<少女と花屋と青い瞳の少年> 蒼井りせつ
雨は汚れた石畳を叩き、激しく跳ね返る。
激しい雨の前に、人々は傘を差すことさえなく、そもそも家の外に出ることさえなく、
この雨で家がつぶれてしまわないかという、およそあり得ない不安に駆られながらじっと
身を潜めているだけだった。
昼間だというのに世界は青く灰色の世界に包まれる。
人気のないモノトーンの町は、それ自体が高名な画家が描いたかのような完璧さと、同
時に空虚さを感じさせる。
そもそも、空虚であり人間が居ないことが、完璧であることの条件なのだ。
モノトーンの町に影が一つ。
それは世界の中で唯一赤いもので、誰が何も云わなくても特別の存在であることを物語っ
ている。偉い学者が、その特異性を高らかにうたいあげたところで、それが赤色である、
という事実の前では無意味な説明に過ぎない。
赤いそれは、モノトーンの世界の中でゆっくりを顔を上げる。
少女。
年齢は12かそこいらだろうか。
赤は彼女の差す傘の色だった。折からの激しい雨に打たれてすっかり弱ってはいたが、
まだ彼女を守るだけの体力は残っていると見えて、一踏ん張りを見せている。彼女はとい
えば、そんな傘の努力を気にかけるでもなく、幼さが残りつつも凛々しい面を上げる。
「お父さん、お母さん」
町の真ん中で少女は呟いた。激しい雨の音にかき消える彼女の声。弱くか細いその声は、
しかしながら、彼女の存在までは消し去らなかった。
「私は……どうしたら強くなれるの?」
答えが得られようはずもない。
それは少女にも十二分に理解できることのはずだった。
「私は……どうしたら一人で生きていけるくらい、強くなれるの?
お父さんやお母さんが居なくても生きていけるくらい、強くなれるの?」
答えを求めているのか、問うことそのものが答えなのか、それさえも分からぬまま、少
女は赤い傘を差す。
雨は、よりいっそう強くなっていく気がした。
「私、強くなれるんだったら何でもする。
一人で生きていけるくらい頑張る。
頑張るから……。
どうやったら強くなれるのか、教えて……」
傘は雨に揺れる。
それでも少女を守る。
その健気な赤が、モノトーンの町で霞んでは現れる。
それは少女の悲しげな表情を隠し、彼女が得たい力を空想させる。
それが答えだったのかもしれない。
納得しない。しないが、得られるものがそれしかない以上、彼女はそれを享受するしか
なかった。
「……分かった」
少女は小さく呟くと、再び面を下げる。
傘は再び雨の中で揺れる。
エリ・バクスフォード、12歳の祭日。
その時、彼女の求めるものを与えてくれる存在が、彼女の側に居ることを、まだ彼女は
知らない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「やっほー、エリ」
奉公先の花屋で大きな鉢を表に出しているエリに声を掛けるものがあった。
「ん?」
見上げると、其処には彼女が見慣れた顔がある。
「あ、ああ!」
彼女、ニナは短いブロンドを揺らして軽く手を挙げる。
エリは鉢を置くと、小走りに駆け寄ってニナの手を握った。
「ニナお姉ちゃん!久しぶりじゃない」
「うん!久しぶり!」
傍目に見てもそれが旧知の仲だと分かる二人は、お互いに手を取り合い、再会を祝う。
「元気だった?」
「うん。だからここに来れてるんだよ」
「ああ、そっか……」
ははと笑いながら、ニナの姿を見る。
短いブロンドによく似合う、厚手の皮の服と長いマント、ブーツ。腰には彼女の細く綺
麗な指には不釣り合いな、無骨な剣が差されている。
「へぇ、まだ冒険者やってるんだ」
「まだ、っていうのは失礼ねぇ」
あまり失礼ではなさそうに云う。
「好きでやってることだからね」
「うん。分かってるよ」
エリは微笑んだ。
何よりも、今のニナの表情が幸せに満ちていたからだ。
「とりあえず、中で話をしよ?」
「いいの仕事は?」
「うん。今日は私一人で店番だし。お客さんもそんなに来ないしね」
「うん。分かった」
エリはニナを招き入れる。
正直に言えば、彼女の幸せそうな顔が、少しばかり羨ましくて、そして、妬ましかった
のだ。
「で、何とか無事にローレンの首輪をゲットできた訳なのよ」
「へぇ」
楽しげなニナの冒険譚を聞きながら、エリはマルフォリッツの茶葉を深めに煎れる。ニ
ナの好物なのは知ってたし、エリの好物でもあった。
「でも、すごいじゃない。そんなものを手に入れちゃうなんてさ」
「っていっても、私一人の力じゃないしね。セクシーな冒険者のお姉さんがついててくれ
たから達成できたと思うよ」
「でもこれでニナお姉ちゃんのギルドランクも一つアップ、ってかんじ?」
「まだまだよ」
ニナに合わせてエリも煎れたてのお茶を飲む。舌先を刺激する苦みと、その奥に微かに
感じる甘みが好きだった。
「ああ、でもいいなぁ、お姉ちゃんは」
「なによ、溜息ついちゃって」
「だって、憧れの冒険家になれたんだもの」
「うーん、まあそうだけどさ」
照れたように、と云うよりは困ったように頭を掻く、ニナ。
「でもまあ、やってみるとやっぱり大変だよ」
「それでも、やっぱりやりたいよ。冒険家」
子供の頃から自分も望んでいた未来を手に入れたニナに、エリは正直憧れを持っている。
今の生活が別段不満に満ちたものではない。
「毎日毎日花を仕入れて、水をあげて、手入れして」
その事に不満はない。花は嫌いでもないし、奉公先の花屋の主人はとても気のいい人だ。
「でも、何かが足りないと思うのよ」
「高望みじゃないのかなぁ?」
「そうかな?」
「それでも、その足りない何かが冒険だ、っていう風には繋がらないんじゃない?」
「それは、お姉ちゃんは冒険家だから良いけど……。
私はもう、冒険家にはなれないから」
「うーん……」
それを云われると、ニナは次の言葉をどう続けて良いのか分からなかった。
エリの事情は分かっているし、それが故にエリは自分の夢を諦めなければならなかった
ことも知っている。
「でもさ、だったらなおさら諦めないと」
「分かってて諦められるなら、もう諦めてるよ」
そういって微かに笑んだエリの表情は、ニナには直視するのも辛いものだった。
その時、階下の店の方で物音がした。軽やかに鳴り響くベルの音。
「あ、ごめん、ちょっと行ってくるね」
エリも自分の言葉がニナをどう思わせているのか分かっているのだろう、ほとんど逃げ
るように席を立つ。
ニナも止めはせず、小さく頷いた。
エリの階段を下りる足音が徐々に小さくなるにつれ、ニナの心には深く重たいものがの
しかかってくる。
「なにか、エリが今の現状で満足できるようになれば、夢を諦められるかもしれない。変
な幻想を追わなくて良いのかもしれない」
長袖をまくる。
深く刻まれた線状の傷は、未だ赤く疼いている。おそらく、一生治ることもないのだろ
う。
彼女にも覚悟はあったはずだが、それを見るにつけ、自分の選択が誤りだったのではな
いかと思わされる。
「エリには、普通に生きて欲しい。普通に花屋をやって、普通に恋をして……」
***
「はい、いらっしゃいませ」
エリが下に降りると、そこには当然だが人がいた。
若者、という形容が一番正しいだろうか、少し長目の金髪を後で縛っていたりする。
青い瞳が、穏やかそうな彼の心を表しているようだった。
「あ、どうも」
若者は少し自信なさそうに答える。
「どの花をお探しですか?」
「あ、いや、実は花の名前とかってあまり知らなくて……」
自信のない理由はそれだった。
つまり、こういう場所に来慣れてないのだ。そういえばこの大きくない町で、彼の姿を
見たことはあまりない。
「うーん、じゃあ質問を変えます」
ご主人仕込みの営業トークを披露する絶好のチャンスだ。
「どちら様にプレゼントされるんですか?」
「えっ?」
驚く若者。青い目が大きく開いて、エリをのぞき込む。
「どうしてプレゼントだって?」
「お客様お花に詳しくないようですし、だったら自分で部屋に飾るために買う、ってこと
はないと思うんですよ。だとしたら、プレゼントしかないじゃないですか」
「絵を描くために買う、っていう人も居るんじゃないの?」
「そういう方は、自分で気に入った花を持って行かれますので」
ここまでは、ご主人のトークの見よう見まね、というか、まるまるそのままだ。
「でも、残念だけどプレゼントじゃないんだよ」
「え?」
「うん、お父さんとお母さんにね」
「あ、えっと……」
若者は笑みを浮かべる。笑ってはいるがそこからは喜びは感じられない。
そして、それは自分がよく浮かべるものと同じだということを、エリは知る。
「あの、じゃあえっと、この花はどうですか?」
隅の方に活けてあった花を持ってくる。
若者の瞳と同じ、青い色の花。大輪ではないけれど、小さくて控えめだけど、見ていて
安心するものが其処にある。自分をしっかりと見守ってくれているような。
「ロクスルの花です。去りゆくものを見守ってくれる、という花です。
私の大好きな花でもあるのです」
若者は手渡されるロクスルを手に取る。
きっと喜んでくれるだろうという確信が、若者にはあった。
「これもらうよ」
「ありがとう御座います」
いつもより深く、エリは頭を下げた。
「それでもう一つお願いがあるんだけど?」
「はい。なんでしょうか」
「カードを書いて欲しいんだ。花と一緒にあげるから」
「分かりました」
カウンターの方に小走りに走り、一枚の白いカードを出す。装飾も何もない、ただの真っ
白な紙。
「どのようにお書きしましょうか」
「こう書いて欲しいんだ。
お父さん、お母さんへ」
云われたとおり、その名を記す。
「……」
若者はそこで言葉を止める。
続きの言葉が出てこないのだ。
「うーん……」
「お客さん?」
「あ、ちょっと待って」
「あの、こういう時って、変に文章なんか書かない方が良いと思うんです」
「そう……かな?」
「はい。私もよく迷うんで」
エリはにこりと笑う。そこにはうれしさが、少しだけだがあった。
「そういう場合は、自分の名前だけ書いて終わりにします。それでも、気持ちは多分伝わ
るだろうし」
「うーん、そっか。」
頭をぽりぽりと掻く。長い金髪が少しだけ乱れる。
「じゃあ、名前だけこう書いておいてください。
フレーズより、と」