小林悠輝


   無機質な足音を響かせて暗闇から現れたのは、小柄といってもいい大きさの人影だった。  
   黒く塗りつぶされた世界に慣れた瞳に突き刺さる陽光を遮った腕は浅褐色。少し乱れた
  髪が、光を塗りつぶしたような艶消しの漆黒を景色に加えている。
   くすんだ白を基調とした衣装を纏った人影の特徴を挙げるならば――遠めにでも目立つ
  それらの色と、腰に佩かず、体の横に垂らされたもう片方の手に握られた剣だろう。柄に
  納められていても細身のシルエット。
  「……はぁ」
   人影は溜め息をつき、ほんの少し前まで身を浸していた暗闇を振り返る。そこにあるの
  は、木々に埋もれた古い建築物。
   崩れ苔むした石造りに辛うじて、内部へと続く通路の一部が顔を覗かせていた。地元の
  住人には、化物の住処として恐れられる、いつの時代のものとも知れぬ神殿跡だ。
   肺に残っていた闇の冷気を搾り出すように大きく吐息。ゆっくりと頭を振ってから、人
  のものでない言葉で囁いた。
  「困ったな……ここもハズレなんて」
   風に揺れた髪が顔にかかるのをぞんざいに払う。先のとがった耳が僅かに露出する。
  「期限まで、もう何日もないんだけど……」


     ★  ☆  ★  ☆  ★


   時は、数日前に遡る――
   Bランクハンターのアルト・クラリネットが請けた依頼は、極めてシンプルなものだっ
  た。
   即ち、“行方不明になった娘を探し出し、保護して欲しい”。これに“一刻も早く”だ
  とか様々な装飾語がつくわけだが、要点を抜き出せば前述の一言で事足りる。そして今回
  に限っては、依頼人が誘拐犯の目星までつけてくれた(なにやら恨みを買った覚えがある
  らしい)のだから、ますますもって単純な仕事だ。その容疑者とやらを探し出し、なんら
  かの手段で娘を返してもらう。その手段には勿論、暴力も含まれるわけであるが。
   上手く立ち回れば大抵の相手には負けるつもりはない――娘を人質に取られない方法を
  考える必要があるだろう。それさえ解決できれば、単純なだけではなく簡単な依頼だと、
  アルトは思っていた。
   その容疑者の情報を聞くまでは。
  「……もう一度、言っていただけませんか?」
   依頼人が発した一言を聞いたアルトは、たっぷりと時間をあけてから、落ち着いた口調
  で問い返した。依頼人の男――つまり行方不明になった少女の父親は、気まずげに咳払い
  してから、目を逸らし、妙に早口で繰り返した。
  「吸血鬼なんです」
   聞き間違いという奇跡を望んでいたアルトは、紫の瞳を填め込んだ双眸を細めて沈黙す
  る。目の前の男にじっと視線を合わせて……十数秒。耐え切れなくなった男は急に開き直っ
  たように「だって!」と大げさな身振りで声を上げた。
  「真正直に吸血鬼退治なんて書いたら、誰も相手してくれないか、なんかヤバい奴が来る
  かの二択になっちゃう気がしたんですよぉ!」
  「そのカンは、非常に正しいですけどね……」
   吸血鬼。読んで字のごとく、人の血を吸う化物。
   魔族や竜族と並んで、人々の恐怖の代名詞と云ってもいいほど有名な存在。実在する固
  体は少なく……しかし、その残虐性と、人間を圧倒的に凌駕する戦闘能力で、常に恐れら
  れ続けてきた。ギルドに属するハンター、或いは遺跡や古城といった危険に潜ることを生
  業とする財宝探し屋にとって、絶対に相手にしたくない敵ナンバー5にしっかり入ってい
  る。
  「普通の人なら避けますし……寄ってくるのは、戦闘マニアかワケ有りさんくらいでしょ
  うねぇ」
  「ほら、やっぱり! 隠しといて正解だったじゃないですか!」
  「ほらやっぱり正解、じゃありませんよ」
   アルトは力なく首を横に振って、困ったような笑顔は崩さぬまま、静かに抗議した。
  「確かに、条件がよすぎて危ないかなぁとは思いました……多少のことは覚悟していたと
  はいえ、よりによって反則系で来ますか。笑って許せるレベルからちょっとオーバーして
  ますよ」
  「ですから……その」
   男は口ごもる。背中を丸めた姿勢から上目遣いにアルトを見遣り。
  「ハンターさんとはいえ、万が一ということもありますから……断っていただいても……」
   アルトは無言で、右手を口元に軽くかぶせ、中指の節を唇に触れさせた。少しの間、そ
  うして思考し、それからアルトは首を傾げる。
  「それは、つまり――私では、吸血鬼の相手はできないと思っていらっしゃる?」
   すっと目を細める。隠した口元が薄い笑みに歪む。それだけのかすかな脅し。
   しかし男は言葉を詰まらせて視線を逸らした。
  「まさか、あなたみたいなお嬢さんだとは思わなかったんです」
   アルトの表情がわずかに変化するが、男は気づかない。弁解を続けようとするのをアル
  トは「大丈夫です」と短く遮り微笑んだ。その表情と声がほんの少しだけ強張っているが、
  男はそれにも気を留めなかった。
  「危険な目に遭うのが仕事ですから。吸血鬼を相手にするのは初めてじゃありませんよ」


     ★  ☆  ★  ☆  ★


   頼りになるようなならないような言葉を並べ立て、その仕事を放棄しなかったのは――
  どんな理由があれ、一度請けた仕事を放棄するのはハンターとしての評判に関わるからだ。
  アルトは名声を欲しがるタイプではなかったが、悪評は避けるべきだと思っていた。
   人間に比べて小柄な体躯と先の少しとがった耳はエルフ族の特徴。問題は、古代に邪神
  と契約を結んで闇に落ちたと伝えられる邪悪な妖精種族のみがもつ、浅褐色の肌だった。
   過度に目立つことがあれば人間の社会では生きていけない。迫害されてきた多くの異種
  族が認識していること。
  「これで、怪しい箇所は全部まわったかな」
   かなり大きな縮尺で記されている周辺地図を広げて、街の近くにバツ印をつける。その
  周囲の遺跡や洞窟、そのほとんどにも同じことがしてあった。誘拐犯の居場所まではわか
  らないと言われ、街の付近で、そういった魔物が住み着きやすそうな場所を虱潰しにした
  のだ。
   結果は無駄足。関係のない獣や魔物が現れはしたが、目的の相手に関しては、痕跡すら
  も見つけられなかった。
  「となると……」
   地図を睨みつけ、そして一箇所に大きく丸を付ける。古いペンのインクが滲んだが、気
  にせず地図を折りたたみ、アルトは踵を返した。
  「――やっぱりシティアドか。苦手なんだけどな」
   苦々しい呟きを森に残し、街へ向かって。





                               マリムラ


   ギルドへ来るのは久しぶりだった。母によると、父はそれなりに上位の吸血鬼というこ  
  とだったが、これだけ探しても消息がつかめないというのは、彼女の誇張を疑わざるを得
  ない。知ってそうな素振りをしたモノがいないでもなかったが、彼らは例外なく性悪の吸
  血鬼で、人々を快楽の為だけに殺戮していた。だから始末した。聞こうにももういない。
  そして振り出しに戻るのだ。
  「暗中模索……」
   適当な言葉が他にあったかなぁと思いを巡らせながら、入り口をくぐる。そこには見慣
  れた受付の老人が座っていた。
  「おや、アンタはいつ見ても若いネェ」
  「そういうキミは老け込んだねぇ」
   いつものやりとり。コレをかれこれ40年ほど続けている。
  「そろそろ来る頃かと思ったヨ」
  「儂の行動はお見通しかね」
  「前に来たのが4年前だろ?そろそろそういう時期かと思ってサ」
   そう、その間、自分の外見が変わっていないことを儂は知っている。父親の血を色濃く
  受け継いでしまったが為に、気が付けば今年で427年も生きていたことになるのだ。外
  見年齢が30そこそこで老化を止めてしまったというのも、その外見が父親に似ているら
  しいというのも、父親の血の影響だ。
  「いつもの探してるんだが」
  「あー、最近はナイネェ」
  「そうか……噂でも聞かないかな」
  「最近はネェ、依頼を誤魔化してトラブるコトが結構あってサ」
  「意味がよくわからんよ」
  「情報を出し惜しみするっていうのカナ、危険手当とか、まあイロイロあるんだろうサ」
   いつもの、とは、儂が吸血鬼専門のハンターをやっているということでわかるだろう。
  吸血鬼絡みの仕事ばかりを請け負うのだ。ハンター歴が長い割にAランクどまりというの
  は、その辺に主な原因があったりするらしい。性悪吸血鬼退治ではSランクハンターにも
  引けを取らないが、いかんせん、仕事量が限られる。期待したモノでなければ評判も気に
  せず降りたりもするので、まあ、Aランク辺りが良いところなのだろう。
  「ホラ、コレ辺りは怪しさ満載」
   いろんな依頼の中から取り出したのは、行方不明者保護の依頼。
  「そうなのか?」
  「だって相場より条件良いし、何より情報がビミョーに少ない」
  「……」
  「長年のカンってヤツだね」
   しかし、リストにチェックが入っているのを見逃すはずもなく。
  「誰か、先に依頼を受けたのか?」
  「うーん、ヤバかったら断ってくるでショ」
  「いいのか、ギルドがそんな風で」
  「ヤバくなかったらアンタが断るから結果は変わらない、よネ?」
   長年の知人はそう笑うのだ。
   どうせ他に当てもないのだから、駄目で元々。行ってみるのも悪くないだろう。
  「で、住所は何処だ?」
   簡単な地図を貰って、一人目的地へと急いだ。


     ★  ☆  ★  ☆  ★


   主人は、何というか拍子抜けるほど簡単に隠していたことを暴露した。
  「数日前に依頼したお嬢さんもなんだか心配になってきましたし、ああ、今更なんですけ
  どね、娘とそんなに年も違わないだろうにと思うと……あ、でもエルフは年のとりかた違
  うんでしたっけ?」
   妙に早口で捲し立てる様子が、気まずいからなのか焦っているだけなのか、正直よく分
  からなかった。
  「では、儂がこの件、引き継ごう」
  「それは助かりますが……あの、お二人分報酬が出せるかどうか……」
   上目遣いでこっちを覗き込むのは値切るつもりなのか。手を揉む姿を哀れに思いながら
  も、とりあえず見なかったことにした。聞かなかったことにした。
  「それで、目星の吸血鬼について他に情報は」
  「何処に住んでいるかも知らないんですぅ」
   でも恨まれる覚えはある訳か、とは言わないでおく。
  「先に依頼を受けたハンターからの連絡は?」
  「はぁ、今のところまだ何とも……」
  「じゃあ、そのハンターの情報が必要だ」
  「浅褐色の肌が綺麗な、エルフのお嬢さんでしたよ」
   どこかで聞いた特徴だ。はて、何処だったか……。
  「名前はアルト・クラリネットとおっしゃってましたねぇ」
   名前を聞いて初めて思い出す。ああ、会ったことはないが噂を耳にしたことがある。珍
  しい黒エルフのハンター。悪い評判は聞かないし、きっちり仕事をこなしているというこ
  とだろう。しかし女性だったかな?性別は記憶になかったが……。
  「ふむ……」
   では「吸血鬼が居そうな場所」はあえて後回しの方向で探した方がいいのかもしれない。
  報告がないのは見つかっていないか返り討ちにあった証拠。だとすれば探していないだろ
  う場所から探す方が効率もいいだろう。だからといって全く見当はずれな所を探すという
  わけにも行かないが……。
  「机とペンをお借りします」
   懐から地図を取り出し、いくつか印を付けていく。
   まず探すだろう廃墟や森に印を付け、移動にかかる時間、探索にかかる時間などをおお
  よそ書き込んでいく。そして。
  「ここ。ここから探すとするか」
   街の一角に印を付けた。探索は、ここから始まる。


     ★  ☆  ★  ☆  ★


  「あー、満月が近いネ」
   仕事が終わって外に出たギルドの受付は空を見上げた。
  「ツェッペリンの旦那も当たり引いたんなら急がなきゃナァ」
   付き合いが長いのに未だに名前を正確に覚えていない彼は、いちいち訂正してくるダン
  ピールに好意を抱いていた。また彼が来るのは3〜4年後なのだろうか。
  「あれ、でも依頼断るって話、まだ来てないナ……」
   当たりを引いたのかハズレを引いたのか、首を傾げて考える。
  「まー……いっか。大丈夫ダロ」
   一見無責任ともとれる彼が長年ギルドで受付をやっているのは、クレーム処理が上手い
  からだという噂もあったが……真実は定かではない。





                                 千鳥


  「悪いけどねェ、お嬢ちゃん。ちょっとうちの宿は…」

   このセリフを聞いたのは、今日で3回目だった。
   だから、彼女の反応はごくアッサリとしたものだった。
   深緑の外套を翻し、背中で流した艶やかな黒い髪が後を追った。

  「そう…じゃあいいわ」

   2匹の獣禽が彼女に従って背を向ける。
   それを宿屋の夫婦が恐ろしげに見守った。

   1羽の鷹と、大きな黒い狼、そして外套の下に白蛇を連れた眼帯の少女。
   ―――名を、チェルシーという。

   -------

   数ヶ月前までチェルシーは、ポポルの森深い村に住む若い娘だった。
   その村の人々は動物と深く交わり、彼らの能力を己のもののように扱うことが出来ると  
  言う以外、ごくごく普通の小さな村だった。
   その村が、一夜にして一人の吸血鬼によって壊滅された。もともと、殆どの男達はその
  技能をいかし、外の世界へと散らばっていた。女ばかりの村はその吸血鬼にとって格好の
  餌食だったのかもしれない。
   吸血鬼の牙と、混乱で広がった炎により、住まう場所も、人も、多くを失った彼らは村
  の再建をかけ、大陸に散らばった仲間の力を借りて再び村を再建することを誓ったのだ。

   その、仲間達を探す役目を負うことになったのが、チェルシーだった。
   重責であったが、あの焦土と化した村に残るより、ずっと気楽だった。

  「ちょ、ちょっとまった!まさか外で一夜を過ごそうなんて思っちゃいないだろうね」
  「?」

   既に全ての宿屋に断られたのだ、他の町に行くにはもう陽が落ちていた。せめて街にい
  る時くらいは、床のある場所で寝たかったのだが・・・
   チェルシーは不審そうに、萌黄色の右目を宿屋の女将に向ける。

  「今、この街では吸血鬼がでるんだよ。町の娘がさらわれてるんだ」
  「・・・吸血鬼」

   チェルシーの表情が一気にこわばる。
   無意識に眼帯の上から盲目の左目を押さえる。
   既に見えぬ目に焼きついている光景は、妹の首筋に歯を立てる、あの男の―――

  「ならば、なおさら結構よ」
  「ちょいと、アンタ」

   泊まれぬといいながら、引きとめようとする無責任な彼らから逃げるように、チェル
  シーは足を早め、宿屋の外に向かった。

  「うわぁ」
  「きゃっ」

   衝撃は左側からだった。左側の視覚と、実は聴力も失っているチェルシーはその存在に
  気が付くことが出来ず、尻餅をついた。
   普段なら、こんなヘマはしないのだが・・・。思わず顔を赤らめ唇を噛むチェルシーに褐
  色の肌の手と、柔らかな声が降る。

  「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
  「・・・えぇ」

   見上げれば、それはチェルシーと同じぐらいの年頃のダークエルフだった。ポポルでは
  多くのエルフを見たが、彼らのような褐色の肌を持つものは初めてだった。
   ダークエルフの少女は、意外にも力強くチェルシーを助け起こす。背丈も同じぐらいな
  のだろう、立ち上がるとちょうど、大きな紫の瞳と目線が重なる。

  「ありがとう」

   少女だと思ったのだが、そのとき初めて相手が男だと気が付く。ダークエルフは一瞬チェ
  ルシーに測るような視線を向けたが、腕を掴んだままの彼に下の狼、サードが低く唸った
  為、素早く離れた。 
   小さく頭を下げると、チェルシーはその宿屋をあとにした。

   外は既に月明かりのみが、彼女を照らしていた。この街の配置は既に完璧に覚えている。
  今は肩で大人しくしているファウストだが、昼間町を上空からくまなく探索したため、そ
  の光景をチェルシーも覚えている。
   チェルシーは彼の目を借りて、上空からの景色を見るのが好きだった。
   鳥瞰したところ、この街の西に無人の廃屋が建っていた。一夜を過ごすだけならそこが
  ちょうど良いだろう。

  (・・・吸血鬼か。仲間を探す途中で、とんでもないものに会うことになるなんて)

   仲間を殺した恨みを晴らすつもりなどは無い。
   ただ、さらなる災難に巻き込まれないことを祈るだけ・・・。

   右腕に巻きついていたセトが、チェルシーを慰めるように、頭を持ち上げて、舌を出し
  て小さく鳴いた。





                               小林悠輝


  「吸血鬼……?」
   スープを運んできた中年の女性は顔を曇らせアルトをまじまじと見つめた。周囲のざわ  
  めきを気遣うように彼女は視線を巡らし、アルトを再び見た彼女の目には、訝しみと嫌悪
  が篭められていた。後者の感情はここにいない人物に向けられたものだ。アルトは平然と
  返事をする。
  「ええ、そうです。行方不明になった方のご家族に頼まれまして、この町にいるという吸
  血鬼を探しているのですが、ご存知ありませんか?」
   ここ数日、拠点にしている――とはいえ昨夜は戻らなかったが――安宿の女将だ。食堂
  を見る限り、あまり儲かっているとはいえない。だがさっきは少女の宿泊を断っていたよ
  うだから、客を選ぶ余裕はあるということか。
   物騒な世の中だ。一人旅なら狼や鷹くらい連れていてもいいと思う……というのはアル
  トの考えに過ぎないが。現実は人間以外に優しくない。
  「頼まれた? あんたが?」
  「ええ。ハンターをやっています」
  「大丈夫なのかい……?」
   不安そうな表情で女将は訊いた。アルトは笑顔を崩さずに「もうすぐ二つ名を名乗れそ
  うだから、頑張ります」と答える。実際には、BランクからAランクに移るのは難しいの
  だが。
   頼りなさそうに見えるということは承知しているのだ。だから、それなりの対処法も考
  えてあった。
  「二つ名って、ギルドに認められた強いハンターさんが名乗る奴だろう? 若いのにすご
  いねぇ」
  「ありがとうです」
   そろそろ現役十年に近いアルトは平然と返事した。
  「それで、吸血鬼の噂について詳しくお聞きしたいのですが……いいですか?」
   ちょっと待ってねと女将は厨房の様子を見て、それから「構わないよ」と頷いた。


     ★  ☆  ★  ☆  ★


   町の何処かに潜んだ吸血鬼が、夜毎に若い娘を連れ去っていく。それはありふれた噂の
  ようで、しかし実に奇妙な話だった。
   まずは、怪物が潜伏しているのは町の中、と限定されている点。アルトはそれを怪談の
  誇張だとして外から探していったのだが、見つけることはできなかった。となれば、噂通
  りに街中を探す他ない。
   そして、吸血鬼、と明確に伝えられていることも不自然だ。だが、誰に聞いても「あい
  つは間違いなく吸血鬼だ」と言う。まるでその吸血鬼を知っているかのような物言いだっ
  たが――それ以上を聞こうとすると、誰もが言を濁した。
  (以前はこの町の人間だった誰かが吸血鬼化して……住民は疎みながらも庇っている? 
  まさか。絶対に誰かが売るはず……いえ、この発想そのものが飛躍しすぎてる。
   でも本当に吸血鬼が食事のために人をさらってるなら、この噂そのものが破綻してる
  し)
   見上げた月は、夜闇の中で真珠のようだった。アルトは意外な眩しさに目を細める。
   宿を出るときは女将に強く止められたが、何か起こってくれた方が彼にとっては好都合
  だった。例えば、誰かが連れ去られるところに出くわすだとか。
  (吸血鬼は本当にいるの?)
   行方不明になった人々が吸血鬼に襲われたとしたら、痕跡も残さず消えてしまうなどと
  いうことは逆に起こりそうにないのだ。奴らは人間の生き血を糧にする化物だ。食事をす
  れば“食べカス”が残る。
  (わざわざ全員を片付けるなんてことするわけない。そもそも……吸血鬼にさらわれた娘
  を連れ戻してくれなんて――)
   有り得ない依頼だ、と人外の言葉で囁いてから、アルトは苦笑を浮かべた。自分が関わっ
  たのは随分と面倒そうな事件だと、今更になってから気づいて。
  「普通だったら……頼むのは仇討ちですよね」
   そしてアルトは足を止める。何かを探るように周囲に視線を巡らせ。
   目的もなく歩いていた彼が気を留めたのは、静寂を持ってして佇む一軒の廃屋だった。


     ★  ☆  ★  ☆  ★


   扉が開け放たれているにも関わらず、玄関には砂塵がまったく積もっていなかった。開
  けられてから間もないのだろう。風は強くないが、吹いていないわけでもない。半日でも
  このままにされていれば砂が積もるはずだ。
  「……お邪魔します」
   アルトは口の中だけで囁く。音を立てぬよう――少なくとも自分の耳には聞こえないよ
  う――、細心の注意を払って中へ踏み込んだ。夜目は利く。少しでも強く踏んだら軋みそ
  うな床板を一歩一歩確実に踏みしめて奥へ向かいながら、彼は唇を軽く舐めた。
  (誰かが中にいるはず……さっき物音が聞こえた)
   それが噂の吸血鬼であるとも思えなかったが、この真夜中にこんな場所にいる人間も、
  あまり真っ当ではないだろう。もしかしたら関係があるかも知れない。
   進む先、一番手前の扉も開いていた。それを確認して覗き込もうとしたアルトは、低い
  唸り声を聞いて慌てて飛びのいた。
  「サード!」
   叫び声。床を踏みしめる音。
   目の前に飛び出してきたものの輪郭が見えた。大きな獣。
  「なっ……狼!?」
   何か引っかかるものを感じたが、その正体を探る余裕もなく、反射的に剣を抜き放つ。
   狭い廊下では圧倒的に不利。獣は威嚇の低音を発しながら身をたわませ――
  「っ! やめなさい!」
   少女の声が再び聞こえ、狼は急に大人しくなった。廊下に姿を現したのは、声から想像
  する通り、人間の女のシルエット。アルトは「あ」と声を漏らした。
  「さっきの人ですか? なんでこんなところに……」 





                               マリムラ


  「さて、儂の勘も鈍ったかな?」
   イルシード・ツェペシュは顎の辺りにちくちくと飛び出した体毛を弄りながら通りを歩  
  いていた。
   空には星、街灯なんてモノがない裏通り。人より夜目がきくとはいえ、全く不自由しな
  いというほどではない。ゴミに足をすくわれないように気を付けながら、イルシードは再
  び無精ヒゲを弄る。
  「この区画はナシ」
   雲間から顔を出した月明かりを頼りに地図を広げる。
   手元の地図に大きく×を記し、首を回すとコキッと骨がなった。軽く伸びをして一つ深
  呼吸をすると、背中に背負った八角の金剛槍を軽々と背負いなおす。
   首から下げた細い九節棍がチャリっと音を立てた。
  「今日中に確認するのはココまでだろうな」
   地図に丸く印を付け、宿まで戻る道すがら、あまり期待もせずに確認することを心に留
  める。
   髪をもしゃもしゃと掻き上げようとして、今日は動きやすいようにと編んできたことを
  思い出し、その細いしっぽを弄ぶことで何とか紛らわせる。

   イルシード・ツェペシュ、427歳。ギルドハンター歴もうすぐ400年を迎える外見三十代
  の男。
   とりあえずこんな可愛らしい仕草は人前では出来ないナァとか思いつつも人が居ないと
  やってしまう、彼はそういう人です。

   さて。
   一人でてくてく歩き続けるのに飽きてきた頃、かすかに聞こえたのは女の叫び声だった。
  「こっちか」
   なんと叫んだのかまでは聞き取れなかったモノの、方角と距離を推定するには充分。低
  く唸る獣の声ともう一度叫ぶ女の声で、場所はほぼ特定できた。
  「油断大敵……」
   小さく呟くと首にかけた九節棍に手を伸ばす。
   足音が出来るだけしないように気を使いながら、声が聞こえた場所まで急行する。

   扉が開け放たれた玄関。一見廃墟に見えるその家に出入りしたモノがいるのはあきらか
  で、吸血鬼と関係があるかどうか、調べてみる必要があった。
   再び物音。
   匂いから吸血鬼ではないだろうと思いつつも、その噂に乗じて悪さを働くモノがいない
  とは限らない。
   イルシードは建物に足を踏み入れた。 





                                  千鳥


   その瞬間、チェルシーの瞳に飛び込んできたのは、自分に向けて剣の切っ先を向けた、  
  漆黒のエルフの姿だった。闇夜に紛れたその色彩の中で、穏やかな容姿と対照的な鋭い紫
  の瞳がこちらを見ていた。
   彼に襲い掛からんとするサードに溶け込んできた意識を無理やり引き剥がして、チェル
  シーは制止の声を上げた。

  「サード!!やめなさい!」

   とたんに狼はおとなしくなり、エルフも剣を下ろす。
   部屋の奥で真夜中の侵入者の様子を伺っていたチェルシーは、廊下へと姿を現した。相
  手の正体も、既に危険が無いこともサードの目を借りて分かっていた。
   そこに立っていたのは町の宿屋で会った、少女のような容姿の黒エルフだ。相手も、こ
  ちらの見当がついていたのか、姿を見た瞬間、納得したような、しかし、不思議そうな顔
  つきでたずねてきた。

  「さっきの人ですか? なんでこんなところに……」 
  「あなたこそ、あの宿屋に泊まっているんでしょう?」

   自分たちのように、住人の去った廃屋で一夜をすごす必要など無いはずだ。
   飾り気の無いレイピアを戻すと、黒エルフは頷く。

  「僕はこの町でとある依頼を受けているのです」
  「ギルドのハンター・・・?」

   チェルシーがふと思い当たった言葉を漏らすと。再び彼は頷き、辺りを見回した。
   チェルシーの身上については納得したようで、彼は自分自身の仕事を始めたようだ。詮
  索するのが好きな人々が多い中で、彼のあっさりとした態度に、チェルシーはほっとしな
  がらその後姿を眺めていた。黒エルフが部屋に入っていくと、帽子掛けの上で羽を休めて
  いたファウストが頭を持ち上げた。

  「何を探して…」

   黒エルフの背中に声をかけようとした瞬間、チェルシーは突然セトからの警告を受けて
  飛び上がった。左腕を締め付けられる感触とともに伝わる何者かの強い気配。

  「きゃぁあ!?」

   慌てて振り返ったチェルシーは、目を丸くしてその人物を見つめた。

  「―――どうしたですか!?」
  「あぁ・・・驚かせてすまなかったね」

   その男は、チェルシーの真後ろに立っていた。不精ひげをぽりぽりをかきながら、一歩
  後ろに下がって軽く両手を上げた、全身黒ずくめの、長身の、中年男だ。
   そんな男を、チェルシーは信じられないといった目で見上げた。それは、セトに言われ
  るまで男の存在を全く感知することができなかったからだ。狼であるサードすら気が付か
  なかったのだ。只者ではない。黒エルフも男の姿に気が付くと、警戒した目を向けて剣の
  柄に触れた。
   二人の少女(に見えたと思われる)の様子に、再び男は困ったようにアゴをかき、言い
  訳じみた口調で続けた。

  「悲鳴が聞こえたものでな。こんな時間になにをやっているんだね」
  「・・・人にはそれぞれやむを得ない事情があるのです」

   黒エルフの言葉に男がうなずく。そして、その顔を興味深そうに見つめた。

  「確かにその通りだ。ところで君は、アルト・クラリネット君じゃあないかね?」
  「そうですが・・・」

   この黒エルフの名前はどうやらアルトと言うらしい。この謎の男と一体どんな関係があ
  るのだろう。

  「儂はイルシード・ツェペシュ。お前さんと同じ依頼人から依頼を受けた者でな」

   アルトの眉が軽く跳ね上がる。

  「漆黒天使・・・。貴方まで出てくるなんて・・・。吸血鬼が居るってことは本当のようなので
  すね」
  「いや、まだはっきりとしたわけでは…」

   二人が声を潜めるように今までの調査の状況を伝え合う中で、チェルシーだけが、まる
  で一人取り残されたように立っていた。聞こうと思えば彼らの話し声など簡単に聞き取れ
  た。しかし、チェルシーには今、通常の会話すら耳に入れることはできなかった。

  「・・・吸血鬼が本当にこの町に?」

   宿屋の女将の話など信じてはいなかった。なぜなら、この町の様子は本当に呑気で、彼
  女が故郷を失うことになったあの時と比べ物にならなかったのだ。
   しかし、二人のハンターが出てきた今、チェルシーは一年前の出来事を思い出し、ただ
  恐怖に震えていた。

  (一刻も、この町から離れなくちゃ・・・)

  「これ、どこに行くんだね?」
  「・・・この町から出て行くの」
  「こんな夜更けにキケンです。せめて朝を待ったほうが・・・」
  「――― 放して!!この町に居るほうがよっぽど危険だわ」

   アルトの手を振り払いチェルシーは叫んだ。
   その表情は、ただ吸血鬼の噂に怯える人々とは明らかに異なっていた。





                               小林悠輝


   アルトは明確に“気に入らない”という感情を抱いて、ただそれのカケラも表面に出す  
  ことはせずに少女を見つめた。
   気に入らないのは彼女のことではない。八つ当たりなどという行動は自分には――少な
  くとも、他者から認識される自分には似合わない。
   振り払われた手をおろす。目の前の少女は、何かにひどく怯えていて、どれだけ引き止
  められても聞きはしないという決意も同時に持っているように見えた。
  「しかしね、この時間に一人で――」
   引き止めるイルシードの声を聞きながら、“漆黒天使”なんて、本人を目の前にすれば
  無駄なまでに雅な二つ名だとアルトは思う。冴えない中年男が困ったように宥めている様
  は状況に似つかわしくなくて、滑稽な感じがした。もちろん、この男に対して悪印象を抱
  いているからだ。
   いや、イルシードが悪いわけではない。気に入らないのはこの男のがここにいる理由―
  ―つまりあの卑屈な依頼人は、アルトを信用していなかったのだ、という点に尽きる。
   ハンターという職業に欠かせない要素というのは多々あるが、その中でもっとも重要で
  あるのは……言うまでもない。
   自分の外見がそういったことに不利であることは重々承知していたが、実際に、他のハ
  ンターが出てくれば、不機嫌にもなろうというものである。
   しかも今回、その問題のハンターは、二つ名つきだ。下手に動けば悪評に繋がりかねな
  い。ハンターを続ける上での……そう、致命傷を負う否かの瀬戸際である。
   保身といえばそれまでだが、アルトは、好き勝手に人の事情にちょっかいを出せる上に
  金まで稼げるこの仕事を気に入っていた。
  「平気よ」
  「でも犠牲者の方々は皆、一人で歩いているところをさらわれたですよ」
  「一人じゃないわ!」
   ばさり、という音は鷹が翼を鳴らしたのだろう。するり、と足元に気配を感じて後退す
  る。大きな狼が少女の前に身を割り込ませてアルトとイルシードを睨んでいた。
  「ちょっと待ってください!」
   その様子に、アルトは少しだけ慌てて声を上げた。行かせるわけにはいかないが、この
  ままだと敵視されかねない。
   軽く両手を挙げて降伏の意のようなものを示しながら、困り笑いを少女に向ける。
  「私は敵じゃないから、脅さないで」
  「馬鹿みたい」
   まったくだ。
  「キミも、もう少し言いようがあると思うんだけどなぁ」
   どちらの発言に対してなのか不明なイルシードの言葉。
   アルトは彼を横目に見上げた。
  「人のこと言えないですよ? わざわざ気配を消して近づいて、この人を怯えさせたあな
  たには、他に、やりようはなかったのです?」
  「ああ、いや、別に怯えさせようなんてわけじゃなくてだねぇ……」
   イルシードは困ったように顎を掻く。
  「一歩間違えれば変質者ですよ、変質者。今回の犯人と同じです」
  「わかったわかった……キミは警戒心が強いみたいだなぁ」
  「ええ。私がやられてたら、きっと思わず斬っちゃってる」
   彼が気に入らないという理由での振る舞いではないのだが――少女は突然始まった仲間
  割れ(仲間ではない上に一方的だ)に、あっけに取られたような冷めたような表情をして
  いた。
   その彼女に向き直る。
  「そういうわけで、一人歩きは危険です」
  「どういうわけだかわからないわ」
   一蹴された。
  「だから、吸血鬼以外にも変質者がうろついてるかも」
   明らかに言葉が足りないが、今回の事件が吸血鬼の仕業だというのは疑わしいとアルト
  は思っている。とはいえ断定はできないから、二重の可能性を考えるしかないのだが……
   そうすると不安を煽る言い方にしかならない。
  「だったら、それこそ早く町から出なきゃ!」
  「じゃあ私たちが、町の外まで送っていきます」
   は? と言ったのは少女だ。予想外というよりも、引き止められていたのをいきなり放
  り出されて呆れたといった感じかも知れない。それともただ単に意味不明だたのか。
   イルシードならきっとこちらの意図を読むだろう。うん、きっと。
   今すぐに少女が一人で飛び出してしまうことだけは防ごうと思ったのだ。そこから先は
  考えていない――つまりは、その場しのぎに過ぎないのだから、読みきれないほど深い思
  考ではない。二つ名を持つようなハンターなら、洞察力もあるだろう。
   普通に考えれば無茶な期待だ。
  「それなら安心です。犠牲者が出る可能性もなくなるし、あなたは町から出れる。
   敵もバカじゃなけりゃ、ハンター二人と動物を連れてる物騒な女の子なんて襲ってこな
  い。
   ――ですよね? 漆黒天使……」
   最後の一言だけは長身の男に向けて、薄い笑みで。
   別に敵視してるわけでも対抗心を燃やしているわけでもない。たぶん。





                                マリムラ


  (警戒させてしまったようだなぁ)
   イルシード・ツェペシュ、427歳。なんだかその場の流れで行動を共にすることになっ  
  た同行者を眺めつつ、ちくちくと頭を出す髭を触りながら歩いていた。
   前方には少女に見える少年と、狼と鷹を連れた少女が無言で歩いている。その二人から
  少し離れて、ビミョウにうだつの上がらないオッサンの空気を纏う儂が付いていくのだか
  ら、さながら滑稽な見物のようだと一人ごちる。
  (一期一会……イイ言葉だねぇ)
   出会いは大切にしたいモノですね。誰に言うでもなく自分の中で自己完結。
   なんだか口元がほころぶのを抑えようともせず、でも形だけ、口元を手で隠した。

  「何がおかしいんです?漆黒天使」
   ちょっとイライラしているように見える黒エルフの少年は、冷たい目でちらりと振り返
  る。
  「折角出会ったのだから、わざわざ険悪な空気を作る必要はないだろう」
   その険悪な空気の要因はアンタでしょ。はい、ゴメンナサイ。自己完結。
   声も出さずに目元が笑う。いかんいかん、このままでは明らかに変質者ではないか。
  「あー、そろそろ町外れかね?」
   遠くに街を囲った塀が見える。その外だと安全かというとむしろ危険なような気がしな
  いでもないが、まあ吸血鬼騒ぎが街の中に限定される所を見ると、その点に関しては安全
  といえなくもない。なんか否定が多いな。まあいいか。この狼なら夜盗くらい難なく追い
  払ってしまうだろうし、彼女が安心できないというのだからそのほうがいいのだろう。ぶ
  つぶつ……なんてコトを考えながら、そして一部小声で呟きながら歩を進める。更に不審
  な目が黒エルフの方から突き刺さったような気もするが、あえて気にしない方向で。
  「……いっそ何かコトが起きれば話は早いのかもしれないな」
   呟くように物騒なことを口にした途端、狼の毛が逆立ち、ほんの僅かに血の匂いが漂っ
  た。
   懐かしくも血が滾る。加齢臭がどこかへ吹き飛び、顔付きさえ変わってしまう。
  「この子は任せる」
   短く黒エルフの少年に声をかけると、イルシードは二、三歩助走を付けると高く跳躍し
  た。
   月がかなり満ちてきている。普通の人ではあり得ない高さまで飛び上がれる力は、やは
  り父の血の力によるモノであろう。ヒトに拒まれる魔の力。ソレを使うのは同じ魔の力を
  感じたときだけだ。
   上空から見渡した街を走る不審な男がいた。肩に担ぎ上げているのは女性らしい影。犯
  人なのか。
   着地にコートが翻る。普段重なっていて目立たないが、動きを妨げないように後ろ身頃
  が二つに分かれたその様は、背中から生える大きな黒い翼のようだった。

  「漆黒天使」……この普段の姿から想像も付かない洒落た二つ名は、昔の仕事仲間から付
  けられた名前だ。
   イルシードの背を見つめてきた女、弓を扱うことを得意としていた燃えるような紅い髪
  の女。
   彼女は言った。「アンタは真っ黒なのに、悪魔にはほど遠いわ」そして「天使の方がま
  だましね」
   だから「漆黒天使」と呼ばれた。相反する二つのイメージを、彼女は簡単に口にした。
   イルシードはその造語が嫌いではなかった。靄のかかった頭の中から研ぎ澄まされてい
  く感覚、血が滾る衝動。それらを一言で片づけているところがむしろ好きですらあった。

   上空には鷹が舞い、足下では狼が唸る。表情の引き締まったイルシードが、無言のまま
  人外の速度で駆ける。



   あっけないほど簡単に、その男は捕まった。
   吸血鬼にはまるで見えないこの男は、鈍器で女性を昏倒させた後、闇に紛れて彼女を運
  んでいたようなのだ。女は頭から流血していたモノの、命に別状はなかった。
  「頼まれただけなんだ、オレが悪いんじゃ」
   思いっきり怯えて頭を抱える男。
  「妹を取り返すためなんだ……っ!」
  「ほう?この子はどうするつもりだったのかね?」
   女を抱きかかえてみると、成熟しきっていないか細い少女の体をしているようだった。
  多分見た目よりも幼いのだろう。
  「奴隷だよ……」
   剥がれかけた裏路地のポスターを指す。
  「明日、円形闘技場で何があるのかしらないのかい?」

   〜募集告知〜
     優勝者には金貨1000枚と豪華景品!
     アナタも武闘大会に参加してみませんか?

     参加資格は問いません。参加人数も3人までグループ参加可能。
     ただし、負けたときにはリスクも大きいので気を付けて!

  「何だ、コレは」
  「大会の告知さ。余所者は知らないだろうが、街の人間はみんな知ってる」
   肩を抱くようにガタガタ震え出す男。
  「去年から始まったこの大会は、最後まで勝ち残らないとみんな奴隷にされちまうのさ」
   話が微妙に繋がっていない。
  「何が言いたい?」
  「そんな大会、進んで参加するワケないだろ。去年の優勝者が強制参加させるために人さ
  らいをしてるんだ。しかも……参加を取り消すためには代わりの参加者を用意しなきゃい
  けないんだっ!」
   震える男の目には涙。嘘をついてはいないようだ。
   しかし、ギルドがその程度の情報を持たなかったというのは腑に落ちない。どういうこ
  となのか。

   鷹が頭上を旋回し、狼の誘導で二人が追いついてきた。
   吸血鬼云々の誤解を解くために、少女には説明が必要だろう。
  「男、吸血鬼騒動のことは何か知ってるか?」
   ずっと視線を逸らし、踞っていた男が顔を上げた。
  「さっき言った去年の優勝者が吸血鬼って呼ばれてるんだよ、みんな知ってる」

   男の話がやっと一つに繋がった気がした。





                                 千鳥


  「ここで待っていてくださいです」

   血の臭いに興奮するサードを押さえつけるチェルシーを一瞬見下ろしたアルトは、一言  
  告げると、イルシードの後を追った。

  「・・・・・・」

   無反応なチェルシーをアルトが気にも留めなかったのは、元々双方に意思の疎通を図ろ
  うとする努力が足りなかったからであろうか。
   既に地上に体を残し、チェルシーの意識は上空のファウストとともにあった。
   煌煌とした月明かりは町の隅々まで照らし、女性を担いだ謎の男をイルシードが捕まえ
  たのが見えた。
   必死でイルシードに訴えかける男の話を聞くため、ファウストは彼らに近づく。
   アルトが追いつき、イルシードから詳しい話を聞いていた。
   アルトのか細い肩につかまるわけにもいかず、すこしためらった後、ファウストはイル
  シードの肩に降りた。

  「格闘技大会・・・?私は何も聞いていませんでしたが・・・」
  「儂もだ。しかし、こんな小さな町に円形闘技場なんぞあったかな」
  (もしかして、私は一昨日見たアレかしら・・・)

   チェルシーはこの町にたどり着く前日それらしい建物を見たのを思い出した。
   しかし、その声が彼らに届くはずはない。

  「大会を主催しているのはこの辺りを治めている領主様なんだ。しかし、こんな辺鄙な地
  方で参加者が大勢集まるわけがないあろう?だから、毎年村や町から順番で30人ほどの
  参加者を出さなきゃいけないんだ」
  「で、今年はこの町と言うわけなのですね?去年参加者を出した所はどうなったのです
  か?」
  「酷い…もんだよ」

   男は頭を抱えたまま小さな声で漏らした。

  「奴隷にされた男たちの妻や恋人たちが大勢、男たちを取り戻すためあの男の館に行った
  が、みんな殺された。噂では、血を全て吸い尽くされていたらしい。領主様もあいつを恐
  れて逆らえないのさ――――」

   ―――「あの男は恐ろしい、吸血鬼だ。」と―――

   ☆★☆

   チェルシーの元に戻ってきた二人は、チェルシーがイルシードの肩で聞いた内容とほぼ
  同じことを伝えた。
   ただし、負けた人々が奴隷にされていることや、彼らを取り戻しにいった女性たちの末
  路については隠されたままだった。

  「送ってくれてありがとう」
  「ふむ。まぁ、気をつけてな」
  「大会が始まるまではこの辺りは物騒ですから、気をつけてくださいね」
  「えぇ・・・」

   チェルシーは町の外れで二人と別れを告げた。
   好んで関わった人たちではないが、別れるとなると少し心細く感じる。
   しかし、そんな心境など億尾にも出さず、チェルシーは踵を返した。
   自分には三匹の仲間がいるのだ、それに自分を待っている村の仲間が。

   しかし、村から離れるほど、人恋しさが募っていた。
   人々を恐怖に陥れている問題の男が本当に吸血鬼なのかも気になった。
   闇に縁取られた木々のざわめきに混じって、セトの声が聞こえた。

  (コレモマタ運命。―――逆ラウコトハデキナイ)