<Who is she?> 悠々
“嫌だ、無理だ、面倒だ”
先ほどからこの三語を呪文のように唱えながら、ライル・フィルグランドは学長の話を
聞いていた。室内にいる数名の教師達は神妙な面持ちでそれを聞いているようだ。ライル
もまた表面上には穏やかに彼の話に耳を傾け、そんな言葉を繰り返し胸の中で呟いている。
「……というわけで、去年のような事もありますので、今年は我々も動く必要があること
を了承して下さい」
(我々って、あんたは動くつもりはないだろ)
眉の端を微かに動かして、ライルは無言で反論した。
学長の言う“去年のような事”とは、去年の卒業試験で、お馬鹿な生徒が事故に遭い、
瀕死の重傷を負ったことだ。運が悪いことに、そいつが学業優秀者だったものだから、学
長がこうして青くなっている。事故を起こした時点で“学業優秀者”の箔を略奪すれば良
いだけの話だと思うが、それとこれとは別問題らしい。“将来有望な若者を”といった前
句付きで、出資者や親、更にライバル校から溢れてきた文句をかわそうというのが、学校
長様のお考えというわけだ。
つまり今年の卒業試験は、学業優秀者の助手を教師が務めよ、というのが新企画らしい。
裏を返せば、学業優秀でない者は死のうがどうなろうが関係ないという意味だと思うが、
誰も掘り下げる者が出なかったので、企画は決定となってしまった。
(面倒……)
自宅と学校を通って、たまに酒場によって、時々夜遊びをするぐらいの人生で十分満足
しているライルにとって、遠足だの課外授業だの、無駄な労働はしたくはない。その上、
今回は卒業試験の助手などと、更に重労働と来ている。
「というわけで、こちらが皆さんの担当生徒です」
配られた紙を広げ、ライルはそれをジッと眺めた。
“ニナ・エインズ”
───って誰?
学長室を出る。学業優秀者の名前を他の教師に尋ねるわけにもいかず、ライルは紙を握
り締め、どうしたらその“エインズ”なる生徒を知ることが出来るかと算段した。
しばらく廊下を歩いていると、背後から声をかけられる。
「フィルグランド先生!」
仕方がなくライルは、鬱陶しさを隠しながら振り返った。
目線を下げた場所に、ごく普通の女子生徒が立っている。記憶にない顔だが、生徒は全
て顔も名前も覚えていない。むろんその理由は“面倒だから”だ。
「何か?」
物わかりの良さそうな教師のふりをして、軽く微笑む。今は機嫌が悪いから話しかける
な、という内面は、当然尾首にも見せなかった。
「あの、これ……」
そっと差し出された手の先に、ペンが一本握られている。
(またか……)
ペンの類など、興味は一切無かった。無かったが、女子生徒から渡される様々な贈り物
に辟易し、ある時“貰うならペンが良いな”と呟いたら、その次の日から毎日一〇本づつ
ストックが増えている。それどころか“フィルグランド先生はペンマニア”などという、
有り難くもないレッテルまで貼られ、部屋は“ペンの倉庫“と化していた。
本当は何処かで売りさばきたいのだが、誰かに見つかって評判を落としたくないので、
我慢をしている。やる気も根気も覇気も全くない教師としては、唯一評判だけを保ち、ク
ビだけは何とか免れたい。
「ありがとう」
「先生のお好みに合うかどうか分かりませんが……」
好みなんか一切無いから大丈夫、とはさすがに言えなかった。
「とても綺麗なペンだね。気にいったよ」
如何にも有り難いといった様子で、胸ポケットに仕舞い込む。どうせ夜にはストックの
山の一本となるだろうが。
まだ何か言いたそうに、女子生徒がライルを見上げていた。頬を染め、輝かせるそんな
瞳は見慣れた図だ。
自慢じゃないが自分は顔だけは良いと思う。よく“人間離れした”と表現される事もあ
るが、“人間じゃない”と言われてるようで嫌だった。だが顔が良いのは紛れもない事実。
“顔が良くて困っている”などと謙虚なセリフは言うつもりもない。“顔が良くて得した
こともあるが、最大限利用するつもりはない”と言ったところか。
その理由は、むろん“面倒だから”。
更なる会話を期待している女子生徒の目の前にして、ライルはふとあることを思いつい
た。先ほどの“エインズ”の事を尋ねてみよう。
「そういえば、君はニナ・エインズ君を知ってるかい?」
他の女子を話題にされて不快に思ったのだろう。少し顔を暗くして彼女は“ええ”と小
さく返事をした。
「彼女は何組だったかな?」
「エインズさんは三年三組ですけど……」
「ああ、そうだった」
そう言いながら微笑んでみせる。少し不自然だったろうか?
「あ、あの……」
「何?」
「フィルグランド先生は、やっぱり成績が良い生徒の方が好きですか?」
「そんなことはないよ。生徒は誰も分け隔て無く接しているつもりだ」
分け隔て無く興味がない、という意味だが。
「そうですか!」
「君も大切な生徒の一人だ」
生徒がいるからこそ、給料が貰えると解釈して欲しいけれど。
「私、てっきりエインズさんが好きなのかと思いました」
名前を聞いただけで何故そうなる?
「エインズさんって飛び級しているほど頭が良いから……」
「ああ、でも教師としては、成績の良い生徒は素晴らしいと思うよ」
教えることが無くて楽だから。
「そうですか……」
「君も頑張りなさい」
「はい」
小さく頷いて、女子生徒は立ち去っていった。
“ニナ・エインズ”は飛び級をしている三年三組の女子生徒。そんな生徒がいたとは初め
て知った。いや、何処かでたぶん聞いたと思うが、記憶の破片も残っていない。
(まあいいか、それだけ分かれば)
ひとまず最低限の情報は収拾できた。