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                                気分屋


   混沌の中に眠る街クーロン。昼夜を問わず灯りが消える事はなく、歓楽街は人のざわめ  
  きで満たされている。時に裏路地に悲鳴が響くが、誰も耳を傾ける事はない。仮に聞こえ
  たとして、係わり合いを持つ事は身の破滅を意味するだろう。遥か以前に法と正義が忘れ
  られ、暴力と裏切りが支配するようになったこの都市にも最低限の秩序は生き残っている。
  すなわち、ギルドであった。

   煩瑣な雑居からは遠く離れた所にその建物はあった。喧騒から逃れた小さな屋敷の窓に
  は三つの人影が映っている。他の二つに比べて一際大きな影が特徴的だ。クーロンでは数
  少ない静かな夜。しかし部屋の雰囲気はそれを満喫できるほど穏やかなものでは無かった。

   書斎――――掃除が行き届いた清潔な書斎に「四人」の人物。窓側に二人、椅子に一人、
  そして窓の死角となる壁側に一人。皮手袋をした小柄な青年・・・・小柄な?いや、本棚
  と比べれば確実に180cm近くあるだろう。それでも小さく見えるのは、隣の男が巨大
  としか形容できない体格だったからだ。深くフードを被っているため顔は見えないが、顎
  の形は明らかに男性であることを主張している。身長以上に異常なのは、体格だった。バ
  ランスを無視して筋肉を叩きつけ、刻み、凝縮した玄武岩のような肉体。半トンを越える
  手負いのグリズリーと渡り合える、そんな印象すら持たせる。

   それとは対照に青年の方は、特に筋肉質とは言えないだろう。隣の男と比べれば誰でも
  そうだろうが。時々体が透けて見えるような気がするが、明かりの加減ではない。

  「今日、あなた方に来て頂いたのは―――」

   椅子に座った中年が話を切り出した。少し太り気味で卑屈な表情を浮かべている。クー
  ロンで依頼人になれる程の人物のエージェントならば、外見とは裏腹に油断ならない人物
  であることは間違いない。

  「最近この都市の付近で増えつづけている魔物の処理をお願いしたい。」

   それが、私、ハイン・プリズナーがギルドの人間として受けた最初の依頼だった。

  「傭兵や警察が総動員されているのですが、数が多くて対処しきれないのです。そこでこ
  の街の『裏』である五大組織がギルドに依頼して手を打つことになりました。この地区の
  管轄であるミスタ・ロバートソンは早急の解決を望んでおられます。」

   警察、と言った時、男の唇が少し歪んだ。

  「報酬は?」と皮手袋の青年が尋ねる。

  「正エウディス金貨でお一人当たり40枚。必要経費、危険手当は別で、期間は二週間。
  期限より早く解決していただければ、一日当たり5枚追加致しましょう。受けて頂ければ
  不首尾であっても、いや、失礼、お礼の半分はさせて頂きます。」

  「随分と割の良い話だな。」

   フードの男が初めて口を開いた。低い声だが、よく通る。

  「これもギルドと皆さんの腕前を信用しての事です。」

   ミスタ・ロバートソン。クーロンの五大組織の中でもかなり上部、少なくとも中堅以上
  の地位にいる男だ。筋肉質な体格と、威厳を纏った容貌。中年期も終わりに差し掛かって
  いるというのに、その野心は衰える事を知らない。直接会ったことは無いが、噂、特に黒
  いのは耳によく入ってくる。もっとも、この街では悪評と成功は比例するのだが。

   皮手袋の青年、ライ・カース。偽名だ。今日、この依頼を受けたのは彼を含めて二人だ
  と聞き、クーロンにやってきた。どの依頼を誰が受けたのか、といった情報はこの業界で
  は銅貨数枚ですら取引されない。銅貨二枚で名前、出身地、家族構成、経歴を調べてお釣
  りが来る。本名の方はライ・クローバー。それは別のツテで調べた。

   もう一人はオーガのスレヴィ・ズィーブン。角で盛り上がったフードの形は遠目でも目
  立つ。この手の依頼は彼向きだろう。とりあえず二人とも妙な人物ではないのは確かだ。
  誰の息もかかっていない。従って、この依頼で二人を疑う必要は特に無い。何事も用心に
  越した事は無いのだが。

   「随分と割の良い話」、だそうだ。そう、確かに美味い話だ。分裂したと言っても、正
  統エウディス金貨の価値は未だに衰えない。しかも失敗したところで成功報酬の半分とい
  う破格の待遇。これが報酬以外に目の行き届かない、頭の軽い冒険者ならすぐに飛びつい
  ているだろう。しかし、だ。依頼主の素性を考えるとリスクが大きい。報酬は受け取った
  が下水に浮いていた、などと言う事もあり得る。だが、それ以上に依頼を断る事によって
  ギルドと組織の関係が悪くなるのは今の私にとって好ましくない。仮に各国の関係が一度
  に悪くなると言うなら私には好都合だが・・・・

  「場所は?」

   ライ・クローバーの質問に対するエージェントの答えは、「クーロン郊外のズィーノ方
  面」。人災はともかく、魔物の大量発生とはかけ離れた場所だ。

  「魔物の種類を知っておきたい。」

  「多種多様です。アンデットから獣人、リビングアーマーのような物までいます。」

  「処理と言ったが、お前は具体的にどうして欲しい?」

  「大量発生の原因を調査し、除去して頂きたい。手伝いも何人かつけましょう。」

   沈黙を破ったのはズィーブンの「いいだろう。」の一言だった。続いてクローバも依頼
  を受ける。エージェントの目は残った私に向けられた。

   裏がある。そんなことは三人とも解りきっている。「クーロンにおける依頼の九割には
  裏がある」ギルド関係者以外でも知っている常識だ。因みに「残り一割にはまともな人間
  は手を出すな」もある。最後の問答で、後者の格言を思い知らされた。最初から「大量発
  生に原因がある」と知っているからには表に出せない事情がある。そのことを「手伝いを
  つける」ということで暗に示した。

   手伝いという表現はある意味正しいだろう。こちらが邪魔になった時、後ろから始末す
  る刺客としては的確な表現だ。クーロン組織の刺客は世界で三番目から五番目ほどの腕前。
  一番目と二番目に比べれば遥かにマシだが、この街の暗殺者に狙われて毎晩熟睡できるほ
  どの自信家、あるいは愚か者はいないはずだ。

   「45枚。それより下はベット(賭け金)として不足だ。」





   場の緊張が解ける。ここまで内容を知って断れば最悪の場合、消されかねない。他の二
  人もここまで危険な話だとは思っていなかっただろう。クーロン絡みの依頼を受けるのだ
  から相当優秀な冒険者ではあるのだろうが・・・・逆に「冒険者としては駆け出し」の私
  が受けるのをギルドが許可した理由は・・・・まあ、色々だ。

   さらに詳しい日時、内容を一通り聞いた後、私たちは用意された宿舎へと向かった。中
  は監視付きだが、それを悟らせるほど『組織』は不粋ではないだろう。

   「ライ・カースです。」

   「スレヴィ・ズィーブンだ。レイブンでいい。」

   「ハイン・プリズナーだ。」

   「レンジャーをしている。」

   付け加えた一言は私の過去の足跡を塗りつぶすためのものだった。





                                 ケン


  用意されたクーロンの宿屋の一室に3人、狭くはないが重い沈黙が包んでいた。
  ライは明日の用意を済ませ既にベットに横になっている。寝ているのか寝ていないのかは  
  解らないが…
  ハインは壁に寄りかかり虚空を眺めている…
  レイヴンは窓側に椅子を持ち出して座り、外を見ている様だった…
  ヒュウゥゥ〜……
  不意に一筋の風が通りすぎ際に窓をガタガタと揺らした。
  しばらくしてレイヴンが立ちあがるとドアに向けて歩き始めた。

  「…どうした?スレヴィ」

  すかさずハインが話しかけてくる。そとはもう暗い、明日の事を考えるともうねるべきだ
  が。

  「いやな〜に、少し酒場に行って来るだけだ」

  「酒か、飲みすぎるなよ」

  酒という言葉に少し口を歪めハインが言う。そんなハインをレイヴンは悪戯っぽく笑い。

  「それと、レイヴンでいい」

  そう付け加え、部屋から出て行った。


  * * * * * * * * * *

  薄暗い裏路地、そこに風が収束し一人の人影を生み出した。薄暗い闇の中、月の光を反射
  して神秘的に光る純白の髪、異性でも同性でも1度見たら釘付けになるほどの容姿端麗で
  なおかつ穏やかな優しい表情をした少年、知らない人間が見るとほぼ間違いなく女性と見
  間違えるだろう。こんな街のしかもこんな時間にこんなところに居るのはどう見てもおか
  しかった。

  「よお、待たせたな、追っ手を巻くのに時間が掛かっちまった」

  その人影に酒場に行くと言った筈の大男、レイヴンが声をかける。

  「いえ、私も今来た所ですから」

  少年が微笑を浮かべ答える、まるでデートの待ち合わせ場所で出会ったカップルのような
  会話だがそんな関係ではないのは一目瞭然である。

  「それで、頼んでいた事は調べくれたのか?」

  「ええ、これにまとめています、やはり今回の魔物騒動は…」

  そこまで言うと少年は丸めた紙のような物を取りだし、手渡す。レイヴンもその様子に驚
  くようでもなく、黙って受け取る。

  「どうやらこの仕事が終るまで合うわけには行かない様だな」

  レイヴンが苦笑気味に言う。

  「……レイヴンさん、くれぐれもお気を付けて」

  「おいおい、誰に向って言ってるんだ?」

  レイヴンが血に飢えた獣の笑みを見せる、それを見て、少年は苦笑染みた笑みを浮かべ風
  の様に消えて行った。

  「ところで、テメェ、覗き見&盗み聞きはよくねえな」
  少年が完全に姿を消したところを見計らいレイヴンは背後の壁を振りかえり際に鉄鎖で破
  壊する、そこから切れ長の目をした少年、ハインが姿を現した、目の前の壁が壊されたと
  言うのに表情は冷静だった。

  「ここで何をしていた?それにさっきの奴は何者だ?」

  ハインが訝しげにレイヴンに問う。

  「おいおい、俺様は酒を飲みに行くって言ったはずだぜ?それに俺様はなにも見てねぇ
  ぞ?」

  「嘘をつけ、さっきそこで女のような得体の知れない奴とはなしていただろ」

  「お前の見間違えじゃねえのか?女の事ばっかり考えてるからそんなもんを見るんだよ」

  レイヴンの白々しい態度にハインはこぶしを強く握る、これ以上は何を聞いても無駄だろ
  う。

  「さ〜て、そろそろ寝るとするか、酒を飲む気分じゃねえや。お前さんも夜更かしするん
  じゃね〜ぞ、明日は早いんだ」

  そう言うとレイヴンはハインに背を向けて宿屋に向けて歩き出した。その後姿が消えるま
  でハインはレイヴンを無表情に見つめていた。





                               小林悠輝


  「どこ行くの」とライが問うたのはハインが立ち上がったからだったが、彼は別段、こち  
  らが起きていることに驚くこともなく肩越しに振り返ってきた。こちらが睡眠を必要とし
  ないのを知っているからか、それとも黙考の気配を感じ取っていたからか……どちらでも
  いいが。

  「外だ」

  「……最近は物騒だから、背後には気をつけて」

   身も蓋もない返事に軽い皮肉で応えると、黒髪の彼はつまらなそうな一瞥を残して部屋
  を出て行く。ライは体を起こすと、寝転がるとき床に落としていた毛布を拾って、寝台の
  上に投げ捨てた。

   律儀なことにもほとんど音を立てずに閉められた扉を眺め、苦笑した。
   社交性には自信があるつもりが、今回ばかりは、誰とも仲良くなれそうにない。一応少
  しは会話をしたが、いまいちどちらの性格も読めなかった。

   ――レイヴンのあの大胆さは地なのか悩むし、ハインは明らかに含むものがある。

   大体、こんなところにいる理由そのものが気に食わないのだ。ギルド登録なんか、とう
  に抹消されているはずなのに、どうしてハンター紛いのことをしなければいけないのか。
  まぁ、それは“飼い主”のご要望だからなのだが。

   ポポルの町にいられる、その条件として、彼の要望に応える、それだけのこと。あの大
  富豪がどういうつもりでクーロンなんて物騒な場所に関わろうというのかは知らないが。
  道楽ならば本物の馬鹿だし、この混沌都市の“組織”に対して何かを企んでいるのなら、
  “馬鹿”という言葉さえ通り越す。

  「……どうでもいいか」

   ひょっとしたら、根本が気に入らないから、レイヴンとハインのことも気に食わないの
  かも知れない。いや、それこそどうでもいい。気に食わないまではいっていない。

   扉が開く気配があった。ランプ一つしかない部屋よりも廊下の方が暗く、巨躯の影が立
  っている。

  「早かったね。お酒はやめたの」

  「そんな気分じゃなくなった」

   レイヴンはそのまま隣の寝台に倒れこむ。床が揺れたような気がしてなんとなく見下ろ
  した後、その体で毛布が一枚では大変だろうと思って、自分の分を放ってやった。どうせ
  寝ないのなら関係ないし、明け方冷え込もうが知ったことではない。

   彼が全身を毛布に包まって眠るところというのも、どうも想像がつかなかったが。可愛
  いかも知れない。いや冗談だけど。全力で冗談だけど。断じてそういう趣味はない。

  「ハインは」

  「女のことでも考えているんだろう」

  「……は」

   どちらかというと堅物に見えたのだが、意外だった。レイヴンがそういう冗談を言って
  いるとしても、本当にハインが女性関係を思慮しているとしても、どちらにしても、意外
  だ。二人の素性も性格も知らないわけだから、意外もなにもないといえばそうだが。

   思わず間の抜けた声を漏らしてしまってから、レイヴンが少々乱暴に閉めたせいで少し
  開いてしまっている扉の向こうに人の気配があることに気がついた。

   外で何があったのかは知らないが、どうやら、仲良くやっていけそうにないのは自分だ
  けではないらしい。自分の社交能力ばかりが問題ではなかったのだと、ほんの少しだけ安
  心した。
   前途多難かも知れない――戦闘力が云々じゃなくて、もっと違うところで――という考
  えは、浮かんできた瞬間に黙殺する。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



   ズィーノという場所は、クーロンの都市内そのものとは雰囲気を別とする。

   あくまでも表は、浮ついたカジノの街。その裏は――ある意味、クーロンと共通するも
  のもあるかも知れない。退廃と陰謀と悪意、そして限りのない野望、それらを滅茶苦茶に
  掻き回して闇と光の狭間に溶かし込んだような。
   だがこの街の闇は、より“即物欲”という一面に傾いているように思える。

   ……闇ばかりを見ていても仕方がないのだが。

   郊外に位置するというわけあって、都市部からはそれほど時間をかけずに到着すること
  ができた。魔物が出現するという夜まではまだ時間がある。

   繁華街は人通りが多くごった返していて、種族も身なりも多彩だった。本人は隠してい
  るつもりでも一目で貴族のお忍びか何かだろうと察しがつく男から、鋭い目を不気味に光
  らせている乞食のような者まで。

   人込みは酔えそうなほどの熱気とざわめきに満ちていたが、こういう街が最も賑わうの
  は夜だ。たとえ“魔物騒動”などという物騒なことが起こっていようが、それは変わらな
  いのだろう。
   確かに街路の人通りは減るかも知れない。だが酒場や賭場の扉をくぐれば、熱狂的に或
  いは密やかに、興奮は溢れている。

  「こういうところにくると、遊びたくなる」

   右腕を適当に振って、手の中に出現させたカードの幻を目の前でひらひらさせてみる。
  そこには精巧なイラストが描かれている。何も意識しないで作ったせいで、どの札でもな
  い絵柄になっていた。

  「……なんだろうね、これ」

   別段、何か意味のある行動というわけでもないから構わないが。それでも強引に意味を
  付属させようとすれば、まぁ、根拠のない占い程度か。





               因果               気分屋


   ズィーノの通りを一つの影が歩く。きらびやかな繁華街の灯りを避けて、ハインは裏路  
  地へと入った。地面に耳をつけ、10秒。意を決してマンホールを開け、中に飛び込んだ。
   腐臭立ち込める下水。滑りやすい床に気をつけながらハインは奥へと進んでいく。時折、
  立ち止まりながら方角を確認する。下水の暗闇の底から来るものは、悪臭とある「音」だ
  った。
   「近いか。」
   そう言って彼はフランキスカを取り出す。「奥」に「いる」。触覚、聴覚、視覚がそれ
  を確認していた。分岐を9つほど過ぎた時、急に視界が開けた。下水が集まる中心部。下
  水道で特に広いこの場所に「そいつ」はいた。
   基本形は人間だが、指の数が多い。体のあらゆる場所から触手が無秩序に伸びている。
  粘着質で緑色のその肌は下水道の住人にふさわしい外見だった。
   獣のような頭がこちらを向く前に、破裂音が響き渡る。ハインの手元には銃が握られて
  いた。2、3、4、5、6。続いて炸裂する銃弾に、怪物の体が爆ぜる。六発全てを撃ち
  終えた時、「そいつ」は派手な音を立てて下水に倒れ込んだ。
   「そいつ」が動かなくなったのを確認すると、ハインはフランキスカを「そいつ」の頭
  に何度も振り下ろした。頭部が原形を止めなくなるまで繰り返す。頭部であったものと、
  下水の汚物の区別がつかなくなってから、ハインは作業を止めた。
   怪物の体を改めて眺める。異形だ。確かにこの世界には、形容しがたい生き物は多く、
  人々の恐怖と好奇心を煽って止まない。だが、流石に繁華街の地下にこんな異形が生息し
  ているとは、冗談にしか聞こえないだろう。
   「ジュデッカ、23階に同じようなのがいたな。」
   自らの記憶を掘り起こす。脱出不能と言われたジュデッカ、しかも未知の100階から
  抜け出す際、彼は同じようなモノを見かけたことがある。もっともその時はこの数倍の大
  きさだったが。
   「と、なると人工のもの。ロバートソンの狙いは隠蔽か。どうする・・・・」
   恐らく生物兵器開発の過程で暴走が起き、実験体が外部に流出しているのだ。組織とし
  ては穏便に済ませるため、第三者機関に調査を依頼し、組織と事件が無関係であると証明
  して欲しいのだろう。
   「退治、報告、無関係、が穏便なところか。」
   立ち上がり、異形の死体に背を向ける。
   「どうやら、深く潜りすぎたか?」
   ハインの背後に巨大な影が並ぶ。20、30・・・・全部で68の異形が彼を取り囲ん
  でいた。逃げ場は・・・・・無い。ちょうどハインを中心に、円陣を組んでいる。
   「スレヴィ・・・・レイブンでも連れてくれば良かったか?」
   弾丸は無く、他の装備も持ってきてはいない。フランキスカ一本でこの窮地を乗り切る
  のは不可能かと思えた。
   「仕方ない。始末するか。」
   唯一の武器であるフランキスカを手放し、肩の力を抜く。「解除」して「接続」した。
  有史以来の全ての戦闘情報が体の中に流れ込んでくる。5分ほどの「解除」ならジュデッ
  カ本部には探知されない。そして今のハインにとっては5分で十分だろう。





  2分18秒で全てが終わった。





  「少し、はしゃぎ過ぎたかな。」
   足元に落ちていた手斧を拾い、布で汚水をふき取る。刃物は手入れが重要だ。怠れば、
  すぐに使い物にならなくなってしまう。もっとも、今回手斧の出番は殆ど無かったが。
   周りには異形の「死体」は1つも無かった。それらは「死体」と呼べるようなものでは
  なかったからだ。まるで機関車の線路に置かれた硬貨みたいに潰れた肉塊、バターみたい
  に切り裂かれた断面、ネズミ捕り用のチーズの穴みたいな傷、満開の花びらのような形で
  爆ぜた体。全てが異様な有り様で転がっていた。
   「1、2体逃したか?まあ、上は上で何とかするだろう。これだけ始末すれば少しの間
  は騒ぎも起きなくなるだろうし。」
   見上げると、踏み潰されたカエルみたいな形で、異形が天井に叩き付けられている。上
  から滴る体液を避けながら、ハインは来た道を帰っていった。
   床が揺れた原因が、レイヴンでなくハインだとライ・クローバーは知らない。また、逃
  げた怪物が酒場に乱入し、一悶着起こしたことをハインは知らない。





                                 ケン


  人通りの少ない道を一人の男が歩いていた、赤い外套を頭から足まで被った、おもわず見  
  上げてしまうほどの大男だ。その後ろを幼いまだ10歳くらいの少女がテテテテと走りなが
  ら追いかけてくる。

  「おじさ〜ん!まってよ〜おじさ〜ん!」

  少女は必死に追いつこうと走っているがいっこうに差が縮まらない。

  「だ〜うるせえな、ついてくんな」

  大男は立ち止まり振り返り気味に怒鳴る風でもなくしかしよく響く声で言う。

  「だって〜まだお礼も言ってないのに〜」

  やや間延びした声の少女は困ったような顔をして大男を見上げる。
  ついさっき…といっても30分前くらいだがこの少女の財布を盗人から奪い返してからず〜
  っと後を追いかけてきていた。

  「さっきは丁度イライラしていたんだ、だから理由をつけてクズを殴りたかっただけだ、
  礼が欲しかったわけじゃねぇ」

  そう大男が言うと、少女はクスクスと可愛らしく笑って

  「僕、いい人は解るんだ、おじさんからは悪い人オーラは出てないもん、それでさそれで
  さ、お礼ってわけじゃないんだけどね〜、このチケットあげる、僕が働いてるサーカス団
  の入場券だよ」

  「だ〜から、俺様は……ってお前さんサーカスの一員なのか?」

  「うん、そ〜だよ、今この街にいるのは僕達だけだからすぐにわかると思うよ〜…やっぱ
  り来てくれない?」

  にこにこ笑いながら、最後の方は泣きそうな顔でそう告げる少女を大男は複雑な表情で眺
  めていたが不意に人懐っこい笑みに変わると

  「いや、近々行こうと思ってたんだ…ありがとよ」

  そう言って少女の頭をなでる大男、なでられたのが嬉しかったのか泣きだしそうな顔が一
  変、幸せそうな笑顔に変わった。

  もし、この後する事になるであろう事をした後も少女は今の様に笑顔で自分を見てくれる
  だろうか、喋ってくれるだろうか、答えは否だ。自分の光しか知らない少女が闇を見たと
  き、きっと恨むだろう、憎むだろう…しかしそれで恨まれるのが自分ならそれでいい、そ
  うなる事は腐るほどしてきたのだ、いまさら気にするほどの事ではない。

  そう自分に言い聞かせて大男は少女に言う

  「それと、俺様の名前はレイヴンだ。『戦く大地レイヴン』よ〜く覚えてな」

  「レイヴン…ならレイちゃんだネ!僕はストゥリ!ストゥリ・ジェノンって言うんだよ
  〜」

  レイヴンの無骨な自己紹介にストゥリは目を輝かせて答えてくれた。

  * * * * * * * * * *

  レイヴンは寝そべったまま窓の外を見た、外は未だ暗かった。

  「チ…イヤな事を思い出しちまった、そういやあいつは今ごろ何をやってるのかな…きっ
  と俺様のことを恨んでいるだろうな」

  「あれ?起きてたの?」

  自嘲しながら起き上がるレイヴンにライが話しかける。

  「あ〜…半分寝てたかも」

  レイヴンは悪戯っぽくシシシと笑いながら答えた、と、その時、遠くの方でなにかが崩れ
  る音が聞こえた。

  「お?何だか盛り上がってる様だな、どうだ?ライとか言ったな?ちょっと行ってみない
  か?」

  「え?でもハインはどうするの?」

  「ほっとけ、それよりありゃあ確か宿屋が合った方だよな?なにか臭うぜ」

  そう言うと部屋から駆け出すレイヴン、巨体に似合わず結構速い、それに慌ててついてい
  くライ。
  目的地まではそう遠くはなかった…





                                小林悠輝


   レイヴンに続いて外に出ると、そこは酷い有様だった。
   通りは、交錯する悲鳴に満ちていた。少し離れた建物など完全に倒壊してしまっている。
  血臭が鼻をつき、軽い眩暈がした。こういうのは、やっぱり苦手だ……

  「……斃さないと」

   自分自身にそう呟いてから、ライは、何かを握るように右手の指を曲げた。そのイメー  
  ジは、装飾のない剣として顕現する。柄が刃と同じほどの長さを持つ、細身の長剣。
   すらりとした刃に月光が降り注いで輝くのを少しだけ満足そうに見下ろしてから、ライ
  は地を蹴った。

   一番近くにいた一匹の懐に飛び込むように低く跳躍し、横手から伸ばされた鍵爪は、剣
  と同じようにして出した左手の金属警棒で弾く。
   ギィン、と鋭い刃を合わせたような音が響いたときには、剣を化物の腹に突き入れてい
  る。皮膚を貫く弾力と肉に刃がめり込む感覚が、背筋から後頭部へと駆け抜けた。

   化物の体臭なのか、ふっと鼻先を甘い香りが掠める。それは毒花の花粉にも似て、心の
  奥で鎌首を擡げ始めた戦いの興奮と共に、頭の中に曖昧な芯を残す。ああ、久しぶりだ。
  こういうの。

   剣の金具がイカれかねない強引さで傷口を抉りながら引き抜いた刃は、脂で汚れていた。
   早くも刃毀れしてしまったのか、先ほどに比べて、心なしか月の照り返しが歪に見える。
  重心を落とした姿勢から伸び上がるように放った一撃は、化物の下顎から脳までを破壊す
  る。

   大きく痙攣して倒れ掛かってくる巨躯から身を躱し、ライは漸く周囲を見渡した。邪魔
  に感じて警棒を消す。

   逃げ惑う人々に異形の化物――としか形容のできない、まさに化物が飛びついて、動か
  なくしてから次に向かう。それどころか、あるものは建物そのものを壊そうとしているよ
  うに見えた。多分、中にいる人間を狙っているのだろうが。

  「……おじさん、どうする」

  「おじさんじゃなくて、レイヴンだ」

   応えは意外と近くから返ってきた。
   ちょうど建物の死角になっている辺り。その角を曲がろうと足を踏み出したその瞬間に、
  濡れた重い音を立てて、巨大な蛙と蜥蜴の中間のような化物が地面に落とされた。右腕が
  千切り落とされた死体の胴の真ん中の、その傷跡はあまりに無造作。

   ぞっとするものを感じて思わず剣を構えると、化物の死体に続いて現れたのはレイヴン
  だった。声が聞えたのだから当然なのだが、さすがに呆気に取られる。

   いくら体格が常人並みではないとしても、こういう風に化物を斃すなんて、つまりそれ
  は、普通の人間より一回り以上大きなそれを膂力で圧倒したということだ。そんなのあり
  か。明らかに、人間技ではない。

  「ぼーっとしてるな」

  「してないよ」

   切っ先をレイヴンから離し、敵を探す。探すまでもない……はずだったが、周囲には、
  乱暴な子供に壊された人形のような死体がごろごろと転がっていた。勿論まだ暴れている
  化物も沢山いたが。

   あらかた批難し終えたのか、人の姿はさっきよりは減っていた。少し離れた場所――容
  赦なく破壊された建物の辺りに何人か残っているのが見えたが、彼らはそれぞれに武器を
  握っている。例外もいるようだけど。

  「あそこ、人がいる」

   指し示そうとしたところを、襲われた。自分の姿を現実から引き剥がしてただの幻に戻
  すと同時に半ば反射で半身を引いた、そのすれすれを残像を残して通り過ぎたのは、巨大
  な刃だ。
   その風圧に前髪が揺れて、ライは顔をしかめた。

   硝子のように、向こう側を透かす大鎌。それを手にしているものの姿を見ると、思わず
  苦笑が浮かんだ。ぼろぼろの黒いローブを纏った、シルエット。夜目にも鮮やかな白骨の
  顔の中で、ぽっかりと黒く虚ろな眼窩が妙に目を引く。長柄の鎌を握る両手も真白な骨で、
  よくもまぁ、その細い指で重量のありそうな得物を振り回せるものだ。腕だって、ただの
  骨だけだろうに。

  「お仲間か」

   掬い上げるように剣を振るう。それは素早く割り込んだ鎌の柄に遮られ、柄は素早く旋
  回した。「うわ」とか口の中で呟きながら、刃の腹に手をついて飛び越すように躱しなが
  ら剣を一閃させた。
   ロクに狙わなかった一撃は、しかし偶然にも頬骨を削り、中身のない頭蓋骨の側頭部ま
  でを砕く。着地したすぐ横に取り落とされた大鎌が音を立てずに落ち、掻き消える。


  「美しくねぇなぁ。もっとこー、虹色になって光るとか芸はねぇのか?」

   ……なんだか美意識が自分とは激しく食い違いそうな声が聞えたのはそのときだ。ライ
  は使い物にならなくなった剣をその辺に放り捨てると、その声の方、つまりは瓦礫の山の
  方を振り返った。
   金髪の男――二十ちょいくらいの優男が、草刈鎌を持って佇んでいる。一瞬わけがわか
  らなかったが、その足元に転がる化物の死体を見てやっと、彼がそれを倒したのだと気が
  ついた。しかし何故、草刈鎌。

  「それでも美しくはならないと思うなぁ……」

   刹那だけ反応を迷ったあとで口をついて出たのは、ずばり正直な感想だった。虹色は、
  下手すると色が交じり合って汚く見えることがある。個人的には、単系色のグラデーショ
  ンの方が好きなのだ。いや、どうでもいいか。
   何故か瓦礫の山にいたほぼ全員がこちらを振り向いた。聞えていても不思議ではないが、
  それほど注意を引くような発言だっただろうか。ここで注目されても、ちょっと困る。

   背後では、レイヴンがまだ戦っている。灯りに真紅の外套の翻りが暗い色彩と夜景に滲
  み、何か不吉な印象すらも覚えた。足元に転がる死体は、最早数える気も起こらないほど
  になっている。

  「レイヴン、二つ名を<魔王>に変えない」

  「遠慮しとくぜ!」

   また一匹が倒れる。「似合ってるのになぁ」と呟きながら、ライは、既に次の化物と組
  み合っていたレイブンの、その背後から襲いかかろうとする真黒な影に向けてダートを放
  つ。それで倒せるとは勿論思えなかったが、一瞬注意を逸らすか、こちらに持ってくるか
  するには十分だろう。

   黒い影――本当に“影”そのものが立ち上がったように見える――は、切れ目のような
  双眸を開いてこちらを睨みつけてきた。その眼窩の中は、全体の薄っぺらな見た目からし
  たら冗談のように、深い深い色合いだった。

  「よっし……」

   二本目の剣を出そうと、軽く目を細める。さっきと寸分違わぬ長剣が具現化するのとほ
  ぼ同時に――

   ごがががががガガがガッ!!!

   なにやら凄まじい音が響き渡ると同時に背後から飛んできた化物が、影の魔物を巻き込
  んで通りの向こうの民家の壁にめり込んで動かなくなった。

  「っな!」

   突然のことに面食らう。

   自分すれすれを飛んでいった化物の体がもう少しズレていたらどうなっていただろうと
  いう問題さえ頭に浮かんだ。直前まで気づかなかったわけだから避けられるわけがなかっ
  たし、当然、透過もできなかった。

   そうか、今日の僕は何気に運がいいのかも知れない。夕方に出した無意味な札の絵柄は、
  そういえば天使か女神に見えたような気がしなくもない。ありがとう天使様、ありがとう
  女神様、心の底から感謝します……いやだからそうじゃなくて。

  「あっぶないな! 瞬間移動までして僕ごと殺す気だったんじゃないレイヴンっ?!」

   そんな無茶苦茶な真似ができるのは、仕事仲間の赤い巨漢くらいだと思ったのだが……
  化物が吹っ飛んできた方向を見ると、そこにいるのは、黒髪の少女と紫紺の髪の少女、そ
  れから、金髪の男だけだった。

  「……あ、あれ? いない」

   きょろきょろと視線を彷徨わせる。レイヴンは丁度、視界内にいた最後の一匹を地に這
  わせたところだった。瓦礫の山とは、自分を挟んで反対側。連続で瞬間移動したのだろう
  か。でもそれだけ大きな魔力が動けばわかるはずだし。ということは、さっきのはレイヴ
  ンはなくて、見知らぬ三人のうち誰かがやったということになる。

   剣を携えた少女と、何故か農業用鎌を持った男と、どうしてか仮面を持った少女。人間
  外の馬鹿力という風には見えないが――


  「後ろ!」

   その剣の少女が、急に鋭い警告を発した。
   よく通る綺麗な声だな、と思ってから、それが自分に向けられたものであることに気が
  つく。

   体を反転させて掲げた剣に、強烈な衝撃が降ってきた。柄と刃を接続する金具がパキン
  と軽い音を立てて壊れるぎりぎり直前に、かろうじて横へ跳び逃れる。重量だけはありそ
  うな大鎌が、石畳を砕かずに刃の半ばまでを地面に埋れさせていた。壊れた剣を捨てて、
  すぐ次を出す。
   頭の上半分がなくなった骸骨が、こちらを見下ろしている。上顎がなくなったせいで下
  の歯だけが並んでいるのは滑稽に見えた。

   微かな、意識しないと気づかないような甘い香りが漂っている。
   他に誰も気付いた様子はないが、それは血臭と異臭にほとんど掻き消されてしまってい
  るからだろう。それとも、気がついているけど何も言わないのか。
   自分がこれに気がついたのも偶然だ。ハインあたりが戻ってきたら、心当たりがあるか
  訊いてみよう。なんとなくだけど、彼はこういうのに詳しいような気がする。人を見る目
  には最近、どうも自信をなくしかけているが。

  「死に損ない……」

   意識が活性化してくる感じ。既に流れてさえいない血が沸く錯覚。
   甘い匂いに誘われるように、意識が少しずつ高揚していく。

   ここの来る前に、囁かれた――「魔物を殺すのは人間だ。君がまだ変わりきってないっ
  て、証明してみせてくれ」。馬鹿馬鹿しいと思っていたけど、そうかも知れない。

   人間を殺すのは化物で、化物を斃すのは人間。それは大昔から変わらない。だから躊躇
  うことなどないのだ。たとえ相手が、自分と同じ元人間でも。いや、僕は、こんなのと同
  じじゃない!

   逆袈裟に斬り上げて、胴を分断する。どこを壊せば倒せるのかわからなかったから、と
  りあえず姿が見えなくなって気配が完全に消えるまで斬った。大鎌が勝手に砕けて、透明
  な破片と散った。

  「だいたい片付けたぞ」

  「レイヴン強いね……僕はいなくても全然大丈夫だったかな」

   闇の中から現れたレイヴンの外套の紅は、元々の色に別の赤や、所々緑にも似た色が混
  じって斑になってしまっている。これが虹色だったら、もっと酷いことになっていただろ
  う。





                                気分屋


   瓦礫の山となった酒場。逃げ惑う人々の声も落ち着いてきた頃、その一角に5人の人影  
  がたたずんでいた。ライとレイヴン以外の3人、少女2人と男は異形があらかた片付いた
  のをみて警戒を解いている。
   死体。緑色の肌をした体躯が散らばっている。最早息をする事も無く、命の定義から外
  れたそれは肉の塊としか呼べないものだった。
   崩れた壁、壊れた暖炉、赤い染み。それらは死体以上にこの場の惨状を物語っている。
  心なしか辺りに立ち込めた甘い匂いは薄れ始めていた。

   「そろそろ戻るか。」

   鉄鎖を腰に戻しながらレイヴンがライに話し掛ける。

   「そうだね。」

   2人が廃墟に背を向けたとき、

   「!!!」
   「!?」

   異常な気配が2人の体を切り刻んだ。
   動けない。理性でも本能でも動けない。2人にとって未体験の「何か」が近づいてきて
  いる。その「何か」が歩を進める度に、その気配は強くなっていく。肌に、肉に、骨に、
  血に突き刺さるその感覚は恐怖と言われるものに似ていた。
   その感覚は他の3人についても同じ様だった。仮面の少女は怯えて金髪の男の服を掴む。
  細身の剣を持った方の少女は、柄を握り締めるがそれ以上の行動は起こせない。

   「う・・・・」

   心臓が高鳴り、嘔吐感が激しくなる。全身が粟立つ。戦慄がその場の全員に牙をむいて
  いた。気配の源泉がもうすぐここに辿り付く。

   「何・・・・?」

   レイヴンは荒野にいた。一面の荒れ野。空は赤く染まり、大地は黒ずんでいる。気が付
  くと、死体を背負っている。どさり。上から新たな死体が落ちてくる。1体、2体、3
  体・・・・次々と降ってくる死体に終わりは無い。もう、20体を越えた死体の重量にレ
  イヴンは唸り声を上げた。

  「これは・・・・魔法?・・・・いや、違う。」

   一方ライは血の海に浮いていた。限りなく黒に近い赤。波1つ立たない水面から、数十
  の腕が現れ、仰向けの体を引きずり込もうとする。
  幻覚を起こすほどの強烈な殺意。常人なら発狂してしまうであろうそのイメージに2人は
  辛うじて耐えていた。いや、2人だけではない。その場の5人全員が異なったヴィジョン
  を体験していた。
   そこにいる。まだ崩れていない壁の向こうに。殺意の源が。

   「があああああああああ!」

   咆哮を上げてレイヴンがイメージを振り払う。そして鉄鎖が壁へと放たれた。同時に
  ダーツと鎌と炎が向かう。
   派手な音を立てて、壁が砕け散った。同時にヴィジョンも消え去る。

   「ひどいな、レイヴン。今日はこれで二回目じゃないか。」

   崩れた壁の向こうから男が現れる。紛れも無く、ハインに他ならなかった。

   「お前・・・レンジャー・・・・だったよな。」

   未だ汗の乾かないレイヴンが呟く。

   「いや、悪かった。騒ぎに気づかなかったわけじゃないんだが・・・・」

   帽子を被りなおしながらハインが謝る。今の彼はどう見ても一般人とは変わらない。彼
  に対する認識をどのようにするべきなのだろうか。

   「ちょっとそこで旧知に出会ったものでね。昔話を少し。それでかな。いや、驚かせて
  すまない。」
  「昔話・・・・ね。」

  ライが肩をすくめる。どこまで信じていい話なのか見当もつかない。

   「まあ、それは悪かったよ。代わりと言ってはアレだが、この騒ぎの一端くらいは見え
  てきたからミーティングでもと思って。」

   そう言って、彼は試験管を取り出した。中には無色透明の液体が入っている。

   「まあ、見ていてくれ。」

   栓を開けて軽く振ると、中の液体が青く変色した。

   「フェロモンの一種だな。この溶液はある種のフェロモンに反応して青く変色する。こ
  の近辺に甘い匂いがするのは、その香りだ。かなり高濃度らしい。」

   そう言うハインの表情に狂気の色は伺えなかった。





                                 ケン


  肉を引き裂き、骨を砕く、音、感触…
  血の滴る得物を片手に今しがたモノ言わぬ骸になった人間を見つめる。
  その死体に小さな少女がしがみついている。

  「レイ…ちゃん?…どうして?……どうしてこんな事をしたの…」

  紫紺の髪をした少女が震える声で自分に聞いてくる、その碧緑色の瞳は涙で溢れていた。

  「気に入らなかったからだ」

  俺様は感情を感じさせない冷たい声で言った、

  「嘘…だよね……だって…だって…レイちゃん…」

  言葉を紡ごうにもその先は涙に圧され出ない様だった、少女は死体に顔をうずまらせて泣  
  き出した。
  俺様は少女とその死体に背を向け、振り向かずに歩き出した。

  「これが俺様だ、『戦く大地レイヴン』様の本性だ、恨むなら俺様を恨め、憎むなら俺様
  を憎め…」

  出口付近で立ち止まり、俺様は少女に呟いた。少女は聞こえていたのか聞こえていなかっ
  たのかしらないが、少女は相変わらず己の身体が血液で真っ赤に染まっても泣きつづけて
  いた。

  *  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

  「5年か…結構微妙な期間だったな」

  レイヴンは誰に言うわけでもなく、呟いた。その視線の先には金髪の男、いや正確にはそ
  の男にしがみついてる紫紺の色をした髪の少女を見ていた。ハインが何か言っているがま
  るで耳に入っていない様子だった。刹那、金髪の男が紫紺の髪の少女を抱いて信じられな
  いスピードで迫ってきた。

  その男はハインに蹴りをかまそうとしていた。が、ハインもおとなしく食らう気はないら
  しく身体を倒しながらかわそうとしたが、金髪の男は踏みつける事でハインに打撃を与え
  た。

  「おめぇ、こんな街中であんな見境無しな事をしていいと思ってるのか?

  見ろ。あっちのフレアちゃんとかここのお嬢ちゃんとか、こんなにビクビク怯えちまって
  可哀想に
  大体俺様達だけだったからまだよかったようなものの、こーゆーのに耐性が付いてネェ一
  般人とかいた ら、それで死んじまったりとかしたらてめぇどう責任とるってんだ?ぁぁ
  ん?」

  まるで不良のような言いぐさで金髪の男はハイン達3人に言う、もしもさっきの蹴りがハ
  インに直撃してそれで死んじまったりとかしたらどう責任をとるのか知りたいが、あいに
  くとそんな事を気にする者は一人もいなかった、冷たいかもしれないがジャレあえる『仲
  間』などではないのだから…

  場は凍り付いていたのかもしれないがレイヴンは金髪の男の怒号さえ何所ふく風といった
  感じで聞き流していた。
  金髪の男が抱えている少女の碧緑色の瞳とレイヴンの紅赤色の瞳が時間が止まったかのよ
  うに見詰め合っていた…

  「なぁ、そこの白スーツのにいちゃん。ちょいと嬢ちゃん達を移動させるのを手伝っちゃ
  くれねぇか?」

  金髪の男がライに向って言う、ライはそれに答えて金髪の男についていった。

  「…おい、宿に帰るぞ?立てるか?」

  レイヴンが無愛想にハインに聞く、手も貸してやらないが、ハインは自分で立ちあがり、
  無言で宿の方に去って行った。

  「…………」

  レイヴンは腕組みをして金髪男達の方を見ていたが赤い闇色の外套を翻してハインの後を
  追った。

  「こりゃあ一荒れ来そうだな、あの金髪の男とフレアとかいった黒い髪の女、そしてスト
  ゥリか……全員かなりの使い手みてぇだな」

  レイヴンは先刻あったストゥリの澄んだ翠色の瞳を思い出していた、その瞳に怒りや憎し
  みの色はなかった…レイヴンは悪戯を思いついた子供のような笑みを顔に浮かばせるがそ
  の顔は外套のフードと襟巻きで隠されおそらく誰も見た者はいないだろう

  空には暗黒の雲が広がり始めていた、レイヴンが言った意味とは違う意味で嵐が来そうだ
  った。





                               小林悠輝


   まだどこか気分が高揚している。
   自覚してしまったせいで少々醒めてしまったような気がしないでもないが、その淡い興  
  奮を意識するのも気分のいいことだった。うん、すごく気分がいい。今までになく。

   思えば、ここのところ、ここまで自分の感情が激しく起伏したことはなかったのではあ
  るまいか。

   もうあの甘い匂いは夜風にさらわれてどこかへいってしまっている。
   ハインは何かのフェロモンではないかと言っていたが、フェロモンというのは確か、認
  識できるぎりぎりまで弱い匂いのようなもの。主に昆虫が分泌し、同種の仲間に送る信号。

   だがあの場に現れた魔物は一種類だけではなく……というより、同じ種類を見つける方
  が難しいほど多彩だった。何の意味があるのかわからない。

  「どこまで行くの?」

  「そーだな、騒ぎが起こった場所からは少し離れたい。
   面倒には巻き込まれたくねーし」

  「……わかった」

   と返事したのは、黒髪の少女。彼女の方はすぐに立ち直って、「一人で歩けるから」と
  言ってきた。
   ぐったりしているもう一人の女の子は、まだ小さく震えているけれど。

   なんとなく放っておけなくて――というよりも、その原因の元に戻るのを先送りにした
  くて、宿に到着するまで付き合うことにした。

   どろりとした液体が体に纏わりつく感覚が離れない。
   あれは瞬間的な幻覚だったはずだが……いや、幻覚だろうと、認識した瞬間に現実にな
  る。腕が鈍く痛むのは、手形の痣か何かがついているのかも知れない。袖をまくって確か
  める気にもなれなかったが。

   本当にそんなものを見つけてしまったら、せっかくのいい気分が台無しになる。

   ……そういえばそのハインは思いっきり踏みつけられていたみたいだった。まぁ、仕方
  ないだろう。たぶん自業自得だ。無闇に人を驚かせるなという意見においては、自分も金
  髪の男に同意する。
   だから今回は心配してやらない。相手も欲しがらないだろうが。

   通りは、さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。或いは、さっきの騒ぎを引
  きずって重苦しく沈黙している。

   人の姿はほとんどなく、雨戸を閉められた窓の向こうで息を潜めている気配がいくつも
  感じられた。
   混乱の後は引き篭もりというのは、とてもわかりやすいな、と思った。

   実際、それが一番安全だし、見てしまったものを夢だと思い込みながら寝床にもぐりこ
  むこともできる。いつもなら思いつかないことまで考えられるなんて、今日は頭が冴えて
  いるらしい。

   金髪の男が空を見上げて、ひゅうと口笛を吹いたから何かと思えば、今にも降り出しそ
  うな雲の合間から、一瞬だけ綺麗な月が顔を覗かせたところだった。

   「雨になるな」と、黒髪の少女が言った。
   剣の柄に、たぶん半分くらいは無意識でかけていた手に少し力を込めて。

  「せっかくの月がもったいねぇな」と男が笑った。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



  「じゃあ、僕はこれで」

   結局それから少し歩いた場所の宿まで行って、その時には紫紺色の髪の女の子も気がつ
  いていたから、玄関先で別れた。

  「おう、世話かけたな」

  「いや……あの人、知り合いだから。あーゆう風に登場してくれるなんて予想してなかっ
  た僕も悪い」

  「……普通無理だろ」

   ライが「かもね」と苦笑して振り返ると、いつの間にか雨が降り始めていた。それほど
  長話をしていたつもりはなかったが。
   雨っていうのは好きじゃない。家の中にいるなら外が静かでいいのだが、外を歩く用事
  があるときなんか、邪魔以外の何でもない。別に、大嫌いだと思うほどではないのだが。

  「あーあ」

   まあ、濡れないからいいか。
   すぐにそう結論づけると、もう一度「じゃあ」と言ってから、ライは踵を返した。

   しとしとと落ちる無数の雨粒が自分の体を通り過ぎて地面で跳ねるのは正直言って気味
  の悪い感覚でしかないが、今夜はあまり気にならない。
   そんなことどうでもいいくらい、今日は気分がいいんだ。

   ――雨の夜の散歩というのも、たまにはいいかも知れない。宿に帰るのは、まだ、後に
  しとこう。

   まだ倒し残しがいないか、あちこち歩いてみよう。
   まだちょっと、なんていうか、物足りない。





                                気分屋


   「いたたたたた・・・・・・・」

   背中を抑えながらハインは宿の前を通り過ぎた。雨音がズィーノの街で大きさを増して  
  きている。雨を避けるようにして、店の軒下を通りながら辺りを見回した。その視線が路
  地の隅にたどり着いたとき、ハインは目的の人物を見つけた。
   一見、何の変哲も無い煙草売り。煌びやかな繁華街において、これほど目立たない人物
  はいないだろう。だが、こういった街で一番重要なのはこの種の職業だと誰もが知ってい
  る。

   「1つ貰おうか。」

   相場の5倍の金額を渡しながら、煙草を受け取る。もしも注意深い人物が見ていたなら、
  煙草と一緒に小さく折りたたまれた紙切れを渡したことに気づいただろう。

   「ありがとう。」
   「どうも。」

   ズィーノに限らず、街というものには必ず裏の顔がある。滅多なことでは見せない裏の
  顔を見るには、様々なルートがある。一番簡単なのは、裏の住人とコンタクトを取ること
  だ。
   渡された紙を見ながらハインは裏路地へと入っていった。紙には簡単な地図と、幾つか
  の単語が記されている。入り組んだ蟻の巣のような道を10分も進んだ頃、袋小路にたど
  り着いた。いや、なんとか1人なら通り抜けられる隙間はあったが、ここを通れというの
  だろうか?

   「ここか・・・・」

   ハインは体を横にして、隙間を通る。もう少し大きな人間ならどうやって通るのだろう
  か。そんな疑問が湧き出て止まない。狭い路地を抜けた先は、一変して開けた空き地だっ
  た。中央には黒服の男が1人たたずんでいる。

   「いい天気だな。」
   「ああ。快晴だ。」

   奇妙な会話を交わした後、黒服はハインに近寄り目隠しをした。

   「すこし辛抱してくれ。」

   30分もの間、ハインは黒服に先導されて歩きつづけた。上、下、右、左、と先程より
  もさらに複雑な道筋を通る。しばらくして、ハインは椅子に座らされ、目隠しを外された。

   「ようこそ。」

  眼前に現れたのは、20代の男だった。服装や物腰からかなりの地位にいる人物だと解
  かる。しかしその体からにじみ出る雰囲気は明らかに裏社会のものだ。

   「早速用件を切り出させてもらおう。『組織』の兵器開発部門における研究内容詳細が
  欲しい。」
   「駄目だ。」

   男はためらい無く言い切った。

   「何故だ?」
   「早い話、ウチはクーロンの下部組織だ。機密は漏らせねえな。」
   「成る程。」

   2人の間に沈黙が訪れる。
   先に切り出したのはハインだった。

   「ミスタ・ロバートソン。」

   男は興味深い表情を見せた。

   「最近兵器開発部門から手を伸ばし、情報部をも牛耳ろうとしている。そちら側にとっ
  て面白い話ではないはずだ。」
   「まあな。」
   「だが、彼は最近になってミスを犯した。生体兵器の暴走。公になれば『組織』自体が
  ただでは済まない。」
   「その通りだ。」
   「組織にとってみればロバートソン1人が消えてくれた方が都合が良い。そしてそれを
  実行するのはどの部署でもいいはずだ。」
   「例えば・・・・情報部でもな。」
   「兵器研究の証拠がそろえばそちらが内部告発すればいい。クーロンじゃ証拠さえ揃っ
  ていれば、被告は証言すら聞くことも無くあの世行きだろう?」
   「確かに。で、その証拠とやらは誰が提供してくれるんだ?」
   「こちらで研究レポートと研究費明細を用意する。あとは裏付けとなる資金の流れ、詳
  細があれば告発には十分のはずだ。監視されている身では満足に警察にも行けないから
  な。」
   「いいだろう。今日中に用意しよう。」
   「ありがとう。」

   立ち上がり背を向けるハインの背中に男が言い放つ。

   「魔物退治を終えても、口封じで消されては冗談にしかならんからな。」
   「そちらがロバートソンよりも狡猾でない事を祈っているよ。」

   雨はまだ止まない。





                                 ケン


  一晩が過ぎ、ハイン、レイブン、ライの3人(一人と1匹と一個)はある屋敷に呼び出さ  
  れていた。他でもないロバートソンの屋敷だ。それはある意味異常な事だが雇われている
  3人は特に断る理由も無いのでおとなしく屋敷に案内されていた。

  特別豪華というわけでもない2階建ての横に長い洋風の建物、門はレイヴンより小さいと
  いう五大勢力の中でも上位にいる人物とは思えない住みかだった。

  「なんか想像してたのと違うね」

  門をくぐり、玄関までの道を見まわしながらライが呟く。

  「別荘か何かだろう、俺達を本当の家に誘ってくれるなんてありえないからな」

  ハインがぶっきらぼうに答える。
  そんな会話を続けながらも、玄関はちゃくちゃくと近づいてきていた。ハインが軽くノッ
  クすると扉が開き中からメイドらしき女性が出てきた。

  「あ、え〜と、ロバートソンに呼ばれているはずなんだけど」

  ライの説明にメイドは軽く会釈すると、3人を招き入れた。


  案内された部屋は長細いテーブルの置かれたリビングのような所だった。天井にはゴージ
  ャスなシャンデリアに壁には使い古された暖炉、趣味か実益か、そこらへんに中世の鎧や
  剣に槍や斧が立てかけられておりさらには絵画まで飾られている。
  ハインとライは椅子に座り、レイヴンは壁に背を預けて立っている。と二つ有る扉の3人
  が入ってきた方ではない扉が開き、一人の男が入ってきた。

  その男は貴族特有のぶよぶよした体格などしておらず、むしろその逆だった。
  年の頃は40を過ぎているだろうに黒い服越しからもはっきりと解る発達した筋肉、ライ程
  の身の丈がある、白髪混じりの薄い金髪に鋭い眼光を放つアイスブルーの瞳は全てのもの
  を見透かしている様だった。

  「(うわ〜予想以上だ、それにしてもごついな〜)」

  暖炉の前の椅子に腰掛けたロバートソンの顔をちらちら見ながらライはそんなことを考え
  ていた。するとロバートソンと目が合ってしまった、慌てて目をそらすライを無視しロ
  バートソンは口を開く。

  「今日、お前達に集まってもらったのは他でもない魔物騒動の事だ」

  ロバートソンはそのアイスブルーの瞳で3人を見まわす。3人ともロバートソンに注目し
  次の言葉を待っている。そんな様子にロバートソンは表情一つ変えず続ける。

  「私の部下が調べていた魔物が沸いて出てくる巣の入り口を発見した。そこに行き、奴等
  を根絶やしにしてもらいたい」

  その言葉を聞き、今日レイヴンが初めて口を開いた。

  「で、それだけのために俺様達をわざわざ呼んだのか?」

  ロバートソンとは対照的なレイヴンの紅い瞳が彼を睨みつけながら言う。確かにそんな事
  を伝えるだけなら部下に任せればいい事だ、自分がわざわざ出てくる必要など無い、しか
  し次のロバートソンの言葉はその確信と共に3人を驚愕させる。

  「私も出向く、出発は正午だ、それまでこの屋敷で待機する様に、以上だ」

  それだけ伝えるとロバートソンは入ってきた扉から足早に出ていった。後に残されたのは
  驚きで反応の遅れた3人組み…

  「面食らったな、まさか本人自らが行くとは…」

  「まったく、これだから金持ちは!なに考えているんだかさっぱりわからない」

  ハインが幾分か落ち着きを取り戻して呟きライが愚痴をこぼす様に言い放つ。

  「いや、面白くなってきたじゃねぇか、依頼主を守るのも暗黙の了解って奴だ、一人でい
  て死なれちゃ困るからなぁ、俺様が面倒見てやらぁ。なぁハイン」

  レイヴンが悪戯っぽく笑いながらハインを睨む。

  「…ああ」

  ハインはレイヴンと目をそらせて答える。

  太陽はあと2時間ぐらいで真上に来そうだった。





                               小林悠輝


   勘弁して欲しかった。同行する依頼人?
   正に最悪のパターンってやつ。何を考えて、組織の偉いさんがそんな危険な場所まで出  
  向くと言うのか。その場所に用があるというならば、「関係のないものには手を出すな」
  とでも警告しておいて、全て解決した後で行けばいいのだ。

   いきなり無茶言って強引に押し通す人物ほど、それで被害を被れば、自分の他へ責任を
  求めるのだ。つまらない怪我でもされたら後々面倒なことになりそうだし、何より、そう
  なってしまったら、苛立ちを自制する自信はない。掴みかかるか斬りかかるか……まぁ、
  そんなことをすれば、痛手を被るのはこちらだろうが。痛手なんて生易しいことでは済ま
  ないかも知れない。

   そんな馬鹿げた護衛が含まれているのなら請けなければよかった――とそこまで考えて、
  今の自分には、そんな選択肢などなかったことを思い出した。人の間にいるために、あの
  人の言うことには従わなければならない。ずっと昔、気楽に構えて好き勝手やっていられ
  たときとは違う。

  「……勘弁」

   それでもライは、その一言だけは呟いた。ハインかレイヴンのどちらかが鼻を鳴らすの
  が聞えたが、どちらでもいい。僕は機嫌が悪いんだ。

  「あのロバートソンさんて、何考えてるの? 絶対に出てこないと思ったのに、僕の予想
  を裏切った挙句に足手まといになりに来るなんて」

  「場所を考えて、言葉を選んだらどうだ?」

   レイヴンが飽きれたように言ってくる。ライは「そーだね」と肩を竦めて、口を閉じた。
  椅子に深く腰掛けなおし、腕を組んで目を閉じた。
   今まで見えていたものが形を変えて、形という概念を失って、主観の感想が混じらない、
  言うならば“情報”そのものに変わる。或いは、主観しかないのかも知れないが。

   室温は何度だとか空気中の気体の種類割合だとか――そういうどうでもいいことばかり
  が意識を掠めていく。
   腰掛けている椅子の材質は炭素生命体の屍骸? 二つのものが交互に、まるで鎖のよう
  に並んでいる構成。つまり木材。そんな回りくどいこと、知るか。
   どうでもいいことをすべて受け流してしまえば、何も見えていないのと変わらない。

   昨夜の高揚は嘘のように消えて、かわりに、意識の奥が澱のように鈍く曖昧に濁ってい
  る。派手に暴れすぎたせいかも知れない。
   でも、あれは。あの感覚は。なんていうんだろう。久しく忘れていたそういう興奮。

   血が滾る? 心臓が高鳴る? 生身の人間だったころと同じそういう感覚は錯覚に過ぎ
  ないのだろうが、そのときの感情は本物だった。多分しばらく忘れない。闇に輝く血の色
  の双眸――その持ち主との、完全な殺し合い。
   ああ昨夜は気分がよかった。そのせいで今日は最悪に調子が悪いけれど。

   吐き気にも似た不快感さえある。
   だって斃せなかったから。あの魔物[バケモノ]。

   あんなに強いなんて予想外だった。最後は、かろうじて逃げてきたのに近い。だけど、
  この事件で現れたのなら、また会うこともあるだろう。その時には、斃してやる。絶対に。
   戦うことが楽しいと、昨夜、初めて知った。


  「……何を笑っているんだ?」

   そう言うハインの視線の先は、こちらではなくてレイヴンだった。それでもなんとなく、
  つられるようにライも目を開いた。

   巨漢は「面白くなってきたじゃねえか」と返事。その声には、確かに事態を面白がるよ
  うな響きがある。
   フードの奥で彼が笑っている、獰猛さを含む表情がなんとなくわかった。見えたわけじ
  ゃないから、ただの想像かも知れないけれど。

   どうでもいい相手用の客室でさえ、相当の金がかけられている。
   骨董品には詳しくないが、装飾の置物の類は全て本物だろう。偽物を飾ることは、主の
  権威に傷がつく。

   絨毯は――歌劇の一場面が織り込まれた、これも高価そうなシロモノ。
   あまりに精巧すぎる技術をもって“放蕩娘の舞踏”を描いたこれを一般人が手に入れよ
  うと思えば、身体を売ってもまだ足りないだろう。
   そんなものの上に立っているのは、なんとなく落ち着かない。貧乏性なだけかも知れな
  いが。

   少ししたら、それなりに武装したロバートソン氏が戻ってきて、屋敷を出た。
   先頭に立って歩き始めた彼を、他の二人は知らないが少なくともライは、飽きれを含ん
  だ目で見ていた。いくら立派な体格をしていても、年寄りの冷や水という言葉は知ってい
  た方がいいと思う。できれば、知っているだけじゃなくて理解もして欲しい。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



  「ここ……ですか?」

   目の前にあるのは、古びた屋敷だった。ズィーノの街中である。ひどく寂れた一角は、
  恐らく、鮮やかで薄暗い発展から取り残されて捨てられたのだろう。

   繁華街のどこからも距離があり、一目見て明らかに住民がいないとわかる建物も多かっ
  た。この屋敷そのものにも、人の気配はない。場所柄か放置されていたからか、元々明る
  い色ではなかった壁は、真昼の明るさの下でも随分と黒ずんで見えた。

  「そうだ」

   ロバートソンは素っ気無い。一時的な雇い人を相手に、愛想よくする理由はないだろう
  が、それでもその一言だけでは納得できなくて、ライは呟いた。

  「魔物の巣っていうくらいだから、町の外の洞窟か何かだと思ってましたよ」

   ふん、と鼻を鳴らされる。それだけだったが、なんとなく嘲りだか侮蔑だか何かが篭め
  られていたような気がしてならない。
   被害妄想が板についてきたのだとしたら、早々になんとかする必要がある。強引に気の
  せいだったことにして――自分がロバートソンに“貸し出されて”いることを思い出さな
  くもなかったが――、ライはそれ以上の発言をやめておいた。

  「最近まで人が住んでいたようだな」

   ハインが口を開いた。その視線の先は、あまり広くはない庭の植え木だ。この付近には
  あまり生えていない背の低い木は、枝葉が伸びて形が崩れてはいる。この木がどれくらい
  で成長するのかはわからないが……

  「一月前、といったところだ」

  「怪しいな」

   ぼそりと呟いたハインに、今にも笑い出しそうな声でレイヴンが応える。「いかにもじ
  ゃねえか」
   ロバートソンは、いつから人がいないのかは知っていたようで、表情をまったく変えず
  にいる。何か知っているなら、教えてくれてもいいのに。教えられるわけないのは承知し
  ているが。

   ライは肩を竦めてから、また先頭を歩き始めた老人に数秒送れて、敷地に足を踏み入れ
  た。
   足元に敷かれた白い砂利が、複数人の分、音を立てた。

   開け放された玄関の奥は、日中なのにも関わらず、濃い闇に閉ざされている。辿り着い
  て、灯りを灯し、浮かび上がった光景に息を呑んだ。

   無残に傷だらけの床、布切れになった絨毯、割られた窓には板が打ち付けてある。壁の
  絵画は爪痕のようなものに蹂躙され、そして――粉々になった、真っ白い何かの集まり。

   折れた棒と、砕けたボールと、粉のような破片。どろどろとしたものがその周囲に落ち
  ていて、羽虫が群がっていた。

   一瞬後に気がついた。
   数人分の、人の骨。

  「この屋敷中に魔物が潜んでいる」

   ロバートソンの声は何の感情もなく淡々としていた。





                                気分屋


  屋敷自体はあまり広くは無かった。一時間以内に屋敷の探索は終わった。問題は屋敷の地  
  下の研究所。そこが魔物の発生源と見てまず間違いはない。

  「戦力を分散するのはあまり望ましくないが・・・・」

  ハインが切り出した。

  「護衛及び魔物の淘汰は私とレイヴンでやる。ライは壁を透過しつつ発生源を調査して欲
  しい。」
  「分かった。」
  「三時間後にここで落ち合おう。」

  そう言ってライは床へと潜っていった。
  続いて三人は地下への階段を下りていく。埃の積もった石段に、無機質な足音が響く。そ
  れが止んだ時、三人は研究所へとたどり着いていた。空気が違う。明らかに何かの気配が
  ある。薬品の臭い、割れたガラス、壊れたボンベ。惨憺たる有様だ。見渡すと、壁に何箇
  所もの大穴が開いている。その向こうには流れる水の音が。

  「下水にでているらしいな。」
  「ここから湧いてくるってわけか。」
  「穴を塞いでいる暇は無いな。先を急ごう。」

   その時通路の先から咆哮が響いた。

   「来るぞ。」

   獣人の群れが三人に近づいてくる。唸り声と足音の数は相当なものだ。50体は下らな
  いだろう。残忍な捕食者たちを前に、レイヴンはハルバードを構えた。

   「おい。お前も準備しろ。」

   棒立ちのハインに向かってレイヴンが叫ぶ。要請を聞きながらも、ハインはどこ吹く風
  だ。レイヴンは舌打ちすると、飛び掛ってくる最初の一匹の胴を薙ぎ払った。叫び声を上
  げて獣人が壁に激突する。くっきりと残った壁のヒビが衝撃の強さを物語っていた。
   狭い通路内での事、一度に大人数での戦闘は出来ない。レイヴンが楽々と六匹目を屠る。  
  七匹目の胴体をハルバードが貫いた時、二匹がレイヴンの横を通り抜け、ロバートソンへ
  と向かった。

   「ちっ!」

   レイヴンが左の拳を振る。岩石の様な手の甲が獣人の顔面を砕いた。顔の半分が原形を
  失ったそれは、走り出した時の勢いそのままに床に倒れた。

   「行ったぞ!」

   レイヴンの呼びかけに呼応してナイフがもう一体の獣人の鼻に刺さる。致命傷ではない
  ものの、激しい痛みに思わず身を屈める。その後頭部を鉄鎖が砕いた。

   「流石、流石。」

   ハインの拍手に舌打ちしつつ、レイヴンは戦いに集中する。普通の相手なら、戦力差を
  見極め逃げ出しているだろう。ところが目の前の獣人達は怯む様子も見せず、襲い掛かっ
  てくる。その勢いは刻々と激しさを増していった。鋭い爪が漆黒の肌に赤い筋を作る。し
  かしそれ以上に暴風圏のようなハルバードの乱撃は獣人たちを抹殺する。少しでも先端が
  触れれば、その個所は殴られたプリンのように砕け散っていく。飛び散った肉の破片をロ
  バートソンは無表情に眺めていた。

   「終わった。終わったけどな・・・・」

   赤いペンキで塗られたかのような通路に三人は佇んでいた。結局、先程のナイフ以外で
  ハインは一度も戦っていない。レイヴン一人で計63体の獣人を全て始末したことになる。

   「少しは手伝おうと思わないのか?」
   「ま・・・・一人で十分だから余計な手出しもと思ってね。」
   「ふん。」
   「そう言うな。なんたってこっちはレンジャーなんだからな。」

   「レンジャー・・・・な。」昨日の出来事を思い出しながらレイヴンは苦笑いを浮かべ
  た。目の前の男がただのレンジャーなら古竜だって小猫だろう。ハルバードについた血を
  拭き取りながら、何食わぬ顔でハインに殺気を送る。少しでも修羅に身を置くものなら反
  応せずにはいられない気配に、しかしハインは気づく様子も無かった。これなら一撃で頭
  を粉砕する事も容易だ。二歳児でももう少しは警戒心を持っている。

   「さて、どちらに行くか・・・・」

   レイヴンの思惑とは裏腹に、ハインは眼前に伸びる三叉路を眺めていた。

   「こっちだ。」

   ロバートソンが右手の通路へと歩いていく。それを二人で追いかけながらハインがレイ
  ヴンに話し掛ける。

   「昨日、あの場所にいた中で、お前が一番強かったよ。」
   「何?」
   「オウガだとか、鉄鎖の扱いとかそういう問題じゃなくて、本質の差としてな。あの晩
  の五人の中で私と戦う権利と資格を持っていたのはお前だけだ。実力の話もそうだが、も
  っと根本のところで。」
   「・・・・・」
   「この依頼では関係ない話だが・・・・もしも、仮に、別の場所、別の時にお互い戦う
  ようなことになったとしたら・・・・その時は期待している。」
   ロバートソンの背中を追いながら、二人は研究所の闇に消えていった。





                                 ケン


  地下水路をあるていど進んでいたら大きく開けた場所に着いた。そこには大きな扉がある  
  だけでこれと言って気になるような物はなかったが明らかに尋常ならぬ気配を感じる。

  「おい、ハイン」

  にやりと口に笑みを浮かべたままレイヴンがハインに話しかける、その表情に怪訝な顔を
  してハインが口を開こうとするが…

  「食われるぞ」

  さえぎる様にレイヴンが相変わらずのにやけた笑みでわけの解らない事を言う。
  ハッとして後ろを振り返るハインが見たものは、まるで空間そのものが獣の口の様に開き
  今まさにハインに食らいつこうとしている瞬間だった。

  「!!?」

  獣の口が閉じるのより早くハインはその場を飛びのく、1秒でも遅ければ食われていただ
  ろうがあのタイミングでかわせるハインもまた尋常ならぬ運動神経を有していた。

  「な、なんだ今のは?」

  何もなくなった空間を見つめてハインが誰にでもなく問うがロバートソンは剣を抜き、レ
  イヴンは面倒くさそうにハルベルトを構える。

  「見えない魔物…シャドウだ、どうやらこの扉の門番みてぇだな」

  「説明はいい、攻略手段はあるのか?」

  ロバートソンが警戒しながら聞くがそれにレイヴンは悪戯っぽい笑みを浮かべると

  「奴は攻撃をする時に一瞬だけ姿が見える、それも攻撃に使った身体の一部分だけな、丁
  度さっきの口の様にな」

  シシシと笑いながら答えるレイヴンはちっとも危機迫るという感じではなかった、もしか
  すると敵の位置がわかるのかもしれないが、それでも動こうとはしない。

  「来るぞ」

  レイヴンの声とほぼ同時にロバートソンの目の前の空間が歪む。





                               小林悠輝


   埃っぽい空気が湿り気を帯びると――或いは湿った空気が埃っぽさを帯びるとどうなる  
  かというと、生臭い、というような表現がぴったりの匂いが発生する。気体を媒介にして
  実態を描く身としては、こういう場所に“出現する”のは、あまり気分のいい場所ではな
  かった。おまけに……ほんの少しだけど、ここにもあの甘い匂いが漂っている。

   マトモに取り込んでしまったかと思うと、尚更気分は悪い。それが自分に何か影響を及
  ぼしている、ということはないのだが。今のところ。

   愛想の欠片もない殺風景な廊下を歩いていくうちに、いくつかの扉を通り過ぎた。
   一応一通り見ながら進んでいるが、大して目ぼしいものはなかった。

   金属製の鋼鉄の扉が破られて床に落ちているのも、ここが魔物騒動の発端ならば別に特
  別目を引くことではないように思えたし、その向こう、かなり広い部屋の床には、壊れて
  ただのガラスの破片の集合体になった水槽らしきものがあった。
   らしい、というのは、文句のつけようもなく残骸になっていて、本当の本当に水槽なの
  かと問われれば断言する自信がもてなかったからだ。
   他にははぜ割れたボンベだとか、何かの金属の破片だとか、紙切れだとか。紙切れは拾
  ってみたが、もう文字は判別できなかった。

  「…………」

   独り言の癖はない。一人になれば、静寂のみが訪れる。
   静かな場所にいるのが怖い。心臓の音が聞えない。

   無音で苦笑を漏らして、ライは上着のポケットから小さなライトを取り出した。
   カチ、と、これは音を立てて灯りが灯る。
   これも幻影だが、暗闇の中で自分の視覚を働かせるには――受け止めきれずに捨ててい
  く認識情報の中から視覚に相当するものを拾い上げるには――必要な手続きだった。

   通路の先に光の輪が灯り、大人が何人も並んで通れそうな広い通路が照らし出された。
  少し先は曲がり角になっている。

   足元の埃は、よく見れば、色々なもので蹂躙されていた。

   大型の獣のような大きな足跡、小動物のものに似た小さな足跡、裸足の人間らしき、た
  だし指が四本しかない足跡、何か昆虫が這いみたいに見える跡。
   何の統一性もないその群は、一様に、一方向を目指していた。自分が背中を向けている
  方。つまり、屋敷の一階へ昇る階段。本当にそちらへ行ったのかはわからないが。
   途中で別の場所に向かっているかも知れない。

   これを追ってみようかと思って、やめた。

   連中の駆除は、他の二人がやると言っていた。
   原因を探るならば、もっと奥へ行くべきだ。

   それでも少し引き返せば、さっきの破れた扉の向こうの部屋からも沢山の足跡が出てき
  て、廊下の群と合流していた。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



   カンッ! と、ライトが床に落ちる甲高い音が通路に響く。
   光の輪が激しく揺れ、回転して視界で黒と白のコントラストが踊った。それが余計なも
  のを引き寄せはしないかという危惧を一瞬だけ抱いたが、異様な叫び声に、すぐ前方に意
  識を戻した。

   そこにいるのは、巨大なトカゲだった。竜なんて高等なものではない。直立しきれない、
  出来損ないのリザードマン。うん。この表現はなかなかしっくりくる。

   皮膚の表面を覆う粘液に剣の一撃を逸らされて、喉元に伸ばされた敵の手を逃れるよう
  に姿を消す。
   予想外のことに体勢を泳がせた敵の側面に現れて、そのまま背中を蹴り付けて、倒れた
  それの頚骨を警棒で砕いた。

  「……いや、卑怯だよね? 都合いいよね? わかってるよ」

   特に意味があるというわけではなかったが、なんとなく言い訳してみる。
   刃に粘々したものがついてしまった剣を投げ捨て、ライトを拾い、周囲をざっと照らし
  てみた。これだけ静かな場所ならちょっとした音を立てただけでも気付かれるだろうから、
  少しくらい目立つことをしたって関係無い。

   特に異変は見当たらなかった。
   相変わらず、無愛想な廊下が前と後ろに続いている。
   後ろはしばらく行くと曲がり角になっているはずだから、その向こうはわからないが。
  何か隠れているなら出てきてもらうために、角の向こうからも見えるようにライトの光を
  壁に当ててくるくるっと動かしてみた。

   それから急に馬鹿馬鹿しくなって――すべてが、だよ。こんなところにいること自体が
  ――、ライは溜め息をつくと、先へ進んだ。相変わらず埃のたまった床は、このあたりに
  なると足跡らしきものはなかった。一つ前の扉から出てきたのが一番奥だったみたいだが、
  その部屋も今までと同じで、何も目を引くものはなかった。

   次の扉は、さっきの大きな部屋に繋がっていた。
   どうやらこの通路は、この、たぶんメインの実験室か何かなのだろう部屋を囲うように
  続いているようだ。一回りして終わりかねない。
   とはいえ庭も含めたらかなり広い敷地全体を満遍なくここを作っているのなら、まだ半
  分も見ていないが。

   ――いや、多分、この先に何かある。だってさっきより、あの匂いは濃くなってるから。
  仮とはいえ自分の体のいくらかを、わけのわからないものが構成していることを意識して、
  ライは顔をしかめた。さっさと終わらないかな、こんなこと。退屈だし。

   もう少し面白みがあってもいいと思う。さっきのだけじゃ物足りない。もう少し強い相
  手じゃないと面白くない。心の奥に、軽い欲求不満が溜まり始めている。新しい遊びを見
  つけたら、相手を探して楽しみたいと思うのは当然だ。さっきのトカゲ相手みたいな一方
  的なのじゃ……満足できる、わけがない。

  「っ!」

   べちゃ、と湿った音を立てて、目の前に何かが落下してきた。這いつくばって、わらわ
  らと、あり得ない数の腕を動かす、肌色の。人間? まさか。
   腕が三対以上あって、その関節が多い生き物を人間とは呼ばない。これなら自分の方が
  人に近いのではないかと思ってから、ライは笑みを浮かべた。同時に、剣を翳す――襲い
  かかってきたその腕を適当に受け流し、そのままびょんと異常な跳躍力で天井近くまで飛
  び上がった敵に、長剣を投げつける。

   人間にそっくりな顔が大きく口を開いて、長い舌でそれを巻き取った。ケケ、というよ
  うな笑い声が耳障り。

   ふっと呼気して――必要ないのだが、これは癖だ――、ライは落下途中の化物に、二本
  目の剣を横薙ぎにした。あっけなく躱される。

   剣の腕にはまったく自信はない……が、素手で挑むよりは現実味があるような気がする。
  警棒? ああ、使わない。殴りつけるよりも、切る方が気持ちいいじゃないか。腕を落と
  すには技量が足りないのは事実で、残念だけど。
   もう少し訓練しておけばよかったのに、と、何年も前の昔の自分に愚痴った。

   激しい動きにライトは見当違いの方向を転がり、実像と闇の世界がころころと転がって
  いる。鬱陶しい、と近くに投げ捨てれば、またカンと音がした。

   ケケ! と化物が奇声を上げる。眉を潜めて構え直せば、その隙に……頭上を飛び越え
  て、それは、ライが元きた通路の方へ行ってしまった。

  「……なんだったんだ」

   物足りないが、追うべきか。今更一匹くらい見逃したところで変わらない気もするが。
   迷いながらライは灯りを拾って、通路の奥と戻り道を交互に照らした。闇の向こうから
  噎せかえるような花の香りがしてきていて、そちらから……低い、地鳴りのような音が、
  聞えた。





                                気分屋


   シャドウの牙が体をかすめる。下手をすれば骨ごと持っていかれるであろうその顎は正  
  に死神の様だ。レイヴンの肩に生暖かい感触が伝わる。その瞬間、上体をそらせたのが幸
  いし、彼の肩は原形を止めた。
   矢継ぎ早に繰り出される噛み付きに防戦一方となってしまう。

   (ここで解除するのも面倒だしな・・・)

   「とりあえず・・・・・・・・」
   「逃げるか。」

   レイヴンがロバートソンを抱え、ハインと共に走り出す。先程の分岐にたどり着いて一
  息。シャドウは追ってこない。

   「成る程。門番だけあって、追ってこないな。」
   「で、どうするかだが・・・・・」
   「これだな。」

   ハインが獣人の死骸を見つめる。

   「4体もあれば良いだろう。」

   レイヴンが3体、ハインが1体の死骸を背負い、再び扉へと戻っていった。
   扉の前、再び嫌な気配が辺りを包む。その気配が室内を覆い尽くす前に、ハインの脇差
  が一閃した。同時に4体の死骸が弾ける。粉々になった死骸は床一面に血溜まりを作った。

   「後は任せた。」

   風車のように刃を回し、血を弾きながらハインが事務的に呟く。姿の見えない存在でも、
  床の血溜まりにくっきりと足跡を残しては何の意味も無かった。
   床一面の赤い液体が凹む。その凹みはレイヴン達の方へ着実に近づいて来る。爆砕音を
  立てて、ハルバードが振り下ろされた。腐った果実を割るような感触と共に、何かが倒れ
  る。それは元来の姿を徐々に表していった。大型の猿の胴体に、肉食獣の頭部。だが、レ
  イヴンはシャドウの体よりも、斬られた死骸の方に興味を注いでいた。

   「斬った筈なのに砕けているとはな。」

   確かに死骸はミキサーにかけたみたいに粉々になっていた。

   「そろそろ行こう。」

   ハインが扉を開けた。





                                 ケン


  扉の先は広い研究室のような所だった、所々に薬品の入っていたであろう瓶や何やら妖し  
  げな容器などが転がっている、すでに死んでいる魔導機械の列は不気味そのものだった。

  「ここで小休憩だが周囲の警戒は怠るなよ」

  と言ってロバートソンは研究室の奥の方へ消えて行った。

  「どうしたレイヴン、考え事か?」

  先ほど(と言っても数分前)から何か難しい顔になっているレイヴンにハインが話しかけ
  る。

  「いや、1時間半くらい前に四人分の気配を感じていたんだが、ついさっき見失った。お
  そらく死んだか…空中にでも浮かんだか、まあどっちにしろこっちとは逆方向に進んでい
  たからな、気にする事じゃねぇな…」

  レイヴンは悪戯っぽい笑みを浮かべ答える。

  「ほう、そんなことも解るのか?」

  「地面に触れてる奴なら何所にいようが解る、まあ逆を言えば地面から離れちまっちゃ全
  然わからねぇ、まあ誰が誰か解る様になるには相当な訓練が必要だがな」

  「…『土』か」

  ハインの言葉に驚いた風もなく、それどころかそれを予想していたかのようににやりと笑
  う。

  「ああ、便利だぜ」

  「先ほどの言葉を聞いているとレイヴンはかなりの使い手なんだな」

  真顔で言ってくるハインが面白かったのかレイヴンも悪戯っぽく笑う。

  「魔法はあまり得意じゃねぇがな」

  「だがこの地下通路には無数の怪物も徘徊している、そんな中から四人も人間の気配が解
  ったんだからな」

  「人間かどうかはわからねぇぞ」

  そう言うレイヴンの言葉にハインはレイヴンとは違う種類の笑みを浮かべて答える。

  「いや、それらが人間である事をお前は確信している、そしてそいつ等が誰であるかも、
  お前はわかっているはずだ、だからあんな顔をしていた」

  ハインの言葉に「ふぅ」と溜息を漏らしレイヴンは相変わらずの悪戯っぽい笑みを浮かべ
  る。

  「へぇ、えらく俺様を買かぶっている様だな」

  「そうでなくては困るからな」

  真顔でそんな事を言ってくるハインにレイヴンはまたも溜息を漏らす。
  そんな中、ロバートソンが何やら見なれないスーツケースのような物をもって出てきた。
  もちろん、レイヴンとハインは中身が何かなどは聞きはしない、関係ないのだから。

  「引き返すぞ、待ち合わせ時間までには丁度良いころだ」

  平然と言ってくるロバートソンに二人は黙って従い、もときた道を引き返し始めた。





                               小林悠輝


   扉の先に広がっていたのは、異世界だった――ほんの刹那だけ、そう錯覚した。
   毒々しいピンクの乱舞。石壁も床も埋め尽くし、咲き誇っているのは無数の花々。噎せ  
  かえるような匂いは、吐き気がするほど甘くしたケーキよりも悪質だと思った。つまり、
  最悪。頭の芯から麻痺しそう。

   多分、魔物が出現したときに感じた匂いと同じだろうと思ったが、ここまで濃くなると、
  まったく同じとも言い切れない。こんなところに相似があるのも不自然だから、同じなの
  だろうが。

   もっと中をよく照らそうとライトを持った腕を上げると、空気が色をもって粘りついて
  きているような気がした。

   床に壁に、本棚に取り付き机を飲み込み、天井までを埋め尽くす花々、その根はまるで
  血管のようで、この部屋だけ何か、生き物の体内にも似て見えて。
   毒々しいピンクの合間を、妙に黒ずんだ葉と蔓が埋めている。太い根はでこぼこと隆起
  し、存在を主張している。気味が悪い、というのが第一の感想だった。愛想の悪い廊下に
  飽き飽きしていたとはいえ、これは少々、度が過ぎるのではないか。

   広くはない、むしろ狭いといっていい部屋だ。
   資料室か何かだったのだろう。左右の壁を隠すように本棚があって、まだ当たらしい紙
  束から古い書物まで、様々なものが置かれている。何が書かれているのかまったく興味が
  ないというわけは勿論なかったが、それを確かめるのは不可能そうだった。

   何か、実験に使っていた植物が、管理を失って異常繁殖したのだろう。
   ここは魔物に荒らされた様子はないから、あり得るといえばあり得ることかも知れない。
   たとえ闇の中だって、花は咲く。

  (ここには何もない……かな)

   このまま三人と合流して、何も成果がなかったと言ったら、皮肉の一つや二つは言われ
  そうだ。だが、報告することを探す、というのも何か言い訳めいたことをするようで気が
  進まなかった。

   本気で仕事をしようと思うのならば、成果を求めることを言い訳とは思わないだろうが、
  今は限りなくやる気がない。こんなところを一人で歩いているせいでもあり、甘い匂いが
  強すぎて意識がぼうとしてきているせいでもある。そうだ、昔から甘いものは嫌いだった。
  チョコレートは好きだったかな、やっぱり今は嫌いだけど。

   早く帰りたい、その思いだけが膨らんでいた。だから暗いところにいるのは嫌なんだ。
  辺りの景色と同様に、思考まで闇に沈んでいきそうだから。

   溜め息をついて、魔界色の花々に背を向け廊下を引き返そうと……した、その手が細く
  鋭い何かに払われて、明りが床を転がった。

  「っ?!」

   出鱈目な軌跡を描くライトに目を奪われた瞬間に、ヒュッと空気を裂く音がして、首に
  紐がかかるような感触があった。
   ぐっと強く引っ張られて喉が詰まる変な声が漏れる。あっけなくバランスを崩して、花
  の群生に背中から倒れた。床に直接ぶつけられることはなかったものの、背中に根や茎が
  当たるごつごつした痛みを感じた。

   面倒なことになったなぁと思いながら、昨日の夜のハインの言葉を思い出した。
   あの匂いを、彼はフェロモンの一種だと言っていた。普通、植物が分泌するものではな
  い。つまりこの花々は、ただの無害な植物ではないということ。

   まぁ思い出しても思い出さなくても同じことだが。
   現在進行形で首を絞められていれば、ヒントなんかなくたって、これはまず間違いなく
  有害確定だ。

   蔓を手で緩めようとしたがまったく無駄だったから、頭を動かさないままでライトの灯
  りを探った。甘い匂いが折重なるように圧し掛かってくる。光は見つけられなかった。

   周囲の植物がざわざわと蠢き始めた。まるでこちらを飲み込もうとするように――よう
  も、もなにもない。そうしようとしているのだろう。ぎぢ、と鈍い音がしてコートの袖が
  裂け、痛覚のない右腕に巻きついた。

   闇の中でも花は咲く。養分さえ、十分にあれば。とはいえ、ここに訪れる者などいなか
  っただろう。さぞかし餓えているに違いない――自分と同じだ。
   いや、この植物からしたら、自分は我侭かも知れない。

   血流と共に生命の活動を堰き止めようというような強い力。今、自分の右腕に血は流れ
  ていないけれど。ただ、ミシと骨が小さく悲鳴を上げた。首元で、蔓の先端が古傷の痕を
  探り当てたのがわかる。

   苦笑してライは、姿を消した。

   獲物の突然の消失に植物は周囲を探ったようだが、すぐに諦めてまた静寂を取り戻す。
   廊下に現れ、ライトを拾い……ぐらりと周囲の景色が歪み、倒れかけて壁に手をついた。
   昨日今日と調子に乗って暴れすぎたらしい。自然回復を望めないくせに後先を考えない
  で。

   ここにも甘い匂いがしている。軽く拡散しかけた意識を更にかき回されているような心
  地になって、苛立ってきた。駄目だ、どうも調子が崩れている。完全に精神的な面で。

  (近くに誰かいないかな。できれば、いなくなっても誰も騒がないような人)

   その思考に対して、まず都合がよすぎる望みだと思った。あのピンク色の群生を見た直
  後だと、尚更に。
   その後で、慌てて否定した。人間を糧にする? 冗談じゃない。
   化物になるにはまだ早い。

   ライトを廊下の先に向けた。
   散々に落としすぎて壊れたのか、光の輪はさっきよりも少し暗かった。舌打ちする。

   しばらく歩いていくつか角を曲がると、そのうち、そこに浮かび上がる数人分のシルエ
  ットが見えた。

  「……よく会うね」と、ライは目を細めて笑いかける。なんで自然に笑顔が浮かんだのか
  はよくわからなかったが、やたら疲れていると、笑いしか出てこない、ということだろう。
  人がいた、ということが嬉しくもあった。これも何故かわからない。
   相手は、光のせいで先にこちらに気付いていたらしい。声を掛けられても、驚きの気配
  はなかった。

   人影は四つ。
   黒髪の少女と、紫紺の髪の少女。金髪の男が二人。そのうち三人には見覚えがあって―
  ―昨日の夜、この女の子をちょっと可愛いなと思ったのだ――、更にそのうち一人には。

  「こんなところで何してるの?」

   ほがらかに問いかけながら、ほんの微かに、押さえ切れない敵意を纏う。この人は、次
  に会ったら殺してやるって決めてたんだ。