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                                  熊猫


  かりかりかり・・・

  ペンを走らせる音が教室の中で響いている。
  いつもとは少し違い、教室の机には空席が多い。
  そのひとつを埋めているファングは、ペンすら持たずただぼんやりとそこに座っていた。  

  やわらかい榛(はしばみ)色の髪を、きつい黒のバンダナでとめている。
  はだけた学ランの下はワイシャツではなく、どういう神経かTシャツである。
  今日は灰色だが、昨日は赤だった。 
  眠いのを通り過ぎて半眼になりかけている紺色の目は窓の外に向いている――

  外はこれでもかというくらいいい天気だ。
  ちょうど今、授業が終わって帰宅する生徒で廊下は混雑している。
  テストが終わり、これからの数日間をどうやって過ごすかで、皆浮き足立っているようだ。

  かりかりかり・・・

  しかしこの教室では誰一人顔を上げない。
  いや、ごくたまに立ち上がり、埋めたばかりのプリントを持って教壇に向かう生徒もいる。
  教壇に座っているのは 矢吹 雪恵――この学園では数学教師として教鞭を振るっている
  が、振るいすぎて生徒からある意味一目おかれている存在でもある。

  長い黒髪、薄紅色のくちびる、目は怒っているわけでもないのに吊りあがっている。
  『女教師』という単語から想像される要素を全て持っている彼女の授業は、無論厳しい。
  その傾向は採点にも現れているのか、俗に『赤点』と呼ばれる平均点の半分以下を
  取った生徒はもちろん、それ以上の点数を取ったにもかかわらず、彼女に呼び出されて
  こうして追試を受けている者もいる。

  テストというよりは、自習と言ってもいいだろう。
  ――ただし『合否』があるわけだが。
  彼女の採点で高得点を取れば、この追試は終了となり、帰っても良いという仕組みだ。

  今教壇に向かっている生徒は『不合格』だったらしい。

  だが少しずつ教室から生徒が減ってゆくなか、ファングは自分の名前すら書いていない。
  春のあたたかさを含んだ風が窓の外を吹きぬけ、やさしく梢をゆらし――

  ずがっ!

  頭のすぐ上を吹き抜けた疾風に、ファングのバンダナに遮られた前髪が激しく煽られる。
  ほおづえをついて動けないまま、だが汗だけが流れる。

  「余裕ね?ファング?」
  「あー・・・・」

  にっこりと笑って、片手だけは前に投げ出したままで、雪恵。
  肉食動物がいる檻の中に放り込まれ、震えている子犬をなんとなくイメージする。
  ひととおりファングはうめいてから――ゆっくりと椅子に座ったまま振り返った。

  「あ゛ー・・・・」

  まるで学園建設当時からそこにあったかのように、深々と巨大な三角定規が突き刺さって
  いる。
  壁ごと中央からぐっさりと貫かれて――壁に画びょうで留めてあった『学園おたより』と
  書かれた
  わら半紙のプリントは、ファングの見ている前で力尽きたように、ぺらりと折れた。
  この三角定規、マグネットがついていて、黒板に貼り付けて教師が生徒のために
  図形を書いて説明するものであるのだが、雪恵はなぜかこのように使う。稀にだが。

  「全部終わるまで帰らせないわよ――ま、ちゃんとその分残業手当はもらうつもりだけど。
  いろんな形でね」
  「ぁ゛ぅうううううううう・・・・」
  「自業自得だってーの」

  突然会話に割り込んできたのは、ファングの隣に陣取っているトノヤだった。

  靴のかかとを踏んでつっかけるようにして履いている上に、ズボンの裾は
  生地としては致命的なまでにほころびている。
  金属のように逆立った髪は白銀だ。瞳は右が赤、左が青である。
  全てが鮮やかすぎて、他の生徒が霞んで見えるくらいだ。

  とにかく目立つ容姿なのだが、目の前のプリントは完璧に埋まっている。
  だがファングに付き合おうという気でもあるのか、実に退屈そうに椅子に寄りかかって不
  安定にゆらゆら揺れている。手にはおもちゃの銃。水鉄砲のような安っぽい外見のそれを、
  いやに大事そうにいじっている様は見ていてなかなか面白い。

  彼とはよくここで会う。言ってみれば二人の特等席なのだが、ファングとしては
  二度と座りたくない席でもある。同じことを毎回思うわけだが。
  そしてファングは追い詰められた顔で、そちらに向き直った。

  「お前なぁっ!お前はセンセーの事知らないからそんな事言えんだよ!
  もう俺の中では雪ナントカとか言ったらなんか土の中で4000年くらい眠ってた
  大魔王が蘇って海が割れて――」

  ごっ!

  高速で飛んできた黒板消しを眉間にまともにくらったファングは、そのまま 
  椅子ごと後ろ向きに倒れていった。
  その様子を目だけで追っていた雪恵は、一粒も黒板の粉がついていない
  爪先をファングがいた机――雪恵の位置からはファングが見えないが、
  そのあたりに突きつけて、言い放つ。

  「次、わけわかんないことで私の眉を一ミリでも動かしたら当てるわよ」
  「・・・当たってんジャン」

  やはり腕を組んで、ゆらゆらと椅子に寄りかかって不安定な姿勢で、トノヤが
  目を回しているファングを視線で指す。

  「バカね、私が本気で当てたらこの教室なんか微塵も残らないわ」
  「一体何投げんだよ!?」

  ――その後、皆の正解率が異常なほど上がったのはいうまでもない。





                                  ヒサ


  隣を見るとファングはもうボロボロだった。黒板消しを眉間に受けてからも,飽きずに雪  
  恵の必殺★公共物ミサイルを喰らっていた。
   すでにファングのやる気はとうに失せていてウトウトしていると,

   ガスッ!

   時が一瞬止まった。

  「ぎゃははははは」
  「うぅぅ」
  「あら,名前は書いたのね。その調子で早く終わらせなさい」

   デコに突き刺さった数学の教科書を無言で引き抜き,形だけでも机に向かうファング。
  隣ではトノヤがヒィヒィ言いながら笑っている。

  「お前見てて飽きないな」
  「人事だと思って」
  「人事だからおもしろいんジャン」

   なんてやつだ,と思いながらトノヤのプリントを横目で見ると綺麗に埋まっている。

  「トノヤもうプリント埋まってんじゃん。帰らないのか?」
  「ファングがどこまで耐えられるか見届けたいだろ。安心しろ。骨はちゃんと拾ってやる。
  何処に埋めて欲しい?」
  「そうだなぁこの学園が見渡せる裏の丘のてっぺんに・・って不吉なこと言うなよ!」

   思いのほか勢い良く出た声に周りがビクリとなる。だが皆が思ったより大きな声では無
  かったらしく今回は公共物の犠牲は出なかったようだ。

  「フケるか」
  「んあ?」

   突然遠い目をしてファングがつぶやいた。

  「こうなりゃボイコットだボイコット」
  「あの先公からどうやって逃げるつもりだよ」
  「一瞬。一瞬で良いから隙があればなぁ」
  「はっ,無理無理あきらめろ」

   しかしファングはもう決めたらしい。先の全く減っていない鉛筆をポケットに突っ込み,
  中身の入っていないスカスカのスクールバックを机の下で握りしめている。椅子もさりげ
  なく後ろに引いて,体制は中腰になっている。準備はすでに万端らしい。
   おもしろそうだな,とトノヤも準備を整える。プリントは埋まっているので別にボイコ
  ットをする意味はないのだが,好奇心がそうさせた。
   幸運にも,一番近い後ろの扉は補習を終えた生徒が閉めずに帰ったのか全開だ。

   そしてチャンスはおとずれた。

   コンコンと控えめなノックが前の扉を鳴らした。一瞬皆の手が止まり,シンとする。ど
  うぞ,という雪恵の声の後に静かに扉が開いた。

  「失礼します」

   入ってきたのはきちんと制服を着込み,長く綺麗な銀髪が印象的な女子生徒。我が学園
  の生徒会長,朝霧だった。

  「すみません。補習中なのはわかっていたのですが,来月発行する生徒会誌の原稿を今日
  中に・・」

   数十枚もの原稿の束を渡され,雪恵の意識がそちらに一瞬向いた。

  『今だ!』

   ファングとトノヤは同時に飛び出した。扉までのたった数メートルがやけに遠く感じた。

  「あっ!!二人共待ちなさい!!!」

   二人が教室を出た直後だった。

   ドッゴーーーーーーン!!!!

   物凄い爆風とともに,廊下の壁に叩き付けられた。予想はしていた。素早く受け身を取
  ると一目散に廊下を走り抜けた。
   後ろを振り返るとついさっきまで居た教室は灰色の濁った煙をモクモクと上げ瓦礫と化
  していた。哀れなのは真面目に補習を受けて居た生徒達。そして真面目に仕事を持ってき
  た全く関係のない朝霧生徒会長。

  「ぎゃははははすっげーな!一体何投げたんだか!」
  「マジで微塵も残ってないし・・」
  「お前アレを喰らって無くて良かったジャン」
  「うあ・・考えただけで恐ろしいぜ!それにしてもトノヤはプリント終わってたんだから
  逃げなくても良かったんじゃないのか?」
  「あの瓦礫を見てそゆこと言ってる訳?一緒に来て正解だったっつーの!」
  「はは,いえてらぁ」

   階段まで来た時には野次馬が当分は使えないだろう教室に向かって流れが出来ていた。
  部活中の生徒やら居残っていた生徒やら教師やらで廊下や階段はごった返して来た。二人
  は野次馬の流れに逆らってやっとのことで玄関まで辿り着いた。玄関や1階エントランス,
  そして校庭はほとんど人の姿が見えなかった。流石に皆騒ぎを見に行っているようだった。





                                みやび


   日差しが強い。とはいっても、中天を越えてしまった太陽は勢いを失っていくばかりだ  
  から、教室にいたときよりはやわらかい。

   二人は、何事もなかったように歩き出した。
   別に一緒に帰るつもりではないのだが、同じ校門から出る以上は仕方がない。一仕事終
  えたような顔つきで校庭を進む。
   校舎の窓から、煙がたちのぼている。ファング達が飛び出してきた教室だ。
   その光景だけで、被害の凄さが窺い知れるというものだ。
   当然、校舎内では大騒ぎだろうがトノヤとファングは、それぞれこれからの時間の使い
  道を考えていた。
   そこへ。

  「ちょっと待ったりーやっ」
  という、少々腹の据わった叫び声と共に、一陣の風が二人を襲ってきた。
   身構えるトノヤとファング。
   もしや雪恵か、と恐怖に背筋を凍らせた二人の目の前に現れたのは、なんと生徒会長朝
  霧だった。

  「なんて言葉遣いしやがるんだ」
  「センセーと思って、ちょっとびびったじゃんかよ」
   胸をなでおろした二人を、いかにも優等生といったメガネの奥の瞳できっと睨みつけな
  がら、朝霧は改めて口を開いた。それも、手は腰で構え、両足は大股開きで大地をしっか
  り踏みしめて。

  「あんた達のおかげでえらい迷惑受けたわ。負傷者10名を越える大惨事やで」
  「一体何投げたら、10人も怪我するんだ」
  「黒板よ」

   朝霧の話を総括するとこうだ。
   朝霧に気を取られた雪恵は、教室を飛び出そうとする二人を見て、一旦は教壇に手を掛
  けたようだ。が、間に合わないと思ったか、急に黒板に手を当てると教室の後方めがけて
  投げ飛ばしたと言うのだ。
   当然、素の力ではない。何らかの力を込めたのだろう。でなければ爆発にも似た状況に
  なるわけがない。
   教室の後ろの方の席にいた生徒が、その爆発のようなものに巻き込まれて怪我をしたら
  しい。
  「ったく、何してくれるんだ。あの先生は」
   自らを棚に置いて、ファングがつぶやく。
  「何言うてんねん。あんたらのせいやろ、まったく」
   心外だといわんばかりに声を張り上げて朝霧が二人に詰めよる。

  「ちょっと、生徒会長さん。そんな言葉遣いだったかよ」
   トノヤが精一杯反抗を見せる。
   学園での生徒会長のイメージはかなり出来すぎたものだった。
   もちろん、成績優秀。運動神経も抜群とまではいかないが、人並み以上。そして、同性
  異性を問わず人気があり、教師からの信頼も厚かった。こう言う場合、一部嫉妬の対象と
  もなるが。
   それだけに、二人にとって朝霧の豹変は平然と受け入れられるものではなかったのだ。
   一瞬重い空気が流れる。トノヤを睨みつける朝霧。やぶへびだったかと、後悔するトノ
  ヤ。その二人を見つめながら、ひょっとして今が逃げ出すチャンスかも、と機を狙うファ
  ング。
   校庭にグラウンドから舞ってきた土煙が三人を飲み込む。
   朝霧が突然右手をあげた。
   それはまるで教師に質問を浴びせる生徒のように。すっくと伸びた腕は、指の先までピ
  ンと突っ張っている。
  「なんだ?」
  「先生がいらっしゃらないのです。雪恵先生が」
   雪恵がいないということにも驚いたが、何より朝霧の言葉遣いが再び激変したことのほ
  うが二人にとっては大事だった。
  「おいおい、おかしいなお前。言葉遣いめちゃくちゃじゃんかよ」
  「そ、そんなことはどうでもいいのですよ」
  という、朝霧の目はまた鋭い眼光をトノヤに投げつけている。
  「と、とにかく生徒会長の話を聞こうぜ、な、トノヤ」
   ファングに向かって愛想笑いを浮かべた朝霧は、その後の顛末を語りだした。

   数十秒の混乱のあと、次第にもやが晴れるにしたがって教室の惨状が朝霧の目にもはっ
  きりとしてきた。
   教室の後部で腕や足を押さえる生徒たち。致命的なものはないということも、すぐさま
  認識した。
   そしてすぐ傍にいたと思われる雪恵の方を見やったとき、朝霧は思わず息を呑んだ。
   雪恵がいないのである。

  「教室出ただけじゃないのか」
   もっともな問いだった。
  「それが違うのですよ」

   黒板の消え去った崩れた壁に、ちょうど雪恵の背丈の影が残されていたのだ。

  「なんだ、自分が爆風に消し飛んじまったってか」
  「冗談だろ」

   そんなやりとりを聞き終えたあと、朝霧は口を再度開いた。
  「一番傍にいた私は、この通り何もないのですよ。爆発が原因ではないはずです」

   三人の知恵で結論の出る問題ではなかった。
   校舎内はまだそれどころではなかったが、明くる朝、雪恵失踪について学園内が騒然と
  なったのは言うまでもない。 





                                 熊猫


  学園の教師が失踪したという話は、今や誰もが知っていた。
  男子生徒の何名かは必要以上に落胆していたが、それでもまだ『噂』の域から脱してはい  
  ない。
  ファングはもとより放浪癖があるためか、それほどの話題性はないと判断していた。

  「なんだかなぁ…なぁんかニガテなんだよ会長は。いやそりゃ可愛いけどさ」
  「可愛いってゆーより美人っていうんだろうな。あーいうの」
  「俺、可愛い派ー」
  「知るか」

  こちらも見ずにぼやいて、トノヤがワッフルを頬張る。かり、ときつね色の皮が音をたて
  た。

  「アレだ。似てんだよ」

  ぱんと膝を叩いて、ファングは得たりと彼を指差した。
  ようやく聞く気になったのか、椅子を抱き込むようにしてトノヤがこちらに顔を向けてく
  る。

  「誰に?」
  「センセー」

  ぶっ――
  突然といえば突然に、トノヤが背を曲げて笑い出す。
  甲高い笑い声に教室にいた何人かの生徒がこちらを見るが、すぐに興味を失って
  それぞれの話題に移ってゆく。
  ファングもひとしきり笑ってから、息を整えるようにペットボトルの紅茶をあおった。

  「だろ?」
  「どこが似てるってゆーか、まんまだな」
  「動きがなぁ…いや会長はあそこまで凶暴じゃないだろーけど」
  「いやわかんないぜ?女はよー」
  「なに?何かあるのかねトノヤ君」
  「ねェよっ」

  歯型のついたストローに口をつけて、トノヤはふいと目をそらす。
  中身はどうやらジュースらしい。不意に口の中に広がってきた甘味を
  流すように、ファングはさらに紅茶を飲んだ。

  廊下側の窓――腰の高さぐらいにしつらえられ、外側の窓と対になって作られている。
  採光のためだろうが、どうしても生徒達にとっては『窓口』に見えて仕方がない――
  を見やると、人影が弧を描いて廊下をすっ飛んでゆく。

   ……。

  「なぁ」
  「おおかたイフにでも殴られたんだろ」

  空に鳥が飛んでいるのを見るような眼差しで、トノヤ。
  ぐしゃ、とジュースのパックを握りつぶす。それを見て、ファングは
  にやりと笑って見せた。

  「入らなかったら明日の昼飯な」
  「なめんな」

  トノヤは椅子に座ったまま、ぽいと背にパックを放った。
  軌道の先は教室の隅にあるゴミ箱――

  「投げ捨てはアカン!」

  中空でパックが止まる。いや止められた。

  「げ」

  ファングは思わず後ずさったが、椅子に座っているので思うように動けない。
  振り返ってきたトノヤも、その姿勢のままで硬直した。
  パックを受け止めたのは朝霧だった――神経質そうに眼鏡のふちを光らせて
  こちらを一瞥すると、パックからストローを抜く。

  「しかもストローは燃えないゴミやろ!パックはちゃんと開いて水洗いして
   資源ゴミ!――あぁ、これは中身が銀やから燃えるゴミやな。
   それとストローが入ってた袋は――」

  身をかがめて、トノヤの足元に捨ててあるストローの袋を拾い上げる。

  「燃えないゴミやぞ!」

  びし!と鼻先にそれをつきつけられて、トノヤは肩をコケさせた。
  そして、降参するように両手を肩の辺りまで上げる。「ハイハイ」
  なんだかとてつもない悪寒を感じながら、ファングは頬を掻いた。

  「あー…さぎりちゃんは違うクラスじゃなかったっけ」
  「休み時間中は違うクラスに入っても問題はありません」
  「――おい会長だよ」
  「何か、怒ってるみたいよ?」
  「あの二人も終わりかぁ」

  ざわめきの中にそんな声が聞こえてきて、眉が歪む。
  トノヤも聞き取ったのだろう、二人で顔を見合わせて、同時に朝霧を見上げる。

  「あと20分6秒、猶予があります。そのお時間を頂きたいの」

  ――彼女には、聞こえてないようだったが。

  ・・・★・・・

  階段に座って後ろ手をついているファングは、くああとあくびをした。
  トノヤもやはり座って、膝についた肘であごを支えている。その顔は不機嫌そうだ。
  そのどちらにも厳しく視線を送って、朝霧は肩を怒らせた。

  「あなた達には、責任があります」
  「何の?」
  「教室が半壊した事と、やぶ――雪恵先生が失踪した事や!」

  わんわんとした朝霧の声が、誰もいない階段に響く。

  朝霧に連れ出された所は、屋上に続く北階段の踊り場である。
  もっともこちら側から屋上へは行けない。行くとすれば、南階段を
  昇らなくてはならない。
  そのため人通りもなく、教師や清掃員までも近寄ろうとしない。
  隅にたまった綿ぼこリに息を吹きかけながら、ファングは退屈そうに胸中でぼやいた。

  (ぜってー誰かに聞かれてるぞコレ)
  「もーすぐで入りそうだったのによー…」

  目つきの悪さに拍車のかかっているトノヤが、ぶつぶつとこぼしているが、
  やはり朝霧は無視――却下して、声を張り上げた。

  「今も業者の方達が頑張って教室の修復をしてくれています」
  「あんなにブッ壊れたんじゃあどんだけ頑張ってもなぁ」

  トノヤの肩が、思い出し笑いで揺れる。

  「あの先公の授業で誰かがいなくなるってゆーのはなんかわかるけど、
   本人がいなくなるなんてなぁ」
  「トノヤ、黒板投げるよりはそっちのほうがいくらか可愛げがあると俺は思う」
  「……あんたら、実はスゴイ事話してるやろ」

  いいかげんにしてくれとばかりに、朝霧が半眼で口を挟んでくる。
  と、制服のポケットから飾りも何もないメモ帳を出して、手馴れた様子で
  ページを繰ってゆく。

  「私が独自で調べてみましたところ、やはり自宅には帰っていないようですね。
   出張の予定もなかったようです。
   つまり誰一人――矢吹教師の行き先を知らないのです」
  「やぶききょーし?」
  「雪恵先生のことや」
  「あー…そういえばそうだったデスね」

  即座に切り返され、変になった口調でトノヤ。
  ファングは、昼休みの貴重な遊び時間が霧散してゆくのをはっきりと感じて、
  やはり虚しく遠い目でため息をつく。

  「まぁ、きっかけを与えてしまった私にも少なからず責任があるかと思いますが、
   主犯はあなた達、ですよね?」
  『主犯て』

  トノヤとファングの声が重なる。続けたのはファングだった。

  「てゆーかさぁ、壁に影が移るくらいの爆発起こしたのってセンセーのせいじゃん。
   有り得なくね?原爆じゃないんだからさぁ」
  「言葉遣い悪し。減点1ポイント」
  「おいッ!?」
  「ぎゃははははッ!スゲーな会長」

  吹きだすトノヤを半眼で見返してから、ファングは立ち上がった。
  もちろん背丈はこちらのほうが高い――こんどは朝霧を見下ろす形になって、
  早口でまくしたてる。

  「あのさぁ!とにかく、会長は俺達になんの用なんだよ??」

  朝霧は眉一つ動かさず、ファングを見返した。


  「先生を一緒に探して欲しいの」 





                                 ヒサ


   雪恵が姿をくらましてからもう1週間以上たった。手がかりは一向につかめない。とい  
  うか,はっきり言ってどうしたら良いのか分からないというのが現状だった。

   昼前最後の授業。皆グウグウと悲鳴をあげている腹の音を押し殺して,これから繰り広
  げられる最凶で壮絶な購買争奪戦にそなえて計画を練ったり体力温存やらで授業どころで
  は無い。
   一生懸命話を聞き,板書をしている真面目な生徒も居るが,もちろんファングはその中
  に入っているはずもなかった。当然のごとく次成るメインイベントで頭がいっぱいだ。
  「授業終了まであと32分か……ちくしょう長い〜腹がそろそろ限界だァ」
   ファングはうんうん唸りながら机に突っ伏して空腹に必死に耐えていた。体の中を胃液
  が暴れている。しかもさっきから何だか甘い匂いがする。
  「何,ファング腹減ってンの?これいるか?」
   隣の席のトノヤが手を差し出した。頭は机に置いたまま首だけひねりトノヤの方を向く。
  シルバーの指輪だらけの手にはクッキーと飴がのっかっていた。顔を見ると口がモゴモゴ
  動いていた。机の下から取り出したパックのジュースで口の中のモノを喉に流し込み,ペ
  ロリと口の端に付いたクッキーのカスを舐め取った。
  「どうりでさっきから甘い匂いがすると思ってたらトノヤかよ!……まぁしょうがないか
  らもらっとくけど」
  「しょうがないって何だよ。しょうがないって。別にいらねーんならあげねぇよ」
  「あっ,いるいる!いただきますトノヤ君」
   一瞬引っ込めようとしたトノヤの腕をつかみ,有り難くお菓子をちょうだいしようとし
  た時だった。
  「君たちは何をしているのかな?」
   二人はガタン,と机をゆらして恐る恐る前を見た。
   腰に手を当て立っていたのは八重教師。歴史担当でしかも生活指導の先生だ。
   突き出した腕とそれを掴む手を引っ込めることも出来ず二人は八重の方を向き固まった。
  普段の柔和な笑顔……に見せ掛けてこめかみには青筋がお目見えしている。口の端も不自
  然に曲線を描いていた。いつも温厚なだけにヤケに恐ろしい。
  「今は授業中だぞ。この菓子とジュースは没収。そして二人は廊下に立ってなさい」
  「今どき廊下!?」
   口答えしたトノヤをジロリと睨む。
  「いやなら生活指導室で昼休みをたっぷり使ってお説教でも良いけどな」
  「喜んで立たせて頂きます」
   クスクスと笑う声の方を睨み,ドアを開けしぶしぶ廊下に出た。日当たりの宜しく無い
  廊下はひんやりしていて少し肌寒い。身震いをして二人は教室から見えない場所を選び座
  り込んだ。
  「あーどっこいしょ」
  「うわ,トノヤ親父くさー」
  「うっせーな。ファングの所為でとんだ目にあったぜ」
  「お菓子はトノヤが悪いんダロォ。人の所為にするなよッ」
  「おめーがさっさと受け取らないのがいけないんじゃんか」
  「なんだとお!?」
  「あんだよ!?」
   向き合って睨み合いをし,お互いの胸ぐらを掴もうとした寸前,ガラリと教室のドアが
  開いた。
  「うるさいよ。それに立ってろって言ったはずだけど?」
   反応する間も無く八重の顔が引っ込みドアが閉まった。
   喧嘩する気も失せ,二人はしぶしぶ立ち上がり壁に寄り掛かった。広い廊下に二人。教
  室からざわめきは聞こえるが,なんだか凄く隔離された感は否めなかった。
   ふいにファングがつぶやいた。
  「そういえば雪恵センセー何処いったんだろね」
  「あ〜何処行ったんだろな。実は休暇で今頃南の島でバカンス中だったりしてな」
  「まさか。ンな訳無いダロ。朝霧ちゃんはちゃんと調査してるみたいよ?」
  「マジィ?何処でどうやって何調査してんだか」
  「俺らも動かないとまた何か言われちゃうぜ」
  「突然口調変わるのやめてほしいよな。ビビるっつの」
   何時の間にか二人はまた座り込んでいた。ファングは教室移動で誰も居ない隣の教室の
  時計を,窓越しにのぞくとまだチャイムまで16分ある。
  「あれ?」
  「何だよ」
   薄暗い教室の中を覘いたままファングは,ちょっとちょっと,と小声でトノヤの肩を叩
  いた。
  「誰か居る」
  「空き巣か?居るんだよな,教室移動を狙って盗むやつ」
  「違くてさ,向かいの校舎の屋上だよ」
  「はぁ!?そんなん見えるかよ!」
   ファングは必死にアレアレ!と窓越しに教室の外を指差す。そこの教室はこの第3校舎
  の一番端なので隣の第4校舎とは渡り廊下で繋がっていて近いので確かに見えなくはない。
  だが目の悪いトノヤには屋上なんか見えない。
  「人が居るんだって,屋上に」
  「どうせ授業フケてるやつらだろ」
  「いや,なんかやたら長いローブとか来てるし何か教師っぽいんだよ」
  「マヂかよ」
  「なんかあやしくない?」
   振り向いたファングと目が合った。ファングはなにやらニヤニヤしている。一瞬考えて
  トノヤは気付いたようにニヤリと口の端を持ち上げた。
  「あやしいな。確かに」
  「これは……」
  「……確かめないとなッ」
   八重の言い付けなど一気に吹っ飛び二人は走り出した。目指すは屋上。ファングの空腹
  も好奇心で吹き飛んだ。後ろから八重の怒鳴り声が聞こえた気もするが,気のせいだとい
  うことにしておいた。昼休みが始まってしまえば屋上には昼食を食べに生徒がたくさん来
  る。それまで怪しい人陰が居るとは思えない。

   昼休みまであと10分。 





                                 みやび


   「ああ、確かに君は優秀な生徒だ」
   教師ヤードの言葉は続く。
  「私の受け持つ魔法防御論の成績でも、ああ、君は常にトップクラスの成績を収めてい  
  る」
   その後も、ヤードは薀蓄を交えながら話し続ける。
   さすがの朝霧も苦痛を感じ始めていた。彼女の眼に写っているものは、ヤードではない。
  彼の机に重ねられた分厚い本であったり、あるいは壁に掛けられた魔法理論の図解だった
  りである。
   授業のない午前中に調べ物をする予定が、大幅に狂ってしまった。それもこれも図書館
  に向かう途中にヤードと出くわしてしまったことが発端だ。
   今、朝霧は進路指導室にいた。
   「君は、いまや数々の魔法を理論に忠実に操ることができるだろう。しかしだ。ああ、
  私が言いたいのは、ああ……」
   「ああ」がえらく耳につく。
   予習のしすぎで授業がつまらなかったとき、この教師の「ああ」を数えたことがある。
  一度耳についてしまって離れなかったからだ。すると一時間の授業でなんと二百回も使っ
  ていた。癖とはいえ酷いものだと苦笑した覚えがある。
   そのときのことを思い出して、思わず吹き出しそうになる。
  「だが、何のために使うかなのだ。ああ、その一点がない限り、結局は君の操る魔法には
  何の面白みもうまれないのだよ」
   辛らつな批評だというのは理解できたが、朝霧はすでに真剣に聞いてはいない。どんな
  言葉も彼女の右耳から左耳へと抜けるばかりだった。
   そんな朝霧の視界に光の飛び込んでくるのに気がついた。それも一定の間隔で。
   何かが反射しているのだろうか。ふと視線を窓の外にやると、光の出所はすぐに
  分かった。隣の校舎の屋上からだ。
   「実につまらないとは思わないか。ああ、少なくとも僕はそう思っていたんだが」
   光の正体を気にし始めてからは、もうヤードの言葉など耳に入っては来ない。
   そして。
  「あっ」
   思わず声をあげてしまった。一瞬、屋上に人影が見えたのだ。
  「ど、どうしたんだね。突然」
   ヤードも驚く。
  「い、いえ」
   話を聞いていなかったことは悟られたくない。それが優等生として進んできた彼女の習
  性だった。が、これといってごまかしようもないから、そう答えるしかなかったのだ。
   だが、優等生という肩書きはだてではない。
   そうか、という目配せをすると、ヤードはそれ以上気にも止めずに問い掛けてきた。
  「ああ、君は最近、雪恵先生の行方を探っているそうじゃないか」
   ……雪恵先生。
   その言葉がきっかけとなった。
   あの光がどうも気になって仕方がないのだ。
  「先生、午後の授業の準備がありますので、失礼させていただきます」
   そう言って、深々とお辞儀をすると朝霧は一気に部屋を飛び出した。
   ヤードはあっけにとられていた。もちろん朝霧にその表情が見えるはずもないのだが。
   すぐに笑みを浮かべると付け足すように言った。
  「何かを必死に求めている今の君は、ああ、とても輝いて見えるのですがね」

   朝霧は第四校舎へと走っていた。
   渡り廊下を突き進み、階段を駆け上がっていく。普段、あまり人が使わない階段だから
  か、明かりもついておらず薄暗い。
   そんななか不思議な胸騒ぎを抱いたまま、屋上に出る扉に手をかけた。
   このドアの向こうに誰がいるのか。あるいは何かあるのか。
   教室を飛び出したときはただ勢いに任せてではあったが、いざ目前に迫ると緊張が走る。
   そして、ドアを開いた。
  「そこにおるんは誰や!!」
   緊張感をほぐすように、無意識に声が大きくなった。
   が、その緊張感はすぐに失われた。むしろ、体に張り詰めていたすべての力がなくなっ
  てしまったようだ。
  「あんたら、ここで何してんねん」
   トノヤとファングだった。

  「いや、朝霧がヤード先生に説教されてるみたいだったしなあ、トノヤ」
  「そうそう、合図でも送りゃあ、抜け出せるんじゃねえかって、なあファング」
   お互い、言葉の中にこのアイデアは自分のものではないということを含みたかったらし
  い。
   が、朝霧には伝わっていない。
  「もう、ええわ。そんなことより、こんなところで何しててん?」
  「いや、人影が見えたもんだから来てみた」
   三人は、フェンスに囲まれた屋上で車座になって座っていた。
   日光に照らされたアスファルトの生暖かさが伝わってくる。
   トノヤとファングが人影を見て屋上に駆けつけたときには、もう誰もいなかったという。
  「でも、そこのフェンスのところにこんなもんが落ちてたぜ」
   トノヤが朝霧に差し出したものは、鮮やかなブルーの髪留めだった。
   手にとった朝霧はまじまじと見つめる。自分は、こんなおしゃれな物を身につけたこと
  がない。
   興味がないわけではないが、優等生という肩書きでは到底冒険できるものではなかった。
   そのかわり、よく人のしているものには目がいくのだった。
  「これ、1年生のナッシュさんのじゃ」
  「え、ナッシュっていやあ、吹奏楽部のか」
  「ええ」
   朝霧は同じ部だから分かるとして、なんでファングが知っているのか、という疑問をト
  ノヤは抱いた。
  「なんでお前が知ってるんだ」
  「え、だってかわいいじゃん。髪なんかこう短めでさ」
   なんだ、という顔をしながらトノヤはさらに疑問を投げつける。
  「でも、髪短くって髪留めなんかするのか」
   確かにそうだ。二人は朝霧の方を見る。
  「入学したてのときは、まだ髪の毛長かったのよ」
   三人はどこかに腑に落ちない感じを受けていた。
   魔法学を学んでいて、どこが分からないのか分からないときがある。それと似ている。
   三人はとりあえず屋上をあとにすることにした。 




                                 熊猫


  「ふぅ…もう少し遅かったら餓死の危機にさらされるトコだったぜ」

  両手一杯に本日の『戦利品』を抱えて、ファングは頭の中で今さっき起こったことを思い  
  返していた。
  昼時の購買部は毎日戦場と化す。今では時間をずらして昼食を買う生徒も多い。
  もっとも戦場にしているのは教師生徒含めた数名だが、その買う量が双方半端ではないた
  め、こういった混乱も起きる。

  とにかく本日の勝利の余韻に、ファングがひとりで浸っていると、廊下の前方から細い人
  影がやって来るのが見えた。知った顔だ。しかし――

  「あっれフレア、その怪我どうしたんだよ?」

  思わず足を止めて、声を掛ける。視線は彼女の腕に巻かれている包帯と、顔に張られてい
  るガーゼだ。
  あぁ、とフレアも立ち止まり、包帯だらけの腕を軽く上げてみせた。

  「…実はこの前、授業を受けていたら壁が倒れてきて…私は一番前の席だったから、下敷
  きになったんだ」
  「え゛?」
  「とっさに防御の魔術を発動させたんだが…ちょっと間に合わなかったみたいだ。私も未
  熟だな」

  ふふ、といつもの自嘲気味の笑顔で、フレア。


  ――負傷者10名を越える大惨事やで――


  硬直したファングの腕からひとつ、パンが落ちる。それを拾いながら身をかがめた彼女の
  声は少しくぐもっていたが、はっきり聞こえた。

  「なんでも隣のクラスで魔術の暴発があったとかで――どうしたファング?気分でも悪い
  のか?」

  フレアが、突然うずくまったこちらの顔を覗き込んでくるのが気配でわかる――
  ひたすら脂汗を流しながら、ファングはいきなり立ち上がった。そして。

  「ごめんごめんごめ――んッ!!!!」

  渡しきれなかったパンを手に、呆気にとられているフレアを置いて、全速力で廊下を走り
  去っていた。

  ・・・★・・・

  「――ここやったんか」

  振り返ると、分厚い本を持った朝霧が戸口に立っていた。
  いつもの険のある眼差しでファングとトノヤのいる歴史準備室を見渡すと、埃を避けるよ
  うに早足で入ってくる。

  「歴史の授業中に勝手に外出した罰として準備室の掃除させられてるって、イートン君
  が」
  「そんな事細かに」
  「…ま、あいつらしいけどな」

  トノヤが嘆息しながらページをめくる。彼はさきほどから本の山に座って本を読んでいる
  ばかりで、
  掃除をする意思をかけらも見せていない。読んでいる本は――『魔術の歴史』。
  そちらを軽く睨んでから、向き直る。

  「で、どうしたの?」
  「えぇ、今までちょっとナッシュさんの事を聞き回っていたんですが…どうやら彼女、
   失踪したとの噂があるんです」

  積み上げた本を適当に本棚に戻していた手が、止まった。そのまま両手のこぶしを握って、
  重々しく言ってみる。

  「そりゃあ…事件だな」
  「雪恵先生が居のうなった時点で事件やろが」

  冷たい視線と口調で言い放つ朝霧に、トノヤが頭の後ろを掻きながら問いかけた。

  「フツーに風邪とかなんじゃねーの?」
  「それは有り得ません」

  即答した彼女に視線で促すと、朝霧は眼鏡の位置を指でなおしつつ――「彼女は寄宿舎で
  生活しているんです」

  「何らかの原因で休んでいるのなら、必ず連絡があるはず…それがないという事は、あく
  までナッシュさんは
   『登校した後』で失踪したという事になります」
  「じゃあ学校のどこかにいるって事か?」
  「あー、それはあるね。超広いしなこの学園。俺ですらこの学園の間取り、まだ完璧にわ
  かってないもん」

  トノヤの意見にうんうんとうなずいて、ファングはそう口を挟んだ。
  朝霧は小さくかぶりを振り、深刻そうに目を伏せる。

  「かもしれません――が、この学園内から連れ去られたという可能性もあります」
  「で、超アヤしーのがこの前俺達が見たヤロウってわけだな!」
  「あんま参考にならねぇよソレ。だってこれだし」

  そういうと、トノヤが朝霧に向けて一枚の紙を差し出す。
  なんとなく受け取って、彼女がはっきりと後悔した顔になったのを、ファングは確かに見
  た。
  ノートの切れ端に、鉛筆で黒く塗りつぶした物体が描いてある。その下に、読みにくい
  くせ字で『WANTED!』と付け足してある。
  何が指名手配なのかよくわからないが、この絵を描いた本人を罰したほうがいいと思わせ
  る絵である。

  「俺直筆の、ヤツの似顔絵!」

  ファングの得意げな声に顔を上げた朝霧の顔が見えるわけでもないだろうが、
  トノヤが本に目を落としたまま、付け足す。

  「こいつ図工・2」
  「うるせー!俺の芸術は先生なんかにゃわかんないの」

  絵をひったくるようにして朝霧から受け取ると、くしゃくしゃと丸めてごみ箱に捨てる。
  トノヤがページをめくった。

  「でもそっちのほうが結構ヤバイんじゃねぇの?いないっていうのが確定してんだし」
  「センセーはいなくなったって、まだ決まったわけじゃないんもんな」
  「…そうなんです。それで、彼女がいなくなった日を考えてみると――およそ1週間前」

  ふと、準備室に沈黙が降りる。

  「矢吹教師がいなくなったのは今から1週間前です」

  埃すらも止まったような静けさのなか、
  朝霧がきっぱりと言い放った。

  「彼女達は二人同時にいなくなりました」

  ファングは、ようやく本を閉じたトノヤと顔を見合わせた。
  埃が再び動き出す。朝霧が、後ろ手に教室の扉を開けていた。

  「矢吹教師がいなくなったのと、全く無関係とはいえません。あなた達にもね」

  言って朝霧はすぐにまたあのメモ帳を開くと、何かを確認するようにページに指を滑らせ
  る。

  「ナッシュさんには妹がいるみたいやな」
  「あ、じゃあその子に訊けばわかるかもしんないね」

  本棚に本を詰め終わって、ファング。トノヤはまだ顔を上げていない。
  朝霧は無言でうなずくとそのまま、「一緒に来てください」とはっきり言った。

  「――幼等部に」

  トノヤの横顔が、わずかにひきつったように見えた。





                                 ヒサ


   下手な戦場実地より其所は凄まじかった。
   気を抜いて歩くと地雷(おもちゃ)を踏み、下ばかり見ていると空撃(おもちゃ)の餌食に  
  なる。
   視界の端にチョロチョロと走るすばしっこいちっこいソルジヤー(幼児)達は珍しい侵入
  者に浮かれ騒ぐ。
   幼等部はまさに戦場だった。
  「あーー!うるさい!うるせえ!静まれガキ共!!」
   いつだか、泣く子も黙るトノヤ、とキレたトノヤを見て誰かが言ったコトがあったが実
  際は泣く子どころが走り回る子さえ黙りやしない。
   ビビッたのは隣にいるファングと朝霧だけだった。
  「び、びっくりした。いきなりでっかい声出すなよ」
  「頭痛ェ……」
   トノヤはだるそうに頭を抑えずるずると入り口に座り込んでしまった。
   だらしないなあと嘆息しながらファングと朝霧は中に居る先生のところへ向かった。
  「あの、高等部のナッシュさんの妹さんに会いたいのですが」
   ちょっとガタイの良いおばさん先生は、女の子二人との積み木の手を止めず、筋肉形状
  記憶された完璧なスマイルで振り返った。
  「リッツちゃんのコトかしら。先週から高等部の先生がリッツちゃんに聞きたいことがあ
  るって毎日空き教室でお話しているみたいだけど。今もその空き教室に行ってるのよ」
   高等部の先生。
   この言葉を聞いてファングと朝霧は肌が泡立った。
  「アリガトウゴザイマス!!」
   いつの間にかチビッ子達に埋もれていたトノヤを引っこ抜くと急いで教室を出た。
  「何!?何事だよ!?」
  「此処来て大正解!めちゃめちゃ脈有りだし!」
  「迷いながらもリッツちゃんのクラスまで来て良かったですね」
  「あ〜そうなの。で?どこに行くんだよ」
   トノヤのやる気のない声にファングと朝霧は急ぐ足を止めた。
  「……何処に向かっているんですか生徒会長殿?」
   コキコキと不自然な動きで朝霧を振り返るファング。
  「……空き部屋?」
   不自然な笑顔を返す朝霧。
  「何処のだよ」
  「……ハハ」
  「しゃーない!こうなったら手当りしだい探すしかないやろ!」
   こぶしを握りしめ、朝霧は歩き出したと思ったらそこら中の空き教室と思われるドアを
  開け始めた。
  「ヲイヲイヲイ。いくらなんでも……」
   ファングが朝霧の肩に手をかけようとした時、朝霧のドアを開ける手が止まった。
  「なんだよ?ぅもがっ!!」
  「しーーー!!」
   慌ててファングの口を手で塞ぐ朝霧。
  「え、その部屋当たりかよ?」
  「そうみたい。……ううん良く聞こえないわね」
   朝霧は扉に耳を押し当て中の様子を聞き取り始めた。
  「会長、盗み聞きかよ」
  「やかましっ」
   朝霧の投げた上履きはパコーンと良い音を立ててファングの眉間にクリティカルヒット
  した。
  「お、俺の上履き!」
   かかとを踏んでペッタンコのスリッパ状態になっているトノヤのカパカパの上履きは、
  綺麗な弧を描いて廊下の反対側に落ちた。
   トノヤはケンケンしながらぶつくさと上履きを拾いに行った。
  「どっかの失踪したセンセーじゃないんだからさぁ」
   ゴシゴシと眉間をさすりながら力無い目で朝霧を睨むファング。上履きを取りに行った
  トノヤがアッチの方で「プッ」と笑った声が聞こえた。
  「しずかにしーや」
   朝霧のメガネの奥の目が一瞬凶悪にキラーーンと光った。物言わぬ静かな威圧感は二人
  を押し黙らせた。
  『……ハイ』
  「ったく」
   気を取り直して朝霧はドアの向こうの音に集中した。 





                                 熊猫


  「いいかー。人生っていうのはなぁ、なんかこう、長いもんなんだぞー。
   長いってわかるか?教えてやろう。短いの逆だ」
  「うんー?」

  不思議そうに首をかしげながらも同意してくる子供を見つめ返す。
  その真っ黒な瞳に自分の姿を映しこんで、人指し指を立てる。

  「もっと簡単に説明してやろう。人生にはな、自分が考えている事と
   他人が考えている事しかないんだ。たとえばコレ、人指し指――
   と、俺は思っているが、もしかしたらあの目つき悪いニイチャンは
   コレを人刺し指と書いているかもしれないんだぞ」
  「書いてねーよ」

  上級生が好きなのか、わらわらと集まってくる子供達に埋もれて
  服を引っ張られながら、きっちりと突っ込みを入れてくるトノヤ。
  ファングもようやく立ち上がって、目の前の入り口でまだ聞き耳を
  たてている朝霧に目を向ける。

  「で、どうよ会長。中身は」
  「…」

  朝霧は返事をしない。ということは、中の様子がわかるのだろうか。
  ファングは肩をすくめてトノヤのほうへ振り返った――
  すると彼は、この数秒の間に邪魔をしに来た子供を片っ端から捕まえ、
  乱暴に(子供は楽しそうだったが)両脇に抱えていた。

  ちょっと間をおいて、朗らかに笑ってやる。

  「なんかトノヤ、保父みてぇ」
  「うるせ。投げるぞ」

  仁王立ちのまますごんで来るトノヤだが、いかんせん子供のせいで
  迫力がない。

  「人様んちのを投げんなよ。怪我すんだろ。俺が」
  「てかファング、こん中に誰がいるってんだよ?全然わかんねぇ」
  「なんか、高等部の先生ってのがナッシュちゃんの妹に話聞いてるんだって」       
  「・・・は?」
  「うん、雪恵センセーかも」
  「でも・・・違うかもしれないわ。だからお願い静かにして」

  独り言のようにつぶやいて、朝霧が言葉を切る。
  トノヤは子供を投げるように下ろすと、深く息をついた。

  「つかさー、今更だけど。こういうのってセンセーとかに言えば、あとは
   向こうで探してくれるっしょ?」
  「バカ、今回俺らが関係してるってこと先生に知られたらぜってー俺ら退学だぞ。
   この不思議はこっちでどうにかしなきゃだろ」
  「それよか、今までなんでアンタらが退学にならなかったのかが不思議や」
  「はぁ…だりー帰りてぇー」

  遠くを見つめてまたもや座り込むトノヤを見て、ファングはすかさず片方の
  上履きを脱いで耳に当てると、彼を指差した。

  「テラロマ戦隊幼等部に告ぐ!廊下に妖怪ダリダリ出現!きっとどっかに
   お菓子を持っているかもしんないから、ただちに出動せよ!」
  『わーい!』

  声に反応して、子供達が手に玩具(武器のつもりなのだろう)を持って
  やたら元気にトノヤの元へ集まってゆく。
  と、ようやく朝霧が立ち上がった。

  「行きましょう」
  「え?どこへ」

  上履きをはき直しながら聞くが、朝霧はファングの問いに答えるかわりに、
  目の前の引き戸をためらわずノックした。
  面食らってファングは一歩退いて、他人に見られてはいないだろうかと
  あたりを見渡した。だが誰も居ない。

  「いいかげんにしろぉおおおおおおっ!」

  かわりに、頭の上に子供を乗せたトノヤが別の子供の足を持って
  振り回しているのが見えたが、今振り回されているのは
  自分達のほうだと、つくづくファングは実感していた。





                                 みやび


  「なんで誰もいねえんだよ」
   声が荒くなるのも無理はない。
   誰もいない部屋の何をうかがっていたというのか。そんな疑問をトノヤとファングは抱  
  いている。
  「ごらんの通り、消えたんや」
   そこは、物置のようだった。
   足の取れてしまった椅子や、部品がかけて使えなくなった実験器具などが無造作に置か
  れている。
   しかも、埃をかぶっているために、見た目に不快感を誘う。
   三人は部屋の中央にまで進んでいった。
  「ほんとに、ここにいたのかよ」
  「ええ、足元見たら、ね」
   たしかに、三人の足跡とは別のものが二つ。一つは明らかに大人のもの。もう一つは、
  幼等部の子が履く上履きのものだ。
  「へえ、さすがだねえ」
   ファングはさらに奥へと進み、わずかに空いた隙間から窓の様子を調べている。
  「ここからじゃあ、逃げ出せないな」
   消えた。
   三人にとっては、そう結論づけるのが一番手っ取り早い。
  「もう、なんでもありだな」
   トノヤは、三人の総意を述べた。
  「で、朝霧ちゃん、盗み聞きの成果は?」
  「う〜ん、ダメ。はっきり聞き取れなかったのよ。周りが騒いでいるものだから」
   トノヤとファングは、とっさに朝霧から目をそらした。
  「まったく、トノヤの子供好きも度が過ぎるね」
  「おい、誰が子供好きだって」
   朝霧の苛立ちを敏感に感じた二人は、いつものように罪のなすりあいを始める。
  「もう、ええって。誰のせいでもあらへんわ。それより、この後、時間もらえへんか
  な?」

  「確かに、ナッシュさんの妹と誰かがいたんや。それだけは間違いあらへん」
   心地よい香りを放つハーブティをすすりながら、呟く朝霧。向かいにはチーズケーキと
  格闘するファング。そしてその隣に、壁に掛けられた奇妙な絵を眺めるトノヤがいる。
  「なんで、この賢者はずっと空を眺めてんだろ」
  「知らねーよ」
   その絵は、ローブをまとった賢者が足元の鳥たちに餌をやりながら、真っ青な空を眺め
  ているというものだった。
   作者の意図はわからないが、それだけなら奇妙ということはない。
   では、何が奇妙なのか。
  「賢者の顔は描かれてへんのに、なんで空眺めてるって言い切れんねん」
   珍しく、朝霧が話にのってきた。彼女もこの三人の間合いに慣れてきたということか。
  「え、だってこのフードの辺り、微妙に上向いてねえ?」
   確かに、一見すれば空を仰いでいるようにも見える。
  「まあ、そうね」
   口に出しては言わないが、朝霧は別の印象を持っているらしい。
  「ま、あの絵のことは別に機会に語るとして、とにかく二人は私たちのそばで消えてしも
  うたわけ」
   チーズケーキとの格闘が終わったファングがようやく顔を上げる。トノヤも絵から視線
  を外し、本題に入る。
  「空間移動でもしたってか」
  「でも、空間転移系は禁止されてるやん」
  「あ、俺知ってる。理論が確立されたけど、実地では成功率が悪すぎて、大事故があった
  やつだろ」
   珍しく、ファングが物知り顔でしゃべっている。
  「何せ、この前の追試で猛勉強したからな。あ、当然君たちも知ってるわけだ」
   当然という顔の朝霧は、ファングの言葉を継いだ。
  「そう、ミラテス湖畔事件やわ。大勢の前で披露した魔法の熟練者が、一瞬にして消え去
  ったんやけど、その後現れてきいへん」
   皆が成功と思ったのもつかの間、空間のひずみで観客の数人が負傷してしまったという
  結末まで話すと、さてこれからが重要だとばかりに朝霧は、机に身を乗り出した。
  「一人だけ、空間系魔法に長けた教師がいるのよ、うちらの学校に」
  「え、まじ!?」
   ちょっと洒落た店の店員は、三人のことをじろじろ見始めた。あまり、長居してくれる
  なよというメッセージを送っているようだ。
   が、当の三人はそんな視線をものともせず、話を続けている。
  「で、誰よ、その教師」
  「高等部でそんな先生いたっけな」
   思い思いに教師の顔を思い浮かべてみる。
  「いないだろ、そんな奴」
   一通りめぐったが見つからない。
  「どうして、高等部なん?」
  「どうしてって、幼等部の先生が、いってったじゃん、えっと…」
  「高等部の先生がリッツちゃんに聞きたいことがあるって毎日空き教室でお話している、
  やろ」
   一文字一句間違えていない(と思われる)朝霧に、改めて感心するファングとトノヤ。
  「そうそう、そう言ってたじゃん」
   朝霧は、先ほど話題になっていた賢者の絵をちらっと見てからこう切り出した。
  「確かに、つい先日までは高等部だったのよ。でも、あの事故の後、配置換えになった先
  生がいる」
  「配置換え?」
  「ええ、悪く言えば左遷やわ」