〜序曲は湖畔で〜 ケン
朝、まだ薄っすらと霧が立ち込める小さな、本当に小さな湖の湖畔に一つの人影があった。
雪のような純白の頭髪、澄んだ青紫色の瞳と少し鋭い蛇のような瞳孔を持った目と形の良
い鼻ときりりとした口元がバランス良く収まった美しく整った顔、一目見ただけでは男か
女かの区別も付きそうにないが、よくよく見ればその人影は男だと言う事が解ってくる。
緑色のやや和風がかった薄い布地でできた服と黒いダボダボっとしたズボンに包まれた身
体は細身ながらもしっかりと締まっている。年の頃は16〜17位だがその身にまとう雰囲気
は見た目よりもずっと大人びて見える。実際少年は誕生から21年つまり21歳となるのだが…
湖畔で戯れていた少年がおもむろに側の岩に立て掛けられていたギターを手に取る。
「さてと、薬草も摘み終りましたし、そろそろ練習でもしましょうか」
そう言ってギターを軽く調律し軽く弾いてみる、出だしが良くこれはイケルと思った矢先。
「なによ!朝っぱらからピンピン五月蝿いわね!」
「え!?あ、す、すみません!」
急に入って来た怒声に少年は驚き身を硬くして思わず謝る。迂闊だった、音を漏らさない
ために湖の周りには音を遮断する結界魔法『サイレンス』を張り巡らせていたのだが自分
しか知らないと思っていた湖には先客がいてしかも機嫌を損ねてしまった様だ。しかしギ
ターの腕には少なからずだが本当に少なからずだが自信があった、それをいきなり砕かれ
正直言ってへこんでしまった。
「な、何よあんた、人間の癖に私の言ってる事が解るの?」
「え?」
意味の解らない事を言われ俯いていた顔を上げる、がそこに人間の姿などなく変わりに1
匹の土色の鱗をしたカナヘビがこっちをじっと見ていた。
「あ、あの、あなたですか?」
「そうよ!私よ!悪い!?っていうかあんた誰!?人間じゃないでしょ!?」
目の前のカナヘビは口を閉じたままだが主張するかのように体を持ち上げて舌をぺろぺろ
と出し入れをする。耳を経由した間接的な『音声』は聞こえないが頭の中で直接に響くカ
ナヘビの物であろう『声』は若い女性の物のようにも聞こえた。
「あ、ばれちゃいました?実は私はホムンクルスなんです」
「ほもんころす?」
「あ、いいえホムンクルスです、因みにシオン、シオン・エレハインと言います」
「まあいいわ、でもやっぱりね〜一発で解ったわ、だってあんたからは他とは違う何かを
感じたのよ」
「え?言葉が解ったからでは…」
シオンの素朴な疑問はシオンの鳩尾に撃ちこまれた尻尾の一撃に見事かき消された。
「細かい事は気にしないの!でも本当になにかを感じるの、それも私達人間が言う爬虫類
にとってはとても居心地のいいなにかを…」
以外な程力強い一発にむせ返るシオンを無視しカナヘビは相変わらずのポーカーフェイス
でしかし疑惑の入った口調で呟く。
「それはおそらく…」
―――私の中には千年大蛇(オロチ)が『居る』から―――
そう言おうとしてシオンは言えなかった、言葉には力がある、もし『それ』を言葉にして
口から出してしまったら自分自身が何なのかから無くなってしまいそうだった自分は一体
何なのか…千年大蛇の器なのだろうかそれとも…
急に黙って思いつめた表情をしたシオンの横顔をしばらく眺めていたカナヘビは思いっき
り振りかぶると尻尾のキツイ一撃を美しい少年の脳天に食らわせた。
「ぁ痛い!」
脳天に直撃を受け涙目で訴える様に見てくる美しい少年にカナヘビは逆に訴える様に語る。
「痛い!今痛いって言ったわよね!?それがあんたよそれがあんた自身なのよ、そんな簡
単な事も解らなくなるくらい悩んでいるなら、いっそのこと全部忘れてしまったら?」
その言葉にシオンはハッとなにかに気付いたような表情になりカナヘビを見つめる。
「余計なおせっかいだったわね、私もう行くわ」
「あ、待ってください」
背を向けたカナヘビを呼びとめシオンは顔をほのかに染めそして笑顔で
「ありがとうございます」
「あらあら、叩いたのにお礼を言われちゃったわ、いい?悩んでるって事は生きてるって
事よ、そして悩んでるあんたもあんた自身なのよ、でも悩みすぎたら自分を見失うわ、時
には少し一休みしないと、自分で自分を苛めちゃだめよ?それを忘れないでね」
シオンは強く頷く、それを見てカナヘビは湖に潜っていった、一瞬見えた表情は笑ってい
る様にも見えた。
「さてと、私もそろそろ学園に行かなくては」
ギターをカバーに入れ、湖に背を向けて歩き出したシオンの瞳の隅に人間が映る。
ハッとして振り向くシオンとその人間の目が合う。
黒い髪のいかにも無口そうなそしてしっかりとした意思の強さを感じさせる顔つき十代後
半か二十代前半のなかなか長身の学園の制服を着た少年、手には竹刀袋を持っている。
またもや迂闊だった、カナヘビとの話に夢中になり周りに気を配るのを忘れていた、同時
にこの湖が自分しか知らない場所から削除した。先程のカナヘビとの会話を聞かれていた
のだろうか、いやカナヘビの声は聞こえていないだろうが…もしも聞いていたとすると爬
虫類相手に話をする寂しい人と思われたかもしれない――それは別にそれでも構わないの
だが自分がホムンクルスだと知られたかどうかが心配だ――意を決しその少年に話しかけ
ることにした。
「あ、あの、おはようございます」