〜序曲は湖畔で〜  〜出会い〜  〜嵐の予感〜  〜標的〜  〜届かぬ想い〜  〜一閃〜  〜麻薬に注意〜  〜『バー・ナイフ』〜 
〜『平和なヒトトキ』〜  〜『合い言葉』〜  〜朝霧と湖畔〜  〜閑話休題〜  〜『人助けは…』  〜潜入〜  〜『決戦、バーナイフ』〜  〜完結〜 



             〜序曲は湖畔で〜             ケン


  朝、まだ薄っすらと霧が立ち込める小さな、本当に小さな湖の湖畔に一つの人影があった。
  雪のような純白の頭髪、澄んだ青紫色の瞳と少し鋭い蛇のような瞳孔を持った目と形の良  
  い鼻ときりりとした口元がバランス良く収まった美しく整った顔、一目見ただけでは男か
  女かの区別も付きそうにないが、よくよく見ればその人影は男だと言う事が解ってくる。
  緑色のやや和風がかった薄い布地でできた服と黒いダボダボっとしたズボンに包まれた身
  体は細身ながらもしっかりと締まっている。年の頃は16〜17位だがその身にまとう雰囲気
  は見た目よりもずっと大人びて見える。実際少年は誕生から21年つまり21歳となるのだが…

  湖畔で戯れていた少年がおもむろに側の岩に立て掛けられていたギターを手に取る。

  「さてと、薬草も摘み終りましたし、そろそろ練習でもしましょうか」

  そう言ってギターを軽く調律し軽く弾いてみる、出だしが良くこれはイケルと思った矢先。

  「なによ!朝っぱらからピンピン五月蝿いわね!」

  「え!?あ、す、すみません!」

  急に入って来た怒声に少年は驚き身を硬くして思わず謝る。迂闊だった、音を漏らさない
  ために湖の周りには音を遮断する結界魔法『サイレンス』を張り巡らせていたのだが自分
  しか知らないと思っていた湖には先客がいてしかも機嫌を損ねてしまった様だ。しかしギ
  ターの腕には少なからずだが本当に少なからずだが自信があった、それをいきなり砕かれ
  正直言ってへこんでしまった。

  「な、何よあんた、人間の癖に私の言ってる事が解るの?」

  「え?」

  意味の解らない事を言われ俯いていた顔を上げる、がそこに人間の姿などなく変わりに1
  匹の土色の鱗をしたカナヘビがこっちをじっと見ていた。

  「あ、あの、あなたですか?」

  「そうよ!私よ!悪い!?っていうかあんた誰!?人間じゃないでしょ!?」

  目の前のカナヘビは口を閉じたままだが主張するかのように体を持ち上げて舌をぺろぺろ
  と出し入れをする。耳を経由した間接的な『音声』は聞こえないが頭の中で直接に響くカ
  ナヘビの物であろう『声』は若い女性の物のようにも聞こえた。

  「あ、ばれちゃいました?実は私はホムンクルスなんです」

  「ほもんころす?」

  「あ、いいえホムンクルスです、因みにシオン、シオン・エレハインと言います」

  「まあいいわ、でもやっぱりね〜一発で解ったわ、だってあんたからは他とは違う何かを
  感じたのよ」

  「え?言葉が解ったからでは…」

  シオンの素朴な疑問はシオンの鳩尾に撃ちこまれた尻尾の一撃に見事かき消された。

  「細かい事は気にしないの!でも本当になにかを感じるの、それも私達人間が言う爬虫類
  にとってはとても居心地のいいなにかを…」

  以外な程力強い一発にむせ返るシオンを無視しカナヘビは相変わらずのポーカーフェイス
  でしかし疑惑の入った口調で呟く。

  「それはおそらく…」

  ―――私の中には千年大蛇(オロチ)が『居る』から―――

  そう言おうとしてシオンは言えなかった、言葉には力がある、もし『それ』を言葉にして
  口から出してしまったら自分自身が何なのかから無くなってしまいそうだった自分は一体
  何なのか…千年大蛇の器なのだろうかそれとも…

  急に黙って思いつめた表情をしたシオンの横顔をしばらく眺めていたカナヘビは思いっき
  り振りかぶると尻尾のキツイ一撃を美しい少年の脳天に食らわせた。

  「ぁ痛い!」

  脳天に直撃を受け涙目で訴える様に見てくる美しい少年にカナヘビは逆に訴える様に語る。

  「痛い!今痛いって言ったわよね!?それがあんたよそれがあんた自身なのよ、そんな簡
  単な事も解らなくなるくらい悩んでいるなら、いっそのこと全部忘れてしまったら?」

  その言葉にシオンはハッとなにかに気付いたような表情になりカナヘビを見つめる。

  「余計なおせっかいだったわね、私もう行くわ」

  「あ、待ってください」

  背を向けたカナヘビを呼びとめシオンは顔をほのかに染めそして笑顔で

  「ありがとうございます」

  「あらあら、叩いたのにお礼を言われちゃったわ、いい?悩んでるって事は生きてるって
  事よ、そして悩んでるあんたもあんた自身なのよ、でも悩みすぎたら自分を見失うわ、時
  には少し一休みしないと、自分で自分を苛めちゃだめよ?それを忘れないでね」

  シオンは強く頷く、それを見てカナヘビは湖に潜っていった、一瞬見えた表情は笑ってい
  る様にも見えた。

  「さてと、私もそろそろ学園に行かなくては」

  ギターをカバーに入れ、湖に背を向けて歩き出したシオンの瞳の隅に人間が映る。
  ハッとして振り向くシオンとその人間の目が合う。
  黒い髪のいかにも無口そうなそしてしっかりとした意思の強さを感じさせる顔つき十代後
  半か二十代前半のなかなか長身の学園の制服を着た少年、手には竹刀袋を持っている。

  またもや迂闊だった、カナヘビとの話に夢中になり周りに気を配るのを忘れていた、同時
  にこの湖が自分しか知らない場所から削除した。先程のカナヘビとの会話を聞かれていた
  のだろうか、いやカナヘビの声は聞こえていないだろうが…もしも聞いていたとすると爬
  虫類相手に話をする寂しい人と思われたかもしれない――それは別にそれでも構わないの
  だが自分がホムンクルスだと知られたかどうかが心配だ――意を決しその少年に話しかけ
  ることにした。

  「あ、あの、おはようございます」





              〜出会い〜            マリムラ


  「あ、あの、おはようございます」 

  動揺した様子の挨拶に、カイは戸惑いを隠せなかった。
  自分しか来ないだろうと思っていた湖畔に人がいた、というだけでも意外なのだが、迂闊  
  にも、彼の気配を感じなかったのだ。
  薄い霧の中に佇む男……中性的な顔立ちや純白の髪のせいか、異形のモノを連想させた。

  「……おはよう」

  一拍おいて、挨拶を返す。
  遭遇した経験はなかったが、精霊とか、その類のモノはこんなカンジかもしれない。

  「邪魔をしたのなら、すまない。人がいるとは……思わなかったので」

  竹刀袋に入れて持ち歩いている名刀『紫電』の手入れでも、と思って立ち寄ったココも、
  誰かの秘密の場所だったのなら仕方がない。

  「いえ、きっと『サイレンス』のせいですね。気にしないでください」

  「?」

  「音を遮断する結界魔法です。コレの練習のためにかけていたものですから」

  本当にそれだけだろうか?
  ギターケースをちょっと持ち上げて示す彼は、カイに向かってにっこりと笑って見せた。
  彼が何者かは知らないが、危険を感じない以上、詮索しても意味はないだろう。

  「それじゃ……」

  軽く会釈をして立ち去ろうとした彼の右腕に目が止まる。

  「それは、封魔布か?」

  「え?」

  「……いや、何でもない……」

  幼なじみが身につけていた布に、何となく似ていた気がした。
  感傷的になるとは、らしくない。
  少し頭を冷やしてから学園に向かおう。

  「失礼……」

  湖畔を一周するために、カイは彼に背を向け歩き出した。背中に彼の視線を感じる。
  名前も聞かなかった相手だが、なんとなくまた遭えそうな気がしていた。

  朝靄も薄くなり、太陽の光が湖畔の草木を鮮やかに浮かび上がらせる。
  一つに括った黒髪が、艶やかに揺れた。





              〜嵐の予感〜             ケン


  カッターシャツとズボンに着替え白衣を羽織ったシオンは教室の窓に肘をつき今朝の出来  
  事を思い出していた。
  人生を悟ったような謎のカナヘビ…もだが、竹刀袋を携えた黒髪の少年。
  彼が最後に言った言葉も気になっていたがそれ以前に何かが引っかかっていた。

  「結局名前を聞くのも忘れてしまいましたし」

  溜息をついていると急に廊下のほうが騒がしくなってきた、しかし今のシオンにはそんな
  騒ぎは何所吹く風だった。

  「こりゃ酷い」
  「おーい誰か手を貸してくれ!」
  「早く保健室に連れて行かなきゃやばいぜ?」

  聞こえてくる台詞を聞く限り怪我人がいるらしい、シオンの性格上怪我人と聞くといても
  立ってもいられなくなるらしく気がつくと騒ぎの元である怪我人のもとに足を運んでいた。

  「傷を見せていただけますか?」

  「あ、シオン!頼む」

  まだこの学園に来て日は浅いが医療の腕は医学部門の中でも信用されている、シオンは怪
  我をした男子生徒を的確に調べ止血をし折れていた腕を近くにあったモノサシで固定し包
  帯を巻いていった。
  傷自体は折れた腕以外は酷い物ではなかったがどうも気になる事がある、どうしたらこの
  ような怪我ができるのか。

  「何があったのですか?」

  シオンは優しくその男子生徒に問う、しかしその男子生徒は酷く脅えて答える。

  「か、階段から…落ちたんだ…落ちた…だけなんだ…」

  男子生徒が嘘をついていることがシオンには容易に解った、階段から落ちたのなら刃物で
  切られたような傷が全身にできるはずが無い、ましてや全身を打撲する程高い位置から落
  ちて骨折が腕だけというのはおかしかった。
  あきらかに人為的な暴力による物だ、そしてこの男子生徒の脅え振りを見る限り散々脅さ
  れてあのような嘘をつくように言われたに違いない。
  シオンは一瞬悲しそうな表情をするとすぐに微笑み男子生徒の手を優しく握る。

  「もう、大丈夫ですから…ゆっくりおやすみなさい」

  シオンの言葉に誘われる様に男子生徒はゆっくりと瞼を閉じしばらくして寝息を立て始め
  た。

  「誰か、この人を運ぶのを手伝って頂けませんか?」

  「手を貸そう」

  周りで感嘆の溜息をついていた生徒達に呼びかけるとすぐに一人の長身の少年が出てきた。
  シオンは思わず「あっ」っと声を漏らしてしまった。
  そうその少年こそ先程までシオンが思いつづけていた黒髪の少年だった。


  「本当に助かりました。ありがとうございます」

  保健室に運び終わり男子生徒をベットに寝かせ終えるとにっこりと微笑んでシオンが少年
  に話しかける。

  「いや…礼には呼ばない…」

  少年は相変わらず無愛想だが見かけより冷たい人間ではないのかもしれないとシオンは思
  った。

  「そう言えばまだ名前を名乗っていませんでしたね、私の名前はシオン・エレハイン、シ
  オンと呼んでください」

  「カイだ…」

  カイと名乗った少年の自己紹介は本当に短く完結だったがシオンはそれだけでも嬉しかっ
  た。

  「それで、彼は何があったのでしょうか…あんなに傷だらけになって」

  シオンが心配そうにベットに横たわる男子生徒を覗き見る。

  「…恐らく『ナイフ』の連中だろう」

  カイが静かに呟く様に言う、それにシオンは顔をカイに向け鸚鵡返しに聞き返す。

  「ナイフ、学園の一部の上級生と…それにこびへつらう下級生の奴等で構成された不良グ
  ループだ…」

  「その人達が…?」

  こくりとカイは頷く。

  「奴等は集団で無関係な下級生に暴力をふるい…渇上げ、万引き等の犯罪を強いる下賎な
  連中だ…」

  「そんな、先生方は何をしているのですか!?」

  シオンは声を荒げる、きっとこういう事は大嫌いなのだろう。しかしそれはカイも同じだ
  った。

  「ナイフの連中はいつも匠に尻尾を隠す…教師には牙も見せない、だから証拠も何も無い…」

  「でも、本当にナイフの人達の仕業なのでしょうか?」

  「前に連中の渇上げ現場を押さえようとした奴が無残な姿で発見された、もちろん生きて
  はいたが精神はほとんど崩壊寸前だった…そいつも同じように腕を折られていた…まあ詳
  しい事は本人に聞くのが1番だが…」

  カイとシオンが二人そろってベットの方を見る、そこには未だにぐっすりと深い眠りにあ
  る男子生徒がいた。





              〜標的〜              マリムラ


  ベッドに横たわる怪我人を、二人は無言のまま見つめていた。
  全身の裂傷が痛々しい。シオンが自分まで痛むかのように顔をしかめる。

  「……許せませんね」

  カイは壁を背に寄りかかり、ベッド脇のイスに腰掛けるシオンに視線を移した。
  自分も嫌いな行為だが、彼はもっと嫌悪感を持っているようだ。
  首を突っ込むのは危険だ。そう忠告するべきだろうか。しかし…。

  「……ッ!ヤメ……ぅわっ!」

  弾かれたかのようにベッドが軋む。
  今まで深い眠りについていた怪我人は、身を守るように体を抱え込み、小さくなって震え  
  ていた。

  「もう、大丈夫ですから、もう……大丈夫ですから」

  シオンが差し出した手が触れると、驚くほど素直に患者が落ち着いてゆく。
  ソレは魔法なのか、それとも彼の優しい声がなせる技なのか。
  カイは静かにソレを見守った。

  「組織の規模はわからないが、恐らく幹部レベルのやつが直接腕を折ったんだろうな」

  「見せしめですか、ステイタスですか。どちらにしても非道いです」

  シオンの表情が苦しげに歪む。

  「ナイフで致命傷にならない傷を無数に付けたのは雑魚だろう。
   そして、雑魚には許していない特別な行為を独占することで、
   その場にいない連中にも睨みを利かせることができる……」

  カイは小さく溜め息をついた。

  「関わる気か?」

  「放ってはおけません」

  「ならば、手を貸そう」

  怪我人を運ぶときと同じ、当たり前のような何気ない返事だった。
  驚いて言葉のないシオンに、少々ばつの悪そうなカイは背を向けながら付け加えた。

  「放ってはおけんしな」

  保健室を後にするカイをシオンが少し遅れて追いかける。
  シオンの顔には、すれ違う女生徒が一目惚れしてしまいそうな、極上の笑みがたたえられ
  ていた。

    ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

  「なんてゆーかさぁ、ジャマ?なんだよね」

  風を切る小さな音。小さなナイフがシオンのロッカーに突き刺さる。

  「セイギカンってコトバ、きらーい」

  刺さったナイフには一通の封筒。
  立ち去る人物は、さっきのギャラリーの一人だった。





            〜届かぬ想い〜              ケン


  ロッカーに刺さっていた柄の無いナイフ、投げる事を目的とした投げナイフということが  
  すぐにわかった。
  そしてそのナイフでロッカーに串刺しにされている黒い封筒。

  「以外と早かったですね」

  シオンは誰に言うわけでも無く呟き、読み終わった手紙と投げナイフをロッカーの中にし
  まう。
  手紙には短く完結に『放課後、体育館裏に一人で来い』と書かれていた。
  なんともまあえらく古典的でお約束どうりの内容だったが…

  「ナイフ…」

  そう呟きシオンは目を細める。


  ――――――――――放課後――――――――――

  「うっわ〜本当に一人で来たし、こいつバッカじゃないの?」

  「頭よさげなのは見た目だけなのかな?ぎゃはは」

  どこの学校もとはいかないが体育館裏と言うのは人目につきにくく日当たりも悪い、不良
  がヤキをいれたりするのは丁度良いのかもしれないと今更ながらと感じる。

  体育館裏に来た瞬間背後を三人のナイフを持った見た感じ…というよりも間違いなく…不
  良と思う服装をした顔を変な仮面で隠した兄ちゃん達(とは言っても恐らく同級生…そし
  て実際に2〜3歳下だ)にふさがれ仮面の奥から妙なガンを飛ばしてくる。
  無視して正面を見ると同じく変な仮面を被ったナイフを持った少年が5人程がシオンの前
  に歩み寄る。5人の内、両隅にいる二人は先程やけに軽い口調でシオンを罵ったシオンと
  同級生くらいの少年、他の二人もそれぐらいの年齢だが真中の狐の仮面を被った少年は恐
  らくこの中で1番年長者であろう、チャラチャラとした軽い雰囲気の他の七人に比べてか
  もし出す雰囲気が明らかに別物だ、恐らく数々の修羅場をくぐって来たのだろう。

  「今朝の生徒はあなた達の仕業ですね?」

  8人に囲まれても臆することなく真直ぐ、狐の仮面の少年に向って言う。

  狐の仮面の少年はなにも答えずただククっと笑っただけだ、それと同時に八人の合計十六
  個の目がシオンを睨む、その目は正常者の物ではない様にも思えた。
  その目を見てシオンは心を痛めた、恐らく薬物かなにかを摂取しているのだろう、薬物は
  簡単に人の心を壊してしまう、まだ先に未来のある若者が進んで未来を閉ざす…それはと
  ても悲しい事で、あってはいけない事だ。
  そしてこの連中は他人を傷つける事になんの罪悪感も持っていないことを感じ悲しい気持
  ちになる。

  「何故、そんな事を」

  「何故だって?楽しいからに決まってるだろバ〜カ」

  狐の仮面を被った少年の隣にいる犬の仮面をかぶった少年が「大丈夫っすか?」とでも言
  いそうなわざとらしいデスチャ―をする。

  「でもな、偶にお前みたいに正義面した奴が俺達の事邪魔するわけな」

  「ホント邪魔なんだよね〜そういう奴」

  シオンは黙って聞いていたがキッと正面の狐の仮面の少年を見据えると周りの少年達を見
  渡しながら口を開く。

  「私はあなた達を救いたい、沢山ある道の内、何故このような道を選んだのか、他にも道
  はあるはずなのに…何故」

  「だからそれが余計なお節介だ!つってんだよ」

  犬の仮面の少年の隣にいる兎の仮面を被った少年が続ける。

  「言葉だけなら誰だって綺麗事を言えるんだよ、この偽善者が!」

  「…私は偽善者と言われても構いません、でも私は生半可な気持ちであなた達にかかわろ
  うとしているわけではないのです、本当に、あなた達を助けたいのです!」

  ほぼ叫びに近いシオンの言葉を少年達はどう捕らえたかは解らない、ただ黙って俯いたま
  まだ。

  「お前…うざい」

  不意に犬の仮面を被った少年がナイフを振り上げて切りかかってきた、シオンはそれを寸
  前の所でかわし後方に下がろうとするが後ろにいた猿の仮面を被った兄ちゃんがナイフを
  取り出し切りかかってくる。

  「余計な事に首を突っ込まなけりゃもうちょっと長生きできたのにな」

  とうとう狐の仮面の少年以外、全員がナイフを握り切りかかってきた。
  逃げ場がなくあわやと言う所で体育館の屋上から一人の人影が飛び降り、シオンと狐の仮
  面の少年の間に着地し、持っていた竹刀袋をぶんぶんと振りまわす。

  「か、カイさん!?」

  その人影は紛れもなくカイ自身であった。

  「どうしてここが」

  少年達から間合いを取り、カイは学ランのポケットから一通の封筒を取り出すとシオンに
  見せる。

  「…お前のロッカーに妙な傷跡があったからな、失礼だとは思ったが勝手に開けさせて中
  を見させてもらった、そしてその封筒を見つけた…これでいいか?」

  ポカンとするシオンを横目で見ながら周囲に気を配るカイ。

  「シオン…お前の気持ちはよくわかった、だがこの連中はどうやらお前の気持ちは理解で
  きない様だ」

  竹刀袋から紫電を取りだし構える。

  「あの、どの辺から聞いていらしたのですか?」

  「一部始終…」

  一瞬時が止まった様にも思えたがそれは猿の仮面を被った少年によって破られた。カイは
  猿の仮面の少年の持っていたナイフを紫電ではじき飛ばす。

  「とにかく、こいつ等を捕まえるぞ」

  カイが紫電を居合の格好で構える。





               〜一閃〜             マリムラ


  「けっ!ヒーロー気取りかよぉ?」

  鳥の仮面を被った少年が大袈裟に両手を広げてみせる。
  多勢に無勢…とでも思っているのだろう。
  しかし、カイはそう思ってはいなかった。

  「……」

  無言で紫電を一閃する。
  ゆっくり鞘に戻すときまで、周囲の少年たちには抜刀が見えなかった。

  「お、脅しのつもりかよ」

  犬の仮面が一歩後ずさる。と、カイに近づきすぎた猿の仮面が両手で顔を覆った。

  「てめぇ……なにしやがった」

  仮面が二つに割れている。押さえていなければ素顔がはっきり見えるだろう。
  周囲に動揺が広がる。
  動揺していないのは……狐の仮面の少年のみ。

  「縛り上げて、抵抗できないようにしちゃおうぜ」

  馬の仮面と牛の仮面が長いロープを振り回し始めた。先端にはナイフが取り付けてある。  

  「……」

  カイは身を低く構えたかと思うと少年たちの懐に飛び込んでいった。
  カイをねらったロープは、他の少年の自由を奪ってゆく。

  「下手くそっ」

  上を向いて犬の仮面が叫ぶ。右手はロープにからめ取られていた。

  「こんな狭いところでなにやってんだよ」

  慌ててロープを切ろうとするが、なかなか上手くいかない。
  その間も刀の鞘で鳩尾に衝撃を受けた二人が地面に崩れ落ちた。

  もう一方のロープはシオンをねらっていた。
  紙一重で交わすと、向かってきたウサギの仮面を受け流す。
  突進してきた力の向きを変えるだけで、ロープに絡まりながら他の少年を巻き込んでゆく。

  狐の仮面の少年が、小さくククッと笑った。
  手下を助けようともせず、静かに立ち去る。

  残されたのは、カイとシオン、それにロープで動きのとれない仮面の少年七人。

  「……追うか?」

  「いえ、また動くでしょう」

  今まで襲いかかってきていた少年に駆け寄り、さっそく治療を始めようとするシオンに
  少々呆れながら、カイは狐の少年が去った方角を見つめていた。





            〜麻薬に注意〜              ケン


  「ほら、傷を見せてください」

  シオンが懐から何枚かの薬草と携帯の医療キットを取り出す。

  「う、うるせえぇ!誰がお前なんかの治療を受けるかってんだ!」

  「とっとと消えやがれ!」

  ロープで動きを止められじたばたと暴れる少年達、暴れる度にロープが更に絡まるのだが  
  猿の仮面の少年はこの後に及んで未だ仮面をしっかりと押さえている。そんな様子に思わ
  ず頬が緩んでしまいそうになるのを必死にこらえてシオンは薬草をすり潰す。

  「そうは行きませんよ、あなた達には未だ聴きたいことがありますし、それに…」

  すり潰し、塗り薬状にした薬草を犬の仮面の右腕にできた切り傷に優しく塗りつける。し
  みたのか犬の仮面は小さい悲鳴を上げる。

  「それに怪我人を放っておくことなんてできませんよ」

  言った後、背後からカイの苦笑混じりのため息が聞こえシオンは少々バツが悪くなる。
  せっかくカイが危険を承知で助けてくれたのに自分はその相手を治療している、きっとカ
  イは快くは思っていないだろう、こう言った場面は初めてではないがやはり慣れない、シ
  オンは心の中でカイに謝り少年達の治療を続けた。


  「…シオン」

  「あ、はい、何ですか?」

  自分を呼ぶカイの声に猿の仮面の手当てをしていたシオンは手を止めてカイに向きなおる。
  シオンがこっちを向いたのを確認するとカイが小さな皮袋をシオンに向って軽く投げ渡す。

  「…?」

  両手でしっかりと受け取った皮袋はシオンの両手に収まる大きさだがしっかりとした重量
  を感じた。

  「中を見てみろ」

  カイに言われるままに皮袋の口を縛っている紐を解く、中には白い小麦粉のような粉末が
  入っており…

  「…これは」

  「こいつ等が持っていた」

  カイは兎の仮面を紫電の鞘尻で指す。粉末と少年達を見比べシオンは最悪の状況を想像し
  た。

  「か、返してくれ!」

  「それは俺達のもんだ!」

  ――麻薬だ、そして少年達の目を見る限り侵されてずいぶん経っている、せめてもの救い
  はまだ取り返しがつく状態だということだろうか。

  「これは、どうやって手に入れたのですか?」

  少々表情を険しくさせシオンは少年達に問い詰める。

  「うるせぇ!早くよこせぇ!」

  「ぶっころすぞ、てめぇ!」

  薬を前にして平常心を失っているのは誰が見ても明らかだった。
  少年達の叫びがピークに達しようとしたその時、渇いた金属音と共に犬の仮面の目の前に
  白刃の刃が突き刺さる。あと1mmずれていたら足が切り落とされていただろう、その刃の
  正体はカイの紫電だった。抜き放つ動作も見えないくらいの早業にその場が一瞬にして静
  まる。

  「どうやって手に入れた?」

  カイは静寂を確認すると底冷えのするような冷たい声で少年達に問うた。おそらく少年達
  は今まで自分達が味合わせてきた恐怖を今自分達が味わっているの違いない、目の前の男
  がその気になれば自分達など一瞬で殺される。
  もちろんカイに殺す気は無いが今の少年達はそんな事も冷静に考えられないだろう。

  「き、狐の仮面を被ってた人がいるだろ?」

  「そ、そうだ、あの人に貰ったんだ、う、嘘じゃねぇ」

  シオンの脳裏に一人だけ明らかに雰囲気の違う狐の仮面を被った少年がよぎる、やはりあ
  いつは幹部クラスの人間だったのだ。

  「その人の名前は?」

  「そ、そんなこと言ったら俺達がなぶり殺しにされる」

  自分達の事は棚に上げてなんとも都合のいい話しだがここで何をしても麻薬の流出場所を
  聞き出さねばなんの解決にもならない。

  「では、質問を変える、ドコで手に入れた?」

  カイの問いに暫しためらっていたが少年達はしぶしぶと口を割った。

  「酒場だ、『バー・ナイフ』俺達のチーム名の元になった場所だよ」

  「そこで月に一度集会があるんだ、その時に貰えるんだよ、それを」

  シオンもカイもしばらく沈黙していたが不意にシオンが兎の仮面の少年の前にしゃがみ込
  み少年達全員に少し厳しい口調で語る。

  「いいですね、もうコンな物なんかに手を出してはいけませんよ?これはあなた達を完全
  に壊してしまう物なんですから、それはとっても悲しい事なのですよ?」

  シオンはゆっくりと立ちあがり黙ったままの少年達に背を向ける。もちろんこんな綺麗事
  だけの言葉で少年達が麻薬を止めるとは思わない。

  「どうする?」

  「とりあえず、そのバー・ナイフに行ってみます。お酒は好きではありませんけど」

  「ならぜんは急げだな、行くぞ」

  「あ、はい…この人達はどうしましょう?」

  ロープに絡まって身動きできない少年達を一瞥しカイは

  「放ってろ」

  そう一言言うと振りかえりもせずに歩き出す。

  「あ、…あの、ちょっとそこで反省していてくださいね」

  少年達にそう言うとシオンは罪悪感を感じながらもカイの後に続く。
  あとには肌寒い風と寒さにくしゃみをする仮面をつけた少年達が残された。





           〜『バー・ナイフ』〜          マリムラ


  先を歩くカイにシオンが追いついた。
  小走りだった歩調も若干緩み、二人は並んで歩く。

  「……何故関わる?」

  カイの問いかけに、一瞬考える様子でシオンの歩みが止まる。
  慌てて追いついてきてから、彼は律儀にこう答えた。

  「救いたいんです」

  にっこり笑いかけるシオンを見て、幼なじみの顔が浮かんだ。
  彼女も自分を襲った不届き者の治療をしていたことがある。怪我人を放っておけないとい  
  うのは、二人とも同じなのかもしれない。

  「珍しいヤツだな」

  普段あまり表情のゆるまないカイに笑みが浮かぶ。
  幼なじみの彼女と似たところのあるシオンに、親近感を抱いていた。

  「あ、初めて笑いましたね?」

  シオンに悪気はないのだが、なんというか、バツが悪い。
  口元を押さえるように片手で顔を覆うと、カイはそっぽを向いた。耳は心なしか紅く染ま
  っていた。

     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

  「ここですか?」

  「そのようだな」

  裏通りの路地の突き当たり。地下へ降りる階段と、その奥に扉が見える。
  『バー・ナイフ』
  気を付けて見ないと見落としてしまいそうな、小さな看板。
  人の出入りは今のところない。

  「さて、どうする?」

  「そうですねぇ……」

  当たり前のように階段を下りるシオンの後を、カイが慌てて追いかける。
  カイが止める前に、シオンはドアをノックしていた。

    トントントン

  「合い言葉は?」

  扉の向こうからくぐもった声が聞こえる。
  シオンが何か言おうと口を開けた。が、声になる前に後ろからカイが口を塞ぐ。

  「……もごもご……」

  「あー、ココへ来るのは初めてなんだ。狐の面の人に『とびっきりのモノ』が貰えると聞
  いてきたんだが」

  扉の向こうは沈黙を返してくる。

  「……」

  「そうそう、月に一回ってのも聞いたな」

  「……」

  失敗したかもしれない。もう少し情報を聞き出しておくべきだった。
  シオンはいい方法を考えていたかもしれないのに。

  「……明日、出直してこい。分かってると思うが仮面着用・秘密厳守だからな」

  「分かった」

  「合い言葉も忘れるなよ」

  運がイイ。明日、ココで、何かあるのだ。

  「……出直そう」

  口を塞いだままだったシオンに小声で声を掛けると、通りまで引き返す。
  入り口が見えるぎりぎりのところで、建物の陰に身を潜めた。

  「さ、明日までに合い言葉を手に入れなくてはな」 





          〜『平和なヒトトキ』〜            ケン


  コレ以上あの場に留まっていても何の意味も無いと踏み、二人はひとまず帰ることにした。

  「合言葉ですか…」

  帰路の途中、不意にシオンが呟く。

  「ああ、そう言えばさっきは悪かったな、お前には他に何かいい考えがあったんじゃない  
  か?」

  少々居心地悪そうにカイはシオンを見下ろしながら言う。
  それにシオンは上目遣いになら無いようにカイを見上げ、首を横に振って答える。

  「そんな事はありませんよ、あの様子だと結果は同じだったと思いますし、新入りと思わ
  れただけでもラッキーだったと思いますよ。ただ…口をふさがれた時はさすがにビックリ
  しちゃいましたけど」

  そう言って微笑む、その笑顔を直視すれば、男であっても女であっても思わず抱きしめて
  しまいたくなるほど優しく、綺麗だった。
  後半の内容の口調は、責めるふうでは無く、どこか悪戯っぽい響きも含まれていたが、一
  瞬、ほんの一瞬だけ見惚れていたカイにはそれに気付く余裕は無かったらしく

  「いや、あれは…すまない」

  と謝ってきた。

  「あ、いえ、冗談です、冗談」

  「…冗談?」

  慌ててとりつぐなうシオンにカイは訝しげに眉を寄せる。

  「そうそう、仮面も必要ですよね、私が揃えておきます」

  「…心当たりがあるのか?」

  なんとか話をそらし、カイも深追いをせずに新たな課題に耳を傾ける。
  真直ぐな人なんだなぁとシオンは思った。

  「はい、一応そう言う物を集めたり作ったりしてる娘と知り合いで、事情を話せばわけて
  もらえるかもしれません」

  シオンは頭の中に蒼い髪の少女を思い浮かべる、食べる事と撫でてもらう事が大好きな可
  愛らしい少女だ。

  「そうか、なら俺は合言葉を調べる」

  「では、明日の放課後に『湖畔』で落ち合いましょう、私も仮面を手に入れたら合言葉を
  探してみます」

  「ああ…」

  そう言って二人は別々の道に向って歩き始め、ようとした時、前触れ無くシオンが呼びと
  める。

  「カイさん」

  頭に?を浮かべて振り向いたカイにシオンは笑顔で言う。

  「気をつけてくださいね」

  それを聞いたカイは少し照れた様子だったが

  「お前もな…」

  照れているのか顔をそむけて短く言ってくれた。



  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


  ―同時刻、学園体育館裏―

  「で、俺達はずっとこのまま?」

  「だ〜れ〜か〜」

  縄で動きが取れない仮面をつけた少年達が情けない声で助けを呼んでいた。





           〜『合い言葉』〜            マリムラ


  普段人気のない体育館裏。

  「だ〜れ〜か〜」

  縄に絡まって身動きの取れない集団がいた。

  「呼んだか?」

  「誰でもイイから助けてくれ〜」

  顔も見ないウチにそういうのはウサギの面。
  コレは反対向きに座り込んだ為で、見ようにも見られる状態になかったりする。

  「……条件がある」

  首を傾げるウサギの面。なんか聞き覚えがあるような。

  「合い言葉を教えて貰いたい」

  さっきのアレだ〜っ。思い出して頭を抱えたくなったが、ソレすらも許されない拘束。
  逃げようにも逃げられず、助けの来る当てもない。

  「ソレ、脅迫って言わないか?」

  「さあ?知らんな」

  気が付けば喋っているのは自分と彼だけ。
  なるほど。さっきまでギャーギャーピーピー五月蠅かった奴らは、みんな彼の正体に気付  
  いたらしい。

  「コッチにも条件があるんだ」

  半ばやけくそで言ってみることにした。

  「言ってみろ」

  「仮面!取るなよな」

  「あ、そうだそうだ。オレだって全員の顔知らねンだぞ!」

  調子に乗って誰かがヤジを飛ばす。つか、引っぱんな。いてぇよ。

  「次に仮面の姿で会うことがないと約束できれば、こちらも守ろう」

  「クスリは止めようと思って止めれるモンじゃねぇっつーの!」

  クソッ!このバカ、絶対に後で絞める!

  「そこまでは知らんな。病院なりなんなり、方法はあるだろう」

  「また会ったらー?ケケッ」

  「強制的に病院へ送られるだけだ」

  急に目の前で刃物の光が煌めく。

  「どうする?」

  「……教えさせていただきます……」

  誰も反論するモノはいなかった。

     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

  本当の合い言葉を言わずに逃げられると困るので、少々面倒な方法を採った。
  一人ずつロープから解放し、その都度合い言葉を尋ねる。
  全員の合い言葉が揃わなければ解放せず、もう一度拘束するのだ。

  「『鉄仮面に会いたい』、ねぇ……」

  案の定最初はみんな嘘を付いていたらしい。
  この言葉を聞きだしたのは面倒な方法を四度も繰り返さなくてはならなかった。

  「これで、明日は合流だな」

  誰もいなくなった体育館裏を、カイは後にした。





            〜朝霧と湖畔〜              ケン


  薄い霧に包まれた小さな湖畔、学園からそう遠くないその場所でシオンは素足で佇んでい  
  た。シオンはここが好きだった、もちろん今も好きだ。
  酷く狼狽した彼の側にはつい先程手に入れた仮面が二個無造作に置かれている。
  カイと別れた後、シオンは急いであるサーカス団へと急いだ。仮面の手がかりがあるとい
  ったのも近くにこのサーカス団が来ているのを知っていたからだ。そして団員に理由を話
  しある少女に会わせてもらったのだ。
  と、言ってもそんなに苦労したわけではなく、このサーカスの団員とはほぼ全員と顔見知
  りで仲もいい、何度も「入団しないか?」と誘われるほどだ。
  団員にその少女の部屋まで案内してもらった、所までは良かった……それからが大変だっ
  た。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  「やっほ〜♪シオンお兄さん、何々?用事って何?」

  「今晩はストゥリさん、こんな時間にすみませんね。実は…お願いしたい事があるのです」

  「わ〜い♪僕に出来ることなら何でもやるよ〜?」

  「…仮面を、二個ほど貰いたいのです」

  「なんだ、そんな事?いいよ〜他ならぬシオンお兄さんのオ♪・ネ♪・ガ♪・イ♪だもんね♪」

  「は、はぁ、助かります、でも本当にタダでいいのですか?」

  「うん♪……あ♪良い事考えた〜、ねぇ鬼ごっこしよ〜」

  「鬼ごっこ、ですか?」

  「うん、お兄さんが鬼ぃさんで、僕が逃げるの。クスクス、ねぇ気付いた?さっきダジャ
  レを言ったんだ〜『お兄さん』と『鬼ぃさん』でね、ねぇねぇ〜面白かった〜?」

  「あ、あはは」

  「それじゃ日の出までに僕を捕まえられたら仮面二個ね、捕まえられなかったら一個」

  「日の出までって…う〜んまあ良いですよ」

  「それじゃ、範囲はこのサーカス全部ね、僕が逃げてから5分後に追いかけてきてね…じ
  ゃあ、はじめ!」


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  シオンとストゥリの鬼ごっこは夜通し行われた。最初のうちは『遊び』だったそれは段々
  と『勝負』に変わっていき終いにはシオンは風をストゥリは水を使った大逃亡追跡劇へと
  なっていた。
  日が昇る3時間前ほどに肉刺の仮面で小さくなっていたストゥリをシオンが摘み上げ『勝
  負』は終わりを告げた。
  テントや周辺器具に被害が一つも無いのはさすがと言えるが、さすがにシオンもストゥリ
  も疲れ果てていた。

  少女から仮面を受け取るとシオンはいつものお気に入りの湖畔に行った。カイとの待ち合
  わせは放課後なのは解っている。ただ来たかったから来ただけだった。

  「どうしたの?そんなシケタ顔しちゃって」

  ボ〜っとしていると聞き覚えのある声が聞こえてきた。いや、聞こえてきたと言うより頭
  に直接響く感じだ。これはシオンが聞く爬虫類独特の声だった。

  「あなたは、昨日のカナヘビの…」

  シオンは自分を見ている一匹のカナヘビに気付き、それに向って微笑する。

  「どうしたの?何か悩んでるみたいだけど」

  カナヘビがスルスルと近づいてくる。

  「正直、途方にくれています」

  シオンは苦笑して仮面の少年達の事をカナヘビに話す。ストゥリのことはとりあえず置い
  ておく。

  「なるほどね〜、それで、あんたはどうしたいの?」

  「解りません、今日の夜、ある酒場で集会があるらしいのです。そこで麻薬の受け渡しも
  あると思います。おそらく、麻薬を持ちこんだ張本人も」

  シオンの表情がほんの少し、険しくなる。

  「その後はどうするの?根源を断ったからといって、被害が減るって事は限らないのよ?」

  「私は、戦います。私がどれだけの人を救えるかは解りませんけど、自分ができることを
  したいです」

  その答えを聞いてカナヘビは小さくため息を吐いた。

  「全てを救う事は不可能だと思うけど…まあいいわ、あんたがやりたい様にすればいいん
  だし、私には関係ないわ」

  そう言うとカナヘビはまた何処へと消えていった、シオンはしばらくカナヘビの消えてい
  った方を見ていたがやがてゴソゴソと動き出した。仮面を布でくるんで岩と岩の間に隠し、
  靴をはいた。もうすぐ学園が始まる頃だ。
  シオンは霧が晴れてきた湖畔をゆっくりと後にした。





              〜閑話休題〜           マリムラ          


  待ち合わせは放課後。時間はたっぷりある。
  にもかかわらず、カイは湖畔で素振りをしていた。今は昼休みだ。

    シュッ  シュッ  シュッ  シュッ

  静かな空間に、空を切る鋭い音がこだまする。
  カイの額にじんわりと汗が滲む。

  カイはココが好きだった。
  冷たい空気と人気のない静けさと、程良い閉塞感。
  水辺独特の草木の匂いもすがすがしい。

  昼からの選択授業は先生の都合で自習だった為、あまり時間を気にしていなかった。
  気が済むまで素振りをすると、心地よい疲れの中で地面に腰を下ろした。

    シュルッ

  側で小さな音がした。
  思わず刀を構えながら振り向く。

  岩の上に小さなカナヘビ。

  カイはカナヘビを脅かさないようにそっと腰の物をしまった。
  もう一度地面に座り直す。

  「スマンな、先客があったとは知らなかった」

  小さく詫びると刀の手入れを再開する。

  『礼儀正しいじゃない』

  カナヘビの声は、カイまで届かない。

  『仕方ないわね、今日はここでくつろぐことを許してあげるわ』

  カナヘビは岩の上からカイを眺めている。
  カイは刀だけを見つめながら、手入れに余念がない。

  『私が気にするコトじゃないけど、あの子が幸せになれればいいわね』

  カナヘビがカイを見ていて浮かんだのは、今朝逢ったシオンのことだった。
  関係ないけど幸せを願う。
  たまにはそんなことがあってもいいかなと思うカナヘビだった。





            〜『人助けは…』〜            ケン


  「え、えっと、シオン・エレハイン君…だよね?」

  放課後、シオンが待ち合わせの湖畔に向おうと下駄箱で靴を履き替えていると、横から声  
  が掛かった。
  聞いた事が無い…いや、2、3回だけ聞いた事のある声だ。

  「(この声は…確か…)」

  顔を見ずに思い出すより、顔を見たほうが思い出しやすいだろう。ゆっくりと振りかえっ
  たシオンの青紫の瞳が一人の男子生徒を映す。

  「ああ、あなたは」

  男子生徒を一目見ただけでシオンは彼の正体に気付き、柔和な笑みを浮かべる。

  「怪我はもう痛くないですか?」

  声の主―先日、ナイフの連中に大怪我を負わされた男子生徒は複雑な笑みを浮かべると首
  から三角巾で釣るしている腕を上げて見せる。

  「まだちょっと痛いけどね、おかげさまで助かったよ」

  「いえ、困った時はお互い様ですよ。それより、よく私の名前がわかりましたね」

  微笑んだシオンのその言葉に男子生徒は一瞬ドキリと身体を硬くした様に見えた。

  「ど、どうしました?何所か痛むのですか?」

  心配そうに尋ねるシオンに男子生徒は両手と首を振って「なんでもない」といったが慌て
  て腕を振ったため激痛が走り顔を歪めた。

  「い、いや、聞いたんだよ。人に、結構人気みたいだからすぐにわかったよ」

  激痛に顔を歪めながらも笑う男子生徒に、おもわずシオンは気押されてしまった。

  「は、はあ…まあ、無理はしないで下さいね」

  そういって微笑むとシオンは男子生徒に背を向ける。

  「シオン君!」

  頭に?を浮かべて振りかえるシオンの顔を見た途端、男子生徒は「あ」と搾り出すような
  声を出して俯いた。
  それでもシオンは黙って男子生徒のほうを優しい目で見続けている。

  「あ、いや、君がナイフのアジトを探しているって聞いてね。それで、何か手伝いができ
  ないかって思っていろいろ調べたんだけど、あいつ等のアジトはバーナイフって所で入る
  には合言葉が必要らしいんだ」

  「誰に聞いたのでしょう」そうシオンは思ったが口にも表情にも出さなかった、ただ場所
  は知っているが合言葉を知らないのは困った物だ、カイが探ってくれているのを祈るしか
  ない、と考えていると男子生徒の口から信じられない言葉が出てきた。

  「その合言葉なんだけど…『未成年ですがいいですか?』らしいんだ…」

  かすかに、シオンは目を細める、たが本当にほんのかすかだったので男子生徒は気付かな
  かった。
  もはや誰かに聞いたというレベルを通り越している。さっきから気になっていた何かに脅
  えているような彼の態度と今の合言葉の情報でシオンは即座に理解した。「脅されてい
  る」と、いや、そう信じたかった。彼が実はナイフの一員だったなど考えなかった。それ
  が本当でも信じたくは無かった。
  合言葉が本当ならそれはそれで何事も無い、だがシオンはそうは考えなかった。迂闊だっ
  た。シオンとカイがナイフの連中と関わっているあいだ、別のナイフの仲間がこの男子生
  徒に接触する機会はいくらでもあったのだ。そしてシオンとカイを罠にはめる様にと脅し
  たのだ(シオンはそう考えている)。

  「ありがとう…ございます」

  シオンは微笑んだ、シオンは気付かなかったかもしれないが、このときの笑顔はいつもの
  誰もが見惚れるような優しい笑顔では無く、悲しみと怒りが入り混じったような辛い笑顔
  だった。
  シオンは珍しく感情をかすかにだが露わにするほど怒っていた、それは誰に対する物では
  なく、自分自身の無力さに対してだった。この男子生徒は一体今、どんな心情で話してい
  るのか…彼にこんな事をさせる原因を作ったのは元を辿ればシオンのせいとも言える…だ
  が、シオンは『この事』に関わった事に、後悔はしなかった。
  ギリリと奥歯と奥歯が擦れ合う音がシオンを思考から目覚めさせた。

  「では、お元気で…」

  シオンは男子生徒に優しい笑顔を向けると男子生徒の返事を待たずに背を向けると歩き出
  した。
  口の中に血の味が広がって行く、口の中が切れたみたいだった。

  「全てを救うのは不可能・・・か」

  湖畔でのカナヘビの言葉が脳裏に浮かぶ。

  「でも、それでも私は…」

  シオンは顔を上げた。口の中の切傷が間だ痛む。





              〜潜入〜             マリムラ


  待ち合わせ場所である湖畔で先に待っていたのはシオンだった。
  律儀というか、融通が利かないというか、長引いたHRを抜け出すこともせず、きっちり  
  最後まで先生の長話に付き合ったカイが遅れたのが原因だ。

  「悪い、待たせてしまったようだな」

  ぼんやりと湖畔を見つめて立っていたシオンに後ろから声を掛ける。
  カイが見たシオンの背中は、どこか風景に溶けてしまいそうな儚さがあった。

  「いえ、私も今来たばかりですから」

  振り返って笑顔を見せるシオン。じゃん、と懐から仮面を取り出し片方を自分の顔に当て
  て見せた。

  「どうです?コレ」

  「……立派すぎないか?」

  確かに襲った奴らの仮面より上等な気もする。

  「え?そうでしょうか……困りましたね」

  素直に首を傾げるシオン。本当に困った様子だったのでカイはなんだか悪い気がして……。

  「いや、大丈夫だろう。こっちも首尾は万全だ」

  慌てて言い繕うのだった。
  ソレが分かってか、シオンに再び笑みが浮かぶ。でも一瞬、ほんの一瞬だけ翳りがよぎっ
  たことを、カイは見逃さなかった。

  「では、行きましょうか」

  カイとすれ違うように来た道を戻るシオン。カイは後ろから右肩をトンと軽く小突いて言
  った。

  「一人でも多く、救ってやれるといいな」

  考えていたことを見透かされたような軽い驚きに振り返ろうとするシオンを何事もなかっ
  たように追い越して、カイは先に立って歩き始めた。

     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

  日も傾き、空が紫に滲む逢魔が時、仮面を付けたシオンとカイは再びあの『バー・ナイ
  フ』の前にいた。
  隠れてこっそり出入りを確認していたが、仮面の質も人それぞれ、出入りする時間もそれ
  ぞれ。いつから集会が始まるのかもハッキリとは分からなかった。

  「そろそろ行きますか」

  「そうだな」

  お互いに顔を見合わせ意を決する。

    トントントン

  「合い言葉は?」

  扉の内からのくぐもった声に、カイが答える。

  「……『鉄仮面に会いたい』」

  一拍おいて鍵がカチリと開くのが分かった。音もなく扉が開けられる。

  「ようこそ、『バー・ナイフ』へ」

  暗い店内に入る前の小さなエントランス。
  二人は、静かに一歩を踏み出した。





          〜『決戦、バーナイフ』〜           ケン


  酒場『バーナイフ』の店内は以外と広く、カウンターが入り口近くに設置されており、そ
  れほど豪勢ではないが広いダンス舞台もあり、メインホールには背の高い丸テーブルが5
  個と一つのテーブルにつき8脚のイスが置かれている。入り口から最も遠い部屋の隅はト  
  イレへと続いている様だ。もし、最悪な状況に陥った場合はここで篭城すると効果的かも
  しれない。
  店内はすでに仮面をつけた人間であふれており、喧騒に包まれている。シオンとカイは、
  はぐれない様に手を繋いで部屋の入り口に近い隅まで来ると、壁を背にして辺りを見まわ
  す。今のところ、ボス的な存在(合言葉どうりに解釈するなら鉄仮面をつけた人間)は見
  あたらない。

  「あ、あつくるしいですね…」

  シオンは手をセンスの様に使い、ぱたぱたと扇ぐ。シオンは改造魔導生命体…いわばサイ
  ボーグホムンクルスである、それでも痛さ寒さを感じれば熱さも感じるのだ、シオンはそ
  れは生きている証だと、この感覚機能を与えてくれた製造者に感謝していた。しかし、今
  は生きた心地がしない。密封された密室、それはシオンが苦手とする物の一つだった。
  カイの方はと言えば、この程度の気温の変化は大した事無いのか、愛刀の紫電を片手に平
  然としている。もっとも、熱いとは思っているかもしれないが…

  「ああ、それより首謀者の姿が見当たらないな…」

  「そう…ですね、もうそろそろではないでしょうか……」

  シオンとカイがそんな会話をしていると、急に辺りが暗くなり、ダンス舞台に照明が集中
  する、そして小さな爆発音と共に煙が発生し、その中から悠然と仮面を被った長身の男が
  出現した。
  年は筋肉の付き具合、体型からして20代後半から30代前半、仮面を被っているため推測で
  しかないが…その仮面は顔の上半分をすっぽりと覆うように作られており、口元は見えて
  いるが鼻は見えない、材質はおそらく鉄だ。
  その男の側に四人の仮面をつけた少年たちがまるで主人を守るかのように整列している。
  その中にはあの狐の仮面の少年もいた。

  「まちがいない、奴が首謀者だ」

  カイが小声でシオンに告げる、シオンもそれを確信していた。根拠など…無い、理屈抜き
  で身体全身が反応していた、その男の発する圧倒的な威圧感は、とてもあの間抜けな仮面
  少年達(狐は除く)の頂点に立つものとは思えなかった。

  鉄仮面の男は辺りを見渡し、全員が自分を注目している事を確認すると、ゆっくりと口を
  開いた。

  「ナイフの諸君、日々の勤め誠に大儀であった。また、新たにナイフの一員になった同士
  にも、これからの働きに期待する。諸君らは選ばれた次ぎの世を担う先達者として、この
  『リム』を受け取ってもらいたい」

  そういって鉄仮面が取り出したのは白い粉末の詰まった試験管のような物だった。客席の
  丸テーブルの方から歓声が上がる、鉄仮面はそれを手を軽く上げて静止させ、話しを続け
  る。

  「我等が目指すは、誰もが日常的にこのリムを手に入れ、誰もが平等に快楽を味わえる世
  界、いわば究極の世界平和、今日はその理想を共にする我が同胞、諸君等に新しい快楽を
  味わってもらうため、最新のリムを持ってきた」

  詳しくまとめれば、鉄仮面は麻薬の力で世界を支配し、のっとろうと言うのだ。普通に考
  えればそれは馬鹿げている事だ、だが一度麻薬に手を染めてしまった者は、もはやそれは
  ていのいい操り人形も同じだ、麻薬を餌にすれば何でもするだろう。このままにしていれ
  ばそれは宗教の様にたちまちのうちに広まって行くかもしれない。

  「カイさん」

  シオンは仮面をずらし、そこから顔を覗かせカイを覗う。その意味するもに気付き、カイ
  は力強く頷く。

  鉄仮面はさっき取り出した試験管を狐の仮面に渡すと新たに、赤い液体の入った試験管を
  取り出す。

  「これは、今のリムの数倍の快感を味わう事のできる薬だ。この新型リムは我等の悲願を
  また1歩近づけてくれるに違いない」

  「そんなもの、受け取ってはいけません!」

  鉄仮面の低い声をさえぎり、澄んだ美声が酒場に響く。シオンとカイが部屋の隅から一跳
  びでダンス舞台に着地する。そのままカイは目の前の鉄仮面めがけて抜刀し、斬りつける。
  がしかし、それは狐の仮面の刃が取り付けられた特殊なトンファーによって遮られる。
  カイはすぐに飛びのき、シオンの側に着地する。カイの踏みこみを妨害するなど、並の使
  い手ではない事が解る。
  鉄仮面にいたっては丸で動揺したそぶりも見せていない。

  「何者だ!貴様等」

  狐の仮面の側の、狼の仮面を被った少年がカギヅメ状の武器を取りだしながら問う。他の
  面子も各々武器を取りだし、客席に至っては殺気が言葉と物になってシオンとカイに降り
  注ぐ。

  「テラロマ学園剣道部、カイ」「テラロマ学園医学部、シオン・エレハイン」

  カイとシオンは飛来するナイフや酒瓶やコップなどを打ち落としながら、打ち合せもして
  いないのにぴったり息の合った自己紹介をした。

  「話しは全て聞かせてもらいました。こちらに録音もさせてもらっています」

  そういってシオンは手の平に風を形成し、それを横に薙ぐ様に振る。するとそこからまる
  で、蓄音機の様に鉄仮面の声がさっき喋った台詞と同じ物を言いながら流れる。風魔法
  『山彦(サウンド・ロウ)』音を記憶させ、術者の意思で何時でも流したりする事が出き
  る…

  「貴様等…生きて帰えれると思うな」

  鉄仮面が空気を振動させるような低く重い声で言った。感情を感じさせない不気味な声だ
  った。



  ―――――そのころ、待ち伏せグループ―――――

  「おせ〜な」
  「あのやろう、ちゃんと伝えたのか?」
  「さみ〜よ〜」

  仮面を被った少年たちが、いつまでも文句を言っていた。





              〜完結〜             マリムラ


  鉄仮面が無言で掌を天井に向けて掲げた。それまで飛び交っていたナイフや酒瓶やコップ  
  などが止むと同時に、観客が一斉に壁際まで移動する。……そう、まさしくソレは観客と
  しか言いようがなかった。異様に興奮した目をぎらつかせ、声が波のようにうねりを起こ
  す。中央はいつの間にか退けられた椅子やテーブルの代わりに、丸いステージだけが残さ
  れている。

    パチン

  鉄仮面は掲げた右手で一つ、指を鳴らした。ソレを合図に狐と狼の仮面がカイとシオンに
  襲いかかる。
  背中合わせで立つカイとシオンは、最初攻撃をいかにいなすかに専念していた。カイは紫
  電で、シオンは腕に巻き付けた布で、刃を避け、力を逸らし、相手のミスを待つ。しかし
  相手もかなりの使い手、しかも特殊武器を使用しているということもあって、少しずつ、
  服に裂け目が目立つようになってきていた。

  「おい、最初のイキオイはドコ行ったー?」

  「バカはさっさとやられっちまえよ」

  「いたぶられるのがお似合いなんだよ」

  口汚い野次が飛び交う。このままでは鉄仮面に近づくことが出来ない。カイはシオンに声
  を掛けた。

  「……準備運動は終わったか?」

  「……え……?」

  「お前が普通のヒトじゃないことくらい目を見れば分かる。ヒトを傷つけたくないのも分
  かる。
   だが、ココにはヒトを救いに来たんだろう?」

  カイは背を向けたままだった。シオンが思わず振り返りそうになったとき、狼の爪がシオ
  ンを襲った。
  斬られた髪がはらはらとステージに落ちる。観客からは耳を劈[つんざ]くような歓声が
  起こる。

  「奴らを更正させるには普通の生活じゃ無理だ。……全員病院送りが妥当だろうな」

  物騒なことを涼しい声で言ってのけるカイに、シオンが自嘲的な笑みを漏らす。

  「少しでも多くの人を救うためとはいえ、ヒトを傷つけるのは苦しいですね」

  シオンは攻撃を避けながら、カイの隣に移動する。

  「でも。彼らが更正したとき、傷つけたヒトの数は心の傷になって残るでしょう。だから」

  「彼らが傷つけるヒトが、これ以上増えてはいけない」

  カイが言葉尻をかぶせるようにしめたとき、一瞬だけ大地が揺れるような鼓動音が聞こえ
  た。

  「な……んだとぉ?」

  誰かが声を上げたときには、シオンの体は淡い光に包まれていた。髪は腰のあたりまで伸
  び、目は銀色に染まっている。手には自分の身長をこえる聖塚の太刀がこからともなく現
  れ、しっかりと握られていた。

  「5分です、それですべてを終わらせます」

  「わかった」

  一度も顔を見合わせることをせず、二人は鉄仮面を目指す。不思議なほど息のあった二人
  を、狐と狼の面をつけた少年は止めることが出来なかった……。


     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


  シオンは、湖畔で鏡のような水面を見ていた。もう髪も目も元に戻り、以前と変わらない
  自分がそこにいる。

  「忘れてほしければ忘れよう」

  カイが言ったことを思いだしていた。
  他人に見せないようにしてきた力だった。もう使わないつもりでいた力だった。
  でも、その力を知っても以前と変わらぬ態度をとるカイに、忘れてくれとは言えなかった。

  匿名の電話を受けて警察と救急隊が来た頃には、夥[おびただ]しい数の仮面の男がご丁
  寧にもロープで繋がれた状態で放置され、既にカイとシオンの姿はなかった。中毒症状を
  見せた少年達を不審に思い検査したところ、全員から薬物反応が見られ、病院送りにされ
  たという。

  シオンはこれで良かったのか、まだ分からなかった。でも、他に方法も思いつかなかった
  から……。

  「私も彼に秘密を一つ聞いておけば良かったでしょうか」

  カナヘビに問いかけるつもりで振り向くと、なぜかカイが立っていて、

  「本名はカークハインだ。もう捨てた名だが……誰にも言うなよ」

  少しはにかむように笑みを浮かべた。