小林悠輝
無機質な足音を響かせて暗闇から現れたのは、小柄といってもいい大きさの人影だった。
黒く塗りつぶされた世界に慣れた瞳に突き刺さる陽光を遮った腕は浅褐色。少し乱れた
髪が、光を塗りつぶしたような艶消しの漆黒を景色に加えている。
くすんだ白を基調とした衣装を纏った人影の特徴を挙げるならば――遠めにでも目立つ
それらの色と、腰に佩かず、体の横に垂らされたもう片方の手に握られた剣だろう。柄に
納められていても細身のシルエット。
「……はぁ」
人影は溜め息をつき、ほんの少し前まで身を浸していた暗闇を振り返る。そこにあるの
は、木々に埋もれた古い建築物。
崩れ苔むした石造りに辛うじて、内部へと続く通路の一部が顔を覗かせていた。地元の
住人には、化物の住処として恐れられる、いつの時代のものとも知れぬ神殿跡だ。
肺に残っていた闇の冷気を搾り出すように大きく吐息。ゆっくりと頭を振ってから、人
のものでない言葉で囁いた。
「困ったな……ここもハズレなんて」
風に揺れた髪が顔にかかるのをぞんざいに払う。先のとがった耳が僅かに露出する。
「期限まで、もう何日もないんだけど……」
★ ☆ ★ ☆ ★
時は、数日前に遡る――
Bランクハンターのアルト・クラリネットが請けた依頼は、極めてシンプルなものだっ
た。
即ち、“行方不明になった娘を探し出し、保護して欲しい”。これに“一刻も早く”だ
とか様々な装飾語がつくわけだが、要点を抜き出せば前述の一言で事足りる。そして今回
に限っては、依頼人が誘拐犯の目星までつけてくれた(なにやら恨みを買った覚えがある
らしい)のだから、ますますもって単純な仕事だ。その容疑者とやらを探し出し、なんら
かの手段で娘を返してもらう。その手段には勿論、暴力も含まれるわけであるが。
上手く立ち回れば大抵の相手には負けるつもりはない――娘を人質に取られない方法を
考える必要があるだろう。それさえ解決できれば、単純なだけではなく簡単な依頼だと、
アルトは思っていた。
その容疑者の情報を聞くまでは。
「……もう一度、言っていただけませんか?」
依頼人が発した一言を聞いたアルトは、たっぷりと時間をあけてから、落ち着いた口調
で問い返した。依頼人の男――つまり行方不明になった少女の父親は、気まずげに咳払い
してから、目を逸らし、妙に早口で繰り返した。
「吸血鬼なんです」
聞き間違いという奇跡を望んでいたアルトは、紫の瞳を填め込んだ双眸を細めて沈黙す
る。目の前の男にじっと視線を合わせて……十数秒。耐え切れなくなった男は急に開き直っ
たように「だって!」と大げさな身振りで声を上げた。
「真正直に吸血鬼退治なんて書いたら、誰も相手してくれないか、なんかヤバい奴が来る
かの二択になっちゃう気がしたんですよぉ!」
「そのカンは、非常に正しいですけどね……」
吸血鬼。読んで字のごとく、人の血を吸う化物。
魔族や竜族と並んで、人々の恐怖の代名詞と云ってもいいほど有名な存在。実在する固
体は少なく……しかし、その残虐性と、人間を圧倒的に凌駕する戦闘能力で、常に恐れら
れ続けてきた。ギルドに属するハンター、或いは遺跡や古城といった危険に潜ることを生
業とする財宝探し屋にとって、絶対に相手にしたくない敵ナンバー5にしっかり入ってい
る。
「普通の人なら避けますし……寄ってくるのは、戦闘マニアかワケ有りさんくらいでしょ
うねぇ」
「ほら、やっぱり! 隠しといて正解だったじゃないですか!」
「ほらやっぱり正解、じゃありませんよ」
アルトは力なく首を横に振って、困ったような笑顔は崩さぬまま、静かに抗議した。
「確かに、条件がよすぎて危ないかなぁとは思いました……多少のことは覚悟していたと
はいえ、よりによって反則系で来ますか。笑って許せるレベルからちょっとオーバーして
ますよ」
「ですから……その」
男は口ごもる。背中を丸めた姿勢から上目遣いにアルトを見遣り。
「ハンターさんとはいえ、万が一ということもありますから……断っていただいても……」
アルトは無言で、右手を口元に軽くかぶせ、中指の節を唇に触れさせた。少しの間、そ
うして思考し、それからアルトは首を傾げる。
「それは、つまり――私では、吸血鬼の相手はできないと思っていらっしゃる?」
すっと目を細める。隠した口元が薄い笑みに歪む。それだけのかすかな脅し。
しかし男は言葉を詰まらせて視線を逸らした。
「まさか、あなたみたいなお嬢さんだとは思わなかったんです」
アルトの表情がわずかに変化するが、男は気づかない。弁解を続けようとするのをアル
トは「大丈夫です」と短く遮り微笑んだ。その表情と声がほんの少しだけ強張っているが、
男はそれにも気を留めなかった。
「危険な目に遭うのが仕事ですから。吸血鬼を相手にするのは初めてじゃありませんよ」
★ ☆ ★ ☆ ★
頼りになるようなならないような言葉を並べ立て、その仕事を放棄しなかったのは――
どんな理由があれ、一度請けた仕事を放棄するのはハンターとしての評判に関わるからだ。
アルトは名声を欲しがるタイプではなかったが、悪評は避けるべきだと思っていた。
人間に比べて小柄な体躯と先の少しとがった耳はエルフ族の特徴。問題は、古代に邪神
と契約を結んで闇に落ちたと伝えられる邪悪な妖精種族のみがもつ、浅褐色の肌だった。
過度に目立つことがあれば人間の社会では生きていけない。迫害されてきた多くの異種
族が認識していること。
「これで、怪しい箇所は全部まわったかな」
かなり大きな縮尺で記されている周辺地図を広げて、街の近くにバツ印をつける。その
周囲の遺跡や洞窟、そのほとんどにも同じことがしてあった。誘拐犯の居場所まではわか
らないと言われ、街の付近で、そういった魔物が住み着きやすそうな場所を虱潰しにした
のだ。
結果は無駄足。関係のない獣や魔物が現れはしたが、目的の相手に関しては、痕跡すら
も見つけられなかった。
「となると……」
地図を睨みつけ、そして一箇所に大きく丸を付ける。古いペンのインクが滲んだが、気
にせず地図を折りたたみ、アルトは踵を返した。
「――やっぱりシティアドか。苦手なんだけどな」
苦々しい呟きを森に残し、街へ向かって。