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                                  千鳥


   職業柄、死に逝く人間を山ほど見てきたが、幽霊とか、怨霊とか、そういった類のもの  
  には一度として出遭った事がなかった。死際に幾度と呪いの言葉を浴びせられたが、特に
  実感した覚えも無い。
   死者になど用は無い。生きている者だけが全てなのだと思うようになったのは、いつの
  頃だろうか。心の臓が止まってしまえば、砕け散ったガラス球のように魂も粉々になって
  しまうのではないだろうか。それは二度と戻ることなく、心とか思いとか言うものは全て
  停止して、残ったものは唯の肉塊でしかない。幽霊なんて者も存在はしない。

   ―――とか言いながら、もし自分が死んだら純白の翼を背負った綺麗な姉ちゃん達に連
  れられて極楽浄土で楽しみたい何て思うのは虫が良すぎる話だろう。

   そう言えば、昔よく言われたもんだ。

   ――――「地獄に落ちやがれ」ってな。


   -------

   その町は、小さな商店が寄り集まってやっと最低限の生活物資を揃えられる程の、辺鄙
  な田舎町であった。ただ、町の中央に据えられた集会広場には大きな噴水が水しぶきを上
  げ、ある高名な芸術家が作ったらしい(あくまで町の人々の噂でしかない)女の像が、控
  えめな様子で噴水の傍らに鎮座していた。それだけが彼等の自慢であったのだから、その
  像に人々が寄せる感情は並みのものではなかった。

   その美しい女の顔が老朽化にともない哀れな姿に変貌した時も、人々は悲しみに暮れ、
  取り壊し計画に反対する者はいなかった。「こんな姿をさらしつづけるのは可哀想だ」と
  彼等は言うのである。

   とり壊しの一週間前、何処からか雇われやってきた年老いた巫女が、像の魂を静めるた
  めに神木の枝を振って祈りを捧げていた。

  「ぬぅああああああ。のぅえええええええ。きえぇええええ―――!!!!!」

   奇声を発する老婆を囲む群衆。その様子はたまたまその町の宿屋に宿泊していたユーク
  リッドがワザワザ足を運ぼうと思うくらいには愉快な光景であった。

  「何してるんだ?これは」
  「これは銅像の魂を静める儀式なんですよ」

   ユークリッドの問いに答え、軽く後ろを振り返った少女は、一瞬彼を見上げて頬を染め
  た。町の田舎娘にはユークリッドの容姿は刺激的であったようだ。中性的な容姿に真っ直
  ぐ伸びたブロンド。切れ長の鈍色の瞳は冷やかな造りだったが、それを補うだけの愛嬌が
  彼の表情にはあった。少女は慌てて服の乱れを直し、何度もそのはねた髪を撫で付けた。
  最も、そんな少女の変わりようにもユークリッドは意に介さぬようで軽く礼を言うと、像
  を見るために人込みへと紛れた。
   銅像は若い女を象っていた。顔は大分崩れ落ちていたが、風にそよぐ服の皺まで再現さ
  れたどこか品のあるものだった。確かにこの田舎町には似つかわしくない。
  (像の魂ねぇ・・・)
   ユークリッドは半ば呆れがち表情で周りを見たが、人々が女の像を見る表情は作り物に
  対するもの以上の感情が宿っており、彼もそれを嘲笑うほど無粋ではなかった。一心不乱
  に声を上げる老婆の様子に見飽きると、ふとユークリッドはその斜め上空に目を向けた。

   シクシクシク。

   そこで、女が泣いていた。
   空中で、女がすすり泣いていた。
   病的な青白い肌に同色のワンピースを纏い、長い髪を後ろで三つ編みにした、彼より年
  上の女だった。儚げな、さもすれば風に飛ばされそうなほっそりとした面。伏せられた目
  は長い睫で覆われ、その目から零れる涙は形のいい顎を伝ってポロポロと落ちていく。身
  体も、雰囲気もまだ未成熟な印象を受けるその女の顔をユークリッドは細部まで見て取る
  ことが出来た。
   なのに。
   それなのに、同時に女の後ろに広がる青い空と流れる雲も、彼女を通して見ることが出
  来たのだ。その顔は今まさに取り壊されようとしている、銅像のに似ているようにも、見
  えた。

  「もしかして、アレか?銅像の幽霊とか、そんなん?」

   それは呟きだった。しかし、その小さな言の葉はヒラヒラと風に乗り、円らな瞳を濡ら
  す女の元に届いた。顔を上げ彼女がこちらに顔を向ける。
   その瞬間、噴水の勢いが増し、老婆の濁声をかき消した。水のせせらぎが心地よいリズ
  ムとなって二人の間に流れる。本来ならば、ここで二人の男女の鼓動が一体となり加速す
  るのであろうが、残念ながら女の心の臓は既にここには無く、男も初めて遭遇した未知の
  存在に鈍色の目を軽く細めただけだった。

  『私が見えるのですか?』

  ----------

   後、ユークリッドは少しだけ考えを改めることになる。
   砕け散ったガラス球の破片は、依然としてそこにありつづける事に変わりは無いのだと。
  やがて破片が粉々になり、塵と同化するまでは長い年月がかかり、時として生きている人
  間に鋭い傷や、甘く切ない痛みを残すのだと――――。





                                スケミ


  あ、はいはい。いらっしゃいませー。
  あら、八百屋の奥さんじゃないかい!久しぶりだねー。
  今日はここで食べていくのかい?
  え?
  『愛の味噌汁』だって?!
  ふーん………もしかして倦怠期かい?
  大変なこっちゃ。
  じゃあ夕飯時にでも出前で持っていかせるから。
  ああ………そうそう、バイト雇ってさ。
  さすがにこの歳じゃ出前がおっくうでねぇ。
  月見って名前の旅人なんだけど……まあ、変わってるけど仕事はちゃんとやるよ。
  ……つまみぐいはするけどね。

  ▼

  夕日が女の像を橙色に染めている。
  老巫女による祈り(むしろ叫び)が終わり、人々はそれぞれの家へと帰り夕食の支度をし  
  はじめた。
  小さな田舎町であるがゆえに町人がいなくなると広場はめっきりと静かになる。
  いつのまにか広場に残っているのはユークリッドだけになっていた。
  ユークリッドは銅像の幽霊をまじまじとみつめていた。
  背後の風景がみえるその透けた姿は、儚気で少しでも目を逸らしたら消えてしまうかもし
  れないーーそう、少しだけ思ったから。

  「これはレアな体験だな……。」

  そんなことを呟くユークリッドに見つめられている当の本人は、自分を認識してくれる人
  物の登場に驚くばかりで何もいえない。
  静かな時間が二人の間に流れる。
  ちょっと、イイ雰囲気だったりする。
  だがしかし。

  「うおぉっひょおおおおうッ★」

  唐突。
  そうとしか言えないぐらいに唐突な叫び声が二人のちょっとイイ雰囲気をぶちこわした。

  「何ごと?」

  そう言いつつ声のする方を振り向くと、何ともいえない風景が紛れ込んで来た。
  地面に何もないのに躓く黒髪の少女と、その少女の手から離れた鈍く光を反射する物体。
  (風景がスローモーションをかけたようにみえるのは何故だろうか。)

  「あ、危ない!!」

  耳の片隅で銅像の幽霊が叫ぶ声が聞こえる。
  自分へと向かってくる物体がナベだと分かったのはユークリッドにナベの中身がぶちまけ
  られた時だった。
  生暖かい液体をユークリッドはモロに被る。
  被ったついでに口に入ってしまったらしく、口の中に味噌の味が広がる。

  「うああああッ!!出前の『愛の味噌汁』がーッ★」

  立ち尽くすしかないユークリッドの視界にナベを前にしてがっくりと俯く少女の姿がみえ
  る。
  白い割烹着は飛び散った液体で茶色く変色している……どうやらどこかの食堂の従業員の
  ようだ。

  「はぁ………。」

  ため息が、自然と口から漏れる。
  せっかくの未知との遭遇を味わっていたのにまさか味噌汁をぶちまけられるとはーー。
  しかもどうやらナメコが入っていたらしく何だか身体がぬるんぬるんして気持ち悪い。

  (何か一言、文句でも言うべきだろうーー)

  そう思いユークリッドは少女の顔を正面から見た。

  「ちょっと君……………ッ!?」

  ユークリッドに衝撃が走った。
  どうしてかはわからないが少女の顔を見た瞬間、自分の胸の鼓動が早くなったのだ。
  それに伴い、顔が火照ってくる。
  それはまるで、恋に陥った時のようだった。

  口の中に広がる味噌の味が、妙に鮮明に広がっていた。

  ▼

  いいかい、月見。
  『愛の味噌汁』は絶対に飲んじゃいけないよ。
  ………いっとくけどね、あんたが毎回つまみぐいしてるのはとっくに承知してるんだ
  よ!!
  これにはね、『桃色キノコ』の濃縮エキスが入ってるのさ。
  たった一口飲んだだけで効果覿面!ウチの裏メニューさ。
  ああ、『桃色キノコ』?
  あー……そうだね、砕けた言い方でいうと……

  『惚れ薬』って奴さ。





                               マリムラ


  「ぬぅああああああ。のぅえええええええ。きえぇええええ―――!!!!!」

   手に持つ神木の枝を振り回し、老齢の巫女が祈りを捧げている。
   現実感を失わせる奇声。
   哀れむような人々の視線は、しかし自分に向けられることすらなかった。

  (私、誰にも気付かれることなく一人で消えていくのかしら……)

   はらはらと涙がこぼれる。
   手のひらで思わず顔を覆うが、涙は止まることを知らない。
   レーナは一人、誰に気付かれることもなく泣いていた。
   ……噴水の上空で。

     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

   覚えているのは、薄暗い部屋だった。
   カーテンの向こうの日差しが羨ましくて、でも、自分一人ではベッドから体を起こすこ  
  ともできなくて。
   誰かがそばでよく声を掛けてくれたような気がする。
   逆光で顔が思い出せないけど、いつも穏やかに話しかけてくれた。

   彼は私を「ねえさん」と呼んでいたっけ。
   「もうすぐ、永遠の体をあげられるよ」って。
   でも、次に気がついたときには私はココにいて、それから彼を一度も見ていない。
   永遠って何?一体どのくらいの時間が流れたんだろう。
   髪も伸びず、食事も取らず、誰とも話しもできない。
   ねぇ、どうしてだれも気付いてくれないの?
   そして、彼は何処へ行ってしまったの?
   私は何処にいるの?
   ココにいるのは誰?
   私の知っているレーナは何処?

     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


   顔を手で覆うことすら忘れ、気がつけばすすり泣きに変わっていた。
   どうせ、誰も気付いてはくれないのだ。
   幾人にも話しかけ、笑い掛け。もう人に自分が見えないことに馴れきっていたから。

  「もしかして、アレか?銅像の幽霊とか、そんなん?」

   それは呟きだった。自分のではない、誰かのつぶやき。
   見えているはずはないと思った。今まで一人として、私に話しかけた人はいなかったか
  ら。
   伏せていた顔を上げる。声の主を目で探す。

   その瞬間、噴水の勢いが増し、老婆の濁声をかき消した。水のせせらぎが心地よいリズ
  ムとなって二人の間に流れる。
   視線が重なった。驚き、そして溢れる感情。
   その感情がなんなのかレーナにはよく分からなかった。
   中性的なブロンドの青年は、鈍色の目を軽く細める。
   気付いている。気のせいじゃない。
   鼓動が早くなった気がする。右手を胸の中心で堅く握りしめる。

  『私が見えるのですか?』

   確認。
   いや、声が聞こえなかったらどうしよう。
   あの人と話してみたい。それすらの許されないのだろうか。

  「これはレアな体験だな……。」

   長い長い沈黙の後の一言。
   いつのまにか広場に残っているのは彼だけになっていた。
   よかった。彼には見えるし聞こえるんだ。
   長い間(といってもあまり時間感覚のないレーナではあったが)彼は目を逸らさなかっ
  た。
   レーナも、彼だけを見つめている。
   穏やかな沈黙。
   しかし、それは突然破られた。

  「うおぉっひょおおおおうッ★」

   突然の奇怪な叫び声に、二人は思わず声の主を見た。
   何もないのに躓く白い割烹着の少女と、彼女の手から離れた鈍く光を反射する物体。

  『あ、危ない!!』

   思わず声を発したのはもう手遅れで。

  「うああああッ!!出前の『愛の味噌汁』がーッ★」

   そう、彼は飛んできた鍋の中身を被ってしまっていた。
   呆気にとられて立ちつくす彼。
   レーナは慌ててハンカチを取り出し、彼のそばまで降りていく。

  「はぁ……」

   彼の口から思わずため息が漏れた。
   レーナは驚かさないようにそっと後ろに降り立ち、声を掛けようとして躊躇した。

  (そういえば、私って触れられるのかしら……)

   触れられなければ、ハンカチを差し出すのは無意味かもしれない。
   でも、何かしてあげたい。
   思い切って声を掛けようかと一歩踏み出したところで、彼が顔を上げた。

  「ちょっと君……………ッ!?」

   近くで彼女と目があった瞬間、彼は見る間に紅く上気してくる。
   何故か、レーナの胸がちくりと痛んだ。

  「ひゃぁああ!すまないッス〜」

   酷く怒られたことでもあるのだろうか。彼女はこちらを見る前に両手で頭を覆い、背を
  丸めた。
   戸惑った彼が彼女に一歩近づこうとし、こぼれたナメコを踏んで尻餅をつく。
   もう頭から足下まで味噌汁まみれだ。ハンカチなんて役に立たないかもしれない。

  『あの、大丈夫?』

   レーナは彼に手を差し伸ばした。
   彼の手は、支えを求めて空を切る。
   レーナには、それが永遠に続くかのように長く感じられた。
   彼の、手は、レーナの、手を、素通り、した、の、だ。
   ずきりと胸が痛む。
   慌てて引っ込めた右手を、また、胸の前できつく握りしめた。





                                 千鳥


   コレハ 一体 ドウシタコトカ?

  *****
   ユークリッドは少女から目が離せなかった。
   この黒髪の少女と目を合わせた瞬間、急に気持ちが高ぶって、頭が阿呆のように真っ白  
  になってしまった。
   先ほど遭遇した怪異など頭の端に追いやってしまうぐらいの衝撃。
   頭から被った味噌汁は衣服に暗いシミを広げ、鼻につんと強い臭いが纏わりつく。
   心臓だけがやけに忙(せわ)しなく運動を続けていた。
   口にも入ってしまったらしく、キノコだろうか、噛んだ具から出る汁が僅かに彼の舌を
  痺れさせた。

   少女は未だ必死に地に手をついて謝っている。
   真っ黒なオカッパ頭が夕焼けに染められて、頭を動かすたびに毛の先が揺れた。
   色白とは言えないが肌理(きめ)の細かい色づいた柔肌が夕焼けに更に赤く染まった。
   ダークブラウンの瞳に恐る恐る見上げられ、再びドキリとする。
  (何を動揺しているんだ!?俺は!)
   己を叱咤するユークリッドだが、未だ動悸は治まらず、ひたすら謝る少女を許すことさ
  え出来ずにいた。
   まるで恋に落ちたかのような感覚。
  (こんな小娘に?)
   悲しいかな、ユークリッドは自分の好みを熟知していた、彼は年上の女が好きなのであ
  る。
   少女のような年下は範囲外で、髪だって長くて、色白で――― 
  (そう、どっちかって言うと、さっきあった幽霊みたいな……)
   その時やっとユークリッドはもう一人の女の存在を思い出した。
   当の幽霊も、男の意識が自分に向いたのが分かったのだろうか、懐からハンカチを取り
  出すと彼を助け起こさんと上空より広場へ降り立つ。伸ばされた白い手を借りようとして
  ユークリッドも手を伸ばす。
  (幽霊って触れるのか?)
   指の先が触れ合った瞬間、僅かに温もりを感じた。
   しかし、自分の腕が空しく宙を切ったことでユークリッドはそれが思い違いであったと
  気づく。
   女には触れられなかった。
  「およ。どーしたんすか?」
   少女は不思議そうにユークリッドが腕を伸ばした先を目で追う。
   視線は腕を引っ込めたまま硬直する女を素通りし、その先の噴水へと注がれた。
   そこには取り壊し間近の銅像が夕焼けに照らされて赤く輝いている。
  「いや、何でもない」
  (やっぱ、俺にしか見えないみたいだな……)
   この銅像の幽霊が現か幻か、さらに分からなくなった。
   誰にも見えないということは唯の自分の幻覚かもしれない。
   しかし、幽霊といったら普通滅多に見られないもので、誰にでも見れたらそれは既に実
  体と変わらないわけで…。
   一人思考が堂々巡りするユークリッドの横で、急に少女が威勢良く立ち上がった。
  「ウヒョウ!何たる事かッ★」
   素早い動きでユークリッドの前まで移動し、手を伸ばした。
  「あっしと来たら味噌汁の洗礼を受けた御仁を助け起しもしないで!ささ、どうぞどうぞ
  金髪美青年殿☆」
  「え?あ…」
   確かにいつまでも座り込んでいるわけには行かない。
   逡巡したあとユークリッドは再び腕を伸ばした。
   自分より小さな手にそっと自分の手を乗せる。

   今度は、触れられる。

  「悪いな」
  「いえッ。礼には及びませぬ!どちらかと言うと、礼よりカラダで…ではなくてコチラの
  不注意が原因ですなのでヤハリ」
   助け起こされたユークリッドは少女―――のツムジを見つめた。
   本当は顔を見るハズだったのだが、立ってしまうと二人の身長差は大きく、さらに少女
  の視線はナニやら彼の顔とは全く違う所を見ていたりする。
   グフフフ。
   怪しい笑いとともに、ユークリッドの塗れたシャツを掴む。
  「おワビとして、一刻も早くこの芳しい味噌の香り漂うシャツを脱がすお手伝いをせねば
  ッ!!ビバ★若い殿方の腹き…」 
  「ヒあァ!?」
   肌をまさぐる手の感触に思わず少女を投げ飛ばす。
  「あーーれぇぇーvv」
   ドフッ。
   黄色い声を上げて空を飛んだ少女が地面とキッスした。
  「あぁ!!シマッタ!つい愛おしいくてッ!?」
  「は、激しい拒絶っス」
   錯乱したユークリッドは己が何を言ったのか全く分かっていない。
   もちろん地面に転がる少女も何を言われたか耳になどしていない。
   ただ、その場で見ていることしか出来ない女の幽霊だけが、その始終を知ることが出来
  た。

   ヒュオオオオ〜。

   夕暮れ時の冷えた風が、湿ったユークリッドの体を通り抜けていった。
   そのまま永遠の眠りにつくかと思われた少女が、ムクリと起き上がる。
  「アヒャー!こんな所でトキメキ激突体験をしてる場合では御座りませんでしタ!新しい
  味噌汁を取りに戻らねば大将に怒られるゥ!今日の月見さんの天気は味噌汁のち包丁なん
  て事にィ!!」
   どうやらこの少女、月見という名前らしい。
  「えーっと、ホントに大丈夫か?どこか打ち所でも…」 
  「感度は良好でありますッ★もしもクリーニング代何ぞご請求でしたら、極貧の女子コー
  セーとはいえ一皮も二皮も剥きますゆえウチの飯屋まで!!宿屋の隣でありまっする〜
  〜!!」 
   少女は店の名前を告げずに走り去っていった。
   しかし、この小さな町に飯屋など一つしかなくて、同時に宿屋も一つしかなかった。
  「隣……か」
   口元に手をやって、緩む表情を隠しながらユークリッドはその場を後にした。
   向かう先は当然、彼の泊まる宿屋である。
   そして、その隣には……。

  「あ、そう言えば…」
   振り向いた広場には既に銅像の幽霊の姿はなかった――――。





                                スケミ


  月見は食堂の入り口の前でドアノブを握りながら冷や冷やしていた。
  ドアノブを握っていない方の手には空の鍋。
  数十分前には出前の味噌汁が入っていた鍋だが、今はほんの数滴の汁となめこしか残って  
  いない。

  (出前の品を駄目にしたとあっちゃあ、お、追い出されるよなぁ……あああああああああ
  ああ)

  おかみさんの怒り狂う顔を想像し冷汗がいたるところから噴出する。
  思いきりがつかず、中に入れない月見であるが……

  ガツン。

  「うごぁッ」

  ふいにドアが開き、月見の顔面に衝突する。あまりのフェイント的な痛さにうずくまる。
  そんな月見の上からしわがれた声が問いかける。

  「……ん?人がいたのか……すまぬな。大丈夫か?」

  痛さに滲む視界を拭い視線をあげると初老の男と目が合う。
  全身黒づくめなうえに装飾品をじゃらじゃら言わせている怪し気な男だ。

  「だ、だだだだだ大丈夫じゃないけど無問題でごわすよお客さまッ!」

  食堂から出てきたということは客なのだろう、そう思った月見は無理矢理な笑顔で返答し
  た。
  あまりに無理矢理すぎて引きつってしまってはいるが。

  「ん?」

  初老の男の足下に写真が落ちていた。
  写真には美しい女の笑んだ姿がうつしだされている。
  みたところ二十代後半くらいだろうか?若々しい外見とは裏腹にまとう空気は少し大人び
  ていた。
  あまりの整った顔に思わず顔が弛んでしまうが、その顔を引き締めて写真を初老の男へと
  差し出す。

  「これ、落としたっすよ。」

  「ああ。申し訳ない。」

  男は写真を受け取ると食堂の隣にある宿屋の方へと歩き出した。
  月見は先ほどの写真にうつった少女に思いを馳せた。

  どこかで見た事のあるような気がしたのだ。

  ▼

  宿のフロントが何やら場違いな雰囲気をかもし出している。
  いつもと違う原因はすぐわかった。
  フロントのソファに座る初老の男だ。
  初老の男はフード付きの外套を羽織り、そのうえから宝石のついた装飾物をじゃらじゃら
  とぶらさげている。
  なにやら、困ったような顔だちでうつむいている。

  (あのアクセサリ、マジックアイテム?魔導士、か。)

  よく見れば宝石が魔力を包有している種類のものだとわかる。
  それだけでなく、初老の男の足下にひっそりとおかれている棒のようなもの、魔術を行使
  するための杖をも所有している。

  (こんな辺鄙な田舎町で本格的な魔導士を見るなんてな。)

  鼻に香る味噌の臭いに間違った愛しさを感じながらそんなことを考える。
  (ユークリッドは気付いていないが、現在の彼は愛の味噌汁で原色ピンクまみれだ)
  ふと、顔を上げた初老の男と目が合う。
  初老の魔導士はユークリッドを見ると何やら驚いた顔をした。
  何か、探し物をみつけたような。
  そのままユークリッドへと歩を進める。
  足が不自由なのだろうか、杖を支えにしてゆったりゆったりと歩く。
  その歩き方が何故か不安を感じさせた。
  初老の魔導士は口を開いて一言、こう言った。

  「御主、私の持つ依頼を代わりに引き受けてはくれまいか?」

  「はぁ?」

  予想だにしなかった言葉に思わず情けない声が出る。
  あまりにも唐突すぎる。

  「ちょっと待て、何で俺がそんな……」

  言いかけたユークリッドの目前に紙切れがつきつけられる。
  どうやら写真のようだがセピア色のソレはとても色褪せていて何やら寂し気だ。
  写真には女がうつっていた。
  セピアの写真なので色まではわからないが、つややかな長い髪を持った美しい女。
  顔は笑んでいるのに、何故か儚い雰囲気を感じさせた。

  「この女……レーナを探して欲しい。」

  「……………。」

  その写真に写っている女をユークリッドは、つい最近みたことがある。
  一回目はこの町の広場で、いまにも朽ち果てそうな姿を。

  そして二回目。

  まるで周囲の景色に同化するかのように透明な、幽霊。

  儚気な、彼女。

  「御主、『視えた』のだろう?」

  どうやらユークリッドは妙な因果につきまとわれてしまったらしかった。

  ▼

  広場に一際強い風が吹く。
  その風は否応無しに噴水に鎮座する彼女の像をじわじわと滅ぼしていく。
  彼女……レーナは自らの分身をじっと見つめていた。

  「わかっている……わかっているのに……」

  取り壊されなくとも、自然と分身は朽ちていくのにレーナは気付いていた。
  そして、その時期が刻一刻と近付いてくるのにも。
  それは以前からわかっていたことなのに。

  「……何故、何故こんなに哀しいの……?」

  溢れ出す哀しさの中、レーナの脳裏の浮かぶのは昼間出会った青年の姿だった。 





                                マリムラ


  「儂には時間が限られておる」

   老魔導士は眉間の皺をさらに深く刻みながら言った。

  「こういう物事には相性というモノがあってな、どれだけの技術を持ってしても埋められ  
  ないモノが簡単に埋まってしまうことがある……というのはわかるかね?」
  「……………」

   ユークリッドに許可も得ず、老魔導士は向かい側の席に腰を下ろした。
   言いたいことは分からないでもないが、たしかに気になる現象ではあったのだが、何か
  面倒なことを押しつけられようとしているという胡散臭さが申し出を素直に受けさせなか
  った。

  「生憎だが、俺にも都合というモノがある」

   老魔導士は動じた様子も見せない。何かを見透かしたような目で、ユークリッドをじっ
  と見ている。
   老魔導士が再び口を開こうとしたとき、隣の食堂から奇声が聞こえてきた。

  「も、ももももも申し訳ないッス!」

   思いがけない愛おしい声に、ユークリッドは思わず腰を浮かした。
   その瞬間、目の前の老魔導士などどうでも良くなり、顔が桃色に染まる。
   そんな馬鹿な。あんな小娘、好みのハズがないじゃないか。

  「出ていきなっ!こんな簡単な出前もできないバイトはいらないよ!」

   食堂のおかみさんらしき人の怒鳴り声と

  「月見ちゃんが頑張ってるのは分かってるんだけどさ、ちょっと今回ばっかりは……ゴメ
  ンね」

   食堂の大将らしき人の残念そうな声。

  「うああああッ!頭下げたりする必要はまったくもってなかったりするので、ノープロブ
  レムっすよ〜」

   なに言ってるんだかよく分からないけど、とにかく彼女の顔を一目見たくてたまらない。
   そうだ、きっともう一度目にすれば恋じゃないってわかるさ、と誰にするでもない言い
  訳を胸に、その他の野次馬に紛れて、宿屋から表に出ていくユークリッドであった。

  「うひょ?コレは金髪美青年殿ではないですか☆」

   ピンクまみれのユークリッドは隠れるまでもなく真っ先に月見に発見されたしまったの
  だが、当の本人は人垣から真っ先に見つけてもらえた事に間違った嬉しさを感じてしまっ
  ていたりする。

  「だ、大丈夫か?」

   なにもないところでまた躓いたのだろうか、地面に横座り状態の月見につい手を差しの
  べる。
   柔らかい手が触れる。ほんのりとした暖かさが伝わってくる。

  (ヤベェ……俺マジかもしんない……)

   一致しない理性と感情に翻弄されるユークリッド。彼に引き起こされた月見は、その手
  を両手で握り返しブンブンと音が鳴りそうなほど上下させた。

  「かたじけないッ!お礼は是非カラダで……」
  「いや、礼はいい。気にするな」
  「ほれほれ、遠慮なさらず☆」

  「では、彼への依頼を手伝ってはくれまいか」

  「よく分からないけど、全然おっけーッスよ〜」
  「なっ?!」
  「一肌でもふた肌でも、ぬぎぬぎさせていただきますよん☆」

   ユークリッドが振り向くと、そこにはさっきの老魔導士が佇んでいた。

  「あんた、勝手に……っ!」
  「え?え?どうなってるんスか〜?」
  「いや、君の事じゃなくて」
  「詳細は改めて書面を届けよう……では」
  「ちょ……まって」

   月見に絡みつかれたユークリッドは、立ち去る老魔導士を追うことが出来なかった。
   ちょっと嬉しくて本気で引き剥がせなかったというのは余談だ。

  「を!実は手伝いなど迷惑でらっしゃる?」
  「……いや、助かるよ」

   どういう依頼か詳細を見るまでよく分からないが、その依頼の間は月見が側にいてくれ
  ると思うと、ソレも悪くないかもしれないとか思い始めたユークリッドであった。

     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

  『こっちで、いいのかしら……?』

   今までどうして考えなかったのだろう。
   ずっと噴水に、銅像に縛られていて、自分がどこまで離れられるかなんて考えてもみな
  かった。
   でも、彼を見て、彼と言葉を交わして、思った。

  『会いたい、な』

   レーナは、自分にもよく分からない感情に突き動かされ、噴水から離れていく。

  『まだ、大丈夫』

   噴水の姿は、建物の陰に隠れてもう見えない。
   でも、かすかに音だけは、聞こえている。

   すぐに後を追えば良かった。
   そうすれば彼がどこへ行ったのか、迷わずに行けたのに。

   騒がしい通りはもう一本向こうの道なのだが、噴水の音が聞こえなくなるのは不安で、
  足が出ない。

  『もう一度、会いたい』

   ふと見上げた空に、流れ星が流れた。
   願いを、叶えて。
   レーナは胸の前でこぶしを強く握った。 





                                 千鳥


  「ほへー。金髪美青年殿は隣の宿に泊まってたんすか!」

   気がついた時には既に遅かった。 
   詳しい説明をするから。と、少女を野次馬の中から自分の部屋へと連れ込んで、扉の鍵  
  をかけて、初めてそこでユークリッドは我に返る。
  (流石にこれはヤバイぞ、俺……)
   再び鍵を開け、わずかにドアに隙間を開けた状態で、ユークリッドは半ば投げやりな気
  持ちでベッドに腰を下ろした。少女は部屋の真ん中に立ってキョロキョロと部屋の中を物
  色している。

  「そういう君は何処に住んでるんだ?この町の住人といった感じじゃあないが」
  「実は、住み込みであすこの食堂で働いてたんすが、あれそれこれの結果、リストラにあ
  いまして☆」

   少女はその境遇を全く悲しむ様子も無く笑って見せた。
   冷静な人が見れば、それは全く反省の見られない呆れた仕草だったが、既に一種の病に
  かかっているユークリッドにはなんとも『健気』な姿と映った。

  「そーいう金髪美青年☆殿は旅人でやんすか?」
  「ユークリッドだ」

   逆に問いかけてきた少女にユークリッドは名を名乗る。

  「おいっす。ではユークリッド殿でいかせてもらいます!自分は月見っす。ツッキーでも
  ミッキーでもお好きにお呼び下せぇ!」
  「月見…か」

   なんとなく気恥ずかしい気分で少女の名を反芻する。
 
  「俺は一応情報屋をやってる。ちょいと人を待ってるんで仕事はしないつもりだったんだ
  がな…」

   彼はとあるギルドハンターの専属情報屋なのだ。
   そして、『彼女』が帰ってくる前に全てを片付けなければならなかった。
   老魔導士からこれから押し付けられるであろう、厄介な依頼と……

  「おや。月が出てきたっすよー。美青年とお月見ッ。むしろ月見が月見でグフフフ★」

   いつの間にか自分の横、ベッドの上に侵入し窓の外に身を乗り出している少女に対する、
  自分の納得いかない動悸の理由を探さなくてはいけない。

  「おい、危ないぞ?」

   慌てて月見を引き戻そうと思いつつも、彼女の体に触れることができない。
   こんな情けない様子を『彼女』にでも見られた日には恥ずかしくて生きていけないと思
  いつつ、既に十分恥ずかしい様子でユークリッドはオロオロしながら月見のか細い背中を
  見下ろしていた。

   既に夕焼けの朱が去った夜空には白い月が浮かんでいる。
   細長い三日月は、藍色の空に消されてしまいそうなほど儚い姿で瞬いていて、それは、
  誰かに似ていた。

  「あ…」

   その光景を見て、一瞬頭の中の映像が現実に重なったのかと思った。
   その銀の月に被さる様にして、あの女がこちらを見ていた。
   銅像と……あの写真と同じ姿かたちをした女の霊は、最初に見たときと同様に憂れいた
  表情でユークリッドを見ている。
   そして、その下の月見を見ると、さらに悲しげに顔を歪ませてさっと背を向けた。

  「ま、待ってくれ!」
  「う、ウヒョ!?」

   慌ててユークリッドは女の霊に声をかける。
   身を乗り出したユークリッドは月見の背に手をかけたので、バランスを崩した月見の上
  体がガクンと傾く。

  「おおおお、落ちるっす!!落ちるっすよ!金髪美青年殿ッ。さてはさっきのオヤジギャ
  グがつまらなかったのですか!!?なんてドッキリプレイッ。激しすぎて腹がグルジぃ
  …」

   ジタバタする月見の事など目に入らず、ユークリッドは続ける。

  「探していたんだ!君を」
  『私を……?』

   彼の言葉に女は動きを止めた。そろそろとこちらを振り返る。
   やはり、その女の霊はあの老魔導士が探していた女と全く同じ姿をしていて、セピア色
  の写真と同様、色は無いが澄んだ瞳でユークリッドを見返した。

  「ああ」
  『本当に…?』

   すがる様な声色に少し心が痛む。ユークリッドは仕事として彼女に声をかけた。
   しかし、この女の霊が求めているのはそんなものでは無い。
   黙るユークリッドに女の霊は心配そうに言葉を紡いだ。

  『下の方が…顔色が悪いのだけれど』
  「あッ!!」

   気がつけば、月見が泡を吹いている。
   腹を窓とユークリッドの手に挟まれて、失神しているようだった。
   慌てて少女を抱きかかえながら、ふと不思議に思う。
   女の霊と話している間、ユークリッドは何故か少女の存在をすっかり忘れていたことに。


   彼女―――銅像の霊の名は『レーナ』と言うそうだ。  
   気がついた時には、あの噴水前の銅像の隣に居て、記憶も無いのだそうだ。
   ユークリッドはまだ自分が老魔導士に頼まれて彼女を探していることを言えずに居た。
   まだ、彼は依頼の内容さえ知らないのだから。

  「ほえ……、ユークリッド殿。誰と話してるんすかー?」

   蘇生した月見がベッドから体を起こし、寝ぼけた目でこちらを見ている。

  「あぁ……実は…そこに」

   女の霊がいるんだ。
   そういいかけて口ごもる。
   レーナはユークリッドが初めて自分を見た人間だと言った。
   それに以前ユークリッドがレーナと会った瞬間に月見は居合わせたが、彼女は全く見え
  てないようだった。 
   ここに霊が居るなどといっても、信じるわけがない。
   彼自身、あの老魔導士が写真を見せてくれなかったらレーナの事を幻と片付ける所だっ
  たのだ。

  「どうしたんすか?」

   しかし、その黒い円らな瞳に負けて、ユークリッドは馬鹿正直に答えた。 

  「そこにレーナという女性の霊が居るんだ」
  「……」

   月見はキョトンとすると、まるで霞の中を覗くように目を細めてユークリッドの示した
  ほうを見る。

  「おお!見える。みえるっす!!」
  「いや、見えないならそれでいいから…」

   無理に合わせてもらっても、余計悲しくなる。
   そんな力の無いユークリッドの言葉を押しのけて、水晶玉を覗くインチキ占い師のよう
  な口調で月見は続ける。

  「さっきのジジイ様が持ってた写真のビュテホーですな!うっすらですが見えるっすよ!」
  『!』

   月見の言葉にレーナが驚いたように少女を見た。
   ジリジリと怪しげな様子でレーナに近づく月見は確かに彼女を見ていた。

  「…もしかして」

   月見はさっき三途の川を渡りかけていたのかもしれない。





                                 スケミ


  「ユークリッド殿!これはもしかしなくとも奇跡体験というやつでスカッ★」
  「そうだと思うが……そんな馬鹿な。」

  (ユークリッドの目から見て)月見の花が綻ぶような笑顔に表情をゆるませながらも、思  
  いもよらぬ出来事に呟きがもれる。
  死にかけた人間が奇跡的に生き返った後、イレギュラーな能力を手に入れるという話はそ
  んなに珍しいことではない。
  だが、まさか目の前で実際にその瞬間を目撃するとは。

  『まさか、こんなことがあるなんて……』

  レーナは、戸惑いの表情を隠せなかった。
  今まで長い長い月日の中、誰にも存在を感知されることなく孤独に過ごして来た。
  それなのに。

  (私の姿が見える人が二人もあらわれるだなんて)

  ただ朽ち果てるしかなかった自分の運命が、何か違う方向へと動きだしたのかもしれない
  ……そんな考えが頭の中をよぎる
  その違う方向の行き着く先が良いものか、悪いものなのかはわからないが。

  『貴方も……私の姿が見えるの……?』

  おそるおそるそう問いかけるも月見はひたすらにレーナをじぃっとみつけるだけ。

  「うぉぉ〜!これまたビュリホな美人さんで〜★透きとおったような肌でうらやましいっ
  す!」
  『透きとおったというか現に透きとおっているのだけど………あ、あのー?』

  もう一度問いかけるも望む反応は、ない。
  じりじりと迫ってはナンパのような言葉を連発する月見。

  「月見、彼女の言葉は聞こえるか?」

  困惑するレーナの様子を見てユークリッドが助け舟を出す。

  「うぇッ?言葉ッスか?そいつはあたしにゃあサッパリっす……」
  『え?』
  「どうやら、姿が見えるだけのようだな。」
  「ううう……なんだか損した気分っす……」

  残念そうに呟く月見を「まぁまぁ」となだめるユークリッド。
  それを見て、レーナはまたも心が痛むのを感じた。

  ▼

  コンコン。


  短いノックの後にしわがれた声が問いかける。

  「いるのだろう?例の依頼の書面を持って来た」

  老魔導士だ。
  ユークリッドは内心舌打ちをした。
  現時点で随分やっかいなことになっているというのに、よりによって最悪のタイミングで
  来るなんて。
  不幸中の幸いというべきか、部屋に帰ってきたときに鍵はしっかりかけてある。
  部屋にいることはバレているがこのまま居留守を使ってしまおうか。

  (折角、月見を俺の部屋に連れ込ん……いやいやいやいや。そうじゃなくって)

  そう、今思えば「彼女」と会うまでに面倒ごとは背負い込むのは得策ではない。
  「彼女」に何をいわれるかわからないし。

  そう、思ってはいるのだが。

  視界の端に、月見にじりじりと近寄られて困った顔のレーナが見える。
  老魔導士が持っている書面には少なからず、レーナのことが記されているのだろう。
  そう思うと、なぜだか老魔導士に押し付けられた依頼の詳細が気にかかってしょうがない
  のだ。

  (さぁ、どうするんだ、俺。)

  頭の中で好奇心と理性が戦っている。
  戦いは理性が若干有利な状況ではあったが……

  「はーいはーいッ★いらっしゃいませっす〜!」

  ガチャリ。

  「あ。」

  鍵を外す音にユークリッドは思考の世界から現実に引き戻される。
  視界にはまるでウェイトレスのように老魔導士を招き入れる月見の姿が見えた。

  「やはり、居るではないか。」
  「はぁ……俺は気が進まないんだけどな。」
  「えぇ?!そうだったんですか!これはもしかしなくとも世間一般でいう余計なお世話と
  いう所業を……な、ならば今直ぐお帰り願いまスですよー!!さ、さあ!カエレ!!」
  「……いや、大丈夫。うん、大丈夫だから。もう入れちゃったし」

  そう言うも溜め息は勝手にもれてきた。
  怒られた犬のようにしょんぼりとする月見にときめきながらも、げんなりとした気持ちが
  沸き上がってくる。
  どうも、この少女は面倒ごとを進んで引き寄せてしまうようだ。
  しかも頭が回らないというか、なんというか。
  (ユークリッドの目から見て)それがまた、可愛いとも思うのだが。
  そんな月見と見つめていると、困った顔のレーナと目があった。
  それに気付くとレーナは申し訳なさそうに頬笑む。

  『ごめんなさい……止めようとしても伝わらなくて』

  どうやらユークリッドの心情を察してくれたらしい。
  そんな彼女の心遣いにユークリッドは自然と頬笑み返した。
  何故だろう。
  彼女を見ていると不思議な気持ちになる。

  月見の時のように性急な感じではなく、何か奥底からじんわりするような、そんな気持ち。

  「さぁ、早く依頼の詳細をみせてくれ。」

  気付けば、そんな言葉が口から出ていた。

  「それでは、この書類を……ぬ…っ」

  手持ちの書類をユークリッドへと手渡そうとした刹那、老魔導士の手が滑り書類やら資料
  が床に散乱する。

  「すまぬ、儂ももう年でな……体が言うことをきかなんだ」
  「大丈夫ッスか?!」

  どっこいしょ、と老魔導士が屈むのを見て、月見も床の書類を拾いはじめる。
  自分も手伝おうと足下の書類へと手を伸ばして拾う。
  レポート用紙のようなものに写真がクリップで止められたその書類は、どうやら年期もの
  らしく紙全体が茶色く変色していた。
  ところどころ脆くなっているのでそっと、扱う。

  『その写真……。』

  「ん?これがどうかしたのか?」

  声のした方を振り返るとレーナが手元の書類をじっとみつめていた。

  まるで懐かしいものを見るかのように。


  ▼

  その下(?)では。

  「あっ★」
  「ぬぅ」

  一枚の書類を取ろうとして手を重ね合わせてしまった月見と老魔導士が、顔を赤らめなが
  らみつめあっていた。





                               マリムラ


  『この写真……知ってるわ』

   懐かしそうにレーナが見つめる色褪せた写真は、穏やかに笑うエルフの青年が映ってい  
  た。

  「これは誰だ?」

   視線を移しながらユークリッドが老魔導士に問う。慌てて月見から手を離す老人はまる
  で思春期の男の子のようで、ユークリッドはこの老人を月見から引き剥がしたい衝動に駆
  られた。考えるよりも先に手が伸びる。少し乱暴に老人を引き起こすと、トンと軽く押し
  やり椅子に座らせておくことにした。

  「す、すまんな……」

   後ろめたさかモゴモゴと礼を言う老人はまだ顔を赤らめていて、ユークリッドをますま
  すイライラさせた。が、あえてその感情は無視することにして、きょとんとして座り込ん
  だままの愛らしい月見に手を貸し、こちらは優しく助け起こしてやる。

  「それは依頼人の少し昔の写真でな、何でも名のある彫刻家らしい」

   手元の資料を見、確認しながら老人が答える。ドワーフでもない彫刻家は結構珍しい。
  しかし繊細な女性像ばかり作る彼の作品は、特に人間達の間で評価が高かった。

  『彼、私を「ねぇさん」と呼んだわ』

   懐かしさに手を伸ばし、やはり写真に触れられないことに気付いて手を引っ込めるレー
  ナ。ユークリッドはさりげなく、写真を彼女が見やすいように持ち直した。

  「それで、依頼人と対象の関係は?」
  「義理の姉と弟というヤツじゃ。彼はハーフエルフでな、母親の連れ子がレーナ嬢と言う
  ワケじゃ」

   自分と少し似てるな。ユークリッドは思った。自分には腹違いのハーフエルフの姉がい
  て、シスコンと言われるくらい慕っていて、いや、シスコンと言われるのは本望ではない
  のだが、まあ慕っていて、彼女のために彼女の像を造った依頼人の気持ちが少し分かる気
  がした。

  「その依頼人が余命幾ばくもないらしく、彼が生きている内に探す必要があるのじゃ」

   そこで老魔導士は大袈裟に溜め息をついた。

  「彼が時間を止めた彼女の体もついえてしまう」
  『??』
  「?!」
  「なんですと?」

   部屋に招き入れたのを失態と感じてか、おとなしく話を聞いていた月見が身を乗り出す。

  「写真のビュテホーは生きてるってコトっすか!」
  「あ、ああ、だから彼女の魂を探して、彼の作品を訪ね歩いておったんじゃ」
  「だって、ココに……むごもごぐふっ」

   月見に詰め寄られてドギマギしている老人を見かねて、月見を引き剥がす。余計なこと
  まで言わないように手で口を塞ぐのも忘れない。抱き寄せた細い肩も、柔らかい唇も、暴
  れる様さえ愛らしい。コッチがかえってドキドキしてしまう。

   意味が分からず困っていたレーナは、ユークリッドが月見を抱きしめて赤面しているの
  に心が痛んだ。
   私、辛い思いをするために彼に会いに来たの……?
   わからない……だってこんな気持ち初めてだもの……。

  「と、とにかく、資料を読ませてもらうよ」
  「……頼むぞ」
  「むごっ」

   口を塞がれたままでも返事をしようとする月見に愛おしさを感じながらも、手を離さな
  いようにしっかり捕まえたままのユークリッド。彼はレーナがその場を後にしようとして
  いたのに、まだ気付いていなかった……。

     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

   ねぇ、彼はまた私に会いに来てくれるかしら。
   それとも、もう忘れてしまったのかしら。
   私の心に響いたのは何だったのかしら。

   もう一度会えたら、分かる気がする……。





                                 千鳥


   資料からユ−クリッドが顔を上げた時には既にレーナの姿は無かった。
   夜風が、白乳色のカーテンを揺らし、レーナのワンピースを彷彿させる。

  「月見、彼女は・・・」

   何処へ行った?

   そう続けようと、月見の方に視線を向けるとなぜか月見は老魔導士と見詰め合っていて、  

  「ほぇ?な、何か言いました!?ユークリッド殿ッ」

   慌ててこちらに身体を向けたりするもので、ユークリッドは思わず閉口した。
   月見に会ってからというもの、心が落ち着く暇がない。
   高揚すると同時に、どっと疲れがくる。
   心臓がオーバーワークしているのだ。
   まるで、病気にかかったようである。

   事実恥ずかしいことに、今ユークリッドの心の中を占めていることは、仕事についてで
  はなく、いかに月見とこの老魔導士を引き離すかであったのだ。

  「いいだろう・・・。依頼を受けよう」
  「おぉ、それはありがたい!!」
  「良かったっすねッ♪」
  「しかし、この時点でお前さんはこの仕事から一切手をひいてもらう。手助けは不要だ」
  「え〜〜〜〜〜っ。一緒にやった方が心強いじゃないっすか。ビバ★助け合いの精神っす
  よ」

   不服そうな月見の声に、ユークリッドは余計ムキになっていった。

  「俺もプロだ。仕事を棄権した人間にいつまでも近くをうろつかれると迷惑だからな。依
  頼を完了した暁には、経緯をすべて報告する。だから、アンタには俺がこの仕事を遂行す
  るまでこの町から離れてほしい」

   老魔導士が「分かった・・・」と力無い声で頷く。
   その姿は一気に老け込んで見えた。

   ★☆★☆

   当分滞在する町の名を告げた老魔導士が部屋から消えると、そこには一種の気まずい空
  気が流れた。
   流石に大人げ無かったかもしれないと、後悔しつつユークリッドはベッドに腰掛けて天
  井の染みと睨みあっている月見の横に座った。

  「そのだな・・・彼にはあんな事を言ったが、君にレーナと彼女の弟を引き合わせる手伝い
  をして欲しいんだ。ほら、彼女の姿を見ることは出来るのは俺と君だけだろう?」

   後のセリフは半分いいわけだった。
   しかし、それに気が付くことなく、月見は元気に両手でガッツポーズを決めてみせる。
   その姿がなんとも愛らしかった。

  「もちろんっすよ!!一緒に頑張りましょう」
  「じゃあ、俺は出掛けてくるから、戸締りは頼んだ」
  「およ、何処に行かれるんですか?」
  「まぁ、ちょっとな。
   今夜は戻ってこない予定だから、この部屋は好きに使っていい」
  「ウヒョーー★大人の時間っすね!!お気をつけて!」

   興奮する月見に複雑な笑顔を向けながら、ユークリッドはひとり自嘲した。
   自分にとっては、この少女と共に一晩を過ごすほうがよほど危険な行為なのだ。

   彼女が内側から部屋の鍵をかけることを確認すると、ユークリッドは宿屋の玄関へと向
  かった。
   この小さな町では宿屋が食堂を構えることも無く、廊下は閑散としたものだった。
   普段ならば酒場は格好の情報収集場所なのだが、この村は朝が早いのか隣の飯屋も閉ま
  っている。
   僅かな間、思案したユークリッドはふと思い立って行き先を決めた。

   きっと彼女もあそこにいるに違いない。
   記憶の無いレーナには帰るところが何処にも無いのだから。
   あの、寂しげな銅像の佇む広場以外には・・・・・・





                                スケミ


  ばたん。

  ドアが目の前で閉められ、鍵を閉める。
  廊下で響く足音が聞こえなくなるのを確認すると月見は「ふぅ。」と溜め息をついた。
  何だか今日はあまりにも色んなことがありすぎて脳が混乱しているようだ。
  先程までは騒げていただ、酷く疲労している。
  ユークリッドは今夜、帰ってこないと言っていたので即刻ベッドに入って眠りたいところ  
  だ。
  だが。

  (……怖いっすわなぁ……)

  机のうえに置かれた依頼の資料を手に取る。
  資料に添付されている色褪せた写真に写るエルフという種族の青年。
  その青年(今は中年であろうが)の命はもう長くもないという。
  そして、あの美しい幽霊、レーナの命ももしかしたら……。
  死の臭いを身近に感じ不安で目がさえてしまっている。
  脳が、心が、不安が仮の死をも拒絶した。

  ▼

  月のない夜空は否応なく不安を増長させる。
  星の光はとても頼り無く、地上を照らすまでにはいたっていない。
  そんな闇に包まれた夜の公園でレーナは自らの分身を見つめていた。

  『これが、私。』

  気付けば精神のみの身となっていた自分。
  そんな自分が鏡や水面に姿見をできるわけもなく、久しく自分の顔さえも忘れていた。
  宿屋で聞いた話からすると、目の前の彫像は自分の弟が造ったものらしい。
  朽ち果てようとしていてもなおも美しい造形を保ったその彫像。
  微かに笑みを刻まれたそれからは、自分の弟という人物の自分への慈愛が滲みでているよ
  うに思える。
  彼は、自分のことを大事にしてくれていたんだろう。
  そんな弟が今、死にそうだという。
  そのことを考えると今直ぐにでも弟の元へと駆け寄りたいと思った。
  しかし、

  『……会ったとしても、弟にも私が見えなかったら……』

  自らの身体をじっとみつめる。
  いつもと変わらぬ半透明の身体。

  『近くにいったとしても、認識できないのなら意味がないじゃない……』

  そこまで考えて、始めて自分を認識してくれた人……ユークリッドのことを思い出す。
  確かにあの時、『何か』を感じたのだ。
  まるで運命のような『何か』を。
  何故かはわからないが、彼となら自分は救われる気がする。
  いや、自分だけでなく、弟でさえも……。

  ふと、視界の隅で闇が蠢くのが見えた。
  用心深く闇の中へ目をこらすと数人の人影がいるのがかろうじて見えた。
  人影は、足音を忍ばせながらレーナの元へと進んでいく。

  正確には、レーナをかたどった彫像へと。

  人影達は、レーナを狙っていた。
  その手には、巨大なハンマーや刃物が握られている。

  『………誰か…………………ユークリッドさん!!!』

  聞こえない叫びが虚しく響き、レーナの視界は暗転した。
  暗闇の中で鈍い音が聞こえ、意識が重力のようなものに引っ張られるのを感じた。

  ▼

  「くそ。こんなに暗いならランタンでも借りてくればよかったか?」

  漆黒の闇の中をユークリッドは慎重に歩いていた。
  月がでていない夜だからといってまったく見えないまでではない。
  しかし、用心深くあるかないと周囲が認知出来ない程闇は深かった。
  公園への道を思い出しながら、一足一足ゆっくりと、確実に歩をすすめる。

  (こんな闇の中を、彼女は……レーナは独りでどのくらい過ごしたんだろうか。)

  誰も自分を知らない。
  誰も自分に語りかけない。
  誰も自分を認知しない。
  そんな孤独の世界の中で彼女は幾日過ごしたのだろうか。
  泣けども泣けども自分を心配してくれる人がいない、そんな状況の中で彼女とユークリッ
  ドは出会った。
  何故自分が彼女のことが見えたのか、それはわからない。

  (だけど、それで彼女が安らかになれるのなら……悪い出会いじゃなかったのかもしれな
  い。)

  しかし、彼女はもうじき消えてしまうかもしれない。
  その事実が何故か彼の心の中をぐるぐるとかき回した。
  とても不思議だ。
  つい先程まで、あの少女のことで胸がいっぱいだったのに今ではもうレーナのことしか考
  えることが出来なくなっている。

  (……もしかしたら、最初から)

  そこまで考えて、ユークリッドの思考は中断された。

  公園であろう方向から石が崩れるような音がしたからだ。

  「ッ!!」

  嫌な予感に足下を確認する余裕もなく闇を疾走する。
  途中で何度か転びそうになるも気力で耐え、再び疾走。
  ようやく公園のような開けた場所にでるが闇が濃くて状況を確認できない。
  ほとばしりそうになる不安を胸に無理矢理押し込め、レーナの彫像があったであろう場所
  に手をのばす。

  手が、空を切った。
  再び確認するもレーナがいた場所には何もなくただ、ざらざらとした断面があるのみ。
  冷汗がにじみ出る。

  「………何かの間違いだろ?」

  状況が飲み込めないユークリッドの耳に、遠くで駆け抜けるような音が聞こえる。
  気付けば、ユークリッドは足音の方向へと向かっていた。

  ▼

  宿屋の部屋。
  月見は一人で書類を読みふけっていた。
  その目には、先程までの不安や恐怖は微塵もない。

  「像の主原料は銅に魔導金属を混ぜ合わせたもの。ふぅん……金かけてるねぇ。」

  まるで人が変わったようなその瞳は書類のある項目に止まった。
  何度も何度もその項目を読み直すにつれ、月見の笑みが深くなる。

  「魂の媒介に使用されているのは……心臓大の魔導宝石。こんな貴重なものを野外に晒し
  ておくなんて、よく今まで盗まれなったもんだね。」

  そう独り言をもらすと月見は外に出るべく準備を開始した。
  物語の終幕を見届けるための準備を。





                               マリムラ


   ユークリッドは足音を追いかけ疾走していた。
   なにか確かな証拠があるわけではない。彼らが犯人だとは決めつけるワケにはいかない。  
   そう思う反面、彼らを逃すと彼女の手掛かりまで失ってしまいそうで心が急かされるの
  だ。

   しかし、地の利があるのだろう、暗闇の中、先に走る彼らとの距離はどんどん引き離さ
  れてゆく。
   追いつけない。
   一瞬よぎった考えを無理矢理払いのけ、ユークリッドは後を追う。

  「ふぅん、なんか楽しそうじゃない」

   突然上から降ってきたのは月見(アル)だった。何処をどう走ったのか、宿の裏通りま
  で来ていたらしいのだ。
   驚きと疲れで足がもつれる。スカートから一瞬のぞいた赤いフンドシも、きっと疲れ故
  の見間違いだろう。
   しかし、そんなことは今のユークリッドにとってどうでも良かった。目線は足音の消え
  た方角を睨み付け、なおも走り続ける。

  「……青春だねぇ」

   からかうような冷やかすような言葉も、耳に入らない。
   しかし何度目かの躓きを、堪えることが出来ずにとうとう通りに積んであった木箱の山
  に突っ込んでしまった。見た目はかなり痛そうだ。

  「ボクに助けて欲しかったりする?」

  「……か…のじょ…は……?」

   汗だくで息も絶え絶えに問うユークリッド。見下ろす月見(アル)は腕を組んだままニ
  ィィィッと笑った。

  「面白そうだからボクも付き合わせてよね。大粒の魔導宝石なんて久しぶりだし?」

   引き起こされるユークリッドの擦り傷から滲む血が痛々しい。
   不思議なことに月見に手を触れてもさっきまでのドキドキが感じられなかった。

  「見失っ……た」

   もう足音が聞こえない。やり場のない怒りがさっき崩した箱の山へ向かう。
   蹴られて飛び散る木箱の破片。カランカランと乾いた音が通りに響く。

  「まあ、あんなに大きな荷物を人前に出すのは避けるだろうね」

   後ろからかけられた言葉に驚き、振り向くユークリッド。

  「この方角で人気のないところ、ボクが追えないとでも思う?」

  「追えるのか?!」

  「侮らないで欲しいな。さっき通り過ぎたときに印も付けておいたことだし、すぐに見つ
  かると思うよ」

   少し冷静になったのか、ユークリッドには月見の表情も話し方もさっきまでと別人のよ
  うに見えてきた。

  「……お前、本当に月見か?」

  「ああ、深いことは気にしないで。カラダは本物だし」

   首を傾げるユークリッドを後目に、さっさと歩き出す月見(アル)。

  「早く来ないと置いていくよ?」

   必死なユークリッドとは対照的に、月見(アル)は楽しそうに笑った。

    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

   なにかに強く引き戻されたレーナは、自分が彫像の中に閉じこめられたということにな
  かなか気づけないでいた。暗い闇の中、何か布状のモノを巻き付けられ、数人に運ばれて
  いるようだ。
   自由に身動きの取れない苦痛。今までがどれだけ自由だったかが身にしみる。
   ……身にしみる?体なんてココにはないのに。
   自嘲気味に心の中で苦笑する。不自由さの中で久々に感じる布の感触。

   きっと、壊されたら痛いんだろうな。

   出るはずのない涙が流れたような感触が頬を伝う。

   あなたに、一度でいいから触れたかった。
   あなたに、一度でいいから触れて欲しかった。
   あなたに、もう一度会いたかった……。

   揺れる体に引きずられるように意識も揺れる。本当はこの状態を保つのも限界なのかも
  しれない。

   私、消えてしまうのかしら……。

   もう一度、頬を涙が伝う。流れるはずのない、暖かい涙が。





                                 千鳥


   身体がひどく冷えていた。
   汗が、吹き付ける夜風が、そして、レーナを失うかもしれないという不安が、ユークリ  
  ッドの体温をどんどん奪っていた。
   だが、それでよかったのだ。
   血が上り、冷静な判断すら出来なくなっていた頭が、次第に働き始めた。

  「ん?どうしたのさ」

   歩調が緩み、そして立ち止まったユークリッドに月見が振り返る。

  「魔導宝石と言ったな?」
  「あぁ、うん。言った言った。ちゃんとボクの言葉聞いてたんだ」

   後ろで手を組みながら跳ねるようにやってくるアルに、再び違和感を覚える。
   この少女は、こんな話し方をしていただろうか?
   こんなふうに、人を観察するような冷やかな目を自分に向けていただろうか? 

   思い出そうとしても、何を思い出せなかった。
   ついさっき、部屋のドアを閉める瞬間まで、自分は目を閉じていても、月見愛らしい様
  子を瞼に浮かべ、それに焦がれることさえ出来たのに。

  「一体どういうことだ?レーナとどう関係がある?」
  「関係はすごくあるけど、いいの?急がなくて」
  「君は歩いて向かおうとしてる、それは目的地がここから近いか、まだ自体はすぐに進展
  しないことを分かっているからだろう?ならば闇雲に走るより、少しでも情報を集めて対
  処する策を練るほうがいい」

   情報屋らしいユークリッドの言葉に、クスリと月見が笑う。

  「うん、いいね。その調子。本当はもっと慌ててくれたほうがボクとしては見てて楽しい
  んだけど…」
  「月見……?」
  「おにーさんも感づいたと思うけど、例の…レーナの銅像の中核には魔導宝石が埋められ
  ているんだ。しかも大粒の」
  「なぜそんな高価なものが、こんな小さな村の銅像に使われているんだ?」

   ユークリッドには魔法使いの知人はたくさんいたが、残念ながらその手の代物に対する
  知識は浅い。

  「サァ?でもその銅像のモデルは他でもない、製作者のお義姉さんだよ。しかも、お義姉
  さんの魂はこの銅像に囚われている。どうしてこんなちんけな村にあるのか知らないけど、
  唯の作品のひとつじゃないよ」
  「そういえば、昔彼らの住んでいた村はこのあたりのようだ…」

   老魔導士に渡された資料を思い出す。
   そこに書かれた村が何処にあるのか分からなかったが、そもそも数百年前のことである、
  ただ名前が変わっただけで、この村こそが彼らがかつて一番幸せな時をすごした場所なの
  かもしれない。

  「しかし…それならばなおさら、今になって銅像を盗むなんて愚かな事を考える連中がい
  るとは思えないな…」
  「そうだね、いくら例の依頼人が床に伏しつつも、銅像との対面を願ったからって、のこ
  ぎりや何やらでそれを運び出そうなんて思わないだろうし」
  「犯人が依頼人から魔導宝石のことを聞き出したのかもしれない。病に冒された、命の先
  が見えた人間は急に性格が変わるとも言うしな」

   そう判断したユークリッドを、面白くなさげに月見は見た。

  「ふぅん?ボクは恋に囚われた人間も、急に性格が変わると思うけどね」

   己の事を言われているのだと分かって、ユークリッドは一瞬月見を睨(ね)めつけた。
   そして、すぐ後疑問が浮かぶ。

  (俺が恋していたのは誰だ…?)

   目の前にいる月見のことではなかったのか。
   しかし、目を瞑っても、そこに浮かぶのは儚げな微笑を浮けべたレーナだけだった。





                                スケミ


  (俺が恋していたのは誰だ…?)

   幻聴であろうか、それとも何処か遠くに教会でもあるのだろうか。何故かユークリッド  
  の耳に低い鐘の音が響く。ゴーン、ゴーンと響くその音はまるで自らの躯の奥底から響い
  てくるような音だった。
   彼の困惑を読み取ったがごとく、月見が言う。

  「針はもう天を見上げた。魔法は解けたんだよ。」

  「何だソレ。」

  「さぁね?兎に角、キミはもうガラスの靴を脱いで素足で行かねばならない。」

   まるで答えになってないその返答をユークリッドは聞き流した。今、必要なのは意味の
  わからない言葉の交わしあいではなくレーナの救出だからだ。

  (レーナ。)

   麻薬めいた倒錯が去って、ようやくと輪郭を現わし始めた気持ち。気付けば、頭の片隅
  にいる彼女の存在が当たり前のようになっている。その彼女が、失われてしまう。

   前方に微かな灯りが灯っているのが見える。ここはもう村から離れた山道だ。
   村人では、ない。

  ▼

   人数は五人。その内の二人がレーナの銅像が包まれているであろう、布にくるまった物
  体を運んでいる。
   どうやら彼等は山を下るらしい。彼等の進む方向にある小道は人二人がぎりぎり並べる
  程の広さしかない。彼等の持つ松明の頼り無い光では暗闇を払拭することはできず、相手
  の武器は確認できなかったがこれ以上山に深入りされると後が辛い。
   ユークリッドはアルと視線をあわせると素早い動きで草むらを飛び出した。
   無表情で襲いくる人々。知らぬ者にかける容赦など、ない。
   樵のような体格の男の攻撃を避ける動きに乗じて、男の突進力を利用し背中に掌底を喰
  らわせる。その衝撃と、自らの加速で男はマトモに顔面を地面へとぶつける。情報屋であ
  る彼だが、自らにかかった火の粉は自分で降る払えるように鍛練はしている。
   男の動きが止まる。どうやら気絶したようだ。

  (これでまずは、一人。)

   そう思った矢先。

   ばりん。

   渇いた音を立てて樵の頭にヒビがはいり粉々になる。木の爆ぜる香しい香りが鼻につく。
  予想しなかった事態にも動揺せす、ユークリッドは襲いくる人々の攻撃を避けては力を返
  していく。冷静に、沈着に、目の前で起こっている事態を認識しようと目を凝らす。
   腕を、肩を爆ぜさせていく人々。しかし、先程の人形と違い未だ動きはとまらない。
   彼等は人々などではなくモノたちだった。粉々になったものの中に、ところどころ形を
  残す破片が見える。
   木片である。

  「こいつら……人形か。」

   独り、呟くその声に返答が返る。

  「どうやら、人形士がいるようだねぇ。どうするんだい?」

   人形の攻撃をまるで舞うような動きで避けつつ、月見はユークリッドの側へと移動。赤
  い布がスカートからふわりふわりと覗くのはきっと幻覚だろう。いつしか情報を買った東
  国の男の穿いていた「ふんどし」なる下着と似ている……そんなこともきっと気のせいだ
  ろう。そう、思った。

  「どうするもなにも、壊せばいいことだろう。」

   どんどん遠くなっていくレーナの姿を視線の先に捕らえ、ユークリッドが強行手段に出
  ようと拳を固める。本来戦闘は得意な方ではないがやむを得ないだろう。それに、一見た
  だの少女である月見が戦闘に慣れているとは思えない。自分だけが、頼りだ。
   その殺気に当てられたのか、残った二体の人形の間接がかたかたかたと小刻みに震えた。
  多少、倒すのにコツはいるものの人形自体はそんなに強くない。

  (何とか、なる。)
 
   そう、ユークリッドは判断した。視界の端で月見が小刀のような刃物を木の皮へと突き
  刺し、何らかの紋様を刻みはじめるのが見える。
   間合いがじりじりとせばまる。
   一触即発。
   その時。

  「それは御遠慮いただきたい。」

   声が、二人の耳もとで囁かれる。まるで、背筋を舐められたようなおぞましい感覚に
  ユークリッドは吐き気を催した。女性ならば色々と考えなくもないが、耳もとでしたその
  声はまぎれもなく男の声だ。
   不快な気分に眉間に皺がよる。
   そんなユークリッドの視線の先にすぅっと、まるで死人のような青ざめた紳士の顔が浮
  かび上がる。その口は三日月のように歪んでいた。タキシードにシルクハットという昔の
  戯曲に出てくる怪盗のようなふざけた格好。
   しかし、彼がかもし出す雰囲気はそんなものを遥かに凌駕する。まるで漆黒の影から浮
  かび上がったようなその姿。まるでこの闇全てが彼のモノのような、そんな演出。

  「これらは私の大事な大事な子供達。契約の代償品を壊されるわけにはいきません。」

  「契約?」

  「貴公ら下等な生物が『魂』の秘術を使うことができるとお思いか?」

   その言葉に、月見がピクリと反応する。まるで、挑戦するような目つき。

   魔法文明が発達した今でも、一般的に秘術や禁呪と呼ばれる魔術がいくつかある。
  『魂』に関する秘術もその一つだ。その秘術は複雑な魔術構成や様々なマジックアイテム、
  そして膨大な時間を必要とするため成功率はとても低い。最近は魔術のより高度な研究に
  より成功率は上がって来ているが成功率の低さは未だ同じだ。

  「へぇ。そういうキミはアレかい?悪魔とか魔族とか呼ばれるアレ?」

  「『魂』の秘術に魔族……お前、レーナの弟と契約したのか。」

   『魂』の秘術。そんな術を、一介のハーフエルフであるレーナの弟が単独で使用できた
  とはあまり考えられない。その疑問は資料を見た時から感じていた。
   しかし、確実にそして時間に捕われることなく秘術を発動できる方法がある。
   その方法の中の一つ、精霊や魔族、悪魔と呼ばれる存在との契約。レーナを攫いに来た
  魔族が目前にいる。謎が少し、とけたような気がした。

  「マスターの死は間近。契約の終了は目前。私はその瞬間、気高い魂を手に入れる。」

  「魔導宝石を媒介にして存在維持できる程、純度の高い魂。さぞかし良い人形ができるん
  だろうねぇ。」

   月見がそう言うと同時に彼等の目前が閃光で満ちた。
   一瞬何が起きたかはわからなかったが、その閃光が月見が木に刻んだ紋様から溢れてい
  ることは確認できた。「これは一体どうしたんだ」と語りかけようとした矢先、見えない
  力でユークリッドはどこかへと引っ張られる。

  前へ、前へと。

  ▼

  「ふむ……不意打ちをしたかったようですがただの目くらまし。」

   閃光が消え去った後、残ったのは月見、そして魔族の二人きり。ユークリッドの姿はな
  い。

  「ボクはただ、裸足のお姫さまが追い付くように背中を押しただけ。それ以上のことなん
  て期待してない。」

  「私は貴公を殺して彼に追い付くこともできますがどうですか?」

  「あっははははは!それは御遠慮ねがいたいねぇ!」

   ひとしきり彼等は笑い、互いの獲物を取り出す。


  ▼


   どすん。

  「うわっ。」

   いきなりの激しい衝撃にユークリッドは短い呻きをあげた。どうやら何かと勢い良く衝
  突したらしい。
   目をゆっくりとあけると、先程まで空間を占めていたまばゆいばかりの閃光はなく暗闇
  があたりを支配していた。さっきまでいた道とは違い、少し開けた場所。
   やがて暗闇に目がなれてくると、自分のまわりに何かゴツゴツとした物体がちらばって
  いるのが確認できる。何処かで嗅いだ、香しい木の香り。
   触って確認してみるとそれは木片だった。人形二体分の木片が散らばっている。どうや
  らレーナを運んでいた人形らしい。ユークリッドがいきおいよく衝突したのは彼等のよう
  だ。

  「レーナ!」

   その木片から少し離れた場所に布にくるまったレーナの銅像が無造作に放り出されてい
  た。ユークリッドは急いでレーナに駆け寄る。

  (さっきの衝撃でヒビでも入ってしまっていたら……!)

   ユークリッドはレーナを包む布に手をかけた。





                               マリムラ


   もう、口が動かせないの。
   もう、あなたに話しかけることもできない。
   どうしたらいい?私に何ができるの?!

   レーナは心が引きちぎられそうな思いで叫んでいた。声が出ないまま、それでも叫んで  
  いた。
   彼女にとっては、もしかしたら初めての行動だったかもしれない。体を持っていた頃も、
  噴水から皆を眺めるだけだった頃も、自分から何かをすることはなかったのだから。いつ
  も諦めて、見ているだけ。

   でも、もうイヤなの。どうしようもできないの。
   会いたい、彼に触れたい、ユークリッドさん……!



   視界が、晴れた。布の向こうから、心配そうなユークリッドが覗き込んでいた。

    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

   ユークリッドが布をはぎ取り、そっと触れた。
   レーナの頬を涙が伝っているように見えて、拭おうと触れた。
   でも、彼女の頬は濡れておらず、肌は像の冷たさを保っている。

   彼女は、ずっと泣いていたのか……?

   無言で彼女を抱きしめることしかできなかった。
   彼女の声は聞こえなかったけれど、ここにいることは分かったから。

    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

   レーナは温かい手が頬に触れた瞬間、涙を流しながら微笑んでいた。

   来て、くれた。
   触れて、くれた。

   声をかけることのできないもどかしさよりも、溢れる感情を表しようがないことが切な
  い。

   ここから解き放たれたら、あなたに伝えたいことがあるの。
   あなたが好き。ユークリッドさんが好き。
   あなたのことを何も知らないけど、今のこの思いに嘘はないから。

   頬に触れた手が離れる。その手を引き留めることも、追いかけることもできない今、
  レーナに何が出来るのだろう。ただ、悲しい目でその手を見つめるだけ。
   ユークリッドは何も言わず、ただレーナをきつく抱きしめた。レーナは驚いて、そして
  嬉しくて。
   また、涙が流れた。

    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

  「ゴメン、どうすればいいか分からないけど、出来るだけのことはするから」

   ユークリッドはそう声をかけて、優しく、もう一度レーナを布でくるんだ。
   一人で運ぶには重いソレを、ユークリッドは足を引きずるようにしながらもしっかりと
  抱きしめて運ぶ。

   足下に転がる木片が、なにかにぶつかって揺れたような気がした。





                                 千鳥


  ――あなたには、エルフの友人が必要だったんだわ・・・

   彼と、彼の母親を取り囲む世界は、めまぐるしい速度で時が流れていた。
   彼の前を走っていた近所の子供達を、彼が追い越せる様になった頃には、既に彼らの横  
  には自分と同じ年恰好の息子達が立っていた。隣家は彼の知らぬ間に、世代が変わり、住
  む人が変わり、彼と彼の母親だけが変わらぬまま、そこに居続けた。
   いつのまにか、彼は家にこもって一人作業に没頭するようになった。作るのはいつも女
  性の像。永遠に変わらぬ、彼の母親のように美しいものたち。俗世から逃れるために始め
  た趣味が職に変わるまでにそれほどの時間がかからなかった。
   そんな彼の生活が変わったのは、永い間住んでいた家を移り住むことになったときだ。
  彼には、新しい父親と、新しい姉が出来た。
   新しい家と新しい家族との生活は、彼の人生を再び鮮やかなものに変えた。
   彼は父親よりも、姉のレーナによく懐き、常に時間を共にした。彼女と過ごす時間はと
  ても緩やかに感じられて、確かに彼はその時『人間』と同じ時間を共有していることを実
  感した。
   しかし、病弱な姉に残された時間は、他の人々に比べて余りにも短かった。
   その頃には既に、長寿であるはずの母親も他界し、父親を事故で亡くし、本当に彼には
  レーナしか残っていなかったのだ。
   彼女無しで、自分の残りの人生を過ごすなんて考えられなった。それは、改めて思えば
  彼の弟としての我侭に他ならなかったのだが、それゆえに、つけこまれたのだ。

  ――お姉さんの命を引き伸ばす方法がありますよ。

   その耳に囁いたのは、彼のファンだという一人の男だった。
   人形士だという男は、彼の作品を見ては熱心に褒め称えた。彼は何年たっても彼と同様
  同じ姿で現れたので、唯の人で無いことは分かっていたが、それを拒絶する理由など彼に
  は存在しなかった。

   彼の力を借りて、希少な大粒の魔導宝石にレーナの身体を封じ込め、それを核に像を作
  った。彼女の魂は脆弱な肉体の変わりに、魔石の力を借りてそこに存在することが出来た
  のだ。
   幸せな時間は短かった。レーナは弟の頼みを断ることなく、銅像と一体となって孤独な
  彼を癒し続けた。それでも、彼は姉を一緒に居るわけには行かなかった。
   遠ざけたのは、男の目論見を知ってしまったから。 
   男が望んだ報酬は『彼が一生をかけて作った像の中で最も優れていると思ったものを譲
  ってもらう事』。しかし、その像は他でもないレーナの像だ。それ以上のものなど、彼に
  作れるはずがなかった。

   だから、手放した。
   せめてと、信頼できる村長に頼み、あの幸せだった時代に居た村の中心に彼女を残した
  後は、けして彼女に関心を傾けず、あの男に、気付かれないように・・・。

   ここまでして留まらせたレーナとも、結局殆ど一緒にいることが出来なかった。
   そう、彼女が存在していても一緒に居られなくなる事があるのだと彼は悟ることになっ
  た。  

   ★☆★

  「しかし、僕の身体も限界です・・・」

   アルフレッドの容姿は、あの頃と殆ど変わりがなかった。
   それでも肉体は既に極限に来ている。ハーフエルフという存在の曖昧さから来るものか、
  それとも、あの人形士と交わした契約の代償だろうか。思ったよりも短かった自分の寿命
  に彼は自嘲した。
   それから、アルフレッドはそのやつれた身体を無理やり起こして、ベットの脇に立つ老
  魔導士を見た。その目には命尽きる前の、僅かな力を糧にした強い光が宿っていた。

  「その前に、レーナに・・・姉さんに会いたい・・・」

   ★☆★

   ユークリッドは、その腕に物言わぬレーナの像を抱きしめて、暗い森の中を彷徨った。
  月見のことは心配であったが、引き返したところで自分に出来ることが無いのは分かりき
  っていた。だからこそ、彼女は自分を魔法で遠ざけたのだろう。

  「俺なら、こんなこと絶対に・・・」

   鉛のように重い足を止めて、今は白い布にくるまれた銅像を見下ろす。
   レーナの気配は今となっては、全く感じられなかったが、きっとあの悲しげな顔で自分
  のことを見ているのだろう。もしかしたら、泣いているかもしれない。また、彼女は一人
  ぼっちになってしまったのだ。
   ユークリッドは彼女の存在を『知って』いる。でも、もう見ることは出来ないのだ。た
  だ、彼女のことを想うことしか。彼女の寂しさを想像することしか。

  「くそッ。何だってレーナがこんな目にあわなきゃいけないんだ!」

   天国などという場所など信じていないはずなのに、それでもレーナならきっとそんな清
  らかな場所にいけるような気がする。そんな彼女が何故。
   悪態をつきながらも、ユークリッドは今、悔しくも彼女の弟の気持ちがはっきりと分か
  っていた。たとえ、レーナに悲しい思いをさせても、自分は見ていたいのだ、彼女の姿を。
  思い出だけで生きていくには彼女の存在は今のユークリッドには大きすぎた。

   ―――それでも、

  「そう、間違っていたんです」
  「!」

   突然ふって沸いた声に、ユークリッドは身を構えた。
   弱弱しい月の光に、ほっそりとした影が伸びる。
   月光に白く照らせれた金髪に長身のエルフがそこに居た。 
   どこか自分に似ているかもしれない。
   頭の隅でユークリッドはふと思った。 

   彼は歩を進めると、その手を像に触れた。その手で布に覆われたレーナの顔を露わにす
  ると、像から・・・レーナの目から涙が流れていた。 

  「ごめん、姉さん。でも、これでもう何もかも終わる・・・」

  ――彼女は、貴方にとって永遠とも言える体を得ることが出来たのです。
    何故なら、貴方が生き続ける限り、彼女の肉体もまた滅びることがないのですから。





                                スケミ


  ぴちちちち。
  ぴちちちちちちちち。

  耳に届くは鳥のさえずり。
  そしてまぶたに飛び込んでくるのは眩いばかりの陽光。

  「うぁ?」

  まぶたを開いた彼女は呆然とした。
  何故なら目前に広がるのは、彼女が泊まっていたユークリッドの部屋ではなく、鬱蒼と広  
  がる森の中だったからだ。

  「こ、ここここここここここれは一体どうしたことかーっ?!ドッキリ野外でアレソレコ
  レっすかー?!」

  思わずそう叫んでみるも誰もツッコんでくれない。ただ寂しく木霊するのみだ。
  驚きのまま勢いあまって起き上がろうとするも謎の疲労感やら身体の節々の痛みで満足に
  立ち上がることすらできない。
  もしや自分が寝ている間にあんなそんなこんなプレーイがあったのかと思うが、着衣には
  何の乱れもなく、ただの杞憂だった。
  ただ、彼女愛用のフンドシがちょっとくたびているように感じるのみ。

  「うあああ……こいつぁどうすればいいでスカー……」

  いかんせんどうしようもなくなったので、彼女はその場で大の字に寝転がった。
  ここは下手に動かず体力の回復を待つのが利口だ。

  「………。」

  何もしないと、どうしても何かを考えてしまう。
  例えばそう、あの儚げな幽霊のことや、その幽霊に関する依頼のこと。
  そして



  『マスターの死は間近。契約の終了は目前。私はその瞬間、気高い魂を手に入れる。』



  ふいに、脳裏に響く言葉。

  「?」

  こんなクソ真面目なセリフを聞いた覚えはない、そう思いつつも何処かが引っかかる。


  マスターの死
  気高い魂


  何か、自分は大事なことを見て聞いたのに「誰か」に忘れさせられているような。
  そうやって思考の世界に入ろうとした月見の顔に、陰がかかる。
  誰かが、月見の顔を覗き込んでいた。

  「生きてるか?」

  流れるような美しい髪、そして整った顔立ち。
  こんな辺境の地で出会ったそんな容姿をした人物を月見は一人しか知らない。

  「ユークリッド殿ッ!おはようっす!」

  「ああ、おはよう。」

  ユークリッドは月見が野外で寝ていることに何の疑問も持たないのか、場違いなほどいつ
  もどおりの挨拶を返してくる。
  そのいつもどおりの挨拶が少し混乱していた月見の思考を正常に戻す。
  それと同時に朝になった今、最も聞かなければいけないことを思い出した。

  「そ……そういえばユークリッド殿っ」

  「ん?」

  「……レーナ嬢はどうしたんすか?」

  その言葉を紡いだ瞬間、ユークリッドの表情が固まる。
  それは良い反応なのか、悪い反応なのか。
  朝日の逆光で月見には読み取ることができなかった。


  「レーナ、は。」


  ゆっくりと、彼が口を開く。





                               マリムラ


   ゆっくりとユークリッドが口を開く。興味津々な月見の目の前にはユークリッドが差し  
  出した右手。

  「???」
  「レーナは、ココに、居る……」

  「……なんですと?」

   差し出された掌では、大粒の魔導宝石が淡く光を放っていた。



    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



  「くそッ。何だってレーナがこんな目にあわなきゃいけないんだ!」

   時間は数刻遡る。
   ユークリッドは足を引きずりながら、レーナの像を抱きしめていた。
   場所は暗い暗い森の中。一体どのくらい彷徨っていたのだろう。

  「そう、間違っていたんです」
  「!」

   細い月の光から降って湧いたように、金髪に長身のエルフがそこに居た。
   身構えるユークリッドにゆっくりと近づき、レーナ像に手を伸ばす。それは写真で見た
  弟、ハーフエルフのアルフレッドだった。

   ユークリッドはレーナを少しアルフレッドの方へ差し出すように持ち上げた。手が触れ、
  包んでいた布が剥がれ落ちる。
   その像の目からは、不思議なことに涙が流れていた。

  「ごめん、姉さん。でも、これでもう何もかも終わる・・・」

   そう言葉を切る悲しげなハーフエルフの手がレーナ像を受け取るのに、ユークリッドは
  抵抗を見せなかった。
   自分には何も出来ないから。悔しいけど何の方法も思いつかないから。

   アルフレッドはレーナ像を愛おしそうに優しく撫で、ぎゅっと抱きしめた。そして。


     ―――え?


   一瞬、何が起きたか分からなかった。
   アルフレッドはきつく抱きしめた彼女を、地面に、叩きつけたのだ!

  「……なぜだ!彼女はココにいるのに!」

   噛み付くユークリッドを悲しげに見つめ、アルフレッドは言った。

  「これで姉さんの魂はあいつに奪われずに済む。『僕が一生をかけて作った中で最も優れ
  ている像』ではなくなったのだから」
  「わからない!どういうことなんだ。説明してくれよ」

   縋り付くように聞くユークリッドに、地面に落ちた魔導宝石をそっと指し示す。

  「姉さんはあの中です。僕が死んでもまだ魂が残るのか分からないけど、それでも今はそ
  こにいます」
  「?!」
  「姉さんの魂を繋ぎ止めるために、僕は魔族と契約をした。条件は只一つ。『僕が一生を
  かけて作った中で最も優れている像をもらう』……それが条件だったから、姉さんを像の
  ままで居させるわけにはいかなかったんだ……」

   アルフレッドは膝から崩れ落ちるように地面に座り込んだ。俯く頬に涙が伝う。ユーク
  リッドは像から外れた魔導宝石をそっと手に取る。淡く光るその宝石は暖かく、小さく脈
  打っているように感じた。

  「私の命は今日明日ともしれない。最後に、姉さんに会えて良かった」

   アルフレッドはゆっくりと横になる。やはりかなり無理をしていたようだ。

  「姉さんのこと、君に頼みます」

   アルフレッドの姿が稀薄になって、消える。魔法でどこかに転移したのだろうか。そん
  な力が残っているようにも見えなかったが……ユークリッドはほんのり暖かい魔導宝石を
  大事そうに持つと、町を目指し始めた。



    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



  「というわけなんだ」

   そっと手を伸ばし触れた月見が首を傾げる。

  「震えているんでゲスかぁ?」
  「ん?イヤ」
  「だってほら」

   かすかに、石が震えているのだ。
   極度の疲れからか、それとも強く握りしめすぎたのか。不覚にも月見に指摘されるまで
  ユークリッドは気付かなかったらしい。慌てて石を耳元に当て、声をかけてみる。

  「おい、レーナ?」
  『……っ』
  「何か、言ってる?!」
  『……好き』
  「…………」
  『ユークリッドさんが好き』

   やっと聞き取れた言葉に驚き、そして石に声をかける。

  「レーナ、あんたが好きだ。聞こえるか?俺は、レーナが、好きなんだ!」
  『……うれしい』

   手の中の石の光がわずかに力を増す。
   月見は、興奮気味に見つめている。

  『あなたのことを何も知らないけど、今のこの思いに嘘はないから』

   声がさっきよりもはっきりと聞こえる。

  「体を手に入れるのはどうしたらいいかまだ分からないけど、側にいて欲しいんだ」

   プロポーズともとれるユークリッドの言葉に、レーナの声が続く。

  『ありがとう。でも、もう時間がないみたいなの……』

   魔導宝石はますます輝きを増し、今では眩しいくらいに強い光を放っている。

  『私を繋いでいる何かが……』
  「彼が死ぬのか?!」
  『わからない……でも、信じて。今も、これからもずっと、私はユークリッドさんが好き、
  だか、ら』
  「レーナ!!」

   魔導宝石が一度強く揺らめいて、光を失う。
   その後レーナの声が聞こえる気配はなかった。

  「折角、折角レーナを、本当のレーナを見つけたのに!」

   ユークリッドは泣き崩れた。手にはしっかり力を使い果たした魔導宝石を握り締め。
   側で見ていることしかできなかった月見は、おろおろと手を見るものの、ユークリッド
  の肩に手を乗せることが出来なかった。



   辺鄙な田舎町、たった一晩の激しくも淡い恋。
   それを知るのは一人の男と、一人の女と、光を失った小さな石の欠片だけ。