鉛空と金髪と文庫本 遠夏
投げた石があたったら、その衝撃で雨でもふってくるんじゃないかってほどの曇天。
ここは静かだ。授業時間中だからということもあるけれど、教師の声もその影で行われる
生徒どうしのおしゃべりも校庭のざわめきもここまでは届かない。
もう使われなくなって何年もたつ旧校舎の屋上。鍵がこわれていて、進入が容易であるこ
とに気づいてから、リタルード・ルーマはたびたびここに来るようになった。
長い金髪を散らして仰向けに寝転がっていると、紺のスカートと白いセーラーの上下に、
似つかわしくない平坦な胸の形がはっきりとわかる。
着ている服に、校則で装飾が義務つけられている学園のエンブレムは見当たらず、そもそ
もこれは学園の制服ではない。
手にはペーパーバックの本。脇に、おなじカバーをつけた本が二冊置いてある。
重たげな空に気づきもしないように、リタルードの目はただその字面を追う。
「よう、嬢ちゃん。いたのか」
本から目を離して半身を上げると、金色の髪の見慣れた若い男がいた。黄土色の作業着を
着て、ベルトに何故か鞘のついた草刈鎌を挟んである。
ジグムンド・ウピエル・ギターマン。この学園の用務員。フルネームで覚えているのは、
出会ったころにセカンドネームで呼べと言われたのがもの珍しかったのと、ファースト
ネームが著名な学者と同じだったから。
「んー、僕ここ数日わりと来てるよ。久しぶり」
「一週間くらいずっと晴れてたからなぁ」
「ふぅん」
ウピエルの肌は、男性のものにしてはぎょっとするほど白い。それが異様に見えないのは、
髪と目の色が明るいのと、本人が発している軽妙で楽しげな空気のおかげだ。
「あ、そういえば僕、ひとつ報告あるんだ」
自分の横に座ったウピエルの顔を見ずに、リタルードは話し掛ける。
「僕、来学期から最終学年4年目突入決定したからー。いえーい」
「おーそりゃすげぇ…って駄目じゃねぇか」
「出席日数足りなくて、卒業試験受けさせてもらえなくてさぁ。
まぁ、学費払ってるの親だから別にいいし」
「よくねぇだろ。ってか嬢ちゃんって最終学年だったんだな」
「あれ、言って無かったっけ? 15になった年に編入して飛び級してそんで留年してるの。
今年で3回目の最終学年」
「親御さん泣いてねぇか?」
「知らなーい、全然会わないし。寧ろ面白がってるんじゃない?
いつ僕が退学になるか、親戚の中で賭けてたりすんごいしてそうな感じ」
リタルードは再びごろんと仰向けにねっころがる。頭があたる部分にかばんを敷いておい
たが、それでも少し痛かった。
「『奇跡の指輪の発見』だって」
「卒業試験の課題か?」
「うん。二ヶ月以内、範囲は世界中」
「そりゃあ、また大掛かりな」
「うん。でも世界中って言っても二ヶ月以内でこの学園から往復できる距離にしかないだ
ろうし。
別に生徒振り落とすのが目的じゃなくて実力試すためのものなんだから、見つけるのは
困難にしてあるだろうけど、学校とかその周りの街ににも結構隠してあると思うよ。
ここは立ち入り禁止区域だから除外されるにしてもさ。いっぺんにたくさん見つけられ
ると困るだろうから二ヶ月の間に分けて隠すとか、するだろうけど。
『奇跡の指輪』って言っても漠然とした概念だから、そのものずばり持ってこなくても
それに例えられる何かとか、
小さい男の子が幼馴染の女の子に玩具の指輪あげて戦争かなんかで生き別れて戦後に青
年になった男の子が隣に住んでる女性が同じ指輪はめてるの発見してそんで私たちそれか
ら結婚しましたーっていう指輪借りてきてもおっけーって可能性だってあるしね」
「嬢ちゃん実は試験受けたいのか?」
「いや、別に全然。なんで?」
「ずいぶん熱心に話してたからよ」
「だって、暇だしぃ考えることとか無いしぃ」
「そっか」
ウピエルはそれだけ言って、リタルードの横に同じように寝転がる。
彼はいつも必要以上に言及しない。「暇なら授業にでろ」とも言わない。
意識的にやっているのか無意識にやっているのか。ひどく優しいのか単に関心がないのか
はわからないけど。
それがどれほどリタルードの救いになっているか、たぶんウピエルは理解していない。
「ところで嬢ちゃん、気づいてるか?」
「何に?」
「この下に迷子がいるぞ」
「まいごぉ?」
「おう。本当に迷ってるみたいだな。泣いてるぞ。新入生か転校生か方向音痴なのか…今、
床腐ってるあたりに来て…あ、踏み抜いた」
「…どんな聴力してんのさ?」
「一階下なら普通に聞こえるぞ。んー、行ってやるか。嬢ちゃんもどうだ?」
「室内ならまだしも屋上からじゃ聞こえないって。暇だし、行く。あ、でももしかした
ら」
「ら?」
「その子、『旧校舎の幽霊』かもよ。ここもうすぐ壊されるじゃん。だからいろいろ行き
詰まったエネルギーが女の子の幽霊になって噴出してて、うんでうっかりついて行くと自
分も幽霊になっちゃうの。今考えたんだけど」
「それデマカセじゃねぇか」
「そうともいうー」
「こら」
ウピエルはリタルードの頭の下の鞄を思いっきり引っ張った。がつっと頭をうってリタ
ルードは痛む頭を抱えて身を起こす。
「うだうだ言ってると置いてくぞ。本人結構切羽詰ってるみたいだからな」
「うー、待ってよぉ」
立ち上がって、落ちてる文庫本を拾うとリタルードはウピエルの後を追って、ドアの取れ
た入り口をくぐる。
新たな出会いに、内心胸をはずませながら。