廊下は、一階の酒場を見下ろせるように吹き抜けになっていた。
  顔だけを一階に向けながら、足は止めない。

  とにかく酒場は大混乱しているようだった――散らばったコインやカード、
  振動で棚から落ちたらしい酒瓶が、床に濃い滲みを作っていた。
  床などは爆発が起こったように一直線にえぐれている。
  その先は死角になっていてよく見えなかった。
  もっとも気にかかったのは床に転がっている火のついたままのランプだが、
  とにかく下に降りなければどうにもならないだろう。

  飛び込むようにして、底の抜けそうな木製の階段に足を踏み入れる。
  かなり大きな音がしたが、数人がこちらを見ただけですぐに皆、同じ方向へ
  呆けたように視線を送っている。見れば、客や店員は騒いではいたが、
  皆見ている方向はやはり同じだった。

  「…?」

  そのことに気がつきながらも、あと数段で一階に着くというところで
  ようやく顔を前に向ける。と――

  「え、ちょっとっ!」

  ぱっと、眼前にいた金髪の男と目が合った。なぜか階段の途中で立ち止まっていたらしく、
  一瞬にして引きつった顔をこちらに向けてくる。それだけならよかったのだが、
  こうも勢いがついていては立ち止まれるわけもなく。

  「きゃあぁ!?」

  派手な物音に思わず出た悲鳴を重ねて、なすすべもなく金髪男と真っ向から衝突する――
  そのまま勢いあまって、ふたりして階段を転げ落ちる。
  痛いのをこらえて――自分でも現金なものだと思ったが、まず放り出してしまった
  自分の剣を拾い上げてから、あおむけに倒れている男の様子を、尻餅をついたまま伺う。

  深い襟ぐりの開襟シャツ、軽薄そうな明るい金髪と、一見して整った顔立ちではあるが
  遊び人のような外見である。それでも、この街には似合いなのかもしれなかった。

  「いててて…」

  男は髪を乱れさせながらも、重そうな袋をしっかり抱えて
  すぐに起き上がってきた。
  再度目が合って、フレアが謝罪しようと口を開くが、

  「あ、あのぅっ〜。ごめんなさーい、大丈夫ですかー?怪我しちゃった人とかいません
  かー?」

  キャッチボールの途中でとり損ねたボールを拾いに来るような、危機感を
  まったく感じさせない間延びした声が、それを遮った。
  見れば、わたわたとおぼつかない足取りで一人の少女が宿屋に入ってくるところだった。

  「あーあーこんなに壊れちゃっても〜〜」

  彼女の小柄さを見届けて、さきほどの人影はこの少女だったと気づく。
  やたらひらひらした袖の服に半ズボンと、金髪男とは逆にこの街にそぐわない
  雰囲気だが、その空気すら跳ね除けるのんびりさが、フレアの心に彼女を印象付けた。

  そして。
  立て続けに起こった混乱に、酒場の中の騒ぎはもはやピークに達していた。





             カオティックブルー           魅流         


  「おわっ!?」

   とたたっと駆け下りてくる気配に思わず振り返ったウピエルの目に映ったのは、
  真紅の瞳を持つかわいこちゃんだった。
  透けるように白い肌が何処となく自分と同じように思えて親近感を覚える。
  だが、独特の血の匂いがないことからも普通の人間であるとはすぐに知れた。

   とりあえず剣を拾ってこっちをじーっと見ている彼女は、
  ついさっきここの宿の世話になることを決めさせた窓際の人であると気付いて、
  思わずウピエルの口に笑みが浮かぶ。

  あんぎゃーーー!

   背後では衝撃の原因となった化け物が暴れていて、
  一人の少女がナイフやらなんやらで戦っている。

  「大丈夫かい?お嬢ちゃん」

   立ち上がって手を差し伸べながらにっと笑ってみせるウピエル。
  しかし、その手はとられることなく嬢ちゃん――フレアは立ち上がった。

  「私は大丈夫だ。それより、一体何が…?」

   刃物の鋭さを感じさせるような声。
  それと良く似合う口調に、彼女の服装がなんとなく第一印象を作っていく。

  ぎゃおおおおおおおすっ!

   相変わらず意味のわからない鳴き声を上げながら化け物は暴れていた。
  先ほど駆け込んできた少女が食い止めているお陰か、
  登場シーン以外化け物はたいした被害をだせないでいるのだ。

  「ま、流石にのん気に立ち話…って状況でもなさそーだな」

   すでに大半の人間は避難するか隅っこで震えるかのどっちかで、
  真ん中には戦うに十分なスペースが確保されていた。
  さっとウピエルの横を擦り抜けて風が疾走った。
  黒い髪がなびき、鋭い切り込みが怪物の足を狙う。

  「おーおー、こりゃ俺様がでるまでもなさそーだけどなぁ」

   ものぐさげに言いつつも嬉々として愛用の鎌を腰から引き抜いて、
  戦場となっている酒場の真ん中へと突っ込んでいくウピエル。
  しかし騒乱はまだ始まったばかりだった――





              ディープグリーン            ケン


  「あわわ〜どうしよう〜どうしよう〜」

  もうもうと煙を吐き出す酒場を覗きながらストゥリはおろおろしていた。
  この壁の穴と酒場の中の崩れようを見ればさっき自分が投げた人はもう…

  「ああぁ〜!!ごめんなさい!ごめんなさい〜!」

  と、そこで轟音と共に瓦礫から異形の怪物が現れ、近くにいた男の首を手のような物で掴  
  む。
  男は叫びながらもがくが段々と声がかすれてくる、このままではおそらく死ぬだろう。

  「あ!あぶな〜い!」

  ストゥリはとっさに針を三本、異形の腕のようなものに向って投げつけた。
  針は正確に異形の腕に刺さり、そのまま絶叫を放ちながら男の首を離した。

  「今のうちに、逃げて〜!」

  投げ出された男はそのまま何も言わずに一目散に逃げ出した。
  異形は矛先をストゥリに向け、得たいの知れない液体(おそらくよだれ)が滴っている口
  は犬の様にグルルと唸っている。ストゥリは警戒しながら短剣を逆手に構える、ゆっくり
  と周りを見ると煙でよく見えないが何人かの人は外に逃げ出した様だがまだ店の中には大
  半の人が残っているようだ。

  「(ふえ〜ん…何かすっごく恐いけどここで僕が食い止めないと…皆殺されちゃう)」

  ストゥリは針を何所からともなく取り出すとそれを異形に向って投げようとした、が物音
  と共に短い悲鳴が聞こえた。思わず音のした方を見ると二人の男女が階段から転げ落ちて
  いるところだった。

  「痛そ〜…」

  二人の様子を見ていればたいした怪我がないのは一目でわかったがストゥリはこの感想を
  言わずにはいられなかったようだ。
  しかし異形がその隙を逃すはずもなく、目の前の少女に向って撓らせた触手をまるで鞭の
  ように振って攻撃をしてきた。

  「しまっ、あう!!」

  その不意うちをストゥリは寸前のところだかわすが死角からとんできたもう別の触手に針
  を持っていた右手を打たれ、針を落としてしまう。続けざまに放たれた触手の連激をなん
  とか短剣で斬り払うが手数の差でとうとう短剣が腕ごと絡め取られてしまった。

  「――!!」

  殺される、そう思った瞬間視界の端に黒い風が映った。

  「さっきのこけてたおねーさん〜!?」

  それは風ではなかったが、まさにカマイタチの様に異形の脚のような部分を斬り払うとつ
  いでにストゥリの腕を絡めていた触手も斬り払っていた。

  「よし、そこのお嬢ちゃん、よく頑張ったな。あとは俺様に任せな」

  そう言い放ったのは転がり落ちた男女の男性のほうで手にした鎌で異形の首の部分をいと
  もあっさりと斬り飛ばした。

  「す、すっご〜い…」

  あっけに取られていたストゥリは短く感嘆の声を漏らしていた。





             インパチェンス              熊猫


  それはおよそ、『生物』と分類するには抵抗を感じずにはいられない、『化け物』だった。 

  体長は大きく、フレアの身長の二倍はあるだろう。
  やたら指の数が多い手のひらだけでも、片手で人間の一人くらいは
  たやすく握りつぶせそうな大きさだ。
  人間の筋肉がむりやり肥大したような不細工な造形で、肌に至っては
  不気味な緑色である。

  隣には、爬虫類系の頭部が黒い血だまりの中で、無造作に転がっていた。
  ずらりと並んだ牙の奥からだらりと舌を落として、頭頂部とおぼしき場所からは
  あの触手がまだ未練たらしく蠢いている。

  首のない死体の向こうには、突っ込んできた時にできたらしい巨大な穴が口を開け、
  奥が見えている。倒れたコート掛けが見えるところからして、
  この宿の主人の部屋なのだろう。

  「こんなの見たこと……魔物…?」

  ひとり呟いてから本体から切り離されてなお、ぐねぐねと
  剣に巻きつこうとしている触手を気味悪げに見下ろして、剣を振って落とす。
  それでも粘液のようなどろっとしたものが刀身についているのを見て、
  フレアが顔をしかめていると、背後から声がかかった。

  「さすが俺の見込んだとおりの腕だ…お嬢ちゃん、今夜、どう?」

  振り向くと、件の金髪男がそつなく前髪をかきわけながら、もう修復すら
  できそうにない酒場のど真ん中を突っ切るように、歩み寄ってきていた。
  今しがた鎌で『化け物』の首を狩ったとは思えないほど、その口調は軽い。
  「どう?」のところで立ち止まり、なにやら斜めに構えてこちらの目をみつめてくるが
  ――意味がわからなくて、呆けた顔でフレアは聞き返した。

  「え?」
  「おねーさんおねーさん!スゴイね!おにーさんもスゴイね!」

  再度突き立った声に会話をぶつ切りにされて、男の顔が笑みのまま固まる。
  声はまだまだ続き、その時にはもう、フレアには声の主がわかっていた。

  「あんなでかいのをズバッって斬っちゃったね!すごーい!」

  ――あの、やたら大騒ぎしていながらも一番初めに『化け物』に斬りかかった少女である。
  両こぶしを握りながら目を輝かせて話す様は、まるで子供である。
  それでも顔の造形を見るかぎり、それほどフレアと歳は離れていなさそうに見えた。

  「チカンかと思ったらただの魔物だったんだね!びっくりしちゃったよ〜」

  彼女はとりあえず、それで言いたい事は言ってしまったようだった。
  にこにこと両手を後ろで組むが、一瞬だけど体を震わせると、やおら
  顔を歪めて座り込んでしまう。

  「…いったぁい」

  見れば、その右手の甲にケロイドのようなものができている。
  打撃のダメージもあるかもしれない。血もわずかに滲んでいて、
  早く手を打たなければならない状況だと素人目にもわかった。

  少女の元にかがみ込んで、そっと右手を取る――「見せて」。

  「きっとあの粘液だ…触手自体が消化器官だったのかも」
  「あぅう…」
  「じっとして」

  もう片方の手のひらを傷の上にかざし、意識を集中させると、
  呪文を唱えながら翳(かざ)した手のひらを回すように、ゆっくり動かす。

  「?」

  呪文を理解できなかったのだろう、少女が小首を傾げている。
  発動した魔術は淡い光を放ち、大粒の雪のように傷を包み込んだ。

  「――よし」

  すべて詠唱し終えた時には、光は傷と一緒に消えていた。
  それを見て、さらに興味深げに少女の目がまるく開く。

  「ぅわぁ〜…」
  「一応、薬を塗っておいた方がいいかな…取ってくる」

  置いてきた荷物の中に薬草入りの軟膏があったのを思い出し、
  早足で階段へと向かう。
  酒場の中には、もう金髪男と少女くらいしかほかに人影はいない。
  宿代は先払い(客がギャンブルで無一文になっても、これならトンズラはない)
  のため気にしなくていいが、きっと今夜にでも備品を盗みに来る者が出るだろう。

  「あ、嬢ちゃん!まださっきの答え聞いてねーよ!…おーい」

  金髪男の横を通り過ぎる時、ようやく硬直の解けた彼の制止がかかったが、
  今はこの宿屋が全壊するまえに自分の荷物と怪我人を
  外に避難させるほうが先だと、フレアは階段に足をかけた。





             オーシャンブルー            魅流


  「ったくしょうがねぇな…」

   まったくアウトオブ眼中なのか、それとも意味がわからなかったのか。
  ウピエルは二階にいってしまった彼女の方をぼーっとながめて、そして、ふと考えた。
  『とりあえず、いつ倒壊するともわからないとこにあまりながながといるわけにもいか
  ねーなぁ』と。

  「というわけでお嬢ちゃん」

   カナリ急激な唐突さでウピエルは最初に化け物と戦い始めてた女の子の方に振り返った。

  「嬢ちゃんはここで逃げる人の手伝いとかやっといてくれるか?」

  「うん、わかったよ〜」

   こくんと頷くのを確認してからウピエルもまた二階を目指して階段を駆け上った。
  ――ちなみに、先ほど暴れたりなかったからもうちょい暴れてこようとかそういう動機で  
  はない。
  違うのだ。違うハズ。違うといーな――

   二階は直撃を受けた一階とは違って、見た目上の変化はあまりなかった。
  ただし、土台が崩壊しかけている所為か限りなく不安定な状態ではあったが。

  「ちっ……けっこー部屋数あるじゃネェか」

   片っ端から部屋に押し入り人がいれば外に逃げるように言って、
  いなければ適当に荷物を持って隣の部屋へ。

  「はたく逃げて〜こっちこっち〜」

   下の階からはさっきの女の子が人を誘導している声が聞こえる。
  どうやら、結構上手くやっているようだ。

   二階の避難作業と荷物の引き上げも順調だった。
  大抵の人間は、階下の大騒ぎに気付いて野次馬と化していたり、とっくに荷物を纏めてで
  ていったりしていたからだ。

  「連れが運悪く瓦礫のしたに埋まっちまったんだ、誰か手伝ってくれ〜」

   下はそれほど順調にもいかないらしい。
  ウピエルはちっと舌打ちして下に戻ろうとした、が、その時。

  「僕にまかせて〜〜〜」

   さっきの女の子の妙に間延びした声と同時に、ごっ!っと岩塊がふっとぶような音がし
  た。
  何をやったかは知らないが、あの子もただもんじゃないらしい。
  ウピエルは苦笑しつつ部屋の探索を再開し、ようやく最後の部屋に辿り着いたのだった。

   ばーんっ!と勢いをつけて扉を蹴り開けるとそこにはさっきの剣士がいた。

  「お、ここにいたのか。早く逃げねーと崩れ…」

   ウピエルがそう言いかけた瞬間、ついに堪え切れなくなった壁が二階を支えることを放
  棄した。
  がくん、と部屋の片方が沈み傾斜が生まれる。
  それはさながら船が沈むときのように、ゆっくりと確実に完全崩壊の時は迫っていた。

   ち、と舌打ちしてギリギリ踏ん張っていたウピエルは窓の方に駆け出した。
  「きゃっ!?」
  同じくなんとかバランスを保っていた少女の体を空いている方の手で無理やり抱きかかえ、
  運良く開いたままだった窓から虚空へとダイブする。

  「おぉりゃああああああああ!」

   片腕には有象無象の荷物郡、もう片方には小柄とはいえ人一人。
  それらを持ち前の怪力――というか馬鹿力でものともせず、
  街灯を蹴り飛ばして位置調整しながら無事、軟着陸。
  したと同時に残りの壁も耐え切れなくなり、ついに宿屋は完全に崩れ去ったのだった。

  「よ、お嬢ちゃん怪我はないかい?」

   おぉぉぉぉぉっという群集のどよめきと月をバックに、
  ウピエルは腕の中の少女にとびっきりのサワヤカスマイルを贈ってみた。
  しかしその後ろでは、自分の城が消え去り、茫然自失となる宿屋のオヤジAが立ち尽くし
  ていたりするのだった。





             クロスオーバー             ケン


  「ねえねえ、おにーさん、おねーさん、お店の一階にいた人は全員外に連れ出したよ〜♪」

  少女が相変わらずの間延びした声でウピエルとフレアに話しかけてきた。

  「そうか、よくがんばったな」

  ウピエルにおろしてもらったフレアがストゥリの頭をなでてやる、それが嬉しいのかスト  
  ゥリは気持ちよさそうにニコニコと微笑んでいる。

  「しかし、あれは何だったんだろうな?」

  ウピエルの当然とも言える疑問にフレアとストゥリは二人して「さあ?」と首をかしげる。

  「それよりさ、それよりさ〜、自己紹介しよ〜」

  「「はあ?」」

  唐突のストゥリの提案に今度はウピエルとフレアが間抜けな声を出す。

  「いいから〜いいから〜、僕はストゥリ・ジェノン、ストゥリって呼んでね、えっとね修
  行中の道化師だよ〜」

  「へ〜お嬢ちゃんはピエロだったのか」

  ウピエルの呟きにストゥリはにこにこしながら答える。

  「うん、自己紹介ってこんな事もわかって結構楽しいでしょ〜♪次はおにーさんね」

  「俺様?…俺様はジグムンド・ウピエル・ギターマン、まあウピエルと呼んでくれ、次は
  嬢ちゃんだな」

  「私はフレア・フィフス、クーロンへ来る予定なんかはなかったんだが、魔術列車ので少
  し遠くまできすぎてね、明日にでも出ようと思ってたんだけど、なにか大変な事に巻きこ
  まれたみたいだな」

  そこまでフレアが言って改めて周りを見ると人々が1ヵ所に集まり警戒をしている。それ
  もそのはずだ異様な気配を放つ生き物が数体宿屋を取り囲む様に包囲しているのだ。

  「ひゃ〜未だあんなにいるよ〜」

  ストゥリが近くにいたフレアにしがみつく。

  「ち、いつのまにこんなに沸いて出てきやがったんだ」

  ウピエルがフレアとストゥリを守る様に前に出る。

  刹那、異形たちの包囲の外側から足音が聞こえてきた。人間にしては重すぎるくらいの足
  音は明らかに走りながら近づいてくる。





             ファイアレッド             熊猫


  もうもうと立ち昇る砂塵と、瓦礫の山。
  その前ではぐったりと、宿屋そっくりの格好で主人がうなだれている。

  「おいオッサン。そんなトコにいたら危ねぇぜ?」

  無遠慮に声を掛けたのは、鎌を――どう見ても普通の草刈り用の鎌を構えた、
  ウピエルだった。それでも、確かにこの場にいては主人どころか
  こちらの身も危ぶまれる。
  野次馬は既に、魔物の群集と化している。向こうでも魔物が出現しているのか、
  悲鳴が絶えない。それに重ねて、さっさと行けよ!と、無責任にウピエルが叱咤しながら  
  も、
  ちゃんと道を作って、宿の主人を向こうに逃がしてやっている。

  「新手…か?」

  腰にストゥリをしがみつかせたまま、フレアはさっきから聞こえる足音の音源をさぐった。
  さっきから響いているこの足音は、周囲にいる化け物より規則的に
  その速度を増している。

  「ひぁああ!」

  それでもそんな事はおかまいなしに、周囲の化け物が無規則に飛び掛ってきた。
  それを見て、ぎゅっとフレアの服を掴んだまま少女――ストゥリが悲鳴をあげるが、
  やはりいまいち緊迫感はない。

  「美しくねぇなぁ。もっとこー、虹色になって光るとか芸はねぇのか?」

  剣を構えるより早く、ウピエルが二本の鎌だけで魔物を打ち倒す。
  襟元には、黒い飛沫が模様のように散っている。
  魔物に対してというより、ストゥリとフレアにむけて余裕たっぷりに笑ってみせる。
  フレアが苦笑いすると、突如静かな声があがった。

  「それでも美しくはならないと思うなぁ…」

  いつからそこに居たのだろうか。

  長身(フレアから見れば、標準を満たしていればみんなそうだが)の青年が
  少し遠いところからこちらを――ウピエルを見ている。
  どこか涼しげな目元、柔らかい茶色の髪に、黒皮の手袋がそぐわない。
  つぶやきが聞こえたのが意外だったのだろう、皆の視線を集めてきょとんとしている。

  そこにいるのに、はっきりとした気配を感じられない違和感がある。
  ウピエルはというと、答えないまま横顔の笑みを強くしていた。

  青年の周囲には、魔物の死体が散らばっていた。その数およそ十数。
  死体は、よほど強い力を受けたに違いない。体に風穴が開き、
  触手が引きちぎられている。急所など関係なく、無骨にただ命の循環を
  ぶつ切りにされている。およそ常人の倒し方ではない。あの青年がやったのだろうか。

  が、それは誤解だった。どうと音を立てて、もう一体死体が増える。

  するとその後ろから、魔物と張り合うことすらできそうな、
  いや魔物より巨大な男が夜の闇から現れた。
  男、と思ったのは漠然としたその大きさからだが、おそらくほぼ間違いあるまい。

  街灯に照らされた、燃えるような赤い人影。
  フードまできっちり被って、顔は見えない。巨体なくせに動きは早かった。
  外套のすそをはためかせながらも、確実に魔物の数を減らしてゆく。
  あー!とストゥリが声を上げて彼を指差すが、声は届いていないようだった。

  この魔物、どうやら『殺戮』という意識のみがもっぱら強いらしく、
  野生動物のようにほかの生物を襲って食べる、という概念は持ち合わせていないらしい。
  現に、宿屋の厨房が崩壊したおかげで転がっている牛肉の塊には、目もくれていない。

  命を奪うまでの過程を楽しむ、まさに魔物だ。

  「くっ…」

  奥歯を噛んで、まだ粘液で濡れる剣を構えると―――
  音もなく、剣に炎がゆらめきながら絡みついた。
  刃についていた粘液も煙と化し、塵と消える。

  闘気――つまりフレアの精神によって出現するこの炎は、
  フレア本人以外の全てに作用する。
  精神を源とするため、水をかけてもフレアが闘争心を失うまでは消えないし、
  フレア自身が素手で触れても熱さはない。
  魔術とはまた違う――『氣』と言っていいだろう。

  「ストゥリ、少しの間手を離してくれ。大丈夫、私が守――」

  炎を纏った剣を正眼に構えつつ、声を低める――と。

  「やー!」

  気合を入れるというよりは抜けさせるような掛け声をかけて、ストゥリが
  魔物に真っ向からむかってゆく。制止しようと体をひねったフレアは、
  擦れ違いざまに少女が見慣れない仮面をかぶっているのを見た。

  ごががががががんっ!

  少女の腕が、易々と魔物を通りの向こうまで吹っ飛ばす。
  一撃で。

  「? なーに?」

  唖然と立ちすくむフレアを見る、仮面を外したストゥリの顔には
  …やはり緊張感はなかった。





            ダークパープル              魅流


   はっきり言って、そこにいたのは雑魚だった。
  片っ端から問答無用に肉片や肉塊へと姿を変じていく。

  「おらおら、ちったぁ抵抗の真似事でもしてみやがれってんだ!」

   正面の異形の首を狙って鎌を叩き込む。
  骨と骨の継ぎ目を通した一撃はあっけなく頸を刎ね、頭部が空を舞い血柱が立つ。
  次の的を探してあたりを見渡すと、
  丁度剣をつかった白スーツのにーちゃんが死神モドキと戦っている所が目に入った。
  たまに消えた様に姿が見えなくなるのは目の錯覚だろうか?

   薙ぎ上げた剣閃が敵の頬骨を砕き、頭に普通なら致命的な損害を与える。
  骨だけで動いてるヤツにどれほど有効かはわからないが、それでもそいつは持っていた大  
  鎌を取り落とした。
  落ちた鎌は始めからそこには何もなかったかのようにすぅっと消えていく。

  「美しくねぇなぁ。もっとこー、虹色になって光るとか芸はねぇのか?」

  「それでも美しくはならないと思うなぁ……」

   一瞬の間をおいて返された答えも尤もだと思う。
  要はあっけなく消えるのが芸がなくて詰つまらんと思っただけの事だったのだから。

  「よしゃ、まだまだ獲物は残ってるな…?」

   満足げに頷いてから、ウピエルは適当に化け物の群れの中に突っ込んでいった。
  途中でかすかに感じた甘い香りがさらに気分を高揚させていく。

   鉤爪を振りかざして迎撃してくるモンスターに「遅ェ!」と一喝して鎌で両断する。
  骸骨剣士のようなヤツの頭に後ろ回蹴りを叩き込んで粉砕する。
  狼男の心の臓を手刀でもって抉り出す。

   肉を裂き骨を砕き命を奪う。
  久々の血臭にウピエルの体は歓喜を以って応えていた。
  次第に鎌を使うのをやめ、素手を使って目を抉り腹を貫き手足を圧し折る比率が増えた。
  大雑把に解体された生き物の成れの果てが残骸として後に残る。
  残り少なくなってきた魔物を負って、それを狩る者達も次第に一箇所に集まっていく。

   ウピエルの蒼かった瞳に少し朱が混じり薄紫になり始めた頃、その異変が起きた。
  壁の向こう側から巻き起こるありえない気配。
  すさまじい膂力を以って怪物を圧倒する怪物が、
  その剣技でもって相手を屠った二人の剣士が、
  謎の仮面の力やトリッキーな動きで敵を翻弄した少女が。

   その異質な気配に圧され緊張をその顔に走らせた。

  「うがあああああああああああああああ!」

   巨漢が吼えて圧倒的な破壊力を内包した鎖が壁を粉々に粉砕する。
  崩れた瓦礫を超えて現れたのは、一人の男だった。
  どうやら巨漢や白スーツのにぃちゃんと知り合いらしく、二言三言言葉を交わしている。

   しばらくして男はなにやら瓶をとりだし、その中の色が変わる所を見せ付けていた。
  ふと横をみてみると、フレアちゃんが頭を抱えて蹲っている。
  ストゥリの嬢ちゃんもウピエルの服のすそをつかんで震えていた。
  そこで、ウピエルの我慢は限界を超えた。

   先刻の気配の影響か、俺様の服のすそをつかんで震えているお嬢ちゃんを小脇に抱えて、
  壁の向こうから現れたヤロウの背後に回りこみ、問答無用に全力でもって蹴り倒そうとし
  てみた。
  並みの人間や生き物なら胴を蹴り潰されて死んでもおかしくはない一撃だが、
  ナマイキにも自分から倒れこむことで避けてくれたので踏みつけに変更することにする。
  男の背中が確かに足の裏にある感触を確かめてから、俺様は口を開いた。

  「おめぇ、こんな街中であんな見境無しな事をしていいと思ってるのか?
   見ろ。あっちのフレアちゃんとかここのお嬢ちゃんとか、こんなにビクビク怯えちまっ
  て可哀想に
   大体俺様達だけだったからまだよかったようなものの、こーゆーのに耐性が付いてネェ
  一般人とかいたら、
   それで死んじまったりとかしたらてめぇどう責任とるってんだ?ぁぁん?」

   俺様の当然なはずの物言いに、なぜか場が凍ったのだった。

   ごほん、と咳払いをしてからウピエルはようやくハインの背中から足を離した。

  「なぁ、そこの白スーツのにいちゃん。ちょいと嬢ちゃん達を移動させるのを手伝っちゃ
  くれねぇか?」

  「うん、わかった」

   二つ返事で了承してくれた茶髪の男と一緒に、
  ウピエルはまだ参ってる様子のフレアとストゥリを別の宿に運ぶのだった。





             ライトグリーン              ケン


  夜空を被い尽くす暗雲は今も大量の雨を降らせていた。結局、移った宿の一番隅とその隣  
  の部屋を取ることにした。しかし今はそのどちらの部屋にも人の姿は無い。


  「あの〜、ごめんなさい」

  ストゥリがおもいっきり恐縮した様子で上目遣いでウピエルを見てくる。
  場所は宿屋の一階の酒場(ここの宿屋も一階が酒場、二階が宿になっているらしい)スト
  ゥリの「お腹へっちゃったね〜」の一言でここにいるわけだが、ストゥリはさっきの騒ぎ
  で財布を何所かに落としたらしく、仕方ないのでウピエルがおごってやる事にしていた。

  「いや、気にするなって言ってるだろ、それに金ならさっきたんまり稼いだしな。ほれ、
  フレアちゃんも何か頼んでも良いんだぜ?」

  苦笑しながらウピエルが隣に座っているフレアにメニューを進める。フレアはそれを1度
  は断ったがウピエルがさらに進めるのでお言葉に甘える事になった。


  「こんばんは」

  運ばれて来た料理をいくらか食した所で聞きなれない声が3人にかけられた。
  視線を移して見るとそこには声の主であろう19〜20くらいに青年が立っていた、身の丈は
  170前後、淡い金髪に金褐色の瞳、整った顔たちにある程度日焼けした肌、服装はよく見
  かける長袖に長ズボンだか黒で統一されていた。この街でまともな人間は三日として生き
  ていけないと言うことはよく聞くがこの好青年的な印象を受ける青年からはどこか安心で
  きる雰囲気がある。

  「こんばんは〜」

  沈黙を破った第一声はラーメンをフーフーと冷ましていたストゥリだった。ストゥリはそ
  のままにこにこして青年の次の言葉を待っている様だ。

  「お前、何もんだ?」

  ウピエルがいくらか探るような口調と目付きで青年に問う。

  「これは失礼しました、私はスオウと申します」

  青年は恭しく頭を下げる、その動作にはいやみさの欠片も無い。

  「で、そのスオウさんが何のようだ?」

  「はい、あなた方の実力を見こんで頼みたい事があるんです」

  それにウピエルは興味深げに笑みを作る、フレアも興味があるらしくスオウの方を見る、
  ストゥリは相変わらずにこにこしている、そんな3人を改めて見まわし、青年は話し始め
  た。

  「この街に異形の魔物が出る事はご存知ですよね?実はそれはある男が実験の失敗で生み
  出した物と言われているんです、あなた方にはその真意を突き止めて、証拠を掴んできて
  もらいたいのです…もちろんそれ相応のお礼は差し上げます」

  「俺様には関係の無い事だけどよ、どうするよ?お嬢ちゃん達」

  ウピエルがフレアとストゥリに話を振る。フレアはフゥと溜息を漏らすと

  「明日には出て行くつもりだったが、このまま立ち去るには気分が悪いしな」

  「えっとね〜、僕も人助けは大切だと思うけど〜?」

  フレアもストゥリも賛成の様だ。

  「いや〜実は俺様もそう思っていた所だったんだ」

  ウピエルがあからさまに合わせるように言う、とりあえず全員が意見一致したことに安心
  した様で青年も微笑んでいる。

  「ところでよ、兄ちゃん。その『ある男』ってのは誰なんだい?」

  「ミスターロバートソンです」





               ダフニ                熊猫         


  「ミスター・ロバートソンです」

  とりあえず、一番端に居たフレアが空の椅子を引くと、スオウは丁寧に
  礼を言って腰掛けた。

  「へぇ」

  ウピエルはにべもない。
  挨拶をされて第一声で、『何者か』と問うような男である。
  鼻から信用していないのは、誰の目にも明らかだ――スオウと名乗った
  この男もきっと、それを承知の上で話しているのだろう。

  「ロバートソンねぇ…あの五大組織の?」
  「えぇ」

  渋い顔で聞き返すウピエルとは対照的に、スオウははきはきと答える。
  スープを一口飲んでから、ストゥリがきょとんとしてウピエルに聞き返す。

  「五大組織?」
  「あー…そのまんまさ。クーロンを仕切ってる五つの組織。そのロバートソン
   てのは、そん中でも上部にいる男だよ」

  やたら漠然な説明だが、ストゥリはそれで満足したらしい。もっとも、
  ウピエルがこれ以上の情報を持っていたとしても、この少女に血生臭い話は
  禁物と踏んだのだろう。

  「でもアンタ、あれだよな?もし俺らがその依頼を受けなかったら
   どうするつもりだった?」
  「…どういう意味でしょうか」

  ふと目の色をかすかに変えて、スオウがフレアを通り越してウピエルを見る。
  ウピエルは彼から目を離さないままグラスの中を飲み干してから、一息に言った。

  「五大組織の――それも上部にいる人間の情報なんか、依頼を受けるかどうか
   わからんヤツに喋っちまっていいのかって聞いてるんだよ」
  「…白状しましょう」

  来たアイスティーには口もつけず、スオウは苦笑してみせた。

  「実は、あなた方をさきほどから観察させていただきました」
  「え…!?」

  驚いて、スオウを見る。しかし男は柔らかに微笑んで、「申し訳ありません」
  と小さく会釈しただけだった。ストゥリもそれなりに驚いたのか、
  箸が止まっている。それでもウピエルは、特になんの反応も見せずに
  ボトルからおかわりを注いでいた。

  「だと思ったぜ。なぁんか気配がしたんだよ。しかも初対面のくせに
  『実力を見こんで』とか言うから変だと思ったんだよな」

  どん、とボトルを置いて――「で?」

  「観察の結果、俺達は絶対に依頼を受けると?」
  「はい」

  スオウはやはり、底の知れない笑顔でなんの根拠もなくうなずく。
  その手元には、水滴に濡れたグラスが小さな水溜りを作っていた。





             ブラッディレッド            魅流


   スオウなる人物との依頼の話が終わり外の雨がやんだ頃を狙って、
  ウピエルは夜の街に散歩に出ていた。

   天空で白く輝く月は真円に限りなく近くもまだそこには至らず、
  薄い雲のヴェールを纏って優しい光を降らしている。
  散歩にでたウピエルの足は、自然と先ほど戦闘を行った区画へと向いていた。
  別段深い意味があったわけではない。
  ただ、他所の街灯などによる騒々しい光を避けていたらそうなっていただけの話。

   化け物が暴れたお陰で人気というものが全くなくなったその領域は、
  この街の中ではありえない程の静謐さを保っていた。
  柔らかい光に照らされる瓦礫たちも身じろぎ一つせずに、ただただその空間に存在してる  
  だけ。

  「……」

   ウピエルは、その瓦礫の一角に腰掛けて空を見上げていた。
  喧騒とは無縁の穏やかな時間が流れていく。
  がらん、と瓦礫が音を立てて崩れた。

             ★☆◆◇†☆★◇◆

   ふと、妙に自分の血が滾っているのを感じるときがある。
  気分が高揚し、目に付く全てを破壊したくなるような衝動に襲われ――
  ここ最近はなかった事だ。一部だけ、冷静な自分が呟いた。
  予測もしていなかった事態…だからこそ、この呟きには愉悦の色が混じる。
  先刻の化け物をぶちのめした時――甘い匂いを嗅いでからまた、自制が効かなくなってい
  る自分がいるのは明白だ。
  蒼いこの瞳が真紅に染まる。新たな血をと輝き叫ぶ。
  いいじゃないか、今夜は祭りだ。さぁ、存分に暴れよう。

   彼は夜の街に解き放たれた。
  己が身を焦がす吸血衝動に心を委ね、月の加護の下に道を征く。

   人気のない場所で彼が目覚めたのは僥倖だったといえるかも知れない。
  結果として、彼が襲ったのは偶然そこを散歩していた不幸な青年一人だった。
  どこかで見たような感じのする青年は、予想より遥かに手ごわかった。
  ただ、人間を狩るだけだったはずがまさか戦闘になるとは。

  「ハハハハハハハハハ!!!」

   可笑しくて嘲笑いが込み上げてくる。
  どこからともなく剣を取り出して斬りかかって来たその一撃を横に跳躍して回避。
  横手から飛び込んで頸を狙うもダーツに阻まれて失敗。
  斬り上げてくるその一撃を体を開いて回避、体勢を元に戻す勢いを借りて腹部に拳を叩き
  込む。

  『殺った!』

   必殺の一撃は、しかし空を切る。
  いつの間にか離れていたところに移動していた青年を、今度は敵と認識することにした。
  人間ではない。むしろ自分により近い存在との遭遇できた喜びで心が震える。
  離れたところに具現化した同胞、もとい敵は、剣を構えなにか言葉を発した。
  音を伝える空気の振動は確かに耳朶に伝わっていた。
  だが、そんなものはどうでもいい。今は言葉なぞ要らない。
  久々に敵に遭えた。その歓喜が胸中の全てを支配するのみだ。

  「さぁ、殺し合おう……」

   瓦礫を足場にして、壁を蹴り屋根の上へ、虚空へ身を躍らせた。
  飛び上がりざまに見下ろせば、すでにの元の場所に敵の姿はない。
  空中に身を躍らせている我、屋根の上にいつの間にか移動している剣士。
  そして飛来する三本のダーツ。
  当たる。
  ――少なくとも投げた本人はそう思っただろう。
  だが、甘い。

  「化け物っ!」

   回避の意識に反応して、体が無数の限りなく小さい水の粒子に分解する。
  今回は青年の叫びがしっかり聞こえた。
  化け物?上等だ。最もアンタに言われる筋合いはないが。
  霧は三本のダーツを素通りさせ、風もないのに敵の背後に収束、ふたたび人型へと姿を変
  える。
  直後に放った掌底は、振り向きかけた青年のわき腹を捕らえそのまま夜空へと押し出す。
  地面に落ちる前に不協和音を遺して消えて行ってしまったから倒せてはいないだろうが。

  「仕留め損ねたか……興が冷めたな」

   相手の逃亡を認識すると同時に、身体の中で荒れ狂っていた炎が消える。
  ウピエルは屋根の上に腰掛け、その蒼い瞳に月を映した。
  再び先ほどと同じ静かな時間。
  しかし炎の余韻は確実に身体の中に残り、
  加えてまたやっちまったという思いがなおいっそうウピエルをぼーっとさせた。

  「さてと…あのおっさん、どうやって諦めさせようかねぁ」

   しばらくしてウピエルはぽつりと呟くと屋根から飛び降り、
  何事もなかったかのように宿への道をたどり始めたのだった。





            フェードダークネス            ケン


  「ここです、この古屋敷の地下にロバートソンの研究室へ続く通路があるんです、もっと  
  も今はもう使われていませんけどね」

  太陽はやや西向き、昼と言えば遅く夕方と言えば早い時刻に怪しく聳え立つ古びた、もう
  何年も人が住んでいないような雰囲気を漂わす屋敷の門をくぐりながらスオウが説明する。
  その後ろをフレア、ウピエル、ストゥリの3人がついてくる。


  「どうやら先客がいるみたいだな」

  錆びれた門を抜けるとそこは雑草が所狭しと生え渡っていたがまだ新しい雑草を踏み分け
  て屋敷の入り口まで続く道が作られていた。

  「おそらく盗賊か何かでしょう、どちらにせよ邪魔する様であれば追い払わなければいけ
  ませんけど」

  しれっと言いのけ、スオウはさっさと入り口まで歩いていく。

  「おいおい…」

  フウッっと溜息をつきながらも後に続くウピエル。

  「お姉さん、どうしたの〜?」

  独特のややまのびした口調でストゥリが立ち止まったフレアに声をかける。

  「え?あ、いや、なんでもない、少し嫌な予感がするだけだから」

  ハッと我に返り自分より少し小さい少女を見下ろしながら答えるフレア。

  「ふ〜ん、でも悪い予感って結構当たるんだよ〜?」

  「心配してくれているのか?ありがとう、でも大丈夫だから」

  まだ心配そうな表情で見つめてくるストゥリの頭をなでてやるフレア。頭をなでられるの
  が好きなのかストゥリは心配そうな表情を一変、気持ちよさそうな笑顔に変える

  「おーい、嬢ちゃんたち、どうした?何かあったのか!?」

  館の入り口でウピエルが顔を出す、どうやらもう屋敷に入っている様だ。

  「ああ、何でもない、今行く」

  「あぁ!待ってよ〜」


  屋敷は見た目より広くはないようだが、肝心なのは屋敷の中ではなく地下だ。
  スオウの後に続き地下への階段がある部屋にまでたどり着くのにさほど時間は掛からなか
  った。

  「さあ、いよいよですよ、私は最後尾を歩かせてもらいます」

  言って一番後ろまで下がるスオウ。

  「あんたは戦わないのか?」

  思いっきり嫌そうな顔をしたウピエルが尋ねるが、答えは予想通りだったかもしれない。

  「ええ、私は肉体労働向きではありませんから、ここですよ、ここ」

  言って自分の頭を人差し指でコンコンとつつく。
  その様子にげんなりして地下への階段を一番初めに降りて行くウピエル、その後をストゥ
  リ、フレア、そしてスオウだ。

  地下通路は予想以上に暗くて狭かった、まあ普通の人の2倍はあろう人物が巨大槍斧を振
  りまわせるほどのスペースはあるのかもしれない。

  「ちょっとまて」

  戦闘を歩くウピエルが後続を停止させる。その瞳は目の前の闇を凝視している。

  「どうしたの?お兄さ…」

  「何かいるぞ」

  ストゥリの口を片手でふさぎ、前方を警戒しながら後ろを振り返り小声で言うウピエル。
  場が一瞬で緊張により張り詰められる、ウピエルは鎌を構え、フレアも柄に手をかけ、ス
  トゥリは奇妙な仮面を取りだす。

  緊張が続く中、その何かは闇から姿を現した。





             バーガンディ              熊猫         


  いつものように柄に手をかけて――ふと気づいて離す。
  通路は狭いが、剣を振るえないこともない。しかし、一人ならまだしも
  この通路には四人も人がいるのだ。ここでは、剣は使えない。

  おぉ…ん・・・

  深い唸り声をあげて、フレアの作った魔術の光に照らされたのは、
  身の丈ほどもある蜘蛛だった。
  明らかに自然界には存在し得ない、黒く硬い外皮、そして鋭い牙を持っている。
  白い縞の走った腹が動いているのを見るだけでも、吐き気がする――

  真っ先に飛び出したのはウピエルだった。もし先頭でなくとも、きっと
  彼は先陣を切ったろうが。

  「後ろからも来ましたね」
  「やだぁ」

  場違いなほどに落ち着いた声で、スオウ。振り向けば、彼の向こうから
  やはり同じ魔物が数匹、近づいてきていた。
  不平を言ったのはストゥリで、逆にこちらはそわそわと落ち着かない素振りを
  見せている。

  「後ろに」

  素直にスオウが後ろに下がる。
  これで、彼とストゥリを挟んで、ウピエルとフレアが
  前と後ろを向いていることになる。

  フレアは魔物に向き直り――ふと思いついて、叫んだ。

  「カウァート!」

  詠唱もない、魔力も込めていない、ただの一言(キーワード)。
  なのに、反応はあった。
  魔物は激しく頭を左右に振って、うなり声を高くさせている。

  (やっぱり)

  確信を得て、今度は本格的に詠唱を始める。背中に、スオウの視線を感じた。
  だが集中力は途切れない。すぐ目の前に来た魔物に、印を結んだ指を
  つきつけて、唱える。

  「アストラ・カウァート!」

  呪文に呼応するように、あの白い縞をなぞるように光の文字が浮かび上がると、
  しゅっと、火の点いた鉄棒を水に入れたような音がして、魔物の体の一部が
  一瞬でえぐられ、灰になる。その灰も、すぐに溶けるようにしてなくなった。

  「? まだ足りない…」

  まだ生きている魔物に一人ごちて、さらに確認するように
  小さい声でもう一言、二言呟く。

  「よし」

  再度同じ印を結んで、今度は魔力をさらに強く流し込む。
  そのまま膝をついてから、冷たい床に印を結んだ指を置く。

  「ペル・アストラ・カウァート」

  フレアの体から肩、腕、指を通って、床に触れた構成は、素早く
  葉脈のように緻密な光の流れを作り上げた。
  流れる呪文に触れた魔物から順に、縞から光をほとばしらせて
  今度はすべてが灰になってゆく。
  あとは骨さえ残らず、フレアの眼前の魔物は消えた。

  ・・・★・・・

  「さっきみたいな魔物は、人工のものなんだろう?」

  自分の声が反響しているのを感じながら、歩く。
  まだ通路は続いている。ここはよほど深いところにあるのだろうが、
  空気は薄れない。

  「あれだけたくさんの生物の要素をかけあわせるには、『つなぎ』の魔術
  が必要なんだ。さっきは、その『つなぎ』を取り除いただけ…」
  「そんな呪文があるの?」

  とびきり目をまるくして、ストゥリが聞き返してくる――「すっごい!」
  その感嘆の声を聞いて、はにかむ。

  「即興で作ってみたけど、うまくいった」
  「即興?凄いじゃん」

  ストゥリ越しに振り返ってくるウピエルにまで褒められて、さらに
  頬が紅潮する。褒められるのは慣れていない。

  「それほど難しいスペルを使っているわけでもなかったし、その…」

  弁解するように説明するが、すぐに後が続かなくなる。
  結局、頬を掻いてこう言うほかない。

  「いや…その…ありがとう」

  耳まで赤くなりながら、フレアはあさっての方向を向いた。





             カーマイン               魅流


  正面に敵に敵がいる。
  把握したときにはもう身体が動いていた。
  この程度の広さがあれば、まぁ、手持ちの鎌とかなら余裕で扱える。
  素手の方が楽は楽だろうが、生憎毒をもってるかもしれない敵に素手で挑むほど愚かでも  
  ない。
  そして、姿勢は低いし間合いは広い。動きだってトリッキーでしかも素早い。
  巨大化した蜘蛛というものに近接武器で挑むほどウピエルは馬鹿でも闘いに不慣れという
  わけでもない。

   懐から指の又に挟んでナイフを3本抜き放つ。
  柄が極端に短く、前に重心が行くように作った投げ専用ナイフ。
  放った閃きは寸分もたがわず腹、節、胸頭部を貫き的の動きを停止させた。

  「ったく。面白くもなんともネェじゃねーか」

   呟いて明るい光に振り向いて見ると、
  ちょうどフレアが残りを纏めて滅しているところだった。

        ◆◇★☆†◇◆☆★

   屋敷の地下。
  薄暗く湿っぽいそこを、群がる魔物の群れをなぎ倒しながら進む。
  フレアの”魔法”は凄かった。
  どんな相手が来ようと、マトモに相手をしないですむ。
  ウピエルが、あるいはストゥリが。
  前衛にたって魔物を引き付け、フレアが殲滅。
  危なげもなく、どんどん奥へとはいっていけた。
  しばらく歩いた後。

  「あれ、水の音が聞こえる…?」

   ストゥリの発言に、立ち止まり耳を澄ませる一同。
  通路の先から、確かに水が流れるような音が響いてくる。

  「下水道…?」

   壁に、とてつもなく乱暴な力でむりやり開けられたような穴が数個、空いていた。
  辺りには漂う薬品のような臭い、穴の空いた辺りはちょうど部屋のようになっていて、
  ガラスのポッドらしきものや、魔法陣を表紙に抱く本などいかにもな雰囲気が漂っている。

  「どうやら、ここが製造工場の一部と見て間違いなさそうですね……」

   辺りを調べながら、依頼人――スオウが呟いた。
  フレアとストゥリも、興味深げにおいてある本を広げてみたりとかしているようだ。

  「ふぅん…ま、いいけどヨ。前に三人歩いてるぜ?
   一人は結構重量級だろうなぁ」

   できるだけ下水を見ないように。
  入って来た方から部屋を挟んで反対側、
  そこにある暗い三叉通路の一本を指して、ウピエルがボソっと言う。

  「どうしてそれが?」

   顔にハテナマークを浮かべて問う自称頭脳労働担当者に呆れながら、ウピエルは床を指
  差した。
  そこには特になにもなく、敢えて言うのなら床の埃が乱れているだけ。

  「そこに、人三人通った跡があるだろ?」

   本当は、足音を聞き振動を感じただけだが、他のメンバーに自分が吸血鬼であることは
  あかしてない。
  怪しまれるのもアレなので、とりあえず適当な言い訳をでっちあげたウピエルであった。





            アオミドロ色               ケン


  「ふぇ〜3人も人が居るの?」

  やや間抜けな感嘆の呟きをもらたストゥリが額に手を当てて遠くを見る仕草をする、もち  
  ろんそれで見えるはずもないが

  「とりあえず、先に進みましょう、そいつ等が邪魔をする様ならば排除を頼みますよ」

  相変わらずのポーカーフェイスで言ってのけるスオウをウピエルはじろりと睨む、その視
  線に気付いていない筈はないのにスオウはすました顔をしている。

  薬品のような物が置かれている部屋を出て少し進んだ時、先頭を行くウピエルが立ち止ま
  り、顔を歪める。四人を待ち構えていたのは通路いっぱいに汚水が溜まった下水道だった。
  深さはだいたい普通の人間の腰くらいだろうが背の低いフレアやストゥリには辛いかもし
  れない。

  「ここを通らないといけないのか?」

  聞かなくても一本道なのだから通らなくてはならない事はわかっているのだろう、そう言
  ったフレアの顔は諦めかけている。

  「はい、道は一本ですからね、どうしました?早く進んでください」

  そんな雰囲気を知ってかし知らずかわざとかスオウは落ち着き払って言いのける。

  「あのな〜お前もう少し人の事を…」

  「はいは〜い!僕にいい考えがあるよ〜」

  とうとうウピエルが不平を言い出そうとした時、やや間延びした独特の口調で紫紺色の髪
  をした少女が名乗りをあげる。

  「「ストゥリ?」」

  フレアとウピエルがほぼ同時に彼女の名前を口にする、スオウは黙って事の成り行きを見
  ているだけだ。

  皆が見つめる中、ストゥリは手を空中に泳がす、その軌跡を光りの帯が辿る、どうやら魔
  法陣を描いている様だ。魔方陣を描き終わったストゥリは何かをぼそぼそと呟く、すると
  魔方陣から放たれた光がストゥリ、ウピエル、フレア、スオウの四人を包む。

  「レーク」

  いつもの間延びした独特の口調ではなく、何所か神秘めいた透き通る声が聞こえたかと思
  うと光りは消え、辺りは元の静けさに戻る。

  「…どうなったんだ?」

  いまいちぱっとしないウピエルを見上げてニコリと笑ったストゥリはそのまま汚水の溜ま
  った通路に向ってピョンっと跳躍した。

  「「「!!?」」」

  3人がそろって口を開いたが言葉が出なかった、ドボンと音を立てて汚水を飛び散らせて
  沈むとばかり思っていた3人が目の当たりにしたのは水面を歩く紫紺色の髪の少女…

  「そういう事ですか」

  珍しく硬直していたスオウが頷くとストゥリと同じように水面を歩く、それをニコニコと
  見つめるストゥリを見比べフレアもウピエルもようやく理解し、水面に立つ。

  「こんな事も出きるのか、ストゥリ」

  「えへへ〜すごいでしょ〜」

  僅かな感嘆の色を混ぜてフレアが言う、それをストゥリは相変わらずのニコニコ笑顔で受
  ける。

  「先にいる奴等は苦労して渡ったんだろうな」

  「まだ先は長いですよ、急ぎましょう」

  くくっと含み笑いするウピエルをスオウがたしなめる様にさえぎる、これにまたウピエル
  が眉を歪めるがスオウの言ったとおりに、まだまだ先は闇に包まれていた。





             ディープレッド             熊猫         


  汚水は、昨日の雨の影響だろう、意外と早い流れで足の下を通り過ぎてゆく。
  それでも、やはり立ち込める異臭が鼻を突いた。
  あと数分もここにはいられないだろう。できれば今すぐにでもここを抜けたかったが。

  足元には汚水。その上を歩いている自分。
  ストゥリの魔術を信用しないわけではないが、次の一歩で足が沈むのではないかという
  不安に駆られる。そう思いながら、また一歩。
  自然とフレアはスオウにも通り越されて、列の最後尾に回っていた。

  平然と見えない道を歩く3人の背中を見やりながら、うんざりと認める。

  (早くここを出たいのは皆同じか…)

  足音はない――これはフレアが勝手に想像したのだが、ストゥリは
  水と反発する結界を張ったのではないだろうか。
  無論、高度な術であり、生半可な者がそうやすやすと行使できるものではない。
  ウピエルといい、この少女といい、謎が多すぎる。

  円柱を縦に切ったような下水道を、白い清浄な光が照らす。
  皆この悪臭に平伏しているのか、ほぼ無言である。その中で、ウピエルが声を漏らした。

  「なんか明るいな…」

  返事をせずに、目を細めて前方に注意を傾ける。
  おかげで一瞬だけ、臭いを忘れることができた。
  だがこちらの光が強すぎて見えない。「消すぞ」とだけ言ってから、魔術の光を消す。
  歩きながら数メートル先に目をこらすと、確かに光がある。
  だが、おおっぴらに広がっているわけではない。細い糸のような光が、横に走っている。
  すきまから、光が漏れているらしいのだ。

  「扉…でしょうか」
  「つうかダストシュートに近いんじゃねぇのかな――にしても、早く行こうぜ」

  スオウとウピエルの言葉に、ストゥリの声が闇に割って入る。

  「開くのかなぁ?」
  「開かなかったら自力で開けるまでさ」

  ふん、とウピエルが鼻で笑ったらしい。そうだねー、と無責任にストゥリが
  同意する。途端、ばくんと音がして、たった今目星をつけた場所が四角く開いた。
  入ってきた光はそれほど強いものでもなかったが、それでも闇に慣れていた
  フレアの目を少し焼く。少し、あたりの情景が復活した。

  どちゃり…

  重いものが動く音。逆光のせいでシルエットしか見えないが、とにかく
  自分と同じ、もしくは自分より巨大な“もの”だろうということはわかった。

  「ったくよう」

  せりふとは裏腹に、嬉々としたウピエル。彼が時折見せる、こういった
  表情がフレアは正直怖かった。
  誰も指摘しなかったが、フレアは再度光を生み出した。さきほどとくらべて
  少々小さいが、十分にシルエットの正体を知ることが出来た。

  妙に頭の大きな、目のないとかげ――
  とはいってもかなり不完全なもので、ゼリー状の汚水がそう見える
  と言うだけに過ぎない。
  申し訳程度についた、短い手足には水かきがついている。
  この大きさでは、あのダストシュートを抜け出ることはできないはずなのだが、
  思うにこの魔物、体が柔らかすぎるのだろう。それを利用して、
  この小さな穴から抜け出したに違いない。

  光に驚いたのか、とかげは一瞬たじろぐようにして動きを止める。

  「参ったな」

  額に手のひらをあてて、ウピエル。確かに、彼の鎌がいくら冴えても
  この液体に近いとかげは倒せないだろう。
  さっと、頼るようにこちらを向いてくる彼に、しかしフレアはかぶりを振った。
  このままでは、そろそろ体力も危ない。

  「すまない…さっきから立て続けに魔術を使ったせいで、あまり魔力が残っていない。
   休めば…大丈夫だが」
  「そんな〜」

  ならばストゥリが変わればいいのだが、生憎ストゥリは魔術で足場を作っていて、
  手が塞がっている。
  まさに、なす術がない。すると――

  とぷん

  まるで下水に溶けるようにして、とかげが入水する。激しく水しぶきを
  立てられた方が、まだ逃げる心構えもできる。不気味だった。
  つつー…と見えない糸で引っ張られるように、波が立つ。
  水流とあいまって、かなりの速さだ。

  「引き返すしかねぇな」

  あっさりとウピエルが肩をすくめる。スオウは特に表情を作らなかったが、
  静かに警告を発した。

  「追ってきますね」
  「走るぞ。やっこさん、水の中じゃ速いみてぇだから」





            ウルトラマリン              魅流


   全員が、走った。
  先に見える光、つまりはこの競争を終わらせられる唯一のゴールに向けて。
  追跡者は素早く静かに水の中。
  獲物を狙うハンターのように、慎重にかつ大胆に迫ってくる。

  「ええぃ、うっとおしい!!」

   立ち止まって、下水の水を経由した物理攻撃を蹴り飛ばしながらウピエルが毒づいた。
  水の上に立てるストゥリの魔法が効いているおかげで、
  足の裏を使っての蹴りなら敵の攻撃を無効化できる。
  ただ、打つ手がないのもまた事実。

   他の三人が無事地下室まで逃げ切るのを確認してから、
  ウピエルも最後に一蹴りいれて、その反動で跳んで出口を目指す。
  ズズズ、と下水の水を持ち上げて化け物が反撃にかかった。
  反射的にもう一度蹴ろうとし――あえて横の壁に目標を変更してもう一度跳躍。
  空中で体を捻ってモンスターの方に向き合うときには手に投げナイフを握っていた。

   先ほどの対蜘蛛に使ったソレとは微妙にディティールの異なる銀の閃きは、
  しかしやはり敵を仕留めることはかなわず、とぷんとその汚水の体の中に消えていった。
  そして大穴のふちをつかんで強引に体を部屋の方に押し込む。

  「さて、どうするんですか?」

   先に辿り着いていた三人はもう戦闘の準備を終えていた。
  どうする?と目で問うフレアを手で制して、ウピエルは声を上げた。

  「目覚めろ、土葬式典!!!」

   カッと光が丁度姿を見せた怪物の液状な体の中から迸る。
  同時に魔物の頭上近辺の天井が上の階に影響が出ない程度に崩壊、
  瓦礫の雨が化け物の体をつき抜け、穴を埋めた。

          ★☆◆◇†☆★◇◆

   化け物を壁の向こうに封印した後、俺様たちはこの地下室でしばしの休憩をとることに  
  した。
  そこそこに広さは確保された部屋で、各自が思い思いに休んでいる。
  ただ、あのくそムカつく依頼人だけはあっちこっちに転がってる本をひっくりかえして埃
  を撒き散らしていた。

  「あれ〜、なんか光がみえるよー?」

   嬢ちゃんの声が異変を告げた。
  三叉路の一本から、やや暗い光の線が延びている。
  辺りを照らすように動きながら、だんだんと光源が近づいてきやがるのが容易に見て取れ
  た。
  ――まさか、そういう化け物までいるのか?
  自分の胸のうちに沸いてでた思いを、苦笑とともに否定した。
  たしかに無茶な生物が多いのは事実でも、照明係なんてわざわざつくりゃあしねぇだろ…
  と。
  やがて、廊下の暗闇からでてきたのはよく見知った顔だった。

  「……よく会うね」

   にこにこと笑みを浮かべながら、昨日戦った青年が現れた。

  「こんなところで何してるの?」

   それは、こちらの台詞だ、と内心つぶやく。
  ちなみに、和やかな口調で問う彼からは、殺意とは言わないまでも敵意を感じる。
  表情からは、ほとんど分からないくらい微かなものだが。
  どうやら間違いなく昨夜の男らしい。
  ここで第二回戦ってのも悪くないが…さて。

   がらん、と音を立てて石ころが床に落ちた。
  人が三人、こちらに向かってくる気配。

  「ヤレヤレ…なんでこんな場所でこんなに人と出くわすんだろうな。なぁ?」

   ちょっと皮肉を込めて依頼人に視線を送る。
  ますます近づく人の気配、壁に広がる黒い染み、目の前の好敵手。
  フレアちゃんを見てみた。壁の方に気づいてるな。
  ストゥリのお嬢ちゃんも同じく。どうするの〜?って言葉が聞こえてくるような仕草があ
  りありと。

   ビシっと未開拓の三本目の通路を指差す。
  次の瞬間、同時に嬢ちゃん二人組を抱えて俺様は突っ走った。
  「なっ!?」とか「えっ!?」という声が二人から漏れるがとりあえず放置。
  背後から、ついには瓦礫が押しのけられる音が聞こえたのは丁度三叉路の手前に辿り着い
  たころだった。

  「お前さんにも聞きたい事があるんでな。来てもらうぜっ!」

   フレアちゃんを背中に移して、光源を持って立ち尽くすにーちゃんを腕に。
  そのまま三本目の道を先に進む。
  道に入る直前、音を聞きつけたのかこちらに駆けて来る足音が聞こえた。
  ――まぁ、ガンバれ。俺様達は先にこっちの探索をやらせてもらうからよ。
  不幸な三人組に心の中で声援を送って、俺様は暗い闇の道をとりあえず適当なところまで
  走り抜けることにした。





                碧                ケン


  「やっぱり生きていやがったか…」

  言葉とは裏腹にレイヴンは悪戯っぽく笑いながら四人+ライの消えて行った通路を眺める。

  「それよりどうする?あいつ等、ライをさらって行ったぞ」

  「追いかけるぞ、ライの情報も欲しいが今の奴等にも色々聞きたい事がある」

  あくまで人事の様に尋ねるハインにロバートソンがノータイムで答える、それを待ってい  
  たかのようにレイヴンはニヤリと不適に笑う。

  「よし、それじゃちょっと飛ばすぜ、あいつ等結構とんでもない早さで移動しているから
  な」

  そう言うと右にハイン、左にロバートソンを抱え込むとそれこそ彼の巨躯からは信じられ
  ない程のスピードで四人+ライの後を追って疾走し始めた、どういう走り方をしているの
  か足音すらたてずにだ。


  *  * * * * * * * * *


  狭くも広くもない通路をウピエルは3人を抱えて半ば滑走気味に走っていた。自称頭脳労
  働者のスオウは相変わらずの澄ました顔でそれでもウピエルに遅れることなくついてきて
  いる。
  辺りはライの放つ光源に僅かに照らされて5メートル先が少し見える程度だ、背中のフレ
  アは緊張しているのか身体を硬くして逆にストゥリはこの状況を楽しんでいるのかにこに
  ことまったく緊張していないみたい様子だ、ライはされるがままに空気の流れに忠実にな
  ぞってほぼ地面と平行の体位をしている。


  「ねえ、そろそろいいんじゃない?」

  5、6分走ったところでライが不満げに見上げる。

  「じゃあちょっくら休憩とするか」

  雑にライを放り投げストゥリをちょこんと地面に置き、フレアを優しく優しく降ろす。

  「なんなんだよ、この差は」

  ボテっと地面に不時着しライがさっきよりも不満で仕方がないといった顔でウピエルを見
  上げる。

  「みりゃわかるだろ」

  「差別だ」

  「区別だよ」

  「どうでも良いですが魔物の気配がありますよ、気付いてますか?」

  不適に笑いながら答えるウピエルにライはますます機嫌を損ない膨れっ面になる、しかし
  そんな面白おかしい雰囲気もスオウの一言で一瞬にして場に緊張が戻る。

  『ケケ』

  奇妙な耳障りな笑い声のようなものが聞こえたかと思ったら物凄い勢いでソレは出てきた。
  無数の腕を持ち、肌色の体表をした異形、先ほどライが出会った奴か、それとどうタイプ
  の化物だ。とっさに動いたウピエルが鎌を一閃する、しかし異形は有り得ない角度に体を
  ねじり人間のような顔の口を大きく開き長い舌で鎌に巻きついてきた。途端に鎌が見るか
  らに切れ味悪そうななまくらに姿を変える。

  「てめぇ!よくも俺様の鎌を」

  切れ味割るそうな鎌を手放し、何所からともなく取り出した別の鎌で切りつけるが異形は
  またしても体をねじり素早く地面に着地し攻撃をかわすと同時に両足で蹴って飛びあがり
  そのままドロップキックよろしく蹴りこんできた、それをウピエルは鎌で防御するが、全
  体中をかけた蹴りの勢いは消せずそのまま後ろによろめく、それを逃さず異形は口を大き
  く開けウピエルに飛びかかろうとしたがバック宙をしながら後方に下がる。先ほどまで異
  形が居た所には見なれない剣が突き刺さっていた。

  「ふぅ、危なかったね」

  剣を抜きながらライが誰に言う風でもなく呟く、それを怪訝そうな顔で見つめるウピエル。

  「なんのつもりだ?」

  「別に、ただカリを作っておくのも面白いと思ってね」

  それにウピエルは舌打ちするが楽しそうに口元を吊り上げる、ライもその様子を見て笑み
  を浮かべる。

  「とりあえず、こいつを葬ろうよ」

  「ああ、賛成だ」

  剣を形無しに構えるライと両手に鎌を持ったウピエルが眼前の異形に狙いさまし飛びかか
  った。





             イノセンス               熊猫         


  ぽた、ぽた、と、水滴がしたたり落ちている音がする。

  ライと名乗っただけの青年は、昨日会った時よりもずっと幼く見えた。
  それは表情のせいだったのか、ただ単に光の加減だったのかわからないが。

  「あーあ、いつまでこんな辛気臭ェとこにいなきゃいけねえんだ?」

  鎌を振って、ウピエルが血を――にしては少し色が違うようだが――落とす。
  さらにわだかまった肉塊を、通路の隅に靴で押しのけてから、ついた汚れを
  壁になすりつけて落としている。

  「ていうか…なんだかよくわかんないままラチられたから
   道とか忘れちゃったんだけど」
  「そりゃ失礼」

  顔は穏やかだが剣呑な雰囲気を纏った青年に、だがウピエルはふっと笑って、
  肩をすくめてそう言っただけだった。
  柔らかい色の茶髪ごしの目が、さらに半眼になる。

  「…何だっていうのさ」

  憮然とした面持ちで、青年が――これほど拗ねられるとまるで少年だが――
  手を止める。
  こぶしを握ったのだろう、きゅ、と、黒革の手袋が音を立てた。
  この薄暗さで見ると、まるで手がないように見えてしまう。

  彼はそのまますっと、こちらまで足音も無く後退して、

  「どうでもいいけど、先に行ってくんない?」

  と、人事のように(実際そうなのだろうが)言う。
  鎌を収めて、苦笑しつつウピエルが腰に手を当てる――「わーったよ」
  フレアがそちらをちょっと見て、ライに目を戻したときには、彼が
  手に持っていたはずの剣がなくなっている。
  鞘もなかった――そもそも、いつ抜いた?

  だが、フレアが疑問を掘り下げるより先に、全員が異変を感じていた。

  答えをさぐるようにして、ライの持っているライトが、弱々しい光で天井を照らす。
  フレアも魔術の光を、光の輪に重ねるようにして上に移動させた。

  「このあたりだけヒビが入ってる…危ないね」

  誰に対していったという訳でもないだろうが、ライが呟く。
  見れば、確かに天井だけではなく、壁にも床にまで、蜘蛛の巣状に
  些細なひびが入っている。

  それ以外は特に、なにもない。
  だが、何かが起こるような気がする。

  天井を見上げているライの服の襟元に、花粉のような粉がついていた。
  ふと思い立ち、彼の首筋に鼻を近づけて、すっ、と嗅いでみる。
  そんな事されれば誰しもそうだろうが、あごを引いてライがたじろいだ。

  「な、何」
  「この匂い…」

  ライは息を止めているのか、彼の口元に近づいているフレアの髪は揺れなかった。

  ――香水などという、洒落た上品な匂いではない。
  忘れもしない、あの強烈な芳香。

  ぴっ

  ことばを続ける為にライから身体を離そうとした瞬間、不意に無数の
  小さな破壊音が鼓膜を叩いた。

  振り向くと同時――壁が崩れてこちらへ迫ってくるのが見えた。
  普通の崩れ方ではない。まるで壁の向こうから強い力が加わったような。

  どすっ――
  のしかかってきた壁の一部らしい硬いものに背中を痛打されて、
  フレアは足をふらつかせた。

  ひときわ、甘い香りが濃くなる。

  ライトの光も魔術の光も塗りつぶされて。
  闇が、落ちた。

  「ぅわっ」

  誰かの声があがる。できれば自分も悲鳴を上げたかったが、
  砂埃に巻かれてそれもできない。
  向こうで、破砕音に混じってストゥリとウピエルのものらしい声が聞こえた。
  こんな時に、今更ながら、スオウの姿がなかったことに気づく。

  墨の中を潜っているような心持で、フレアは立ち上がろうとして――
  なにかに足を引っ張られて転倒した。

  「な…?」

  混乱してはいたが、どうやら奇妙な根のようなものが、自分の足に
  絡み付いているのだという事は理解できた。
  中に誰かの手が入っているのではないかと思えるほどにその力は強く、
  意思を持っているかのように、確実にフレアの動きを奪ってゆく。

  みしみしと、何かが軋む音が狭い通路に反響する。

  手をついた所にも、瓦礫の間を這うようにして、蔦のようなものが
  蠢いているのがわかる。それを思い切り振り払って、まだ回復しきっていない
  魔力で光を練り出す。

  「グラニオン!」

  不十分な明かりの中で見た光景は、さきほどの光景とは全く違っていた。

  崩壊した壁の規模は意外と大きく、瓦礫があたりに散乱している。
  もっとも特筆すべき点は、皆が歩いてきた道が巨大などす黒いもので
  塞がれていたことだった。巨木のようながさがさした表皮に、
  触ったら指にその色がつきそうなぐらい鮮やかなピンクの花が
  咲き乱れている。

  びっちりと蔦で埋もれた通路は、完全にもと来た道を塞いでいるようだ。

  なぜか蔦はフレアとライの周りを――いや、明らかにライを中心に広がっていた。
  壁の損傷も、彼の所だけ特にひどい。
  それでもライが無傷なのが、ひどく滑稽に見える。

  「おいっ」

  向こうで、ウピエルが立っている。彼とこちらの間にも、太い蔦が
  一本、通路を横一直線に貫いていた。これだけの威力を持った生きている槍に、
  闇の中で誰も串刺しにされなかったのが不思議なくらいである。
  それでもウピエルとストゥリには、なんら影響はない。
  少し離れたところにいたので、フレアのようにとばっちりを食らわなかったらしい。

  一番の失策は剣を落とした事だった――壁が崩れた際に手放してしまったのだろう、
  すぐそこにあるのに、届かない。

  蔦は、既に首にも腕にも巻きついていた。

  「く…っ」

  伸ばした手は、笑いを誘うほど細くて。

  むせかえるような甘い匂いが、締められているはずの喉の奥まで漂ってくる。
  甘い、頭の芯をとろかすような香り。
  無理矢理みせられたあの――悪夢を見たあとに嗅いだ匂い。


  今だって、悪夢を見ているには違いないのだが。





            ロイヤルブルー              魅流


   チッっと思わず舌打ちが毀れた。
  状況は最悪ってのが可愛く思えるくらい最悪だ。

  「嬢ちゃんはソコで待ってな!」

   一声掛けて鎌を持ち、飛び出す。

  「邪魔するヤツぁ俺様に斬られて三途の河だっ!!」

   ま、これ全部1株の植物だったらとても葬りきれネェんだけどよ。
  わらわら沸いてくるのを片っ端から斬り飛ばして奥へ進む。
  謎の樹液の所為で切れ味鈍くなった鎌を放り投げ、やや太めのヤツを殴り飛ばし。
  まったく、人間ってヤツぁ無節操に自分の手がおよばねぇようなモン作り出しやがって…  
  なんて一人ごちて見る。自分が創ったモンくらいは責任もちやがれってんだ。
  殴り飛ばしたヤツのむこうにようやくフレアちゃんの姿を確認する。

  「何やってくれてんだテメェ!!」

   生意気にも人間様捕まえて首絞めるなんて真似してくれてるヤツを力技で引き剥がす。
  可哀想に、酸欠でフレアちゃんは意識がトンじまっていた。
  ここから無事に戻らなきゃいけねぇわけだが――さて。

  「……ん?」

   心なしかこいつら動きが鈍くなったか…?
  悩んでいてもしょうがない、フレアちゃんは腋に抱え、彼女の剣も回収して見た感じに敵
  が薄い所を一気に突破する!

   動きが相当鈍っていたのと、行きにノリで余計なのまで斬り飛ばしておいたお陰で帰り
  はカナリ楽に進む事が出来た。

  「っと」

   通り抜けてから見ると、太い蔦を始め、かなりのヤツが白く凍り付いている。
  さすがにベースの性質までは変えられないらしく、冷気に弱いらしい。

  「ありゃ嬢ちゃんがやったかい?」

  「うん、すごいでしょ〜」

  「おう、グッジョブだ」

   ビシ、と親指を立てる。彼女もそれを立て返してくるのを確認して、

  「…そーいやあのにーちゃんはどうした?」

  「ここにいるよ」

   位置的に巻き添えを食らってたハズだが、自力で抜け出してきたらしい。ま、こんなト
  コにいるだけにそれなりに力はある…ってぇコトか。
  あの騒ぎの中壊さなかったのか、ライトが再び光をもたらし、俺様達はとりあえずそこか
  ら離れることにした。





           ペパーミントグリーン            ケン


   蔦に通路を塞がれ、もと来た道を戻らないといけなくなりました。
   真中を汚水が流れその両脇のせまい道をウピエルのお兄さんとフレアのお姉さんとラ
  イ?のお兄さんが一列になって進んでいます。
   あたしはちょっと離れて水の上をとぼとぼと歩いていました。
   癖でした。考え事をしていると、こうして水のある場所に行きたくなる。

  ―――上の町に出てきた怪物も、さっきの変な植物も、みんな人間が作り出した物なんだ  
  …―――

   そう考えると少し悲しい気持ちになるのはなんでかな…あたしも人だからかな……

   すぐ下の汚水の中を何かの動物の死体や骨が流れて行きました。
   それに混ざって、多分人間が捨てたモノだと思う色々なものが流がれています。

  「嬢ちゃん、あんまり離れるんじゃねぇそ」

   ぼ〜っとそれらを眺めていると、ウピエルのお兄さんの声が聞こえました。
   見ると随分前方にライ?のお兄さんの持っている明りが見えます。
   どうやら考え事をしている内に取り残されそうになっていたみたいです。

  「あ、ごめんなさ〜い」

   こんなところに取り残されると多分心細くて泣いていたかもしれません。
   気づいてくれたウピエルのお兄さんに心から感謝しました。

   あたしが追いついてきたのを確認すると、3人は再び歩き出しました。もちろん、今度
  は遅れない様に気を付けながら後を付いて行きました。


  「…ねぇ、お兄さん」

   最後尾を歩いているウピエルのお兄さんが「ん?」と首をかしげながらこっちを見てき
  ました。
   声をかけていてなんだけど、なぜか後が続かず「ぅ〜…」と俯き、目を中に泳がせまし
  た。

  「どうした、トイレかい?」

   俯いてしまったあたしをしばらく見つめていたお兄さんは冗談っぽい口調でそう言って
  来ました。

  「ち、違うよ!」

   思わず顔を上げて否定しました。顔、真っ赤になっていたかもしれません。
   するとお兄さんは優しい笑みを浮かべてあたしの頭を撫でました。

  「ならどうしたんだ?」

   まるで子供をたしなめるようなその仕草に「子供じゃないもん」と心の中ではぶててみ
  せたけど、頭を撫でられるこの感触はすっごく気持ち良くて…思わず顔がほころんできち
  ゃって…

  「ほれ、言わねぇとわからねぇだろ?」

  「……ぅ〜…笑わない?」

   その言葉にお兄さんは「ふふ」と含み笑いをしました。

  「笑わねぇよ」

   ―――今笑ってたのに―――

   そう思ったけど、お兄さんはもうしっかり聞く体制で、それにこれ以上もたもたしてい
  ると言う機械を無くしちゃうかもしれないから…

  「あのね、人って、本当は凄く、凄く奇麗な物を作り出せるんだよ。噴水とか美味しい食
  べ物とかピエロの小物とか沢山沢山」

   身振り手振りを加えてそこまで言って

  「でも、あんな魔物も作ってる…あたし、どっちが人間の本当の姿なのか、分からなくな
  っちゃって……でも、奇麗な噴水とか作ってるのが本当の人間なんだって、信じたいんだ
  けど、ダメ…なのかな、あたし…だって、ここの水、すっごく汚れてて、泣いてるんだ、
  怒ってるんだ、ここの水…ここをこんなにしたのも人間なんだよね…」

   あたし自身何を言っているのか分からなくなってしまいました。
   無言で聞いていたウピエルのお兄さんはしばらく黙っていたけど

  「あのな、お嬢ちゃん…」

   しばらくしてゆっくりと口を開いたお兄さんの言葉をあたしが手を出して遮りました。

  「来る、来るよ。お兄さん、お姉さん!」

   あたしが大声を張り上げた瞬間、辺りに緊張が走るのを感じました。

  「どこから!?」

   先頭を歩いていたライ?のお兄さんが前方を照らしながら言いました。前方はずっと先
  まで闇に閉ざされ、後方も同じでした。

  「水中から、とびっきり大きいよ!」

   そう、あたしは水の上にいたお蔭で、そのざわめきを感じ取り何かの接近をいち早く感
  じ取る事ができたのです。

  「ここで戦うのは足場が悪い。嬢ちゃん、俺達に水面移動できる呪文をかけてくれ!」

  「うん、分かってる」

   ウピエルのお兄さんに言われる前に、あたしは手を空中に泳がし、魔法陣を描きました。

  「レーク」

   魔方陣を描き終わり呪文を唱えると魔方陣から放たれた光が一瞬ウピエルのお兄さん達
  を包みました。
   と、同時に、あたしの目の前の汚水が飛び散り中か巨大な物が飛び出して来ました。

   巨大な百足のような胴体に人間のような顔を持った怪物。
 
   その姿を見たフレアのお姉さんが「う」と呻き声を上げるのがしかいの隅に映りました。
   その顔が口をあけると人間とは思えないような牙が生えていて…

  「うわ!」

   その百足が先頭にいたライ?のお兄さんに向かって飛びかかって行きました。

  「ちっ」

   舌打ちと共にウピエルのお兄さんが鎌を取り出して百足に切りかかりました。
   一瞬、本当にそう言ってもいいほどの速さでライ?のお兄さんと百足の間に入り鎌を一
  閃。「ギイィ」と断末魔の悲鳴を上げて首を斬り飛ばされた百足は体をうねうねとうごめ
  かせながら汚水の中に沈んで行きました。

  「カリは返したぜ」

  「お兄さん! まだ、まだ来るよ! 気をつけて!!」

   「何ぃ?」と振りかえったウピエルのお兄さんの目には、あたしが水から感じた数と同
  じ、数十匹のおばけ百足が見えたはずです。

  「やべぇ。とりあえず逃げるぞ!」

  「に、逃げるって、どこへ」

  「知るかよ!」

   ライ?のお兄さんの抗議の声を遮り、フレアのお姉さんを右脇にライのお兄さんを左脇
  にそしてあたしを背中に背負って、それでも物凄いスピードでさっき来た道を戻り始めま
  した。

  「で、で、でもこの先はさっきの植物がいるよ!」

   と、言ってるうちにあの巨大植物が見えて来ました。
   恐る恐る後ろを見ると、あの百足が口から唾液を垂らしながら追いすがってくるのが見
  えます。

  「ええぇい、突破だ! しっかり捕まってろよ!!」

   と、ウピエルのお兄さんが加速しました。
   ドンドン迫ってくる凍った植物を見ていられず、目をぎゅっと閉じてお兄さんの肩を掴
  む手に持てる全ての力を入れてしがみつきました。


  「必殺ライ・シールド!」


   そう言うウピエルのお兄さんの声が聞こえた後、すっごい悲鳴とがっしゃーんとガラス
  が割れるような破壊音が響きました。

   ―――なんだったのかな?―――





            ファインコッパー             熊猫         


  光源を従えるフレアが先頭に立つ。横に並んでストゥリ、後ろに
  ウピエルとライが続く。

  もっとも、魔術を行使する時、必ずライが自分と距離を置いている事に
  フレアは気がついていた。

  ちなみに、さきほどの魔物の大群は、後ろの二人が先を争うようにして
  殲滅させている。
  あまりの残虐性に、あの花の匂いに、凶暴性を駆り立てる作用でも
  あったのではないかと、ストゥリと真面目に相談したばかりだが…。

  「僕、グレそう」

  どこか遠い目でぼそりとライが呟くのを、一番近くにいたウピエルが
  聞き漏らしたはずはなかっただろうが、彼は表情を変えなかった。

  「にしても、よくわかんねーな。結局俺ら、どこに行きゃいいんだ?」
  「そうだね。何の罪も無い一般市民を投げたり盾にしたりするなんて、
   まるで魔物のする事だよね。僕にはわからないよ」
  「…」

  硬い沈黙と――同時に、がちゃっ、という金属がかみ合うような音を聞いて、
  フレアは振り向いた。

  ウピエルが鎌、ライが剣を、頭上で振り上げてがっきりとかみ合わせ、
  互いに牽制しあっている。
  どちらも壮絶なまでに爽やかな笑顔で、さりげなく力を強めていく――

  「ふふふふふふふふ!」
  「はははははははは!」
  「ふ、二人とも!」

  仰天して立ち止まる。ストゥリもたじろいだ様子で、おろおろと二人の
  顔を見比べていた。

  「待ってなフレアちゃん、こいつどうも赤が好きみてぇだから、
   さっそくこの緑コートを染めてやらねーと静まりそうにねぇ――」

  光の加減か、心なしかウピエルの瞳が赤い気がする。

  「この露出狂が服だけじゃなくて内臓もはだけたいらしいから、
   悪いけどちょっと先に行ってて――」

  ライはあくまで柔らかい笑みを保とうとしているが、雰囲気からすれば
  邪気にも似た要素がにじみ出ている。

  「あぁ、もう!」

  どうせ、少し休もうといってもこの二人は同じことを繰り返すに違いない。


  誰でもいいから、早くここから逃がしてください。


  ・・・★・・・

  「ヤツは他の生物同士をかけ合わせて、新たな生物を造り出す事に成功した」

  苦々しく、吐き捨てる。目の前にあの男がいたなら!
  打ち捨てられた玩具は、飽きてしまえば新品だろうが何だろうが、
  子供には関係ない。

  「だが、同時にロバートソンは失敗したのだよ!」

  叫びは反響して闇に吸い込まれてゆく。

  「生まれた合成体、つまりキメラは、生殖ができなかった。
  生物にとって、これは致命的だ。
  生殖する必要がないなら、食事をして生命を維持する必要もない!
  だからやつらは短命だ」

  ここの水は清浄だった。この水が枯れれば、死ぬことができる。
  しかし、この広すぎるプールの水が減ることなど、ありえない。

  「狂暴性については…食事は必要なくなったが、摂取しようとする
  本能のみが残ってしまい、暴走しているとみていいだろう」

  美しさなどかけらもない同胞達。もしくは、すべての美を搾り取られた者達。

  ずらりと浮いているそれらの中に、自らも浸って、ただひたすらに理性を保つ。
  独り言は狂気の沙汰ではあるが、言葉すら忘れたこいつらよりは
  ずっとまともだ。

  「まぁ、一番の失敗は、セキュリティと処理の甘さだな。
  ロバートソンは頭が良かったが、愚かでもあったという事だよ」


  誰でもいい、下水道を徘徊する鼠でもいいから、誰かこの懺悔を聞いてくれ。
  わたしは逃げることができなくても、許されたいのだ。





             ダークマター              魅流         


   結局、ライのコートが赤く染まる事もなければウピエルが内臓をはだける事にもならな
  かった。
   しかし、それはフレアの仲裁によって小康状態に戻っただけで、またきっかけがあれば
  再び着火爆発することはその場にいる誰もが理解している事だったし、そのきっかけがほ
  んの些細な事でも十分だというのはいうまでもない。
   合成獣の工場、しかも地下部で見通しは悪く、いつどこからどんな敵が襲ってくるとも
  わからない状況で、しかし一行はそういうモノに対するものとは違う緊張感を孕みつつ、
  道なりに奥へ奥へと進んでいった。
   前衛が二人になったから、温存する意味でも魔物は俺様達に任せろ―そういってウピエ
  ルとライが魔物対処係となった。
   もはや普通に戦力の一員として数えられている事にライは抗議しようとして、やめた。
  武器代わりに扱われるよりはマシだ。

   道中、魔物を切り裂いたウピエルの鎌がライのコートの裾まで斬り裂き、ライが魔物に
  向かって投げたダートがウピエルの頬に浅い傷を作る。始終にこやかに行われた微笑まし
  いコミュニケーションが数回にわたって繰り広げられ、やっぱり自分も戦うべきじゃない
  かとフレアが頭を悩ませ始めた時、ようやくただの通路が終わりをつげた。

   たどり着いたのは先ほど―もう何時間前だったかは覚えていないが―調査した部屋より
  も一回りも二周りも大きい部屋。壁際は淡く光る青い液体で満たされた円柱が立ち並んで
  いて、それぞれの下には違った魔法陣が描かれてある。

  「ここは……」

   それぞれの魔法陣をひとつずつ見回しながら、フレアが呟いた。

  「私の研究室へようこそ、侵入者諸君」

   薄暗い部屋の中央に居た人物が、傲岸不遜を音にしたような声を上げる。

  「ここまでくるとは、なかなかの腕の持ち主らしいな?」

   白衣…というよりは灰衣と言った方がしっくりくるほど汚れた服をその身に纏い、髪は
  ぼさぼさ、無精ひげが顎を覆い、露出している腕は暗い闇の中で光って見えるほどになまっ
  ちろく、しかも骨と皮しかないように見受けられるほどガリガリで、厚い牛乳瓶レンズの
  眼鏡を掛けた年齢不詳の男。
   要するに今立ち上がった男の容姿は科学者――しかも頭にマッドがつくような――もの
  のソレであった。

   一行の反応がないのを良い事に――あっても無視したかもしれないが――男はまるで歌
  劇の出演者のように大げさに両手をあげ、さらに続ける。

  「歓迎しよう!途中にあったであろう様々な難関を突破した君達だ。ここらでその苦労を
  ねぎらわれても不当という事はあるまい!」

  「お前は…」

   ウピエルもストゥリもライも特に何かを言おうとはしない。沈黙に耐えかねたのかフレ
  アが口火を切った。

  「聞かずとも判断は付くだろう?ここの研究で主任を勤めさせてもらっている者だよ。名を
  ドルマゲスと言う。好きなように呼びたまえ」

  「ちなみに、ここで行われていたのはご想像の通り生物の合成、改造の研究だよ。上手く
  弱点を消すように組み合わせたり、逆にひとつの事に特化するようにしたり。成功例はほ
  とんどないのだがね?あぁ、もちろん目的は軍事転用だとも。つまり、我々より力で勝る
  物をどうやって躾、言うことを聞かせるかも重要な課題になってきたりもしたわけだ。だが
  な、そもそもこのような研究施設が当時はなかったのだよ。我々は1からそれを用意しな
  ければならなかった!」

   研究者に自分の研究を語らせてはいけない。奴らは最低でも自分が研究し続けた年数に
  見合うだけ、下手したらそれ以上の時間をかけて聞く者にソレを認めさせようとするから
  だ。
   その典型が、ここにあった。

  「んで、あんたは部外者にんな事までペラペラと喋って上司に怒られネェのか?」

   多分に自慢を含んだドルマゲスの独白がいよいよ本格的に生物を合成する段になった所
  でウピエルが口を挟んだ。

  「なぁに、かまわんよ。こうなった時点で彼の破滅は決定的だ。現に君達もこうしてやっ
  て来た事だしな。――あぁ、そうだった。実はもうひとり君達を歓迎したいと言っている
  者がいるんだ。君達も話を聞くだけというのも退屈だろう?でておいで、シャルロット」

   パチンと彼が指を鳴らすと、他のポットと違い緑の液体以外何も入っていないポットの
  正面部分が縦に二つに割れた。当然、中の液体が流れ出る。

   しかし、それだけだった。床の上に緑の液体がブチまけられ、ポットは当然のようにそ
  の口を閉じる。それ以外の変化なぞどこにもなかった。

  「紹介しよう。私の娘、シャルロットだ」

   そういうが、そうと思しき者の姿などどこにもない。
   ウピエルが突っ込みを入れようとした時、ストゥリがソレに気づいた。

  「あの水……動いてる……」

   ポットから出てきてから数十秒、普通の水ならとっくに石畳に吸われて消えているはず
  の液体が未だまったく浸透する様子もなくそこにある。
   それだけではない。
   はじめはゆっくりと、徐々に早く、こちらに向かって動いてるのがはっきりと分かる。
   液体、いやシャルロットはドルマゲスとフレアの間まで来ると、進む方向を上に変え、
  大雑把に人の形をとり、直後には白いワンピースを来た少女がそこにいた。

  「彼女はスライムとカメレオンの特性を持っていてね。見てのとおり、自在に姿を変える
  事ができる。さらに言うと一度溶かしたモノならばその質感さえ表現することができるの
  だ!ほとんどいない完成品のうちのひとつなのさ」

  「ハン、生み出した化け物が自分の子供ってか」

   理解できねぇなと言わんばかりに吐き捨てる。
   その一言は、四人全員の心情を代弁していた。

  「ふむ、確かにそういう意味でも彼女は私の子供だがね。そうでなくともシャルロットは
  私の娘だよ。言っただろう?彼女はスライムとカメレオンの特性を持っている。つまり、
  ベースは別の生き物だ」

  「まさか…!?」

  「そのまさかだよ。私の娘、シャルロットは合成されたスライムとさらに合成され、今の
  姿になった!そして、それこそが誇るべき私の最初の完成品となったのだよ!!」

  「お姉ちゃん、一緒に遊ぼう?」

   キ印科学者の言葉が終わるのを待って、シャルロットは口を開いた。
   知らなければ違和感などまったく感じられないような、見た目相応の小さな子供の声。

  「ちなみに、シャルロットは凍る事もないし、めったな事では蒸発もしない。急所を…と
  いうよりも内臓を持たず、声を出すときは声帯などの諸器官を体内で再現し、分離しても
  活動する事ができる。核がないからできる事なのだがね。ちなみに、体積が大きいほうが
  メインだ」

   得意満面。
   そうとしかいいようのない、まさに出来のいい子供を近所の親に自慢する親のようにド
  ルマゲスは語る。
   真実、彼にとってシャルロットは紛れもなく大切で、非常によくできた娘なのだ。

  「自分の娘を……実験に使ったのか!!」

   問い詰めるフレアの声は震えていた。ストゥリは頭を抱えてイヤイヤと振っている。ウピ
  エルの顔から薄笑いは消え、ライはこれ以上はないって程の目付きで睨み付ける。
   そんな周囲の状況なぞはまったく気にならないのだろう。
   シャルロットはまるでゴム鞠が弾むようにフレアに駆け寄った。

  「私ね、鬼ごっこがしたいの。私が鬼で、お姉ちゃんが逃げるの」

   目を輝かせ、楽しそうにそういうとまだ動こうとしないフレアに向かって「鬼ごっこ、
  知ってる?」と小さく首を傾げる。そして、未だ動かないフレアに"鬼ごっこ"のルールを
  説明しはじめた。

  「私が鬼の役でね、お姉ちゃんが逃げる人の役なの。」

  「で、逃げる人が鬼に捕まったら負けなの」

  「鬼はね、逃げる人を捕まえたら食べちゃうんだよ。お父さんが教えてくれたんだ」